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夏目漱石の外国語、英語学習への憂いと死生観 汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来になって現わるべし

2018-07-22 12:27:06 | 文学・芸術
・・・英人は天下一の強国と思へり。仏人も天下一の強国と思へり。独乙人もしか思へり。彼らは過去に歴史あることを忘れつゝあるなり。羅馬は亡びたり。希臘も亡びたり。今の英国仏国独乙は亡ぶるの期なきか。
日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつゝあり。未来は如何あるべきか。 ・・・ロンドン留学中の「漱石日記」より 1901年(明治34年)3月21日

また夏目漱石は、
こんな漢詩を明治32年に書いている。
松岡正剛 千夜千冊より
https://1000ya.isis.ne.jp/1309.html

豊福健二

風呂で読む漱石の漢詩
世界思想社 1996
ISBN:479070596X


眼識東西字  眼に識る 東西の字
心抱古今憂  心に抱く 古今の憂い
廿年愧昏濁  廿年(ねんねん) 昏濁を愧(は)じ
而立纔回頭  而立 纔(わず)かに頭(こうべ)を回(めぐ)らす
静座観復剥  静座 復剥(ふくはく)を観(み)
虚懐役剛柔  虚懐 剛柔を役(えき)す
鳥入雲無迹  鳥入りて 雲に迹無く
魚行水自流  魚行きて 水自ずから流る
人間固無事  人間(じんかん) 固(もと)より無事
白雲自悠悠  白雲 自ずから悠悠たり

 「僕は東洋の文字と西洋の文字をおぼえてから、両方の文化を理解はしたが、その結果、かえって心に時間と空間をこえた憂愁を抱くようになってしまった。これまでの20年間、まったく愚かで乱雑なことばかりしてきて、愧(はじ)るばかり、やっと30歳になってその過去を顧みる気になった。そこで静かに反省してみると、少しは気分が落ち着いて、柔らかいものと剛毅なものとの両方に接していていいのだと思えるようになってきた。水も魚も雲も、どこにもとどまってはいない。僕もそうありたい‥‥」。
 こんな気分であろう。まさにのちの「則天去私」を思わせる漢詩であるが、そのぶん苦悩の深さも窺い知れる。

さらに漱石は英詩も書いた、ダーウィニズムと禅仏教思想や方丈記のような無常観が込められている。

If we go back, we shall be monkeys ere long.
Darwin has taught us that.
If we go forward we shall be gods.
Buddha has said so.
Which way are we going?
Were we born, we must die.

―Whence we come, whither we tend?
Answer!
何方(いづかた)より来たりて、何方へか去る
答えよ!

と苦悩したようだ!

1900年に英国ロンドンに留学し、東西の思想の狭間に苦悩したのだ!

20世紀初頭から、すでに百数十年も経ち、未だに我々は外国語学習、ここでは夏目漱石の例に倣い英語とするが、昨今でもますます小学校での英語教科化などが取りざたされていが、どこから来て、どこに向かうのか?

夏目漱石のダーウィンの進化論の猿の時代への憂いは、夏目漱石のロンドン留学の数年後の
1903年(明治36年)、あの岡倉天心はアメリカのボストン 美術館からの招聘を受け、横山大観らと
アメリカ、ボストンでの有名な英会話エピソードを彷彿させる。

What sort of -nese are your people ?
Are you Chinese, or Japanese, or Javanese ?
(あんたら何ニーズだ?
チャイニーズか、ジャパニーズかそれともジャワ人か?)

天心が答えるに

We are Japanese Gentlermen.
But what kind of key are you ?
Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey ?
(私達は日本の紳士だ。
貴方こそ何キーなんだ?
ヤンキーか?ドンキーか?それともモンキーか?

同時期(November27,1903)
漱石は英詩を残している。
以下のような内容の英詩であり、漱石の英詩は12ほどある。

 I looked at her as she looked at me; 見 つめられ、その女(ひと)と目を合わす
 We looked and stood a moment, 二 人はしばし佇む
 Between Life and Dream 夢 か現か

 We never met since; た だそれだけの出会いだった
 Yet oft I stand それなのに、しばしば私は佇む
 In the primrose path サ クラソウの小径に
 Where Life means Dream. 夢 は現

 Oh that Life could おう、現は
 Melt into Dream, 夢 に忍びこむ
 Instead of Dream 夢 よ
 Is constantly いつまでも消えないで、
 Chased away by Life! 現 にもどさないでくれ!


夏目漱石や岡倉天心もおそらく危惧し、苦悩した、安易な『猿』真似の時代へと逆行しないように、いわんやYankee, or a donkey, or a monkeyにならぬように、母語での社会文化理解を大切にすることを再考しなければならない!
先ずは、まともな内容の日本語を話し、伝えることから、外国語、英語教育や学習を検討すべきである!

眞蹤寂莫杳難尋 -はとして杳として尋ね難く
欲抱虚懷歩古今 -虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す
碧水碧山何有我 -碧水碧山 何ぞ我れ有る
蓋天蓋地是無心 -蓋天蓋地 是れ無心
依稀暮色月離草 -依稀たる暮色 月 草を離れ
錯落秋聲風在林 -錯落たる秋声 風 林に在り
眼耳雙忘身亦失 -眼耳双つながら忘れ 身も亦た失い
空中獨唱白雲吟 -空中に独り唱う白雲の吟

夏目漱石の最期の漢詩である、元は漢文は外国語学習である、
外国語学習とは、先ずは母国語学習でもあることを肝に銘じたい!

・・未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。
汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来になって現わるべし・・・ロンドン留学中の「漱石日記」より 1901年(明治34年)3月21日

Were we born, we must die.

――Whence we come,
whither we tend?

Answer!

生まれてきたからには
死なねばならぬ。

われわれはどこから来て、
どこへ向かうのか。

答えよ!
(『漱石全集 第19巻』、1995)