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「E PL URIBUS UNUM」(エ・プルリブス・ ウヌム)ラテン語で「多くのものが一つになって」

2019-05-04 00:27:04 | 市民国際交流協会
多くのものが一つになって
ジョン・ハウランド号の後部には「E PL URIBUS UNUM」(エ・プルリブス・ ウヌム)と書いてあるのを万次郎は見ている。 ラテン語で「多くのものが一つになって」と いう意味で合衆国を表している。
アメリカで 現在も使用されている、1セント、5セント、 25セントのコインにも、この言葉が小さく 刻印されている。万次郎は150年以上も前 に自分の目で確認していた。

以下、「ジョン万次郎物語」、21年ぶりに船長と対面
http://rekioakiaki.blog.fc2.com/blog-entry-358.html?sp より一部転載

晩年の万次郎は鎌倉の別邸で悠々自適の生活を送っていた。若いころには、閉ざされた日本に海外修好への扉を開かせるために尽力し、幕末から明治初期にかけては日本の政財界に活躍した多くの人材育成に貢献した。しかし、政治にかかわりある職務に就く機会は少なかった。本人もそれを望んでいなかったようである。
 
 晩年に至っても政治の権力に反発するかのように、身辺の生活困窮者に対しては細かな配慮をして援助の手を差し延べていた。
 明治初期に活躍した洋画家高橋由一が、衣食に乏しく生活に困窮していたころ、見兼ねた万次郎は、知人に呼びかけて彼の生活や修業を手助けしたこともあった。後に日本の美術界の名を成した。
 1898年(明治31)11月12日、息子の手を握って永い眠りにつき、71歳の生涯を閉じた。