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種まく人から人々へと・ 命の器(いのちのうつわ)

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安倍首相全小中高校に臨時休校要請*虎列刺退治

2020-02-28 03:36:31 | 教育 子育て
安倍晋三首相は27日、首相官邸で開かれた新型コロナウイルス感染症対策本部で、私立を含め全国全ての小中学校、高校、特別支援学校に、3月2日から春休みに入るまで臨時休校とするよう呼び掛けた。また、感染拡大抑制などのため、必要な法案を早急に準備するよう関係閣僚に指示した。

 地域を限定せずに政府が全国の教育機関に休校を呼び掛けるのは極めて異例。7月からの東京五輪・パラリンピックを控える中、感染爆発への強い危機感を示した形だ。
 首相は要請の理由について「流行を早期に終息させるためには、徹底した対策を講じるべきだ。ここ1~2週間が極めて重要な時期だ」と指摘。「多くの子どもや教員が日常的に長時間集まることによる感染リスクに備える」と説明した。
 また、入試や卒業式を終えていない場合は、感染防止策を取ったり、必要最小限の人数に絞ったりするよう依頼。行政機関や企業には子どもを持つ職員・社員への配慮を求め、「こうした措置に伴って生じる課題には責任を持って対応していく」と強調した。首相の要請は国公私立の全学校が対象となる。
 学校現場の感染拡大防止に向けては、北海道と千葉県市川市が先に全公立小中学校などの休校を決定。政府は25日にまとめた基本方針で、休校の判断は地域に委ねる方針を示していた。
 首相は対策本部で、新型ウイルスに対応するための法案について「既存の各種対策の実効性をさらに高めるとともに、感染拡大を抑制し、国民生活や経済に及ぼす影響が最小となるようにする」と説明。スポーツジムなどでの感染拡大を防ぐため、対策を至急取りまとめることも求めた。

https://www.google.com/amp/s/www.jiji.com/v/s/www.jiji.com/amp/article%3fk=2020022701211&g=pol&_js_v=0.1&usqp=mq331AQFKAGwASA%253D#ampf= より一部転載

*「虎列刺退治」/明治19年(1886) 31x43cm
人々をおさえつけている怪獣は虎(こ)(頭)、狼(ろ)(胴体)、狸(り)(睾丸)の合体したものであり、衛生隊が消毒薬を噴射している絵が描かれている。この怪獣には消毒薬の石炭酸も、予防薬の宝丹も効き目がない様子である。広島鎮台の某歩兵大尉がコレラのため死去したが、生前の希望により死後、遺体を解剖したら正体不明の「動物(むし)」が見つかりこれをコレラの病源であると当時の人々は考えたようである。故事に倣い、**梅酢を用いると効き目があったと述べている。

**梅とコレラ菌退治

江戸末期になって、諸外国からの来訪者が増えたことで疫病が大流行し、1800年ごろには全国で2回、コレラが流行しました。このときに梅が大活躍したのです。

コレラ菌が有機酸に弱い菌であることは知られていませんでしたが、当時の人々は体験から、梅干には強い殺菌力あることが知っており、治療に役立てていました。その後、明治8年のコレラ流行の時にも梅が活躍しました。

ラマヌジャン没後100年、数学者「インドの魔術師」

2020-02-02 14:00:46 | 教育 子育て
神についての思索を表現しない方程式は僕にとっては無価値である。
The equation to which the thought about the god isn’t expressed is worthless for me.
ラマヌジャンの言葉より

マックス・ヴェーバーと同じく、インドの天才数学者ラマヌジャンも没後100年になります!
映画「奇蹟がくれた数式 」(The Man Who Knew Infinity)観て、感動しました!
ケンブリッジ大学の荘厳な雰囲気、ところどころに現れてくるバートランド・ラッセル卿
ラマヌジャンとハーディ先生の学問に打ち込む真摯な姿など

私(G.H.Hardy)は実に困難な課題を自らに課してしまった、もし失敗のあらゆる言い訳から始めようと決めていたらほとんど不可能なことと表現したであろう課題である ― 数学の近代史上最も小説的な人物について、何がしか筋の通った評価を行うのである。その経歴は逆説と矛盾に満ちているがごとくであり、我々が互いについて判断する際に慣れ親しんだ規範のほとんどおよばない人間、しかも、彼がある意味で非常に偉大な数学者であったという評価、この一点においてのみは我々皆が恐らく同意するであろう人間である。

G.H.Hardy:Ramanujan ; Twelve Lectures on Subjects Suggested by His Life and Work
「ラマヌジャン」(高瀬幸一訳より)



シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャン
(Srinivasa Aiyangar Ramanujan)はインドの数学者。
直感的、天才的な閃きにより「インドの魔術師」の異名を取った。

1887年、南インドのタミル・ナードゥ州タンジャーヴール県クンバコナム
バラモン階級の家庭に生まれ

1902年 15歳のときにジョージ・カー (George Shoobridge Carr) という数学教師が著した
『純粋数学要覧』という受験用の数学公式集に出会う

1906年 パッチャイヤッパル大学の奨学金を成績不振を理由に打ち切られ退学
数学にのめり込みすぎたせいだとも言われている!

1913年 ケンブリッジ大学に研究成果の手紙を送る
1914年 名門ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのG・H・ ハーディ教授に招聘される
イギリスに渡英、第一次世界大戦

ハーディ教授は、数学史での自分のいちばんの業績はラマヌジャンを発見したことだと言った。また、数学者に点数をつけるとすれば、「自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、
ラマヌジャンは100点だ」と言った。

1918年 ラマヌジャン、 王立協会フェローに選出される

1920年 結核、もしくはビタミン欠乏症、肝炎により死去。
享年32歳。(死因は諸説あり)

『ナマギーリ女神が舌に数式を書いてくれる』
シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャン
(Srinivasa Aiyangar Ramanujan 1887年12月22日 - 1920年4月26日)

Mヴェーバー没後100年 情熱と責任感と判断力、そして事物と人間から距離をおくことのできる能力

2020-01-30 21:36:32 | 教育 子育て
政治家にとって何よりも重要な資質は三つあります―

―情熱(Leidenschaft)
—責任感(Verantwortungsgefühl)
—判断力(Augenmaß)

情熱というのは、仕事にふさわしい情熱をもって、すなわち自分の「仕事」に、仕事を支配している神やデーモンに、情熱をもって献身できるという意味です。


 それが、どれほど純粋な情熱であっても、たんなる情熱では十分ではないのは明らかなことです。情熱が「仕事」に役立つものとして、仕事への責任という形で、行動の決定的な指針となるのでなければ、政治家にふさわしいものではないのです。そしてそのためには、判断力が必要なのであって、これは政治家に決定的に必要な心的な特性です。この判断力とは、集中力と冷静さをもって現実をそのままうけいれることのできる能力、事物と人間から距離をおくことのできる能力のことです。
 「距離を失うこと」は、それだけでどの政治家にも致命的な欠陥です。


 そしてあらゆる意味で、<距離への習熟>なしでは、魂を強靭な力で抑えつけることはできないのです。この力こそが情熱的な政治家の特徴であって、たんに「不毛に興奮した」政治的な素人との違いを作りだすものなのです。


政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事です。
世界のうちで不可能と思われることに取り組むことがなければ、いま可能と思われることも実現できないことはたしかですし、歴史が示す経験からも、それは確かなことです。しかしこれをなしうるのは、指導者でなければならないのであり、たんに指導者であるだけではなく、素朴な意味で英雄でなければならないのです。そして指導者でも英雄でもない人は、すべての希望が挫折しても耐えることのできる心の強靭さを、今すぐにそなえなければなりません。それでなければ、今可能であることさえ、実現できないでしょう。
 現実のうちで貢献しようとしているものと比較して、世界がどれほどに愚かで卑俗にみえたとしてもくじけることのない人、どんな事態に陥っても、「それでもわたりはやる」と断言できる人、そのような人だけが政治への「召命(ベルーフ)」[天職]をそなえているのです。



2020年オリンピックは、ウェーバー没後百年

2020-01-30 21:05:03 | 教育 子育て
Relinquite omnem spem, vos qui intratis.

汝等こゝに入るもの 一切の望みを棄てよ

ダンテ・アリギエーリ
『神曲』「地獄篇」
第3歌第9行より ラテン語にて

岩波新書252桑原武夫編の「一日一言」-人類の知恵ーに、以下のようにマックス・ウェーバー(1864~1920)も引用しているこの言葉が書かれている。

・・・一世紀にわたる政治教育のおくれは、十年でとりかえせるものではない。偉人の支配はかならずしも、政治教育の手段ではないのである。・・・とマックス・ウェーバーが1895年にフライブルク大学での教授就任講演『国民国家と国民経済政策』を行っている。
当然、ドイツ帝国時代のことであるが、かつて日本はプロイセン憲法から、明治期の法制度(大日本帝国憲法)に関して影響を受けている。
今から百年以上前に一世紀おくれであるから、我が日本国はその当時から進歩していなければ、残念ながら2世紀も遅れをとっていることになる。

・・・「汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ」とのダンテからの引用がまさにそこにはある。イタリア語原文でLasciate ogni speranza, voi ch'entrate.「ラッシャーテ オンニェ スペランツァ、ヴォ-イ キントラーテ」とおよそカタカナ読みではこのように発音される。

以下は、ダンテの下記の『地獄の門』の一部の引用である。

Per me si va ne la città dolente,

per me si va ne l'etterno dolore,

per me si va tra la perduta gente.

Giustizia mosse il mio alto fattore;

fecemi la divina podestate,

la somma sapïenza e 'l primo amore.

Dinanzi a me non fuor cose create
se non etterne, e io etterno duro.

Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.'


我を過ぐれば憂ひの都あり、

我を過ぐれば永遠の苦患あり、

我を過ぐれば滅亡の民あり

義は尊きわが造り主を動かし、

聖なる威力、比類なき智慧、

第一の愛、我を造れり

永遠の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、

しかしてわれ永遠に立つ、

汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ

上記のように『地獄の門』が人格的な Per me..で語りかけてくる、つまり門の紹介は『地獄の紹介』ともなる。さらに、この門をくぐる者がこれから行くであろう『地獄界』『永劫の罰』『地獄の住人』のことも表しているようだ。

ウェーバー曰く、・・・政治的に成熟した国民のみが、自主的な国民である。・・・自主的な国民のみが、世界発展という車の幅(や)に手をかける使命をもつ。
この資質をもたない国民がこれをこころみても、他の国民の確実な本能がこれにたいして反抗するだけでなくて、国内的にもこの国民はこの試みにおいて挫折する。

(新体制ドイツの議会と政府)

マックス・ウェーバーのフライブルク大学で教授就任講演 でした『国民国家と国民経済政策』を参考に捉えるとどうであろうか。

・・・われわれの事業に意味を失わせたくないならば、その事業を未来のため、すなわちわれわれの子孫のための配慮としておこなうほかありません。
しかしそれにしても、楽観主義的な幸福の希望にもとづいて経済政策上の事業を起こすことは、けっしてできません。人類史が未知の未来へと入ってゆくその門の上には、平和と人間の幸との夢をいましめてつぎの句が掲げられています。

一切の望みを棄てよ、と。

われわれ自身の世代が墓場に入ったのちのことを考えるさいに、われわれが心をゆさぶられる問いは、未来の人間がどのような暮らしをするかということではなくして、かれらがどのような人間であるかということですが、これこそはまさしく経済政策上のすべての事業の根底に横たわっている問いでもあるのです。

われわれは、未来のひとびとの無事息災をこいねがうのではなくて、人間としての偉大さや気高さを形づくるとわれわれに感じられるような資質を、かれらのうちに育てあげたいと思います。

上記のような資質やその自覚を18歳選挙権以前に若者たちのうちに、日本国は育て上げたのであろうか?

『神よ、われわれを地獄に落とす愚か者たちからわれわれを守りたまえ。』

遅かれ早かれ、現実的に選挙が行われれば結果として、愚行か否かが、いずれにせよ明確にわかるのであろう。

I prefer to learn from the experience of others;
Fools say they learn from just their experience

ウェーバーは、また、著書「職業としての政治」の中で『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』と触れている。これに類する表現はドイツの宰相であるオットー・ビスマルクの『愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。』との表現がある。以下が、そのドイツ語である。

Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.
Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

またここで、ダンテ曰く・・・

我を過ぐれば憂ひの都あり、

我を過ぐれば永遠の苦患あり、

我を過ぐれば滅亡の民あり』・・・

われわれは、未来のひとびとの無事息災をこいねがうのではなくて、人間としての偉大さや気高さを形づくるとわれわれに感じられるような資質を、かれらのうちに育てあげたいと思います。・・・

というウェーバーの引用を介して甦るダンテのメッセージは、現在でも『一切の望みを棄てよ、と』と『地獄の門へと誘う』ように響いてくる。

繰り返しになりますが、再三再四以下のウェーバーの言葉の意味を噛み締めてみよう!

・・・政治的に成熟した国民のみが、自主的な国民である。・・・・自主的な国民のみが、世界発展という車の幅(や)に手をかける使命をもつ。この資質をもたない国民がこれをこころみても、他の国民の確実な本能がこれにたいして反抗するだけでなくて、国内的にもこの国民はこの試みにおいて挫折する。

百年いや二百年遅れても、日本の社会全体で若者たちを成熟させ、危機的な少子高齢化と財政難に対して政治経済的にも意識的で自主的な市民を育て上げなければならない。
そのための「行動と批判」、またさらに行動あるのみ、『地獄の門に入る前に・・間に合わせなければならない』・・


われわれは、未来のひとびとの無事息災をこいねがうのではなくて、人間としての偉大さや気高さを形づくるとわれわれに感じられるような資質を、かれらのうちに育てあげたいと思います。

日本の新たな『地獄の門』へと私たち国民を招き入れるのか否かが、上記のような真摯な問いかけや責任のある決意を心に刻みながら、実際の批判と行動(私たちの投票や社会参加)にかかっているのだから。


救いになるのは、ダンテ・アリゲーリ(Dante Alighieri1265年-1321)の「神曲」の『天国篇』は、今から約700年前の1316年頃から書き始め、死の直前、1321年に完成された。
だから、今からオリンピックへと地獄を経たものは、Beatrice(ベアトリーチェの名は至福または救済を意味する)の星を見出しながら、また一縷の望みも見いだすのか?


「神曲・天国篇」
第33曲(最終曲)

反映(てりかえ)す光のごとく汝の生むとみえし輪は、わが目しばしこれをまもりゐたるとき

同じ色にて、その内に、人の像(かたち)を描き出しゝさまなりければ、わが視る力をわれすべてこれに注げり

あたかも力を盡して圓を量らんとつとめつゝなほ己が要(もと)むる原理に思ひいたらざる幾何学者の如く
我はかの異像を見、かの像(かたち)のいかにして圓と合へるや、いかにしてかしこにその處を得しやを知らんとせしかど

わが翼これにふさはしからざりしにこの時一の光わが心を射てその願ひを満たしき

さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、されどわが願ひと思ひとは宛然(さながら)一様に動く輪の如く、はや愛に廻らさる

日やそのほかのすべての星を動かす愛に。

山川丙三郎訳「神曲(下)天堂」(岩波文庫)より

2019年、出生数90万割れに、予測より2年も早く少子化が加速

2020-01-06 06:20:32 | 教育 子育て
葉山町インサイダーの以下のブログに刺激を受けて、この内容で記載している。

葉山町インサイダー
日本の最大の問題は"この問題に政府も政治家も誰も関心を持っていないこと"です。
20/01/05
https://blog.goo.ne.jp/hayama_001/e/2edf18129571a44eacda8732ebad42be

「あなたの愛をたずさえ、あなたの創造をたずさえて、あなたの孤独のなかへ行きなさい。わが兄弟よ。そうすればのちになって、公正がびっこをひいてあなたのあとを追ってくるだろう。わたしの涙をたずさえて、あなたの孤独の中に行きなさい。わが兄弟よ。わたしが愛するのは、自分自身を越えて創造しようとし、そのために破滅する者だ。」ニーチェ、「創造者の道」ツァラトゥストラより)

2019年、死亡数は戦後最大の137万6000に上る。
この死亡数から、2019年に国内で生まれた日本人の子どもの数が86万4000人を差し引くと、
人口の「自然減」は51万2000人となり、初めて50万人を突破する見通しとなってしまった!

まさに少子化で滅びてしまうのは、個人か?地域社会か?
はたまた国そのものなのか?

出生数90万割れ 危機感持って歯止め策を
https://www.google.com/amp/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/572298.ampより転載、一部改定
2019/12/29 10:45
西日本新聞 オピニオン面より

 去年、2019年に生まれた子どもの数(出生数)は90万人を割り、1899年の統計開始以来最少の86万4千人にとどまる-。厚生労働省の2019年人口動態推計でこんな見通しが示された。
 深刻な数字だ。国が17年に示した将来推計で、出生数が86万人台になるのは21年と見込まれていた。それより2年も早い。国は従来の政策の限界を認め、危機感を持って原因の分析と対策の強化に乗り出すべきだ。
 推計によると、19年の死亡数は137万6千人、出生数から死亡数を引いた人口の自然減は51万2千人に達し、ともに戦後最多を更新する見込みだ。婚姻件数も戦後最少の58万3千組にとどまると推計されている。
 日本は結婚適齢期の女性人口減少と晩婚化が進んでいる。この流れを変えるのは容易ではない。ただ、結婚を望みながら経済的事情などで踏み切れない若者は相当数いるとみられる。
 政府が進める幼児教育無償化といった子育て支援策の前段として、若い世代が安定した仕事を得て不安なく結婚に踏み出せるよう、さまざまな面からサポートする取り組みが必要だ。
 労働者のうち非正規雇用が4割近くに達し、人生設計が見通せないという若者も多い。職を得ても労働時間が長い、休暇が思うように取れない、出産後の職場復帰が難しい、といった状況も結婚の阻害要因だ。そうした雇用環境の改善は急務だ。民間企業の理解も欠かせない。
 核家族で共働きが主流となった今日、夫婦が複数の子どもを持つには、かつては考えられなかった苦労が伴う。学童保育の拡充をはじめ、地域ぐるみで育児を支え、子どもを事故や犯罪から守る取り組みも広げたい。
 結婚・出産はあくまで個人の選択だが、希望する人には、社会全体で最大限にバックアップする。いわば「セーフティーネット」づくりが肝要だ。
 今回の推計で都道府県別データは示されていないが、18年の人口動態統計(確定値)でみると人口の自然増が続いているのは沖縄県のみだ。合計特殊出生率(女性1人が生涯に産む子の数)の全国平均は15年に1・45まで回復した後、再び減少に転じ、18年は1・42に下がった。
 九州の出生率は宮崎の1・72を筆頭に7県全てで全国平均を上回り、鹿児島、熊本、長崎、佐賀を含む5県が全国上位10県に名を連ねている。しかし現状のままでは、人口減が続くことに変わりはない。
 言うまでもなく、子どもは地域の宝であり、また活力源でもある。国の方策と併せて、自治体レベルでも少子化対策の重要性を再確認し、対策の知恵を絞っていきたい。

追記、
まさに言葉は悪いが、あのパスカルは、比喩的にこう言った

・・・なぜだろう、びっこの人は我々を腹立たせないのに、びっこの精神は我々を腹立たせる。そのわけは、びっこの人は我々のまっすぐ歩くことを認めるのに、びっこの精神は我々のほうがびっこをひいているのだというからである。そうでなかったら我々はびっこの精神に同情し腹などは立てないであろうのに。
エピクテトスはさらにつよくこう尋ねる、君は頭痛がしているといわれてもなぜ怒らないのか、君の推理は誤っているとか君の選択は誤っているとかいわれるとなぜ怒るのか。
そのわけはこうである、頭痛がしていないこと、びっこでないことには確信があるが、真を選ぶことにはさほど自信がないからである。
従って我々は、確信のよりどころとしてはただ我々が我々の全視力をもって見るがゆえにということしか持たないから、ほかの一人がその人の全視力をもって我々と反対のことがらを見ると我々は宙に迷わされおどろかされ、ほかの千人が我々の選択を笑うと我々はいよいよ宙に迷わされおどろかされるのである、なぜというのに我々は我々自身の光をほかの多くの人々の光よりも正しいものとしなければならず、ところでそれは大胆であり困難である。・・・

ニーチェも、言うように
・・・公正がびっこをひいてあなたのあとを追ってくる

徳冨蘆花は、逗子にも所縁があるが、九州、熊本出身である。
「・・・最後に僕も立って一場の演説をなした。まずこの回の帰省について非常の懇情に預った謝辞を述べ、故郷の繁栄を喜び、それから転じて地方と都会の関係に入って、英仏の例を引いて、国家の実力は地方に存する事、地方の生血新鮮なれば一国の元気旺盛なる事、文明の頭脳に野蛮の元気を兼備えるが今日の急務である事、奢侈文弱の弊を戒め勤倹力行の風俗を奨励し都会に汚されずしてドシドシ健全の血液を都会に送るは地方の責任で、殊に地方有志家の責任である事を論じ、故郷の前途を祝して、喝采拍手の裡に演説を終った。・・・」と百年以上前に徳富蘆花は「思出の記」の中で『国家の実力は地方に存する』と蘆花は述べている。

こうした、蘆花の檄が功を奏しているのか、 九州の出生率は宮崎の1・72を筆頭に7県全てで全国平均を上回り、鹿児島、熊本、長崎、佐賀を含む5県が全国上位10県に名を連ねている。

日本での少子化対策が、間に合わなくならないように・・・