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心あらん人に見みせたきは此頃の富士の曙 。徳冨蘆花の色彩表現

2016-02-17 02:23:09 | 文学・芸術

ご存知のように、徳冨蘆花には、富士を謳った作品がいくつもあり、その色彩感覚に溢れた表現(藍色・薔薇色・群山紅褪せなど)に定評があります。特に、『普魯士亞藍色』という色合いも蘆花の作品において相模灘の色合いとして、白雪の富士を背景にしながら、まさに相応しい絵画的な表現になっている。


是非、下記の文体で鑑賞していただきたい。

此頃の富士の曙

(明治三十一年一月)徳冨蘆花

心あらん人に見みせたきは此頃の富士の曙 。

午前六時過ぎ 、試みに逗子の濱に立って望め。眼前には水蒸気渦まく相模灘を見む。灘の果には、水平線に沿ふてほの闇き藍色を見む。若其北端に同藍色の富士を見ずば、諸君恐らくは足柄 、箱根 、伊豆の山の其藍色一抹の中に潜むを知らざる可し。
海も山も未だ睡れるなり。
唯一抹 、薔薇色の光あり。富士の巓を距る弓杖許りにして、横に棚引く。寒を忍びて、暫く立ちて見よ。諸君は其薔薇色の光の、一秒々々富士の巓に向って這ひ下るを認む可し。丈 、五尺 、三尺 、尺 、而して寸 。
富士は今睡より醒めんとすなり。
今醒めぬ。見よ、嶺の東の一角 、薔薇色になりしを。
請ふ瞬かずして見よ。今富士の巓にかゝりし紅霞は、見るが内に富士の暁闇を追ひ下し行くなり。一分 、―二分 、―肩 ―胸 。見よ、天邊に立つ珊瑚の富士を。桃色に匂ふ雪の膚、山は透き徹らむとすなり。
富士は薄紅に醒めぬ。請ふ眼を下に移せ。紅霞は已に最も北なる大山の頭にかゝりぬ。早や足柄に及びぬ。箱根に移りぬ。見よ、闇を追ひ行く曙の足の迅さを。紅追ひ藍奔 りて、伊豆の連山、已に桃色に染まりぬ。
紅なる曙の足、伊豆山脈の南端天城山を越ゆる時は、請ふ眼を回へして富士の下を望め。紫匂ふ江の島のあたりに、忽然として二三の金帆の閃を見む。
海已に醒めたるなり。
諸君若し倦まずして猶まば、頓て江の島に對ふ腰越の岬赫として醒むるを見む。次で小坪の岬に及ぶを見む。更に立ちて、諸君が影の長く前に落つる頃に到らば、相模灘の水蒸気漸く収まりて海光一碧、鏡の如くなるを見む。此時 、眼を擧げて見よ。群山紅褪せて、空は卵黄より上りて極めて薄き普魯士亞藍色となり、白雪の富士高く晴空に倚るを見む。

あゝ心あらん人に見せたきは此頃の富士の曙。



「一筋の 道晴れてあり 白き富士」


『自然描写における社会性について』(宮本百合子)の中でも、徳冨蘆花の自然描写に関して、以下のように、端的に書かれている。

明治三十年代の初頭に、徳富蘆花が「自然と人生」という自然描写のスケッチ文集を出版しているのであるが、これは、こんにちよむと、日露戦争以前の日本文学の中で、自然がどう見られていたかを知ることができ、なかなか興味がある。蘆花は当時としては欧州文化を早く吸収したクリスチャン出であったのだけれども、自然を描写する場合になると、漢文脈の熟語、形容詞をつかって、こんにちの読者にはふり仮名なしにはよめない麗句で朝日ののぼる姿を描き、あるいは、余情綿々たる和文調で草木の美を叙し、しかも根本を貫いている思想は、自然への逃避を志す東洋的態度の旧套を脱せず、人間と自然との二元的な相対の中に道徳的、哲学的感慨をこめているのである。ロマンティストとしての蘆花がよく現れている。


いずれにせよ、百年以上経た今日でも、相模灘の『魯士亞藍色』を眼前にみることが我々にもできる。むしろ、目で見て、心で観ていない、その気づきがないことを『心あらん人に見みせたきは・・・』と徳冨蘆花は述べているのであろう。

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1 コメント

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Unknown (畑 恵)
2022-12-17 03:31:33
実に格調高く、しかも端的で明晰なコラムで、とても勉強になりました。
本当に素晴らしい!
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