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小林よしのり氏、国会で「共謀罪」に危機感表明

2017-05-13 04:34:16 | 教育 子育て

小林よしのり氏、国会でオウム事件・薬害エイズ事件の体験語り「共謀罪」に危機感表明
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170425-00010003-abema-soci&p=1

4月25日午前、
共謀罪の構成要件を改め、「テロ等準備罪」を新設する法案を審議している衆議院法務委員会に漫画家の小林よしのり氏が参考人として出席。オウム真理教事件で命の危険に晒された同氏だが、薬害エイズ事件の運動に関わった経験、漫画家としての立場から、「日本を北朝鮮のような国にしてはだめですよ!」などと訴え、法案への危機感を表明した。

 以下、小林氏の意見陳述ですが、前半の2/3は省略しています。

前略・・・

結局、わしのような人間っていうのは、基本的に権力を持っているわけじゃないですから。一市民ですよそりゃ。それで「物言う市民」です。わしはね。ほとんどの人は「物言わぬ市民」です。だから普段、自分たちがまさかね、そういう切羽詰まった状況に追いやられてね、何かやらなきゃいけないようなぐらいの感覚になるとは誰も思ってませんよ。ほとんどの人間がね、自分たちはただ安全に暮らしていくだけだから、たとえ監視されていたって、安全な方がいい、と思っているでしょう。

 けれどもね、「物言わぬ市民」は、あるとき「物言う市民」に変わってしまうことがあるんです。それはやっぱり、子どもが被害に遭うとかね、いろんな切羽詰まった状況になれば、物言わざるを得なくなるんですよ。そういう「物言う市民」をどう守るかっていうのはね、これは民主主義の要諦ですよ。これがなかったら民主主義は成立しませんよ。そうでしょう。だからわしは民主主義を守るためにもね、わしは自分のような「物言う市民」が必要だと思ってます。この世の中に必要だと思ってます。そういう人たちはですね、自分の言論を萎縮させるというようなことがあると、非常に困る。健全でない。

 わしは、自分は「保守」という立場だと思ってます。「保守」という立場は、決して権力を守るための存在ではありません。「公」を守るための存在だと思ってます。権力と公というのは、合致している時はとても良いんです。公を達成するために権力がちゃんと政策を実行していってくれれば。そうすると、わしも大変助かるんです。

 けれども、往々にして権力と公というのは分離して、ずれていくんですね、そういう時にですね、わしは権力と公、どっちにつくかっていうと公につきます。それで世の中の最大多数の人々がなるべく幸福になるような方法というものを見つけて、そのために闘わなければなりません。わしは今後も闘いますよ。これは宣言しておきますけど。この権力を自民党が握ろうと、民進党が握ろうと、共産党が握ったらもっと闘うかもしんないんですけど。(会場から笑い)

 とにもかくにも、権力に対してわしはなびくことはない。従順になることはない。公のためならば闘う。こういう、わし自身の宣言をしてるわけですから。そのためには、けっこうラジカルな手法もとるかもしれませんよ。こういうことを宣言するんだから、今から公安はわしのことを盗聴したり、メールを調べたりしますか?

 “組織ナントカ“というのは、わしも『ゴー宣道場』という、組織という風に見てしまえばそういうものになるようなのを経営してますから。ここで誰かと相談していたって大きく網をかけて、この組織の中で共謀しているのかって言われればね、なんだかんだでわしの情報が盗まれてしまうこともあるでしょう。

 大体、オウム真理教ほどのテロなんて、もう起こりませんよ。あれほど壮大なものはね。結局、オウム真理教問題でサリン等禁止令みたいな法律がもう出来ているわけでしょう?そういう部分でもかなり封じられている。日本国内で中核派がやるしょぼいテロなんて、火炎瓶吹っ飛ばすくらいなもんでしょう。大体、テロなんてものは海外から入ってくるもんですよ。そしたら水際で止めないとならないでしょう。本当だったら飛行場を民間の管理だけに任せていていいのかとか、国家がそこ管理しなければいけないんじゃないかとか。わしもしょっちゅうハワイとかに行きますけど、ものすごく入国のときの管理が厳しくなってしまいましたね。あれ、国家がやるようになったからでしょう。

 それよりも、共謀罪の非常に危険なところっていうのは、「物言う市民」というのが萎縮してしまって、民主主義が健全に成り立たなくなるんじゃないかっていうことなわけです。わしはその事を、自分自身が監視されないかっていうことを非常に危惧しております。

 一般国民は気づかないでしょう。「物言わぬ市民」である限りは、権力に対して従順な羊でいるかもしれません。だけどそのくらいエスカレートして、自分の情念がほとばしってしまうことはありますよ。それで権力と闘わなければいけないこともあるわけです。

 だから、そういう権力と闘う「物言う市民」を守ること自体が民主主義です。それを、今現在の短期的なことだけ考えたってだめ。政治家というのは、将来ずっと先にわたってこの国の民主主義が健全に発展するかどうかを考えて決断してほしい。ということをお願いして、わしの発言を終了します。
以上です