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ルベン・ダリオ生誕150年 再生への詩作(思索)

2017-05-28 02:45:28 | 文学・芸術
ニカラグア詩人のルベン・ダリオ(1867-1916)は、奇しくも夏目漱石と生没年が夏目漱石と同じである。
そこで、ルベン・ダリオ「夜曲」三篇
日本語訳を、優れた論考である、以下の、棚瀬 あずさ氏の『存在の不確かさの彼方へ
ルベン・ダリオ「夜曲」における生と死』

https://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/54187&ved=0ahUKEwjE-dfOyJDUAhXDU7wKHUgtC_QQFggcMAA&usg=AFQjCNHvG1njDUjhCHElhcRZs1VWiUT83g
から一部を引用しながら紹介したい。

夜曲(『生命と希望の歌』その他の詩篇 5/第一夜曲)

わたしの苦しみを詩に表そう、その詩は語るだろう、
廃された、薔薇と夢のわが青春のこと、
そして莫大な痛みと心配りの小ささから
苦くも花を摘み取られたわが人生のことを。
それから、かすかに見える船で行くおぼろな東方への旅と、
冒瀆の花を咲かせた祈祷の穀粒と、
水たまりのあいだで迷う白鳥の狼狽と、
望まぬボヘミアンの、作りものの夜の青のことを。
遠くのクラビコードよ、きみは沈黙と忘却の中にいて
決して夢に崇高なソナタを与えてくれはしなかった。
みなしごの船、名高い樹木、
夜が銀色の甘さでやわらかにつつむ暗がりの巣……
みずみずしい草の香りをたたえた希望、
春の朝の小夜啼鳥のさえずり、
不幸な宿命によってへし折られた白百合、
幸せの探索、悪の追求……
一生にわたる内なる責め苦をなすであろう
神聖な毒を収めた不吉な壺、
わたしたち人間という泥がもつ恐ろしい意識と
みずからをつかの間の存在だと感じることの恐怖、絶え間ない
おののきを覚えながら、避けられない未知へと向かって
手探りで進むことの恐怖、そしてこの
号泣に満ちた眠りが見せる残虐な悪夢、
わたしたちをこの悪夢から覚ますのは〈彼女〉しかいない!


夜曲(『生命と希望の歌』その他の詩篇 32/第二夜曲)

夜の心音を聴診器でとらえた者たちよ、
執拗な不眠のさなかで聞いた者たちよ、
扉が閉じる音を、遠くの車の
唸りを、あいまいな響きを、かすかなざわめきを……
謎めいた静けさのひととき、
忘れ去られた人々が監獄から現れ出るころ、
死者たちの時刻、休息の時刻に、
きみたちは苦しみのしみとおったこの詩句を理解することだろう……
グラスへ注ぐようにして、わたしはその中に注ぎこむ、
遠い記憶と不吉な悲運の痛みを、
花に酔い痴れた魂の悲しいノスタルジアを、
祭りの悲しみに憑かれた心の疼きを。
そして、あるべき自分ではなくなったことの嘆き、
わたしのために存在していた王国を失ったこと、
一瞬の差で生まれなかったかもしれないという思い、
それから、生まれて以来のわが生である夢を!
これらはすべて、深い静けさの間に訪れる。
静けさの中、夜が地上の幻影を包みこむ。
そしてわたしは感じるのだ、おのれの心臓を貫き動かす
世界の心臓が鼓動するようだと。


夜曲(『放浪の歌』/第三夜曲)

夜の静けさ、夜、満ちわたる
痛いほどの静けさ…… 魂はなぜこんなふうに震えるのだろう?
聞こえる、ざらざらと、自分の血の流れるのが。
わたしの頭蓋の中を、静かな嵐が過ぎてゆく。
不眠! それは眠れないこと、そしてそれなのに
夢を見ること。みずからの精神を断片に
解剖してゆく、わたしというハムレット!
わが悲しみを
夜のワインへ、
闇の驚くべき結晶へ、溶かしこむこと。
そして独語する。———夜明けは何時に来るだろう?
扉が閉じられた……
誰かが通り過ぎた……
時計は十三時を打った……〈彼女〉だろうか!

Ⅰ 序
19 世紀末のイスパノアメリカに起こった文学運動モデルニスモ 1
は、その中核的役割を担っていた詩人ルベン・ダリオ(1867-1916)が 1899 年初めにブエノスアイレスからマドリードへ移住したことに促されて、スペインへと波及する。ダリオは大西洋の両岸で文学的名声を得た一方で、精神的な平穏からは遠ざかっていったらしい。酒に溺れ、金を使い果たしては友人に借金を乞いながら、各地をさまよい暮らす悲劇的な詩人———晩年の彼には、こんなイメージがまといついている。
ダリオが活動の拠点をスペインに移した時期は、彼の作風が変化する時期と重なる。ブエノスアイレスで活動した 1890 年代のダリオの詩には、神話や異国のモチーフを多用しながら、視覚や聴覚にとっての心地よさ、官能的な快楽など、いわば感覚的な美を讃えるものが多いが、1900 年代以降の彼の詩は、内的な思索へと向かった。
「夜曲」“Nocturno”と題された三篇の詩は、そのような内省の詩を代表する作品である。
うち二篇は詩集『生命と希望の歌』Cantos de vida y esperanza(1905)に、一篇は詩集『放
浪の歌』El canto errante(1907)に収められている。三篇の「夜曲」において、詩人は夜を舞台に、みずからの過去を回顧し、人生を嘆く。同じような嘆きは『生命と希望の歌』以降のダリオの他の詩にも見られるが、なかでも「夜曲」は「わたしの苦しみを詩に表そう」“Quiero expresar mi angustia en versos …”というような、きわだって直接的な表現による苦しみの告白が印象深い。本稿では、『生命と希望の歌』の二篇を第一夜曲(「わたしの苦しみを詩に表そう」)、第二夜曲(「夜の心音を聴診器でとらえた者たちよ」“Los que auscultasteis el corazón de la noche, …”)、『放浪の歌』の一篇を第三夜曲(「夜の静けさ」
“Silencio de la noche, …”)と呼ぶこととしよう。夜という題材は、とりわけロマン派の詩人に好まれた。主観を重視し、自己にとっての真実を探求しようとする彼らにとって、世界が闇に包まれる夜は、内面へと向かう思索のための格好の舞台だったのである。このような感性は、モデルニスモ期のスペイン語圏にも浸透して夜の詩を多く生み、詩人たちはそれらに好んで「夜曲」という題を付けた。
当時、ダリオ以前にも、フリアン・デル・カサル、ホセ・アスンシオン・シルバ、フアン・ラモン・ヒメネスなどが、「夜曲」の題を持つ詩を発表している。「夜曲」という語を作品の題に用いることは、もともとは音楽の領域で始まったことから、おそらく語がもたらす音楽への連想が、詩の音楽性を重視するモデルニスモの詩人たちの気に入ったのだろう。ダリオの「夜曲」は、したがってまさに当時の流行に則った作品だと言える。しかし、これから確認するように、夜という舞台はダリオの「夜曲」において、詩の主題との間に分かちがたい関係を結びながら、固有の詩的表現を生み出しており、このことがダリオの「夜曲」を、モデルニスモの詩人たちによる「夜曲」の中でも、またダリオの数ある作品の中でも、忘れがたいものにしている。
本稿において着目するのは、ダリオの三篇の「夜曲」が分かち合う共通の比喩の構造、すなわち、生と死に対応する、眠りと目覚めである。三篇は、不眠の夜という状況設定だけでなく、この構造が支える一貫した主題によって結び合った、一種の連作と捉えることができるのである。