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種まく人から人々へと・ 命の器(いのちのうつわ)

身近な地域から世界へ
貢献する活動や情報など

『猿猴取月(えんこうしゅげつ)』蓮之出淤泥而不染(蓮は泥より出でて、泥に染まらず)

2015-12-31 11:41:51 | NPO 命・地球

平成二十七年(2015年)、とうとう大晦日となりました。

年内、様々な方々からご指導ご鞭撻を賜りましたこと、ここに心より御礼申し上げます。

深夜には、除夜の鐘が鳴らされ、その数は人間の『百八の煩悩の数』だと、よく言われています。

百八の煩悩とは、人間を悩まし迷わせる煩悩でありますが、とにかく数の多いことを百八としているようです。
しかしながら、数(計算)的にもなぜ『百八』になるのかは、誰しも気になるところです。

そこで、諸説あるようですが、百八の分かりやすい計算としての説明は、まず「眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに悩みが六つあり、かけると三十六になる。また、この三十六を過去・現在・未来で三倍すると百八となる。」

いかがでしょうか、「なんとなくしっくり」しましたか?

いずれにせよ煩悩は、このように数多くあり、他にも数え方には、煩悩には、主に二種あり、一つは三界の見惑八十八使と三界の修惑十使にさらに十纏(じゆうてん)を加えたもの。もう一方は眼・耳・鼻・舌・身・意の六根にそれぞれ六つの煩悩があって三十六になる。過去・未来・現在の三倍で、やはり百八となる。

なんだか、数の説明だけでは、むしろ難しく感じますね。

繰り返しになりますが、おそらく数そのものよりも、人間界に、あまたなる『心の迷い』があり、それを年末にできるだけ清算(御祓みそぎ)しようとしているのですね。

未年が終わり、申年を迎えつつある。できるだけ心静かに、己のあまたなる『煩悩』を僅かながらでも打ち消しながら、明るい展望のある新年を迎えたいものです。

話しはいくぶん変りますが、祖国(日本)には国語(日本語)があり、述べたように、その国語は、様々な海外との折衝(相互交流)からなっている、少し例示すれば、仏教思想や梵語や中国語(漢字)などなど・・・現実には、浮遊しているカタカナ表記などの外来語でも溢れている・・・

祖国(母国)とは、やはり文化的な遠近法的な解釈であり、1度は(出来れば複数回)祖国を離れて遠近両方、また鳥瞰図的に、祖国(母国)を
俯瞰したいものです。

申年の『サル』とは、ある意味で、
人間の『鏡』であり、水面に写る『月影』は人間界の『煩悩』とも思われます。そこで、まさに『申年』を迎えるに辺り、『猿猴取月(えんこうしゅげつ)』という四字熟語を年末の最後の主題として取り上げたいと思います。

その四文字熟語は『猿猴捉月(えんこうそくげつ)』や『猿猴探月(えんこうたんげつ)』さらに猿猴捕月(えんこうほげつ)とも表現される。

仏典の『摩訶僧祇律』(まかそうぎりつ)にある話だそうで、意味としては、『自身の能力などを過信しすぎ、欲をさらに出して身を滅ぼす』という喩え話です。

まさに、自分自身(己)を猿(猿猴)と見なしながら、自戒もしております。

おそらく、多くの方々が、それと知らずに絵画表現としての『猿猴捉月(捕月)図』は目にしているのではと思われるます。その表現の元になる話(逸話)は、以下のようなものである。

猿猴(えんこう=猿たち)が井戸の中の水に映っている月に気づき、その月影を取ろうする。
猿が木の枝につかまり、さらにあまたなる(五百匹もの)猿が手と尾を結んで連がって井戸(水面)へと降りいく。
当然、多くのサルたちの重さに耐えきらずに枝が折れ、ついに水中に落ちて、死んでしまう。

上記の漢文としては、『摩訶僧祇律』の第七に、以下のようにある。

「佛告諸比丘。過去世時。有城名波羅奈。國名伽尸。於空閑處有五百獼猴。遊行林中。到一尼倶律樹。樹下有井。井中有月影現。時獼猴主見是月影。語諸伴言。月今日死落在井中。當共出之。莫令世間長夜闇冥。共作議言。云何能出。時獼猴主言。我知出法。我捉樹枝。汝捉我尾。展轉相連。乃可出之。時諸獼猴即如主語。展轉相捉。小未至水。連獼猴重。樹弱枝折一切獼猴墮井水中。」

この大晦日に、いくら筆舌(ことば)に尽くしても、百八の煩悩はいつまでも打ち消せずに、『煩悩即菩提』の境地は、あの涅槃に『幻想』としてただ留まるだけなのか?

しかしながら、悲観的に過去(過ぎ去った月日)を回想(後悔)するのではなく、与えられた『命』と『生きられる時間』をいかにして有意義に送ることができるか、それは『生死即涅槃』であり、まさに、NPO 「命・地球」や地域活動を初めとして、さらにはNGO 活動の橋渡しを有志の方々と伴に心を砕きながら行動したい。

『この泥あればこそ咲け蓮の華』

而二不二

NPO かまくらファンド審査会 2015報告

2015-12-21 01:14:47 | NPO 命・地球
2015年度「NPO支援かまくらファンド」支援団体にNPO「命・地球」が選ばれました。

http://npo-kama.sakura.ne.jp/uk/fund.html

2015年11月3日の文化の日に、玉縄交流センターで行われました公開審査会において、応募13団体のうちからNPO「命・地球」を含めた、下記の7団体に助成が決定しました。


憩い宿

鎌倉・ロボット・ものづくり研究会

鎌倉市政を考える市民の会

NPO法人 タウンサポート鎌倉今泉台

NPO「命・地球」

NPO法人 子ども大学かまくら

NPO法人 鎌倉みどりのレンジャー
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公開審査会の審査員、選考過程などは、鎌倉市市民活動センター広報紙の「鎌倉パートナーズ」第77号(2015年)12月発行(季刊)に報告されています。↓

http://www.npo-kama.sakura.ne.jp/partners/1512naka/index.htm

http://npo-kama.sakura.ne.jp/uk/fund.html

上記のプレゼン内容で、
NPO「命・地球」は、闘病の実体験者2名が、生きのびた命を生かし、『生きる喜び』と『命の大切さ』を思いとして、病気により、進学や就職などが困難な人々に対する社会復帰への支援を活動目的として訴えました。場をいただいたこと、審査会の皆さまありがとうございました。活動頑張っていきます。

(NPO「命・地球」)に、ご関心のある方は、具体的な内容で次のアドレスにメールを下さい。

連絡先
hirokssr@jewel.ocn.ne.jp

今後とも、ご指導ご鞭撻の程よろしく お願いいたします。

NPO「命・地球」より感謝を込めて

憎しみは与えない Sometime the hating has to stop !

2015-11-21 08:28:26 | NPO 命・地球
最近、多発しているテロに対してある男性の手紙が話題になっています。

「憎しみは与えない」 
“Vous n’aurez pas ma haine”

テロで妻を亡くした男性からの投稿

「テロリストへの手紙」という形で表されたメッセージです。

アントワンヌ・レリスさんより
「私の憎しみを君たちに与えない」

パリ同時多発テロで妻を失った、フランスのラジオ局のジャーナリストであるアントワンヌ・レリスさんが、インターネット上で書かれた文章が世界中で共感を呼んでいる。

 彼は、バタクラン劇場の襲撃で愛妻を亡くしてしまった。
文章は、フェイスブック上に掲載され、世界中へと広がっている。

Post Original : Antoine Leiris, “Vous n’aurez pas ma haine”, 2015/11/16 21:18, https://www.facebook.com/antoine.leiris/posts/10154457849999947
 
レスリさんは、最愛の妻を失った悲しみに触れながら、憎しみを越えて、残された息子とともに「自由」であり続けることの大切さを伝えている。

ラジオで「私は息子に憎しみや暴力、恨みを抱えたまま育ってほしくない。子供に立ち上がる武器を与えたい。銃では決してなく、紙やペン、そして音楽という武器を」与えたいと語っている。

文章の全文訳(以下は引用)

「君たちに憎しみを与えない」

 金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪い去った。私の最愛の妻、そして息子の母を。でも、私は君たちに憎しみを与えない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは神の名で無分別に殺りくを行った。もし、その神がわれわれ人間を自らの姿に似せてつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた一つ一つの弾丸が、神の心に撃ち込まれていることだろう。

 だから、私は決して、君たちに憎しみという贈り物を贈らない。君たちはそれを望むだろうが、怒りで応えることは、君たちと同じ無知に屈することになってしまう。君たちは、私が恐怖し、周囲の人を疑いのまなざしで見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが、君たちの負けだ。私はまだ、私のままだ。

 今朝、(亡きがらの)妻に対面した。幾晩も幾日も待ち続けた末に。彼女は金曜日の夜に会った時と変わらず美しく、そして、恋に落ちた12年以上前と同様に美しかった。もちろん、私は悲しみにうちひしがれている。だから、君たちのわずかな勝利を認めよう。でも、それは長くは続かない。彼女は、いつも私たちと一緒に歩む。そして、君たちが決して行き着くことができない天国の高みで、私たちは再び出会うだろう。

 私と息子は2人になった。でも私たちは世界のいかなる軍隊よりも強いんだ。私が君たちに費やす時間はもうない。昼寝から目覚めた(息子の)メルビルと会わなくてはならない。彼は毎日、おやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。この幼い子の人生が幸せで、自由であることが君たちを辱めるだろう。君たちは彼の憎しみを受け取ることは決してないのだから。


以上は引用

「私は息子に憎しみや暴力、恨みを抱えたまま育ってほしくない。子供に立ち上がる武器を与えたい。銃では決してなく、紙やペン、そして音楽という武器を」というメッセージが心に響いてくる。

最悪な問題や事件は、大衆の無知や無関心から現れる。そして、最大の暴力は国民の無力や絶望から現れてくる。


読みながら、
「 The Forgiveness Project
フォーギブネス・プロジェクト」http://theforgivenessproject.com/ を思い出しました。

赦しと和解、神々と人間、その間の中に調和した平安が訪れることを祈ります!

Sometime the hating has to stop !
( Eric Lomax )

http://www.historyvshollywood.com/video/eric-lomax-takashi-nagase-meeting/

ご参考になりましたら、幸いです。

104歳長寿:神に愛され、感謝し、感謝される人とは? 日野原重明医師

2015-11-11 20:55:13 | NPO 命・地球
日野原重明医師の講演会を拝聴しました。

やはり、本(文章:下記ブログ参考)だけで読んで理解することと、実際にご本人を目の前にしながら、直接感じ取るのは雲泥の差があります。


http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e7790f1dc6fe4eecf60a7d3487b78b03/?cid=a686ad6e13f6ee1e2a6b3c1b9b2ec6b1&st=0

ハイジャックに遭遇したのをきっかけに、自分の「人生を他者のために有効活用する」と心に決めたそうです。

心臓が悪くなったせいで車イスの生活になられたそうですが、それでもさらに、「日帰りで沖縄のご講演もなされる」、そのバイタリティーには驚嘆します。

今年、104才になられ、戦争の体験に基づいて「平和」や「命の大切さ」を講演会や数多くの著書で伝えておられます。

まさに、104才であられ、ご本人の日野原重明医師そのものが生きる「命の授業」の典型的なお手本であるのだと心服いたしました。

何のために与えられた「命」の時間をどのように有効に活用すべきなのか、講演後も参加者の方々ともお話できて、「生かされている」「他者に貢献(奉仕)していく」という気づきがとても大切であるのだとの思いを強めました。

日野原重明医師に会えましたこと、直接ご質問ができましたこと、実に光栄で心より感謝しております。

「命・地球」、この与えられた器(うつわ)である「命」を、この「地球」で生きがいを感じながら共に過ごしたいものですね。
日野原重明先生はじめバザーや参加者の方々にもあらためて感謝いたします。

神谷美恵子 うつわの歌

2015-10-29 03:04:26 | NPO 命・地球
うつわの歌   
           
神谷美恵子
  
私はうつわ
愛をうけるための。
うつわはまるで腐れ木よ、
いつこわれるかわからない。

でも愛はいのちの水よ、
みくにの泉なのだから。
あとからあとから湧き出て、
つきることもない。

うつわはじっとしてるの、
うごいたら逸れちゃうもの。
ただ口を天に向けていれば、
流れ込まないはずはない。

愛は降り続けるのよ、
時には春雨のように、
時には夕立のように。
どの日もやむことはない。

(中略)

うつわはじきに溢れるのよ、
そしてまわりにこぼれるの。
こぼれてどこに行くのでしょう、
そんなこと、私知らない。

私はうつわよ、
愛をうけるための。
私はただのうつわ、
いつもうけるだけ。


神谷美恵子さんは、精神科医であり、すばらしい翻訳家でもあった方です。
去年2014年が、生誕100年でした。生まれた年が、第一次世界大戦の始まった1914年ですね。それでも、日野原重明医師が年長者ですから。

驚くことに、高齢者の方々の人口は、総務省からの発表によると、65歳以上の方々は、昨年と比べて111万人増えて3,296万人となっています。日本の総人口に占める割合は、25.9%にもなり、日本人4人に1人が65歳以上の方々となっています。
なんと、100歳以上の方々の人口は4,423人増えて58,820人となっています。六万人近くいるとは、本当にすごいことですね。

臨床心理・人間科学や介護・看護医療に係わる方々を初めとして、多くの方々に「神谷美恵子」さんの著作を読んでいただきたいと存じます。
すでに読まれた方々も、これを機会に再度、紐解かれてはいかがでしょうか。
私たちの齢(よわい)とともに、きっと新たな「気づき」があるのだと思います。

与えられた時間の中、何を命(いのち)の器(うつわ)入れるのか?
「命・地球」種まく人から人々へ