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花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

中原 中也 西村屋 生い立ちの歌 盲目の秋

2012年07月21日 | 趣味

  

趣味の一つに読書がある。その中のジャンルで詩にハマっていた時期があった。4月中旬に中也の故里、湯田温泉に行ったことは4月24日に書いた▼詩人中也が結婚式を挙げた”西村屋”に宿泊したことで昔を振り返らされた。20歳を過ぎたばかりのまだ多感な私がいる・・・、遠い昔の話である▼写真1,2は宿泊した西村屋に掲げられていた中也の詩2編である。写真1は”私の上に降る雪は・・”で始まる”生い立ちの歌Ⅱ”である。また写真2は”盲目の秋”と言う題名が付く詩である。何故、この詩が選ばれたかについては聞かなかった▼長男文也がわずか2歳でなくなり中也自身が病んでいた時の詩”冬の長門峡”と言うのがある▼”長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。寒い寒い日なりき。われは料亭にありぬ。酒酌みてありぬ。われのほか別に、客とてもなかりけり。水は、恰も魂あるものの如く、流れ流れてありにけり。やがて蜜柑の如き夕陽、欄干にこぼれたり。あゝ!ーーーそのような時もありき、寒い寒い 日なりき。”何とも言えない淋しさが漂う。中也が亡くなる前年の詩である・・・。HPに趣味 読書詩編を載せました http://inakaikeda.iza-yoi.net/

 


稚鮎釣り

2012年06月05日 | 趣味

  

勤めていたこともあり4年ぶりぐらいの挑戦である。釣りである。釣りは子供の頃に生まれ故郷徳島県の吉野川によく行った。鮎、ハエ更には鰻、鯰も釣った。またあの頃は川だけではなく谷等で蟹なども穴から誘い出し捕まえた▼久しぶりの稚鮎釣りである。琵琶湖から流れ込む川に上ってくるのを釣る▼連れて行ってくれたのはカウンターのある料理屋のマスターである。日の出前(今は4時犯過ぎ)に釣り場にと言うことでAM2時に起床、3時半に大垣市を出発した。琵琶湖北の現場には4時20分ぐらいに着いた。が、驚くことにもう数人が糸を垂れている。マスターは”やっぱり”の顔だったが私は驚きながら長靴に履き替え川へ▼深いところでも30cm、”水が少ない”のマスターの言葉に不安を覚えながら釣り始める。直ぐに当たりがあり”よし”と本腰に。写真1の右側がマスターである。マスターは勿論、左の人も話すとベテランで釣る姿が絵になっている▼写真2が釣果である。2人で300匹は越えただろう。”腐っても鯛”の言葉があるが”小さくても鮎”、香魚である。子供に戻りひたすら川に遊んだ一日だった。


忘れられない役満

2012年03月26日 | 趣味

麻雀の最高の上がり方で役満があるがなかなか出来ない。卓を囲む回数も減っていたがここ10年、上がった記憶がなかった。ところが今年になり麻雀機会2回で連続して出来た。10年出来なかったものが2回も、不思議なものである▼麻雀で記憶に残る役満が3つある。卓の後ろから見ていた時、振込そして、最後が自分の上がりである▼1つ目は5人打ちで後ろから見ていた時で配牌で国士無双イーシャンテン、第1ツモが東で4筒切りの1筒待ちのテンパイ、4順目で積もり上がった。奇跡に近いと感じた▼2つ目は大阪時代、徳庵寮(4階建て)の3階の部屋で卓を囲んでいた。対面が南をポン泣きしていたところへ私が3枚目の東を捨てたら対面が声を震わせ「ロン!字一色・小喜和、ダブル役満。ヤッター」と部屋のドアを開けて飛び出した。バタバタバタと階段を上がって行く音が・・・。間を置かず屋上から”やった、やった、やったぞー”の3連呼。ダブル役満の上がりがさせた狂気の叫びだった▼3つ目は私の初めての役満、四暗刻の話。リーチをかけたが混老頭、3暗刻おまけにドラ3だったため上がるといくらになるかと卓の下で指を折って数えていたら積もった。牌を見せながら徐に「リーチ、ツモ、ホンロートー、3暗刻のドラ3で・・・」と数えていたら対面から「それ、役満やないか」・・・。感激のない初めての役満だった、私も連呼したかったなー。


競馬の楽しみ

2012年03月21日 | 趣味

田舎に生まれ育ったこともあり牛は近所にたくさんいた。でも馬を見る機会は少なかった。たまに馬車が通ると飛んで行き、眼の可愛いさ、スタイルの美しさに見とれた▼競馬はサラリーマン大阪時代(20代)に大レースになると競馬新聞を片手に”今日の何時までに選んで、お金も同時に”と言ってくれる迷惑(?)な先輩がいた。競馬に足を踏み入れたきっかけである▼その後、岐阜に移ったが20年ぐらいのブランクがあった。が、カラオケの仕事に集まって来た人たちが悪かった、揃って馬好きで20人ぐらいの職場で競馬ファンが6人、再び朱に染まっていったのは必然的な流れかも知れない▼ゲートが開く時の緊張感、そして3コーナから4コーナへのかけ引きと走りはいつ見ても気持ちが高ぶる。流石に”行け!”の掛け声までは出さないがグッとこぶしを握ることがある。昔は追い込み馬が好きで群を抜いた走りで追い抜いて行く快感に酔った。この時の仲間で私から見るとプロが2人いた、OさんとI君である。どちらも仕事ではなかなか出さない力を見せた。データの記憶力・分析力等々、プロ並みと感じた▼ちなみに私はニンジンが好きではなく、出来れば避けたい方である。”馬の大好物を取ってはいけない”を今も言い訳で使っている。


ゴルフの醍醐味

2012年03月13日 | 趣味

結婚した27歳時、パチンコは少なくなっていたが、麻雀には凝っていた。煙草を吸いながらのパチンコをする孤独感の味わい、狙った通りのパイを積もって来たときの快感は何とも言えず楽しかった▼”健康的なゴルフに変えたら”の女房殿の後押しもあり渡りに船とゴルフを始めた。初ラウンドは昭和52年7月4日だったと記憶する。娘が予定日を過ぎても生まれず、出産と初ゴルフの両方を心配した。が、娘が6月24日に無事に生まれ、ゴルフに三重県へワクワクしながら行った▼出足がショートの珍しいコース、5番アイアンのショットは素晴らしく1オン、快感!。その後、ゴルフにとりつかれる原因の1つかも知れない(パットは4つもかかった・・・)。その年は6回のラウンドで次の年からはコンスタントに15~25ラウンドぐらい行っている▼ゴルフの魅力はドライバーの芯を食った時の快感と”ナイスショット”の掛け声、アイアンでピタリと寄ったときに湧きだす喜び、そして読んだ通りに曲がりカップインする時のよし!またラウンド中のパートナーとの語らいは言うまでもなく楽しい▼昨年は35ラウンドと最高回数を記録した。ゴルフと同時にパチンコは卒業した。が、ゴルフの帰りに麻雀のパターンも加わり麻雀回数が増えたのは想定外だったようだ。