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花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

趣味の話 その2/3 麻雀  見た中で一番早い役満テンパイと上がり 今朝の太陽と月 ホオジロ 氷のいたずら?

2014年02月20日 | 趣味

          

今朝も冷え込んでいた。写真1は7時前の太陽である。雲が厚く暖かさは感じない。右端に鳥が写っている。拡大してみるとホオジロのようだ(写真2)。西側の空に月が残っている。右舷が欠けている。月齢を調べてみると20.2だった(写真3)。写真4は金魚の鉢に張っていた氷である。中にあった鉢が穴になっている▼先日の現況書の趣味欄に麻雀を加えたのは何時からだろう。多分、30歳前後だと思う。将棋に代えて”麻雀”とした。将棋は小学4年生ぐらいの時に覚え、中学生の頃には十分、親父と勝負できていた。30歳の頃に通信教育で初段まで取ったがその頃からあまりしなくなった▼さて麻雀であるが20歳を過ぎた頃に覚えた。一人知っている人がいて他の3人が同時に覚えた。覚えた頃から面白く麻雀をするのが殊の外、楽しみだった。最も多くやったのは24~26歳ぐらいだろうか。会社の寮にいて週5日とかもよくあった▼麻雀はツキも大きく左右する。が、上手な人はそのツキを引っ張って来るのが上手いと思っている。その中で間違いなくツキと思うのが親が第一ツモで上がる天和、子がその親の第一捨て牌で上がる地和である。が、まだお目にかかったことがない▼私が目にした中で最も驚いた役満を1巡目のツモでテンパイし、4巡目で上がった国士無双である。この時は後ろで見ていたのだが今でも鮮明に覚えている。第一ツモで何を積もったかは覚えていないが待ちは一筒、しかも四筒を捨ててである▼4巡目、一筒を積もり国士無双が出来た同僚は喜びも表さずパイを少しづつ倒していく。他の3人のメンバーは何が起こったのかと呆然と見ていた。その冷静だった男は私と寮で同室だった。そう言えば彼には毎月給料前にお金を借りていた、と言うのはおまけの話である。


趣味の話 その1/3 読書 池波正太郎 英雄日本 山中鹿之介

2014年02月16日 | 趣味

     

小学生の頃はともかく中学生以降の学生時代そして社会人になっていつも困ったことがある。その頃はほぼ毎年、行われたいた現況書である。お見合いのご趣味は?ではないが毎年の調書で趣味を書く欄があった。学生時代からかなり長い期間”将棋、読書、バレーボール”と書いていた▼本当に読書を趣味と言っても良いかと思ったのは高校生ぐらいだと思う。何を読んでいたか遠い昔で覚えていないが朝日新聞の懸賞小説であった三浦綾子氏の”氷点”は布団の中で3日間ぐらいで読んだ記憶がある、それも泣きながら▼藤沢周平氏より池波正太郎氏にハマったのが早かった気がする。池波氏が亡くなる(平成2年)10年近く前だったと思うのでもう30年ぐらいにはなる。よく読んだ作家は藤沢、池波文学の他では古井由吉氏、中村真一郎氏そして女性では有吉佐和子氏、曽野綾子氏だろうか。古井由吉氏の”杳子”、曽野綾子氏の”たまゆら”は内容は殆ど、覚えていないが好きな小説だった▼写真1は先日紹介した最近、初めて読んだ池波氏の”英雄にっぽん”である。尼子家再興に生涯をかけた山中鹿之介の物語である。少し奇異に感じたのは”英雄にっぽん”と言う題名の大きさである。再興に生涯を掛けた心意気がそう言わせたか▼私の中学生頃までの主たる遊びはバイゴマ(ベーゴマ)とベッタ(メンコ)だった。このメンコの絵に豊臣秀吉、伊達政宗などと並び山中鹿之介があったのを覚えている。その頃は豊臣などと並ぶほど英雄だったのかも知れない。ところで子供の頃のこの遊び、勝負してバイゴマ、ベッタを取ったり取られたりするのである。考えてみるとこの頃から博打性のある遊びをしていたようだ・・・。


国宝の三重塔13基その3/3 一乗寺 興福寺 西明寺 向上寺 薬師寺東塔(解体修理中)と西塔

2013年12月28日 | 趣味

             

国宝の三重塔の13基の最後、5塔である。三重塔、五重塔はお釈迦様の舎利(遺骨)をおさめる仏塔の形式の一種で多宝塔もそうである。七重塔もあったようだが現存するものはない▼写真1は兵庫県加西市にある一乗寺の三重塔である。1171年建立で平安時代後期を代表する和様建築の古塔として有名である。写真2は興福寺の三重塔である。国宝の五重塔と東金堂の建物から離れているためか、人が少なく奇異なくらい静かに鑑賞できる▼写真3は滋賀県犬上郡甲良町にある西明寺の三重塔である。西明寺は金剛輪寺、百済寺(ひゃくさいじ)とともに湖東三山に数えられている。紅葉の寺としても有名で秋は参拝者が多い。訪れたのが今年の11月13日だったが午後遅くだったことが幸いしたか人が少なくゆっくり拝観できた▼写真4は広島県尾道市瀬戸田町にある向上寺の三重塔である。瀬戸田町はしまなみ海道を形成する島にある。気合を入れないとなかなか行けない寺である。写真5は薬師寺の東塔がある場所である。残念ながら平成23年から解体修理中で30年に完了予定である。代わりと言っては何だが写真6は同寺の西塔である。東塔は奈良時代のもので三重塔ながら34.1mの高さがあり東寺、興福寺、醍醐寺の五重塔についで4番目の高さである。西塔は1976年以降に再建されたものであるが乾燥収縮を考慮し東塔より30cm高くしているようだ▼西明寺は元勤めていた会社の同僚が住職を務める阿弥陀寺(甲賀市甲賀町櫟野)を訪れた時に帰りに参拝した。阿弥陀寺の同僚は元々、福々しい顔立ちだと思う。作務衣を来て現れたがもう何十年も住職を務めているように見えた。大垣市の夜の街を一緒に徘徊していた時代もあるのだが・・・。


国宝の三重塔13基その2/3 常楽寺 浄瑠璃寺 法起寺 明通寺

2013年12月27日 | 趣味

         

国宝三重塔の2回めである。今回は4塔、紹介する。寺の景色は行くシーズンにより大きく変わる。長寿寺、善水寺とともに湖南三山と呼ばれる安楽寺である。2012年の10月に訪れた。室町時代の建立である。この三重塔も周りを1周できる。紅葉の中、高所から見る塔は美しくそして少し身近なものになる▼写真2は京都府木津川市にある浄瑠璃寺の三重塔である。平安時代の建立である。浄瑠璃寺は9体阿弥陀如来像がある寺としても知られている。ここは池を真ん中に本堂と三重塔である。浄土式庭園と言うようだが別世界に足を踏み入れた感じになる。是非また訪れたい寺の1つである▼写真3,4は奈良県生駒郡斑鳩町にある法起寺の塔である。706年の完成と伝えられ、現存する日本最古の三重塔である。高さは24mあり、裳階(もこし)があり六重に見える薬師寺の三重塔を除くと最も高い▼4塔目は福井県小浜市にある明通寺の三重塔で鎌倉時代のものである(写真5、6)。明通寺は北陸地方を巡行中の坂上田村麻呂が創建したと伝えられている。写真5に写る手前の本堂も国宝である。安楽寺、法起寺などと並び好きな三重塔である▼明通寺を訪れたのは40年ぶりで3回めの参拝だった。もっと森のなかにあったの印象があったが・・・・美しく整えられた神聖さがひしひしと伝わる場所にあった。記憶はいろいろなところが入り混じり作り直されているのだろう。”一寸前なら憶えちゃいるが 一年前だとチトわからねエなあ・・・”は港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカだ。1年前以上のことは記憶に頼らないようにしよう。


国宝の三重塔13基その1/3 安楽寺 大法寺 当麻寺東塔及び西塔

2013年12月26日 | 趣味

                             

過日、国宝の多宝塔を紹介した。今回は三重塔の国宝を3回に分けて記載する。三重塔は江戸明治の初めまでに建てられたもので104塔あるようだ。その中で国宝は13塔ある。今回、紹介する当麻寺の東塔、西塔が両塔とも国宝のため12寺と言うことになる▼写真1、2は長野県上田市にある三重塔である。木造の八角塔で全国でここだけである。とても美しく見惚れてしまい動き難かったのを思い出す。機会があればまた訪れたい1塔である▼写真3は長野県小県郡にある大法寺の三重塔である。階段を上った高い位置にあるのだがその美しさに帰り道、振り返らずにはいられないと言う”見返りの塔”と呼ばれている▼写真5、6は当麻寺東塔そして西塔である。寺で塔が2つあるのは珍しく、知る限りではここと薬師寺そして興福寺に三重塔と五重塔がある。両塔とも見える位置があまりない。写真6は山門を入って直ぐの位置で写している▼安楽寺そして別所温泉は池波正太郎の真田太平記でもよく出てくる。拝観に行ったことで刺激され今年の初めから真田太平記を読み返した。毎晩、ベッドに入ってから読むのだが早くベッドに入りたくなる時もある。3度めながらやっぱりわくわくする。でも眠くなるのも早く単行本で12巻あるが読み終わった時は暑さが身体に応える時期だった。