長野県大会まで1ヶ月を切りまして、相変わらず古流の攻略には苦労しています。
「今年のワタシは一味違うのよ」計画のために、失敗しては激痛に悶絶する&筋肉痛に苛まれる今日この頃ですが、身体の痛みに加え、気が重くなるような、心が痛いこともありまして、いろいろ考えを巡らせてしまう日々でもあるのですが…
そんなとき、ある人のことをふいに思い出しまして、今日はその人のことを書いてみようと思うわけです。
その人に出会ったのは当時の勤務先で、今から15年前のことでした。
つまり仕事仲間ということになりますが、当時空手を習いたいと思いながら仕事との兼ね合いを気にしてなかなかその一歩が踏み出せずにいた私の背中を押してくれたのがその人でした。
「やりたいことがあるならやれるときに、全力でやらなきゃ。」
当時の私には、この言葉にどれほどの意味が込められていたのかまだわかっていませんでした。でもその言葉に励まされて憧れの極真会館に入門。なんとか仕事との折り合いをつけながら稽古に通い始めて4ヶ月ほど経った頃、彼女が退職すると聞きました。
「どうして辞めるの?」
「引っ越すから。そこからここに通うのは無理なの。」
私は「どうして引っ越すの?」とは聞きませんでしたが、もし聞いていたら…
彼女はこう答えたのでしょうか、「人生の残り時間がもうあまりないからよ」
彼女は自分の仕事の後継者に私を指名し、退職していきました。
私が彼女に励まされ空手を始めてから半年後、白帯から色帯へ上がりました。
ちょうどそんな頃、彼女が職場へ仕事の引き継ぎに顔を出してくれて、私が色帯に上がったことを本当に喜んでくれました。
そのときが、彼女に会った最後になりました。
その年の冬、出勤していきなり知らされたのは彼女の訃報。
昨日の夕方、亡くなったと。
信じられませんでした。慌てて新聞を開いてみると、訃報欄に見慣れた顔の写真が…。
なんで?どうして?混乱しつつもわかってきたことは、彼女は癌を患っていたのだということ。再発して、余命がわずかだということがわかり退職したのだということ。
「やりたいことがあるならやれるときに、全力でやらなきゃ。」
この言葉の意味がやっと理解できました。
あのとき、彼女は自分がもう長くないことを悟ったうえで私の背中を押したのだということ。
葬儀に行き、彼女のご主人と娘さんに会い社名と氏名を名乗ると、「あなたが…」とおっしゃいました。
彼女は生前、家族によく私の話をしていたのだと、職場の同僚というよりは友達のように思っているのだと、私の仕事の腕を本当に買ってくれていたのだと知ったときには彼女はもう遺影の人でした。
そして、亡くなる前、「死にたくない」と泣いていたことも。
彼女が亡くなって1年後、全日本女子大会への出場が決まりました。
あのとき背中を押してくれなかったら、私はここに来ることはできなかった。
大舞台を踏ませてもらえること、きっと彼女は喜んでくれているだろう、そう思いました。
3回目の全日本に出た後、私は交通事故に遭いました。負った怪我は予想以上に重く、こんな体ではもう戦えない。私に4回目の全日本大会はありませんでした。そして選手としては引退することにしました。
悔しくて仕方なかったけれど、それでも生きていられただけ良しとすることにしました。
彼女が亡くなって13年になります。
8歳年上だった彼女の歳を追い越して、今では私の方が年上になりました。
訃報欄に彼女の顔写真が載ったあの日の新聞を、未だに捨てられずにいます。
空手を休んで今は居合に熱中してる私のことを、彼女はどう思っているかな。
失望しているかな。しょうがないなぁって笑ってくれているかな。
でも、武道はもう無理だと思ったあの怪我から立ち直って、刀を握れるようになりました。
そして、競技は違えど選手としてまた試合に臨めるようになりました。私はまだ、終わっていない。
私は勝手に解釈します。
「やりたいことがあるならやれるときに、全力でやらなきゃ。」
やりたいこと、全力でやってますよ!
彼女が亡くなってから、折にふれて思うことがあります。
自分に期待してくれる人がいるっていうのはありがたいことなんだな
居合の世界に来て、武器を持ったらこんなダメっぷりに彼女は天国で苦笑いしているだろうけど、とにかく今は、今の自分の精一杯を尽くそうと思います。
あのとき彼女が私の背中を押してくれなかったら、今の私はなかった。
今は亡き友人に感謝して。 合掌。
「今年のワタシは一味違うのよ」計画のために、失敗しては激痛に悶絶する&筋肉痛に苛まれる今日この頃ですが、身体の痛みに加え、気が重くなるような、心が痛いこともありまして、いろいろ考えを巡らせてしまう日々でもあるのですが…
そんなとき、ある人のことをふいに思い出しまして、今日はその人のことを書いてみようと思うわけです。
その人に出会ったのは当時の勤務先で、今から15年前のことでした。
つまり仕事仲間ということになりますが、当時空手を習いたいと思いながら仕事との兼ね合いを気にしてなかなかその一歩が踏み出せずにいた私の背中を押してくれたのがその人でした。
「やりたいことがあるならやれるときに、全力でやらなきゃ。」
当時の私には、この言葉にどれほどの意味が込められていたのかまだわかっていませんでした。でもその言葉に励まされて憧れの極真会館に入門。なんとか仕事との折り合いをつけながら稽古に通い始めて4ヶ月ほど経った頃、彼女が退職すると聞きました。
「どうして辞めるの?」
「引っ越すから。そこからここに通うのは無理なの。」
私は「どうして引っ越すの?」とは聞きませんでしたが、もし聞いていたら…
彼女はこう答えたのでしょうか、「人生の残り時間がもうあまりないからよ」
彼女は自分の仕事の後継者に私を指名し、退職していきました。
私が彼女に励まされ空手を始めてから半年後、白帯から色帯へ上がりました。
ちょうどそんな頃、彼女が職場へ仕事の引き継ぎに顔を出してくれて、私が色帯に上がったことを本当に喜んでくれました。
そのときが、彼女に会った最後になりました。
その年の冬、出勤していきなり知らされたのは彼女の訃報。
昨日の夕方、亡くなったと。
信じられませんでした。慌てて新聞を開いてみると、訃報欄に見慣れた顔の写真が…。
なんで?どうして?混乱しつつもわかってきたことは、彼女は癌を患っていたのだということ。再発して、余命がわずかだということがわかり退職したのだということ。
「やりたいことがあるならやれるときに、全力でやらなきゃ。」
この言葉の意味がやっと理解できました。
あのとき、彼女は自分がもう長くないことを悟ったうえで私の背中を押したのだということ。
葬儀に行き、彼女のご主人と娘さんに会い社名と氏名を名乗ると、「あなたが…」とおっしゃいました。
彼女は生前、家族によく私の話をしていたのだと、職場の同僚というよりは友達のように思っているのだと、私の仕事の腕を本当に買ってくれていたのだと知ったときには彼女はもう遺影の人でした。
そして、亡くなる前、「死にたくない」と泣いていたことも。
彼女が亡くなって1年後、全日本女子大会への出場が決まりました。
あのとき背中を押してくれなかったら、私はここに来ることはできなかった。
大舞台を踏ませてもらえること、きっと彼女は喜んでくれているだろう、そう思いました。
3回目の全日本に出た後、私は交通事故に遭いました。負った怪我は予想以上に重く、こんな体ではもう戦えない。私に4回目の全日本大会はありませんでした。そして選手としては引退することにしました。
悔しくて仕方なかったけれど、それでも生きていられただけ良しとすることにしました。
彼女が亡くなって13年になります。
8歳年上だった彼女の歳を追い越して、今では私の方が年上になりました。
訃報欄に彼女の顔写真が載ったあの日の新聞を、未だに捨てられずにいます。
空手を休んで今は居合に熱中してる私のことを、彼女はどう思っているかな。
失望しているかな。しょうがないなぁって笑ってくれているかな。
でも、武道はもう無理だと思ったあの怪我から立ち直って、刀を握れるようになりました。
そして、競技は違えど選手としてまた試合に臨めるようになりました。私はまだ、終わっていない。
私は勝手に解釈します。
「やりたいことがあるならやれるときに、全力でやらなきゃ。」
やりたいこと、全力でやってますよ!
彼女が亡くなってから、折にふれて思うことがあります。
自分に期待してくれる人がいるっていうのはありがたいことなんだな
居合の世界に来て、武器を持ったらこんなダメっぷりに彼女は天国で苦笑いしているだろうけど、とにかく今は、今の自分の精一杯を尽くそうと思います。
あのとき彼女が私の背中を押してくれなかったら、今の私はなかった。
今は亡き友人に感謝して。 合掌。