私が学生の頃から使っている30年物のPILOT製の万年筆のメンテナンスで、PILOTのペンクリニックに行ってきました。
ペン先の合わせ目が筆圧により微妙にズレてしまっていたのを直してもらい、ペン先をほんのわずか研磨してもらったことで滑らかな筆記線が蘇りました。
順番を待っている間に会場の壁に掛かっていた企業広告のパネルをなんとなく眺めてみたら…
筆記具メーカーの単なる企業広告ポスターとは思えないその文面と背景写真に思わず見入ると、不覚にも鼻の奥がツーンとして目頭が熱くなってしまいました。
一枚は歳を重ねたと思しき男性の後ろ姿、もう一枚は繋いだ手の写真を背景にキャッチコピーがあります。
なんと書いてあるのか、コピーの部分だけをアップで撮ってみました。スマホでご覧の方、読めるでしょうか?
これまでの人生で通り過ぎたいろんな出来事、歩んだ人生のあちこちで出会った人たち、私を支えてくれた人、導いてくれた人、私を傷つけた人、私を裏切った人、たくさんの思い出、楽しかったこと、悲しかったこと、これまでの人生における様々なことをポスターパネルの前でふと振り返って思い出してしまうような企業広告です。
あえて紙に字を書かなくても手軽にメールやLINEで言いたいことが瞬時に伝えられるようになった現在に、それでも時間をかけて自分の手で書いて伝えたいこと、書いて残したいこともあるよねってしみじみ思わせてくれる素晴らしいキャッチコピーでした。
メールやLINE全盛のうえに手軽で便利な筆記具が次々に出てきて、こうしてメンテナンスが必要な万年筆は今となっては愛好家向けで時代遅れの筆記具になってしまったのかもしれませんね。
筆記具に限らず、時代は目まぐるしくいろいろなものを進化させていきます。
今はお店に足を運ばなくても大抵のものがネットで買えるようになりましたね。
つい先日、マッチングアプリというものについて師範との話題に出たのですが、物だけではなく彼氏や彼女、はたまた結婚相手といった「究極に身近になるはずの人」まで、マッチングアプリを使えば手にしたスマホで家でゴロゴロしながらでも探せる時代になりました。
相手はモノではなく血の通った生身の人間なのに、どんな声をしていて、どんなことをどんなふうに話すのか、どんな字を書くのか、どんな顔で笑って、どんな雰囲気を纏った人なのか、それすら知らないまま、そんなことは置いといてスマホの画面の本当に本人かわからない写真と、真実かどうかわからない自己申告のプロフィールを頼りに打算と条件で相手を選ぶ。そして好きになれるかどうかもわからないまま連絡を取り合い無理やり恋をしようとする。怖いと思うのは、素性や背景が全くわからない異性といきなり恋人になるのを大前提に個人的な接点を持つというところです。ただアプリで知り合っただけの素性がわからない異性に居住地や職業、年収などかなり突っ込んだ個人情報を明かすって実に怖いです。相手を一人に絞らず何人にもアプローチして、複数のお相手を天秤にかけながら同時進行もする。お相手が自分の期待通りの人ではなかったり、なにか気に入らなかったらさっさと見切りをつけて、また次の相手をスマホで探す。
アプリの中の人たちはまさにカタログ商品のようで、そうやって「相手を選ぶ」様はまるでネットショッピングみたいですね。恋人や生涯の伴侶さえネットで手に入る時代になったようです。それの是非はともかく、これからの時代はじっくりと時間をかけて育む、培うということは疎まれ、手間をかけずとにかく早く手軽に望んだ結果を求めるようになっていくのでしょうか。
Easy come,easy go
悪銭身につかずという訳でよく知られた言葉ですが、それ以外の意味もあります。
「簡単に手に入るものは、簡単に失う」
人間版通販を思わせるマッチングアプリの普及を知るにつけ、この言葉がふと浮かんできます。
SNSの発達により、会ったこともない人や、今日初めて会ったばかりの人、名前を知ってる程度の知人まで「友達」になり、そうして親しくもない「友達」も自分のアカウントにコレクションしていく。そして「友達」の数が多いほどリア充っぽい。恋人がネットで探せるだけでなく、友達の概念もまたバーチャルなんですね。
スマホ一つで簡単に人と出会えるようになりました。画面をタップするだけで誰かと繋がり、またタップするだけであっさり縁を切ることができる。すべてスマホの中で完結させることができます。簡単に手に入るものには執着しないもので、人との縁もスマホで簡単に結んだり切ったり、人間関係すらインスタントかつ使い捨ての時代になってきたのでしょうか。
こうしてスマホで簡単に出来た恋人や友達は、万が一自分が苦境に陥ったときに見捨てずに手を差し伸べてくれるでしょうか。何もできなくても、そばにいてくれるでしょうか。なんだか面倒くさいことになったな、とさっさと見捨ててまたすぐスマホで代わりの誰かを探してしまったりはしないのでしょうか。
目の前の人と簡単には失わない堅い信頼関係を築くこと、その信頼関係を裏切ることなく末永く維持することは、スマホで簡単に繋がったり切ったりのインスタントで軽い人間関係が当たり前になればそれはまた本当に難しくなりますね。
いつも脱線ばかりしていますが、ここは一応居合道の道場ブログでありまして……武道というものはまさにこのマッチングアプリの普及に代表される時代の流れに逆行するもので、日々鍛錬、日々稽古、手間をかけずとにかく早く手軽に昇段!というわけにはいかない対極の世界であります。
万年筆を愛用して袴を穿いて刀を持つ、時代の最先端とはとてもいえない人間が、流行のマッチングアプリを語るなど笑止千万ではありますが、だからこそマッチングアプリというお洒落な言葉に言い換えた所謂「出会い系サイト」というものに対しEasy come,easy goという言葉しか浮かんでこず、本当にそれでいいのだろうかと複雑な気持ちでその流行を眺めています。
時間をかけてじっくり向き合い培うこと、日々の鍛錬の積み重ねをなくして手っ取り早く目標を達成することはない武道の世界に身を置く方々には、この感覚をなんとなくわかっていただけるでしょうか?
万年筆といえば、インク瓶からコンバータにインクを吸い上げる作業が結構好きなんです。古くさい!といえばそれまでなんですけど、メールやLINEに頼らず自分の手で一文字一文字認めることもなかなかいいものです。
時には時間をかけるのを厭わないこと、そして費やしてきた時間の歴史、生身の自分に向き合ってくれた人との縁を大切にしたいものだと改めて思う企業広告でした。
手入れをしながら長く使えるものを作ってきた会社だけあります。
手入れをしながら長く続く。人との縁もかくあるべきかな。