シルクロードの終わるところ
暗越奈良街道は、大阪と奈良を結ぶ最も近い道だ。それだけに、古来、様々な人と物とがここを通った。古くは天平時代、大仏開眼に招かれたインド僧が(736年)、次いで中国の鑑真和上が(753年)ここを通って奈良の都に入った。正倉院に残る宝物の中にも、この道を運ばれたものが多かったことだろう。
この道は、シルクロードの東の端なのだ。
戦国時代には、大和郡山城主となった豊臣秀吉が何度も往来したことだろう。百年余を経た元禄7年(1694年)、松尾芭蕉がここを大阪へと歩いていた。そしてそれから10年後(1704年)、大和川の付け替えで、沿道の景観は一変した。多くの川や沼が消え、豊かな綿畑に代わったのだ。翌年(1705年)伊勢参りが爆発的に流行した折りには、1日7万人がこの道を伊勢に向かっていた。
この道は、伊勢街道のはじまりでもあった。
堺屋太一
大阪商工会議所東成・生野支部前にある暗越奈良街道の案内板
大阪商工会議所東成・生野支部公式HP
場所:大阪市東成区大今里3-14-27