東成まちあるき

東成を歩いて観察!
東成の魅力を発掘します!!

東成区から「都市景観資源」が登録されました!

2011-07-13 18:06:49 | 東成のビュースポット

平成23年7月1日に、東成区から9件の都市景観資源が登録されました! 

東成区の都市景観資源の発掘のため、平成21年から東成区役所と東成区未来わがまち推進会議のメンバーで”わがまち自慢の都市景観”を募集しました。
カルテの作成、現地調査報告で書類選考後、大阪市都市景観委員会の審議を経て登録されました。

選ばれたのは次の9つです!
・北中道の古い街並み 
・旧三井釦被服 
・真言宗御室派密華山妙法寺
・玉津の昭和初期の街並み
・八王子神社御旅所の楠 
・東小橋の街並み 
・火袋式道標
・深江の建築物、史跡群
・矢田地蔵尊

詳細は大阪市HP


案内冊子は東成区役所ふれ愛パンジーにて配布中


南深江公園で復活した「菅田」

2011-01-16 07:18:09 | 東成のビュースポット

東成区深江地域の南深江公園には、約1.5メートル四方の小さくて可愛い「菅田」があります。

昔、深江は菅の産地で、その菅を利用して菅細工を作り、暗越奈良街道では菅笠が売れました。現在は東成区に菅田は無く、菅を復活させるために『深江菅田保存会』が立ちあがり、平成19年に菅田を復活させたそうです。

10月頃に菅草を植え付け、翌年の梅雨明け頃に刈り取られます。最終的には人間の背丈くらいの高さまで伸び、菅笠などの材料になります。

以下、東成区役所HPから。

 伝統工芸の“深江の菅笠”は大嘗祭や20年に一度の伊勢神宮式年遷宮の際に献納されてきました。歴史ある菅細工を伝承するため、深江菅細工保存会が活動を続けてきました。その伝統を一層地域のまちづくりに活かすため、地元の方々が中心となって「深江菅田保存会」を結成して平成19年10月14日(日)には南深江公園に菅田を復興し、地元深江小学校4年生も参加して菅草の苗植えを行いました。
 南深江公園の菅田に植えられた菅は、深江の菅です。深江地域に明治の頃にはたくさんあった菅田はだんだんと少なくなり、今では姿を消してしまいましたが、深江の菅が絶えてしまわないようにと、深江菅細工保存会のメンバーが代々育ててきたものです。また、深江小学校4年生は総合学習の時間に地元の伝統工芸菅細工の体験学習をする予定で、式典に登場した菅笠にも興味津々、大喜びでした。
 地元の想いが込められた南深江公園の菅田は、来年の夏頃刈り取られた後、天日干しにされ“深江の菅細工”に活かされる予定です。

南深江公園
場所:大阪市東成区深江南2-9


全国で一つだけ!? ベンチのある橋・新道橋

2010-02-26 21:03:17 | 東成のビュースポット

今里・神路商店街の間、平野川分水路に新道橋が架けられています。
昭和61年(1986)に完成したこの橋は、橋の欄干とベンチが一体に整備されている日本でも珍しい橋です。
お年寄りの方たちにも利用できるようにと、ゆったりとした空間を確保するために橋が拡幅されました。ベンチの素材は、暖かい感触のある信楽焼で、周辺の木々を線彫りでデザインした特注品です。
商店街の買い物客はもとより、通学の子どもやお年寄りの憩いの場となっています。

また、川沿いの堤防には、子どもたちが絵を描いた夢ふれあいギャラリーがあります。

 


八王子神社

2010-01-07 19:20:01 | 東成のビュースポット

中本には地元の人々に愛されている八王子神社があります。

八王子大神ほか四柱を奉斉する旧本庄村の氏神で、応神天皇3年の創建と伝えられています。孝徳天皇より高麗狗(こまいぬ)一対の献納があったと伝えられます。古くから八王子稲生社(いなりしゃ)と称し、近世では“椿の宮”として広く世に知られていました。明治5年(1872)百済(くだら)神社と改称、明治 42年(1909)旧西今里村の氏神八剣(やつるぎ)神社を合祀し、八王子神社と改称し現在に至っています。

春には、大相撲春場所で時津風部屋に宿舎を提供しているので、大きな力士を見かけることができます。

 

場所:大阪市東成区中本4-2-48

 


雁塚(かりつか)

2009-10-10 00:07:04 | 東成のビュースポット

法明寺境内に雁塚(かりつか)と呼ばれる二基の石塔があります。

一基は弘長2年(1262)他の一基は延元4年(1339)と記されています。この石塚には次のような伝説があります。

「その昔、清原刑部丞正次という弓の名手がある冬の日に家来をともなって狩りに出かけましたが、その日は一羽も獲物がとれません。夕方帰りがけに一群の雁に出合ったので、先頭の一羽を射ち落としました。するとどうしたことかその雁には頭がありません。その周辺を探しましたが見つからず、そのまま帰りました。次の冬に狩りに出て一羽の雌の雁を射ち落としました。すると羽の下から乾いた雄の雁頭が出てきました」。
この話を聞いた法明上人は、雁の夫婦愛に心うたれ、その冥福を祈るために四重の石塔を建立したのが雁塚であるといわれています。


雁塚
法明寺の境内にあります。案内板がなければ気付かないかも。


雁塚の由来
雁塚の横に案内板が設置されています。

場所:大阪市東成区深江南3-16-28【法明寺内】


法明寺(ほうみょうじ)

2009-09-27 00:21:22 | 東成のビュースポット

新深江駅から暗越奈良街道沿いに東に数分歩き、街道を出て少し北に進むと法明寺(ほうみょうじ)があります。隣には深江稲荷神社があります。

文保2年(1318)融通大念仏宗(ゆうづうだいねんぶつしゅう)の中興の祖、法明上人(ほうみょうしょうにん)の開基で、境内に「雁塚(かりつか)」と呼ばれる二基の石塔があるので有名です。


法明寺の門


法明寺の由来
正面玄関の右側に案内板が設置されています。
本堂
本堂は約300年前の江戸時代に建てられたものだが、今から約50年前、火災に遭い、2層だった屋根の部分を1層にして修復したそうです。


鐘楼
鐘楼は古く、本堂と同じく江戸時代のものだが、吊るされている梵鐘は戦後の1980年(昭和55年)の再建だそうです。


梵鐘

場所:大阪市東成区深江南3-16-28


深江稲荷神社

2009-09-05 16:14:07 | 東成のビュースポット

大阪市深江地区、暗越奈良街道を少し北に入ると、菅笠と鋳物にゆかりの深い深江稲荷神社があります。 

和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)、笠縫祖神(天津麻占命)ほか三柱を奉斉する旧深江村の氏神です。
慶長8年に豊臣秀頼が片桐市正、加藤左馬介に命じ、社殿を改築しましたが、慶長19年に兵火により消失、その後、宝暦10年に本殿及び絵馬堂を再興し、寛政8年に本殿・拝殿に修理を加え、同時に石鳥居を再建し、明治5年に村社に列せられました。

笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、市から史跡に指定されています。
境内には笠縫部の祖を奉祀する笠縫社があります。笠縫氏は世々大和笠縫邑に住み、皇祖の御鏡を守護していました。垂仁天皇の御代、その一族は浪速の入江、片江、深江の島(笠縫島)に移り住み、世々菅笠を作るを生業とし、伊勢神宮式年遷宮の行われる毎に御神宝の菅御笠・菅御翳を調進したそうです。

また境内には「鋳物御祖神社」(大和鍛治の元祖)が祀られており、伊勢神宮御料後神鏡、摂社末社の御神宝御鏡もこの地で、古式に則り謹造して献納されているそうです。

 

深江稲荷神社公式HP 

場所:大阪市東成区深江南3-16-17


町家再生複合商業施設「燈(あかり)」

2009-08-29 07:22:42 | 東成のビュースポット

東成区緑橋。
かつて千間川(せんげんがわ)があった通り沿いに素敵な建物「燈(あかり)」があります。

燈は、大正時代に建てられたお家が今もまだほぼ建築当時のまま残されていたので、オーナーの意思で取り壊して新しいものを建てるのではなく、古いものを活かして今も昔も時代を超えて人をつなぐ場所として活用できればという思いのもと、六波羅真建築研究室の助けによって見事再生を果たした町家複合施設です。

創作帽子屋、カフェ・バー、小さな骨董屋、そして二階には貸し間があります。
古い建物がベースなのに古臭さは全くなく、心が安らぐ落ち着いた雰囲気が感じられます。
古風だけどどこか新しい。気軽に集まれる東成のおしゃれスポットです!

 

 

町家再生複合商業施設「燈(あかり)」公式HP 

場所:大阪市東成区東中本1-2

最寄駅:地下鉄 中央線/今里筋線 緑橋駅⑦


熊野大神宮(くまのだいじんぐう)

2009-08-26 07:15:47 | 東成のビュースポット

街道沿いのまちなみが残る大今里の住宅地から少し入ると、妙法寺と並んで熊野大神宮(くまのだいじんぐう)があります。
敷地は大神宮という名前の割にこじんまりとしていますが、建物は整然と並び威厳のある神社です。

熊野大神宮の歴史は古く、聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれました。明治維新後の神仏分離で現社名に改めました。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)ほか二柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。
石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社です。同44年(1911)旧東今里村氏神八剣神社を合祀しました。

夏祭りや秋祭りには、地車がお披露目されます。東今里のお宮さんが大今里の神社に合祀されて一つの祭りを行っているので、 この祭りでは二つの地車が巡行しています。〔7月16日夏祭 10月16日秋祭〕

場所:大阪市東成区大今里4-16-48


妙法寺(みょうほうじ)と契沖(けいちゅう)遺跡

2009-08-19 07:25:59 | 東成のビュースポット

熊野大神宮のお隣に妙法寺(みょうほうじ)があります。

妙法寺は、聖徳太子の創建と伝えられる長い歴史を持ったお寺です。真言宗の大きな寺院でしたが、大正年間(1573~92)の石山合戦でほとんど焼失し、現在は享保年間(1716頃)に建てられた本堂が昔をしのばせています。
この寺には、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679)から元禄3年(1690)まで住職をし、「万葉代匠記(まんようだいしょうき)」など多くの著作を生み出しています。

宝歴の頃(1751~64)の妙法寺は一時衰退していましたが、泊中法典和尚が住職し大黒天信仰を鼓吹してより時運隆盛になり「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」と喧伝され、庶民の群参で賑わったと伝えられています。

修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。現在、妙法寺の境内には契沖の供養碑のほか様々な石像遺物があり、歴史探訪がたおしめます。



契沖の供養塔(右手前)
左側には師のかい定(じょう)、母、兄の墓が並んでいます。
契沖の墓は、終焉の地である円珠庵に建てられているそうです。


大黒天が祀られているお堂


場所:大阪市東成区大今里4-16-50


旧日本海軍指定ボタン工場の建物

2009-07-20 08:09:16 | 東成のビュースポット

セルロイド技術が発達した今里の周辺には、明治の中頃から大正にかけてボタン製造業に携わる事業者が30件ほどあったといわれています。往時の繁栄をしのばせるものとして、ここには鹿鳴館に似せたような洒落た建物が残っています。
大今里4丁目の国道沿いにある三井釦被服㈱は、第一次世界大戦中、将校などの軍服のボタンを取り扱い、海軍の指定工場となって東成で最も大きなボタン会社でした。

現在は、ヘアーサロン「555tete frame」が入ってます。
今でもこの建物には、歴史を感じる存在感と昔ながらの良い雰囲気があります。

555tete frame公式HP

場所:大阪市東成区大今里4-27-22
最寄駅:地下鉄 今里駅⑤


珍しい火袋式道標

2009-07-19 07:47:20 | 東成のビュースポット

大今里4丁目の国道308号線が通る交差点に笠石を乗せた道標が立っています。
これは、道標でも珍しい火袋式(ひぶくろしき)です。上部をくりぬいて火袋にし、中にろうそくを灯し、夜間の通行を助けました。江戸時代、夜間は旅をしませんから、物資の夜間運搬用に灯籠型にしたようで、設置したのは「江戸積の釘問屋」と道標に表示されています。

道標には、「左ならいせ道 右きしのだう くはんぜをん 志ぎざん 八尾久宝寺 道 文化三年丙寅孟春 施主江戸積釘問屋世話人当村弥三七」と記されています。
元は、南東約20m先で北八尾街道が分岐しており、その分岐点にあったものだそうです。今里界隈は、昔から交通の結節点であったことを示しています。


火袋式笠型道標
道標の中でもかなり珍しいそうです。

場所:大阪市東成区大今里4-27


亀の橋跡

2009-06-30 11:32:37 | 東成のビュースポット

玉津2丁目の住宅の前にぽつんと亀の橋跡と書かれた石碑があります。
昔このあたりに平野川が流れていて「亀の橋」が掛けられていた名残です。

日本書紀の時代にまでさかのぼると、「仁徳天皇14年11月橋を猪飼津に造り。即ち其処を号けて小橋と日う」と記され、文献上日本最古の橋とされる「鶴の橋」というものが旧平野川の上流にありました。この地方には、鶴が多く生息していたために、この名がつけられたといい、その下流のここにあった橋を鶴の橋に対して縁起のいい、亀の橋と呼ぶようになったと言われています。

亀の橋跡から東南へ一直線に道路が通っています。陣堂道(じんどうみち)(石田通り)といい、福見の北、八尾海道から東小橋の亀の橋まで約2.7kmを小路村の豪農井上氏が明治42年(1909)に私財をもって造られた道です。戦前南弁天橋の所に「石田り三丁目」の道標がありました。この道によって小路や鶴橋また玉造と交通の便がよくなり、玉造の「日の出通り」とつながって今里新地に続く道として繁栄しました。

 

 

場所:大阪市東成区玉津2-20


安堵の辻(あんどのつじ)

2009-06-17 13:29:14 | 東成のビュースポット

昔ながらの家並みが残る深江南に安堵の辻(あんどのつじ)と呼ばれるお地蔵さんがあります。

深江の法明寺に残されている安堵の御影縁起(法明上人の弟の西願が、沙弥教信と法明上人がお話しされているところを描いた図)によると、貞和4年(1348)の春突如として空中に紫の雲が現れ、その雲から尊い僧、沙弥教信が姿を現わし、法明上人に向って「あなたは永年念仏を唱えながら、人々を助けてこられました。おかげで来年の6月16日の朝、極楽へ安らかに旅立つことが出来るでしょう」と。上人はよいお告げを聞いたと喜び、お告げ通りに、その日に亡くなりました。
その尊い僧に法明上人が出逢ったところが辻だったので、この辻を「安堵(安心)の辻」と呼ぶようになったと伝えられています。[参照:東成区役所HP]

場所:大阪市東成区深江南3‐7-6