東成まちあるき

東成を歩いて観察!
東成の魅力を発掘します!!

博多串焼き三代目まさや

2009-05-31 06:44:17 | 東成の美味しい店

博多串焼き三代目まさや

JR環状線玉造駅から西へ少し歩き、玉造日之出通北商店街の手前にお店があります。
地元での知る人ぞ知る穴場で、いつもほぼ満席です。
カウンターとテーブル1席のこじんまりとした店で、アットホームな雰囲気が居心地の良いお店です。

料理は串焼きが中心で、一品料理もめっちゃ美味しい!
串焼きのおススメは、「しろ」、「ぼんじり」、「丸腸」、「つくね」。
一品ものでは、野菜たっぷりの「塩もつ煮」、新鮮な「生レバー」は外せません。
「板そば」は、串焼き屋にはありえない美味しさです。締めの品に。

 
博多串焼き三代目まさや


名物の塩もつ煮、しろ、なまれば ※ちょっと食べてます。
このメニューは毎回外せません。


まさや歓喜の涙 
ジンジャーエール割りのカクテルにおろした生姜が。生姜好きにはたまらないかも。


(本日の)まさやのスタッフ
夢ちゃん、小國店長、山浦さん
また食べに行きます!

 


場所:大阪市天王寺区玉造元町3-29
電話:06-6762-3323
最寄駅:JR・地下鉄 玉造駅


私のお気に入り(2)まりもっこり

2009-05-30 07:38:05 | 私のお気に入り

北海道生まれのマスコットキャラクター「まりもっこり」。

国の特別天然記念物である阿寒湖のまりもがモチーフになってます。
憎たらしいけど愛嬌のある顔と股間のもっこりが特徴です。

よく人からは「どこがええの?」と聞かれて、どう答えるかいつも悩むけど・・・

なぜか引きつけられる魅力があるんです。

 


スーパーまりもっこり


まりもっこり
股間を引っ張るとブルブルふるえる。遊び過ぎてちょっと伸びてます。


友達からお土産に貰ったご当地まりもっこり
ご当地キティちゃんにまじって売られてます。お土産に、コレクションに。


もっこりパワー
パッケージは怪しそうだけど美味しい清涼飲料水です!


大阪セルロイド会館

2009-05-28 05:36:53 | 東成のビュースポット

東成区役所の裏手に、昭和初期のレトロな雰囲気の一風変わった建物があります。
大阪セルロイド会館です。
大阪セルロイド会館は昭和6年に建築され、昭和12年に増築されました。列柱構成と町家風という対照的な意匠を持つビルで、平成13年に文化庁により登録有形文化財(建造物)に指定されました。

セルロイドとは、歴史上最も古くに開発された合成樹脂のことで、ピンポン玉やギターのピック等に使われます。アニメーションの画材に用いられる透明シートの素材は、1950年代までセルロイドが使用されていたため、「セル画」と呼ばれました。

大阪市、特に東成区今里には工場が多数あり、セルロイド産業が盛んでした。
十河与三郎が大阪セルロイド、中谷岩次郎が中谷セルロイドを設立した場所として知られています。
現在、この建物の中には眼鏡、スキー、プラスチック資材といったセルロイドと関係のある組合、連盟の事務所が入居しています。1階の事務所に声をかければ、小数ですがセルロイド製品を見せてもらえます。


大阪セルロイド会館正面


セルロイド会館の裏手
窓も柱も風変わり


セルロイド会館正面側の内部
窓も階段も手すりも踊り場も直線的


セルロイド会館裏手側の内部
窓も会談も手すりも踊り場も曲線的。正面側と様式が全く違うのが面白い!


場所:大阪市東成区大今里西2-5-12


「ほめられサロン」を試してみよう!(^ー^)

2009-05-27 06:12:13 | たまぞう日記

話題の「ほめられサロン」を試してみよう!

長いお休みが終わって、お疲れ気味のあなた、ここらあたりで、ほめられまくって
テンションあげてみませんか?

ほめられサロン

うん、ちょっと疲れ気味だし試してみよう~と
おおー!なんか気分いい!!
ちょっとテンションが上がってきたので、今日も頑張るぞ!


なにわなんでも大阪検定を受けます。

2009-05-26 06:38:09 | たまぞう日記

第1回「なにわなんでも大阪検定」を受けます。


この検定は大阪が持つ歴史・文化の奥深さを再発見し、多様な大阪の魅力を知ってもらうことを目的とした試験だそうで、6月21日に第1回試験が実施されます。


公式テキストの「大阪の教科書」を買ったものの、まだ半分くらいしか読めていない。
合格はヤバいかも・・・(読んでると必ず睡魔に負けてしまう。

とりあえずは、この週末に頑張って読み込むぞ~!


(参考)
目指せ合格!~大阪検定合格への軌跡~
3年も前から大阪検定合格に焦点を合わせています。スゴイ!
検定クイズ以外にもまちあるきのレポートは参考になります。

なにわなんでも大阪検定 公式HP 


比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)

2009-05-25 07:28:49 | 東成のビュースポット

大小橋命胞衣塚の横道を北に少し歩くと、比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)が見えてきます。

比売許曽神社は、延長5年にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社(延喜式内社)であり、古来より霊験が著しいとされる名神を祀る神社(名神大社)とされています。旧社地は、小橋の産湯の地にありましたが、大正年間の石山合戦で兵火にあい現在地の牛頭天王宮に合祀されました。

下照比売命(したたるひめ)を主祭神とし、速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀しています。比売(ひめ)とは、女の神様を指します。

『古事記』には、新羅から夫の天日矛(あめのひぼこ)のDVに耐えかねて、逃げ帰った阿加流比売(=赤留・阿加留) (あかるひめ)が身をひそめた神社と記されています。下照と阿加流が同一人物ではという説もありますが、宮司さんにもわからないそうです。なんか調べたら面白そうな話です。

社殿と社務所が渡り廊下で繋がっているのはかなり珍しい建物です。本来、社殿へは正面から入るのものではなく、横から入るべきだそうです。
また、お参りも社殿の正中に立つのは避けるべきで、そのため参道も正中から15度ずらすなど、細やかな配慮がされています。

 


神社の由来等を説明して下さった宮司さん


本殿よりも歴史のあると言われる渡り廊下

場所:大阪市東成区東小橋3-8


大小橋命胞衣塚(おおおばせのみことえなづか)

2009-05-24 17:09:12 | 東成のビュースポット

千日前通りと市道上新城生野線(通称・疎開道路)の玉津3丁目交差点には、北西の角に大小橋命胞衣塚(おおおばせのみことえなづか)があります。ここには、式内社・比売許曽神社とゆかりの深い大小橋命の胞衣が納められた場所と伝えられています。

小橋命は、藤原氏や中臣氏らの祖とされる人物で、この地に住み人々の尊敬を集めたと言われています。胞衣とは、胎児を包んでいた膜や胎盤などのことをさし、胞衣壺(えなつぼ)に入れて埋納する習慣があったそうです。
後世この塚に植えられた柳が子どもの夜泣き封じに効能があると伝承されてから、「えな塚」が「よな塚」と呼ばれ広く知れわたりました。

場所:大阪市東成区東小橋3-9


まち歩き(大阪あそ歩・おどろきの鶴橋今昔はなし)

2009-05-23 21:20:39 | 東成のまち歩き

大阪あそ歩(ぼ)の東成区のまち歩きに参加しました!
今回のまち歩きのテーマは、「おどろきの鶴橋今昔ばなし~経営の神様・松下幸之助起業の地をたずねて~」

「大阪あそ歩」とは、大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会がすすめる企画の総称(全体の名前)です。大阪のまちを歩いて、そのまちの人や雰囲気や歴史に会って、まちを楽しむ「まち歩き」(約300コース)と大阪の食や芸能や祭りや物語をみんなで楽しむ「まち遊び」(数十種類)があり、大阪市の市民が手作りで企画、実施する面白い取り組みです!

大阪あそ歩公式HP

 


JR環状線・鶴橋駅
地元住民の方達が案内ガイドをしてくれます。 

 


鶴橋国際マーケット
色鮮やかな鶴橋市場。そのエネルギーと商品ラインナップに驚き。

 


大小橋命胞衣塚(おおおばせのみことえなづか)
比売許曽神社とゆかりの深い大小橋命の胞衣を納めた場所とされます。

 


比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)
下照姫命(したてるひめ)を祀る延喜式内の名神大社。

 


亀之橋跡
旧平野川に架けられていた亀之橋の跡地。旧平野川は昭和15年に埋め立てられ、橋は廃橋となりました。

 


陣堂道(じんどうみち)
明治42年に片江の豪農・井上和三郎氏が村の発展のため、片江から天王寺区舟橋町までの延長2.8km、幅3.6mの道路を私財を投げうって作りました。

 

 
瀧本製本所
日本で最初に創刊された週刊誌「サンデー毎日」。その創刊号を印刷しました。

 


太陽亭
昭和8年創業で、映画「血と骨」にも出てくる大衆食堂。美味しそう

 


barきのこや
ちょっと気になったバー

 


とんすけ
もともと船場にあったトンカツが評判の洋食屋さん。

 


梁石日「血と骨」の舞台
作家・梁石日(ヤン・ソギル)は、1936年に大阪市東成区中道で生まれ、大成通の在日密集地域であるこの地で育ちました。類まれなバイタリティを持つ実父をモデルに、小説「血と骨」を書き、第11回山本周五郎賞を受賞。平成16年に、崔洋一監督・ビートたけし、鈴木京香主演の映画「血と骨」はアカデミー賞最優秀賞など数々の映画賞を受賞しました。

 


松下幸之助起業の地
世界のパナソニックの創業者・松下幸之助が井植歳男らと「松下式ソケット」をこの地で開発しました。

 


日光温泉
松下幸之助も通ったかもと言われる温泉。

 


大阪セルロイド会館
昭和6年に建築され、平成13年に文化庁により登録有形文化財(建造物)に指定された建物。

 


東成区役所

 


4代目桂米團治顕彰碑
落語「代書」を創作した4代目桂米團治の顕彰碑。当時、本人が営んでいた中濱代書事務所のあった東成区役所敷地内に建立されました。

 


東成区役所市民協働ステーション「ふれ愛パンジー」
平成20年3月に作られた、区民のための協働スペース。地域活動に取組む各種団体・区民のミーティングや展示・発表などに活用されています。
写真はマスコットキャラクターの「ふれんじー」ちゃん


八阪神社(やさかじんじゃ)

2009-05-22 20:38:46 | 東成のビュースポット

八阪神社(やさかじんじゃ)は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)と菊理姫命(きくりひめのみこと)の二柱をお祀りする旧中道村の氏神で、延喜9年(909)に藤原道長がこの地に別荘を設け、牛頭天皇・白山権現を祀ったのが始まりとされています。仁安元年(1166)里人が社殿を再興し、天正12年(1584)現在地に移転されたと伝えられています。もと牛頭天王白山権現(ごずてんのうはくさんごんげん)と称していましたが、明治5年(1872)八阪神社と改称しました。お伊勢参りのおりには、旅の無事を祈り詣でたとされています。

素盞鳴尊を祭神とする祇園信仰の神社は、日本各地に多数あります。八坂神社と書くのが多数派です。京都市東山区祇園町にある八坂神社が総本山になります。


 

場所:大阪市東成区中本4-8


まち歩き(暗越奈良街道を歩く!2)

2009-05-21 06:53:15 | 東成のまち歩き

今回も玉造駅から出発。


面白い形の目医者さん発見! 


暗越奈良街道案内の石碑

 
常善寺への道標
「これより左三丁 常善寺」江戸時代に大阪の芝居興行と大変深いかかわりをもつ常善寺への道が記されたもの 


お洒落なオブジェのコーヒー店
今度開いているときに行ってみよう~

 


東成警察署 


東成警察署近くの道標(高麗橋から4.6km) 


大阪市営地下鉄 今里駅 


大阪商工会議所 東成・生野支部


堺屋太一の案内板
「この道は、シルクロードの東の端なのだ」という言葉が印象に残りました


玉津橋(たまつばし)

2009-05-20 06:14:09 | 東成のビュースポット

玉津橋(たまつばし)は、暗越奈良街道と平野川とが交差する位置にあり、交通の要所として賑わっていました。摂津史(享保20年)に橋の名前がでていることから、江戸時代初期には既に架けられていたと考えられています。「津」という字は、港を意味しますが、船着き場もあり、玉造の港ということから玉津橋の名称が生まれたのではないかと言われています。江戸時代は、柏原船、猫間船の水運が盛んで、平野川、猫間川と共に大坂の繁栄を支えていました。

明治時代は玉津橋から瓢箪山まで馬車が通い、発着所がありました。大正時代の橋は、橋板に丸太を並べその上に粘土を置いた土橋で両側は鉄の欄干でした。

現在の玉津橋は、橋長16m、幅員13.4m、昭和61年に建て替えられ、桁高を抑えるために鋼床版桁が採用されています。社団法人土木学会の「浪速の名橋50」にも選ばれています。「歴史の橋」として、江戸時代の絵地図「増修改正摂州大坂地図」をエッチングしたパネル6枚が欄干に取り付けられ、橋が古くから存続してきたことを顕彰しています。また、現在でも生駒山中の暗峠に石畳が残ることから、橋の歩道部には石畳風の敷石が並べられ、街道の雰囲気を伝えています。


私のお気に入り(1)(小山ロール)

2009-05-19 06:23:38 | 私のお気に入り

関西でもなかなかお目にかかれない幻のロールケーキ、小山ロール
職場の友人がわざわざ三田まで買いに行き、ようやく入手しました!


たっぷりの蜂蜜と卵黄を使ってふわふわもっちりした食感のスポンジ。
しつこくない甘さの生クリームとカスタード。
甘さを抑えた栗のコンポート。
めっちゃ美味しいやん・・・もっと食べたい!
でも、三田の奥地にしか売っておらず、気軽に買いに行けないのが残念。


間違いなく、お気に入りロールケーキで3本の指に入ります。
でも、その中でナンバー1はやっぱり・・・  《つづく》


二軒茶屋(にけんぢゃや)・石橋跡

2009-05-18 06:16:41 | 東成のビュースポット

JR玉造駅の東側に二軒茶屋(にけんぢゃや)・石橋跡の石碑があります。

この付近は、旧奈良街への大阪側からの入り口にあたります。暗越奈良街道は、江戸時代から人の往来が盛んとなり、この街道の起点であった玉造に「鶴屋(つるや)」「桝屋(ますや)」という二軒の茶屋が建てられ、旅人等の休息の場として繁昌したと伝えられています。当時の玉造は、旧市街のはずれで、旅人はここで旅装を整え、家族・友人の見送りを受けました。1日10里、約40kmを歩き、1里ごとに休憩したようです。
茶屋が二軒あったところから二軒茶屋といわれ世に広く知れわたりました。落語『代書』で、巴焼き屋(回転焼屋)を開いた場所がこのあたりです。


この二軒のそばを流れていた猫間川(ねこまがわ)に宝永8年(1711)に幕府の命によって橋が架けられたのが石橋です。正式には黒門橋といいますが、この付近にあった大阪城の玉造門が黒い門であったところから黒門橋と名づけられ、この橋が大阪では当時珍しく石で造られたものだったので通称石橋と呼ばれています。黒門橋は、大正13年に撤去され、猫間川も埋立てられて、今ではその面影を見ることはできません。 

場所:大阪市東成区東小橋1-1


まち歩き(暗越奈良街道を歩く!1)

2009-05-17 07:16:39 | 東成のまち歩き

暗越奈良街道は、享保21年(1736)の「摂津誌」に、「二軒茶屋」があった玉造が起点であったことが記述されています。明治初期の整備に伴い、高麗橋の南東詰にあった里程元標が起点となりました。

目標は、二軒茶屋から始まる東成エリアを歩いて制覇するぞ~!

 


 JR玉造駅                        
暗越奈良街道の出発の場所、二軒茶屋跡の近くにある駅 

   
二軒茶屋跡・石橋跡の石碑
ゴミと放置自転車が・・・のっけからテンション 


玉造駅東商店街入口にある道標
(みちしるべ)
高麗橋の元標から3.6kmとある 


いにしえ駐在所発見!
暗越奈良街道をまち歩きする人には有名なスポットらしい。


矢田地蔵尊
商店街内にある。お地蔵さん?or道標?

 
壱里道標と八阪神社の石碑  
高麗橋の元標からここが一里(約4km)にあたります。八阪神社か~今度行ってみよう    


玉津橋

  
玉津橋の欄干の飾り地図 
昔の大阪市東部の地図。上の方に暗峠と生駒山。 


平野川
淀川水系の一級河川。お世辞にもキレイとは言えない・・・ 


南中本公園
街道筋からちょっと公園へ寄り道。
うーん・・・今日はゴミがヒドイな。楽しく遊ぶため何とかせねば! 


ニャーニャー鳴いてる捨てネコ発見
捨てたらあかんよ!動物病院も困るよな・・・


暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)

2009-05-16 08:48:38 | 東成のビュースポット

暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)は、大阪から東大阪、暗峠(くらがりとうげ)を越えて生駒、奈良に至る旧街道で、数ある奈良街道の一つです。暗峠のある生駒山地は、断層山脈で傾斜が急なのが特徴です。生駒山を越える際に、杉の木が茂って昼でも暗い「くらがり峠」を越えることからこの名前がついたそうです。

奈良時代、都であった平城京と各地を結ぶ街道が整備されましたが、当時、平城京と大阪をつなぐ道が「奈良街道」と呼ばれました。その一つが暗越奈良街道です。
奈良時代に大阪と平城京を最短距離で結ぶ道として設定されました。玉造から、東成区の大今里、深江、東大阪を経て、生駒山の暗峠を越えて奈良に至る道です。


江戸中期以降は、伊勢参りの旅人で賑わいました。伊勢参りは、当時の一大レジャーであり、街道筋はだれもが歩いてみたいと憧れました。東海道のような関所もなく、一日に7・8万人もの人が通る賑やかな街道でした。


江戸期に幕府が高麗橋を大阪の玄関口として整備し、のちに里程元標が置かれたため、大阪の街道の起点は、高麗橋だと考えられるようになりました。しかし、それ以前は、市街地の東端である玉造が伊勢参りに代表される旅の実質的な出発点でした。


現在では、国道308号、大阪府道、奈良県702号大阪平岡奈良線がほぼこの街道筋にあたり、建設省により「日本の道百選」に選定されています。 

(参考)
ウォーキングマップ(大阪府)

大阪検定公式参考書「大阪の教科書」