「大阪はなれてはや玉造、傘を買うなら深江が名所」
と伊勢音頭に歌われたように、深江は菅笠(すげがさ)の産地として有名でした。
古代垂仁天皇のころ、笠を縫うことを職業とした笠縫氏の一族が、大和の笠縫邑から良質の菅の生い茂った深江の地に集団で移住して、代々菅笠を作ったことから笠縫島の地名が生まれました。
江戸時代中頃からは、伊勢参りが盛んとなり、一般道中用の菅笠が世に知られるようになりました。旅人は、玉造を出てすぐ到着するこの地で菅笠を入手し、長旅に備えたことでしょう。
古くは全戸が笠造りに従事し、明治の初めには外国にも輸出され、また歴代天皇の御即位式や、伊勢神宮の年式遷宮(20年に一度)に用いられる儀式用の大きな菅笠は、代々この地から調達されていました。江戸時代の末期からは菅の釜敷きや、瓶敷き、皿敷き(今のコースターのようなもの)などの菅細工も作られ、皿敷きは明治や大正の頃には、イギリスやアメリカにも輸出されました。
現在、深江稲荷神社内が「笠縫邑跡」として大阪府史跡にしていされています。また大阪市の顕彰碑「深江菅笠ゆかりの地」が建てられています。
現在も地元の深江菅田保存会が平成11年に大阪市指定文化財の指定を受け、菅細工の技術を継承を行っています。
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