熊野大神宮のお隣に妙法寺(みょうほうじ)があります。
妙法寺は、聖徳太子の創建と伝えられる長い歴史を持ったお寺です。真言宗の大きな寺院でしたが、大正年間(1573~92)の石山合戦でほとんど焼失し、現在は享保年間(1716頃)に建てられた本堂が昔をしのばせています。
この寺には、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679)から元禄3年(1690)まで住職をし、「万葉代匠記(まんようだいしょうき)」など多くの著作を生み出しています。
宝歴の頃(1751~64)の妙法寺は一時衰退していましたが、泊中法典和尚が住職し大黒天信仰を鼓吹してより時運隆盛になり「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」と喧伝され、庶民の群参で賑わったと伝えられています。
修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。現在、妙法寺の境内には契沖の供養碑のほか様々な石像遺物があり、歴史探訪がたおしめます。
契沖の供養塔(右手前)
左側には師のかい定(じょう)、母、兄の墓が並んでいます。
契沖の墓は、終焉の地である円珠庵に建てられているそうです。
大黒天が祀られているお堂
場所:大阪市東成区大今里4-16-50
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