玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します。

タケオオツクツクと伊奈氏

2021-08-19 16:50:10 | エッセー

<エッセー>

タケオオツクツクと伊奈氏

大塚惠子

 

 杉並の上水では、今年も「セミ抜け殻しらべ」を行なっています。埼玉県の辺りにタケオオツクツクという外来のセミが、限定的に出現するので、以前から見に行きたいと思っていました。タケオオツクツクはその名のとおり竹に産卵し、中国製の輸入竹箒に卵がついて広がったと言われています。

 

タケオオツクツクの抜け殻

 

 タケオオツクツクの出現時期には遅かったのですが、お盆に川口市の赤山城址という所へ行きました。行った時は、まだ明るかったですが既に鳴いていました。ヒグラシと同じく日暮れ前の数時間よく鳴きます。

 城址では、タケオオツクツクのためではなく、竹林が保全されていました。竹林の周辺は、土塁や桜、畑、外環道に囲まれていました。整備されていると同時に自然も残る場所でした。

赤山城址近くの竹藪

 

 看板を見て驚いたのは、赤山城址は、玉川上水の水道奉行だった伊奈氏が治めていた場所だったということでした。河川や新田の開発、富士山噴火被災地の復旧など、ありとあらゆる事業に携わった一族だそうです。


玉川上水は学びの宝庫

2021-05-03 16:25:28 | エッセー

玉川上水は学びの宝庫

岸 國男

 私が小平市のある小学校で授業支援のボランティアをするようになってほぼ11年になります。その間、この小学校では、1年生から6年生までの児童に対して、玉川上水を郷土の誇りとしてさまざまな工夫をして授業に取り込んでいます。子どもたちにとっても玉川上水はかけがえのない大事な有形・無形の学びの場になっています。

 この活動には地域住民からなる12名ほどのボランティアの方が関っています。2019年度には小学校主催で、高槻先生を講師としてお迎えして 6年生「玉川上水の生物多様性」をテーマに授業をし、また保護者・近隣住民向け講座「玉川上水の生きものたちと私たち」を実施しました。

 これまでの授業支援の一部を紹介したいと思います。

1・2年の低学年では、遊びの要素を多く取り入れた玉川上水の自然に親しむ授業を展開しています。私はある時、「玉川上水・新堀用水で遊ぼう」で 「マユミさん」と子供たちに呼びかけました。すると「ハ~イ」と手をあげた子がいました。そこで、「この花の名前は、”マユミ” だよ」と言うと、別の子供が「うちのお母さんもマユミだよ」と嬉しそうにいいました。このような印象付けをしながら観察しています。

 

木の太さを調べよう。一年生

 

ザリガニ探し。二年生

 

 また、高学年の環境に関する授業支援で、雑木林の効用について話をしたことがあります。授業前日に枝にビニール袋をかぶせ密封しておきました。

ビニール袋をかぶせた枝

 

そして、授業当日、そこの場所へ引率し、子どもたちに玉川上水緑道と市街地道路の暑さについて尋ねますと、緑道の方が涼しいとほぼ全員が答えます。そこで私は内側に水滴のついたビニール袋を見せながら、「なぜ内側に水滴ついていると思う?」と尋ねました。このように気化熱について話し合いをしました。高学年では、このように教科を意識した実験的支援を玉川上水の緑の中で行っています。

 昨年度はコロナ禍のもとでほとんどの授業支援はできないまま年度末を迎えようとしていましたが、今年の2月17日に6年生担任から「学習:総合的な学習の時間「SDGs〜自分たちにできることを発信しよう〜」をテーマとした学習支援の依頼が来ました。

 事前に担任の先生から子供たちの狙いをお聴ききし、以下の2テーマに絞り、話し合いました。

1.玉川上水にいる生き物で今、いなくなってしまったもの

玉川上水を3の時代(上水道・空堀・流水復活)に分けて話し合いました。

2.今後守り続けていきたい生き物 など 

ここでは外来種の問題と、小金井桜とかいぼりを例として話し合いました。ここでは、

担任の先生に「玉川上水みどりといきもの会議」のブログにある「コブシついて」(高槻先生)を紹介しました。その際、子どもたちが小金井市民へ対する非難のように理解する懸念があることから、中立的立場から要約して子どもたちに伝えてほしいと付け加えました。また、外来種については、井の頭公園のかいぼりと小平市水と緑と公園課によるツツジ公園池のかいぼり等の実例を紹介しました。

 最後に「こだいら水と緑の会」発行の「小平の用水路」から以下を引用して話し合いを締めくくりました。

 私たちのまわりに鳥や昆虫、魚などのいろいろの種類の生き物がたくさんいることはとても大切なことです。生き物が生きてゆくためには生活しやすい自然環境がなくてはなりません。森や草原や水の流れなどの変化にとんだ自然があって、初めていろいろな生き物たちが生活できます。このように豊かな自然がありそこにはいろいろな生き物が生きていることを「生物多様性」と言います。小平の用水路は、「生物多様性」を学ぶことのできる場所でもあります。


玉川上水の野鳥について 大塚惠子

2021-05-01 16:37:46 | エッセー

大塚惠子

 三鷹市下連雀の萬助橋(井の頭公園)から杉並区久我山の浅間橋までの玉川上水が、私の自然観察や調査のフィールドです。10年以上前からこの玉川上水で自然観察を行っていますが、始めて間もなく玉川上水整備活用計画や放射5号自動車道路の整備計画が進みました。周辺も含め環境の改変が激しく、生息する生物にも多くの影響がありました。

 玉川上水とその周辺の魅力はなんといっても水の流れと畑や草原・林・森が連続し、生き物の通り道(回廊)になっていることです。いきもの会議のロゴマークになっている水と緑と土がそこにはあります。さまざまな植生には、いろいろな鳥類が棲み分け季節移動もみられます。多くの方と共に身近な地域の探鳥を楽しんできました。

 水辺には、水鳥はもちろんのこと、他の小鳥も水飲みや水浴びにもやってきます。玉川上水の両岸の林は、生物多様性の宝庫です。生態系ピラミッドの頂点であるオオタカも生息している豊かな環境です。絶滅危惧種のミゾゴイやブッポウソウなど稀少な野鳥も渡りの途中の中継地として羽根を休めることがあります。自然が育む食べ物と安心できる休息場所があるので、四季を通じて入れ替わり立ち替わりさまざまな野鳥が立ち寄ります。常緑樹の茂みや薮などは、多くの野鳥が羽根を休めたり、捕食者から隠れる場所にもなります。

 玉川上水に生える多種多様な植物が多様な昆虫を育むおかげで、それらを餌とする野鳥が集まります。また、エノキ・ムクノキ・ミズキ・サクラ類・ケヤキ・ナラ類・エゴノキなどの樹木は野鳥が好む実をつけるので、ツグミ類・ハト類・ヤマガラ・ヒヨドリ・ムクドリなど木の実を食べる鳥が集まります。舗装されていない土の道には、地面を掘り返して虫を探すツグミ類や、地面に落ちた種子を食べるアオジ、シメなどが見られます。アオゲラは枯れ木をつついて昆虫を捕らえます。このように、少し気にかけてみると、共に暮らす野鳥の姿や声がそこにあります。

 生息する野鳥の種類や羽数から環境の変化・生物多様性の増減もわかります。かつては畑や藪のある広い環境が上水の周辺にはありました。そうした場所にはモズやジョウビタキがあちこちで見られたものですが、今ではごくわずかになってしまいました。これは、他の鳥でも同様で、玉川上水や道路の整備が行われる以前には、秋から冬にかけての上水沿いでウグイスの「チャッ、チャッ」という地鳴き声が20羽以上も聞かれましたし、シロハラ、アオジ、ルリビタキなど冬鳥の渡去前の囀りは格別で、春が来たことを告げてくれます。春の渡りの時期には、オオルリやキビタキ・センダイムシクイなど渡り途中の夏鳥たちが囀って、まるで山林のコーラスのように聞こえました。しかしながら、このような野鳥たちは最近めっきり少なくなってしまいました。囀りの聞かれる朝をいつまでも楽しみたいと思います。

 

これも以前に比べて減っていますが、シジュウカラやエナガなどの小鳥類は、初夏に巣立ったばかりの若鳥を安全な上水の茂みに連れてきます。家々にはさまれた緑道を歩いて観察していると、若鳥の入った群が間近に寄ってくることがあり楽しいものです。オシドリ夫婦が樹洞のある太い木で営巣場所を探していたこと、雑木林の下でイカルやシメの大群が採餌していたこと、屋敷林の茂みにコルリの囀りが、上水のせせらぎにミソサザイやキセキレイの囀りが響いたこと、こうした数々の出会いの思い出は私の宝物です。昔の玉川上水の状態に完全には戻れませんが、できうる限り自然を再生回復させて、後世の人々が恵みを受けるように、努めていきたいと思います。

 


ある看板

2021-04-28 07:09:26 | エッセー

大塚惠子

久我山に写真のような看板があります。道路問題があった頃からずっと掲げてあります。以前、町会長さんをなさっていた花屋さん(現在は薬屋さん)のビルの壁にあります。絵は画家の方が描かれました。私の好きな看板で、見るたびに、考えさせられ、戒めにしています。

 


三鷹で一番高い山

2021-04-08 17:17:29 | エッセー

三鷹で一番高い山

加藤嘉六

 2003年から玉川上水の写真を撮り始めましたが、最初に撮った水路の中の写真だけでは枚数が足らないと思い、玉川上水や分水の周りの古い農家や畑、屋敷林を撮ろうと狙いを定め、流域を探し回りました。そんな中で出会ったのが、三鷹で一番高い山裾にあった16代続くという農家の大きな屋敷でした。

 その屋敷の裏山には、写真のエノキの大木と根本には個人が持つには立派な造りの鳥居と稲荷がありました。

その後この裏山の頂き付近から撮ったものが次の写真で、絶好のチャンス待つために何度か通った記憶があります。15年ほど前の初冬のうっすらと朝焼けした空に、後方の白く冠雪した富士山。手前に丁度富士山のような三角形の形をした、どっしりとした瓦屋根を持つ、白い壁の農家の佇まいが印象的な風景でした。

 都会とは思えない里山の風景に出会えたと思いました。この場所に、半年ほど前にも近くまで行きましたので確かめましたが、今でも変わらずに保たれていました。私にとってはいつまでも残って欲しい風景です。

 ところで、この辺りは玉川上水でも特殊な場所になります。玉川上水は、太宰治入水体発見場所に近い新橋辺りから、左岸の先の神田川の低地を避けるために右へ左へと蛇行します。そして右岸には小高い山が現れます。一つ目の(下層に下末吉ローム)山です。ここは昔から法面の崩れが見られ、修復工事をしない所を探すのが難しいほどです。

 山の斜面を流れ下った雨水が玉川上水に流れ込むために法面が崩れるのではないかと思います。左岸は南側が高いのと、樹木が繁っているために光があたらず、霜などの影響で崩れ易くなったのではないかと思っています。そしてその先が上記した三鷹で一番高い山で、2つ目の下末吉ローム土を持つ山です。

 この二つの山の成り立ちを説明するには、武蔵野台地(北は荒川、南は多摩川)の成り立ちを説明しなければなりません。武蔵野台地は200万年前から7万年位前までは浅い海でした。西の奥多摩山地から流出した礫や砂が海に堆積し、土台となる上総層(神田川椿山荘前で見ることが出来る)が造られ、氷河の発達により海面の低下、陸化して、西は高く、東は低い扇状地が形成されました。武蔵野台地で一番高い狭山丘陵は50万年前からの富士山や、箱根火山、八ヶ岳などの噴火により、その灰が積もった多摩ロームと呼ばれる層に6万年前の武蔵野ロームや2万年前の立川ロームが積み重なって出来ています。同じように他地区も火山灰が降灰しましたが、扇状地を流れる古多摩川が堆積したローム土を流し去ってしまいました。ここでは下末吉ローム(12~13万年前)と呼ばれる火山灰の上に武蔵野ローム、立川ロームがその上に重なっています。古多摩川の流路の変化が影響していると言われています。

* * *

 タイトルを「三鷹で一番高い山」としましたが、「そんなところがあったかなー」という感じる人が多いと思います。ただ、西に見える日本一の富士山を眺めながら、畑仕事や日々の暮らし、季節や時代の変化を感じながら、16代も住み続けることが出来たということは、得難い住みやすい場所だったのだと思います。