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すきゃったどろわーず

「ひきだしバラバラ」~mici_konによる、美術展レビューとか音楽や身辺雑記です。

本牧埠頭へ

2015-11-22 11:28:24 | 海へ
今年最後の3連休初日に、お船の見学に行ってまいりました。
海洋研究開発機構 JAMSTECが擁する地球深部探査船「ちきゅう」です。
これはとても貴重な機会。

横浜市のイベントの一環、また船の誕生10周年で行われたものですが、
3日で申し込み定員に達したそうです。市の広報誌を真面目に読むと良い事がありますネ。


暑いくらいの良いお天気でした。風もあり雲の形が面白かった。
大きな船の真ん中に、海底まで到達した後さらに深く深く掘削できる設備がある船です。


地質のみならず、海底の地層に含まれる古生物の化石、嫌気性のバクテリア、いろいろな研究に大活躍しています。

これはサンプルですが、掘削したサンプル(コア)の中でも「奇跡のコア」と呼ばれているものです。
南海トラフを調査した時にピンポイントでヒットした、プレートの沈み込み現場の地層を示しています。
巨大地震発生のメカニズムを知ることで、備えになる手掛かりがつかめていくのでしょう。

さすがに中央のやぐら(デリック)周辺へは立ち入りが出来ませんでしたので遠目に撮影。
数々のワイヤーやパイプが配置され、「工場萌え」属性の方々にとってはたまらない「用の美」ですね。

青空に素敵な雲、そして船の設備、デザインとしてもなかなかに素敵な図でした。

大きな船で上下移動(もちろん階段)を含めると、とっても沢山歩きました。良い運動。
老若男女大勢の見学客でにぎわう本牧ふ頭でありました。

※ ※ ※ ※
JAMSTECつながりで、録画しためておいたWOWOWのドラマ
『海に降る』を観はじめました。
こちらには「しんかい6500」と「よこすか」が登場します。

実は出かけていた

2013-11-07 21:49:17 | 海へ
先週、小学生相手に仕事中、テキストの挿絵にあった恐ろしげな魚の画像。
(多分ウツボだね)

「何これコワイ顔~。」という生徒に、
「実はね~。先生こんな魚が一杯展示されてる展覧会行ったんだよー。」と脱線。

あまりに遅いご報告ですが、会期も終盤になって、出かけていました「深海」展@国立科学博物館。
夏休み終了後の平日ではありましたけれども、結構な混雑っぷりでした。

「ダイオウイカの実物見ちゃった。」と話したら、
「あたしも行ったよそれ。」と答える生徒一名、
「最近なんか巨大ダンゴ虫みたいな深海の生き物がはやってるんだよね。
 ぬいぐるみなんかもあるんだよね。」と答える別の生徒一名。

ドキッ・・・!
君が指摘した深海生物は、おそらくはダイオウグソクムシだな。
実は「深海」展ミュージアムショップでそのぬいぐるみ買いかけた良い大人がここに一人。
(結局は手ぬぐいにしておきました)
画像や動画で検索すると、不思議ワールドに出かける事ができます。

観客層はそれこそオールエイジ。
大学生らしき一団、若いカップル、孫を連れたご年配の方、老夫婦、
小さな子供連れのお母さんなど、まんべんなくいらしてました。

特徴的だと思ったのは、それぞれの展示物の前で皆さん語る語る語る。
それも楽しげに。

見せ方が上手で、実際の生物の標本・潜水艇から撮影したその生物の生きている姿、
パネルでの説明、ものによっては実物大の精巧な模型(ホルマリン漬けダイオウイカの上にぶら下がってた)
などなど、目線の高さにかかわらず楽しめる作りになっておりました。

潜水艇の模型や、日本が誇る探査船「ちきゅう」の説明展示(これが良かった!)、
小中学生の頃にこの展覧会に出会っていたら、根性出して理系に進んでいたのになあ。
いやぁ、JAMSTEC(独立行政法人 海洋研究開発機構)でお仕事してみたかったなあ。
なんて思ったりもしちゃいました。
ちなみに「ちきゅう」様は、海底下7000メートルの掘削能力を持っておられます。
地殻ぶち抜いて、マントルまで届くよね。

子どもの頃興味を持って色々と仕入れた海の世界の知識に、ン十年分の新発見+新学説の知識が加わって
とってもとっても楽しい展示物の数々でありました。

総帆展帆

2009-07-22 23:34:44 | 海へ
20日の「海の日」に、一番ふさわしい場所へ行きました。
ふたたびの大さん橋。
2隻の帆船が全てのセイル(帆)を広げて迎えてくれました。

遅めに出かけたのである程度の覚悟はしていましたが、
大変な人出でした。
一般公開の時と同じで年齢層はまんべんなく、
そして、本格的なカメラを抱えた人が多かったです。

地球上で一番美しい乗り物ではなかろうか?
間近に仰ぎ見る、軽く風をはらんだ真っ白な帆の数々と、
ムダの一つもなく配置された索具(ロープとか滑車とか)にしばし見惚れます。

お天気を心配しましたが、私が現地に着いた午後2時前後は、
青空と太陽が顔を見せてくれて(ラッキー!)
木漏れ日ならぬ、帆漏れ日(決して発音してはなりません)が素敵でした。
風も丁度良い強さ。

船尾にかけられた大きな日章旗が、青空をバックにとっても綺麗でした。
デザイン的には完璧に近い国旗だと思います。シンプルイズベスト。

デッキの上では、作業用の白いつなぎを着た練習生たちが、
忙しそうに立ち働いたり、作業を終えてホッとした様子を見せてたりでした。
お疲れ様~。素晴らしいものを見せてくれてありがとう。
(マストに登って作業をする人には、見学者たちから拍手が起こっていました)

ランドマークタワーそばの「初代・日本丸」では、
登しょう礼(帆桁に登って整列→「ごきげんよう」3唱)も行われたのですが、
そっちに回る元気が無かったのでまた次の機会に。

帰り道、赤レンガ倉庫の向うに小さく「初代さん」の総帆展帆が見えました。

大さん橋って、陸側を見渡すと
「横浜三塔」が一望できるポイントなんですヨ。

海王丸と日本丸

2009-07-20 21:24:45 | 海へ
大さん橋で公開された2隻の帆船。
2500トン級の帆船の「縦列駐車」(違う・・・)って、
そうそう拝めるものではありません。

一般公開もしてくれるのなら、これは観に出かけなくちゃ!

午後一番の観覧開始より30分ほど前に現地到着。
みなとみらい線の「日本大通り駅」から少し歩きました。
開港広場のスクランブル交差点まで来ると、もうフォア・マストが見えるよ。

蒸し暑い日でした。
立っているだけで汗がにじんでくる中、我慢強く待つこと30分弱、
年配の方、若いカップル、親子連れと
様々な年齢層の人たちが「どっちを先に観ようかな」とワクワク状態。

私は、迷わず「海王丸が先!」。
小学生の頃(まだ11歳かそこら)、雑誌で見たその優美な姿に一目ぼれ、
(多岐にわたって惚れっぽいヤツです)
いつか乗ってみたいと憧れるものの、1970年代には、練習帆船に関係ある学校には
女子の受験資格がまだ無かったんです。

まさか実際に乗れる日がやって来るとは・・・

元気の良い挨拶で出迎えてくれる訓練生の皆さんに「お邪魔します」と挨拶し、
よく磨かれたデッキを、時折上を見上げながら歩きました。
複雑に交錯する索具、コンパクトにまとまった装備。
何百年もかけて改良され、守られてきた知恵の結晶ですね。

フォーマルな制服の訓練生の他に、黄色い帽子に白いつなぎの作業服の人たちも。
「どんな時にこれを着るんですか?」と尋ねたら、
「上に登ったり、作業をする時です」と元気の良い返事。
(次に訪れた日本丸のデッキでは、この格好の数人の訓練生が、
半分に割ったヤシノミで「甲板磨き」のデモンストレーションをやってました。)
みんないい色に日焼けしてるなあ。

船室の見学もさせていただきましたが、
食堂を兼ねた「大教室」では、ブルーの作業着姿の20名くらいの若者たちが
坐学の講義を受けているところでした。
士官室に飾られた陶器の壺の周りが、木製のストッパーでガードされているのを見たときには、
外洋や荒天の中を公開するときはやはり相当揺れるんだろうなあと実感。

嬉しかったのは、どちらの船にも女性の訓練生が2~3人乗り組んでいた事。
皆さん頑張って、頼りになる海のエキスパートになってね。
やはり、日本にとって海運って大事だと思うので。

関連サイト「独立行政法人 航海訓練所」
→ www.kohkun.go.jp/

「独立行政法人を全部廃止するもんね!」と主張なさってる
某民酒党さんが天下をお取りになったら、
この練習船たちや訓練生たちはどうなってしまうの?

「白鳥」と「貴婦人」

2009-07-06 10:56:09 | 海へ
7月20日の「海の日」と、横浜港開港150周年イベントのコラボ企画です。
帆船3隻が、いっせいに総帆展帆(すべての帆を広げること)します。
行かない理由は、一ミリも無い。

「太平洋の白鳥」と呼ばれる日本丸(二代目です)と、
「海の貴婦人」と称えられる海王丸(たしかこっちも二代目)が
横浜港に揃います。(@大さん橋)

みなとみらい地区、ランドマークタワー脇のメモリアルパークの
初代・日本丸も参加します。

総帆展帆の時間は、
日本丸、海王丸   13時~16時 大さん橋(みなとみらい線 日本大通り駅下車)
初代・日本丸 10時30分~16時 日本丸メモリアルパーク(桜木町駅下車)

これに先立って、7月18日(土)には、10時~16時に大さん橋で、
日本丸・海王丸一般公開も予定されています。

詳しくは「海フェスタよこはま」公式サイトでどうぞ
→ www.umifesta2009.jp/senpaku_koukai.html

子どもの頃、海王丸の優美な姿に憧れていた身としては、
クルーとしての乗船こそかなわなかったものの、見学だけでも嬉しいです。
数日前にBSで映画『マスター&コマンダー』(18世紀英国海軍帆船のお話)を
見ていることも、出かけたい気持ちに拍車をかけてます。

海王丸、数年前に(確か富山港あたりだったか)荒天で大きく破損していたはずです。
すっかり修復なって、こうしてイベントに参加してくれるのは、ありがたい。

公式サイトを見ると詳細がわかりますが、この「海フェスタ」
砕氷艦「しらせ」(二代目)、気象観測船「凌風丸」、学術研究船「淡青丸」、
どちらが来るかまだ未定だけど海自の護衛艦などなど、
フネに興味のある人には感涙モノの充実度であります。

大変な事も多い日々を過ごしてますが、良い「燃料補給」にできそうです。


海の日に

2008-07-22 19:59:25 | 海へ
昨日は「海の日」ということで、WOWOWがサーフィン関連の番組を
立て続けに流してました。
朝からバックグラウンド映像として、映画「ビッグ・ウェンズデー」を見た後、
そのままリモコンをいじらずに何となく「日本サーフィン伝説」というドキュメンタリーに。
(べ、別に進行役の坂口憲二クン目当てではないんだからね)

番組サイト→ www.wowow.co.jp/documentary/surfing/

もしかするとと思った人たちが出ていて嬉しかったです。
まだまだアメリカが遠い憧れの地だった1950年代から70年代にかけて、
日本のサーフィンの草分けとして活躍した ”レジェントサーファー”の皆さん。

特に、川井幹雄さんとドジ井坂さん。
ご高名は、小学生の頃から存じ上げておりました。(ミニバスやってた頃ね)
陸サーファーですらなかった自分が何故?
あの当時は、まったく別世界と認識した上で、マリンスポーツ雑誌を愛読していたんです実は。

お二人とも今年で還暦なんですね。
でも若いや。
マリンスポーツするオヤジさま達って、幾つになっても少年の如く生き生きしてます。

「ノースショアで15フィートの波に乗った」等の記事以外で、動いて話しているお二方の姿を見られたのは幸いでした。

参考までに・・・

川井さんのサイト → www.kawai-surf.com/index.html

井坂さんのサイト → www.beachschool.com/profile/index.php

「スポーツとしてだけではなく、アメリカでいわゆる”カウンターカルチャー”と
結びついて、文化として根付いて行き、それが日本にも伝わった」切り口の説明の中で流れた左利きのギタリスト映像。(ウッドストックだな)

サーフィン番組であなたのお顔を拝むとは予想外でした。ジミヘン様。

もうひとつ、しみじみ思ったのは、
日本人のDNAに刻印されていると思われる、モノつくりへのセンスと情熱。

雑誌で写真を見ただけのサーフボードを自分たちだけで再現しようと、
ベニヤ板を貼り合わせたり、バルサの角材をつなぎ合わせたり試行錯誤。
駐留アメリカ軍人やその家族に熱心に質問したり、アメリカまで武者修行に出かけたり、

そしてついには、世界トップレベルのボードを作るようになってしまったエピソードに素直に感嘆しました。

きっと、種子島にもたらされた火縄銃を量産・改良した時も、そんな風にやったんだろうな。
ちょっと連想が飛びすぎたかもです。(笑)


幸せの星

2007-06-17 15:57:12 | 海へ
ハワイ語で、↑この意味を持つ名前を持つ、古代式の航海カヌー、
「ホクレア号」を見に、木曜日に横浜港へ行ってきました。

みなとみらい地区、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルと
パシフィコ横浜国立大ホールの間を抜けて海に下りていくとある
「ぷかり桟橋」。
観光船シーバス乗り場があります。

降りていく階段周辺には、大勢の絵描きさんたちが陣取ってスケッチに勤しんでらっしゃいます。
遠くにベイブリッジを望む、レトロ調の建物とウッドデッキ、確かに絵になるわ。
(私にとっての”萌え”ポイントは、右手に見える海保の基地だったりしますが)

2本マストに鯉のぼりをなびかせたあのフネだな。
赤土色の帆はたたんであります。
想像通りと云うか、本当にあまり大きくない。全長約19メートル。
これで太平洋の荒波を超えて来たのか。

双胴船(カタマラン)です。
もう一度関連サイトをご紹介します。画像やプロフィールはこちらに詳しいです。

☆「ホクレア号が横浜にやってくる」(ヨコハマ・シーサイドフェスティバル協議会のサイト)
→ www.yokohama-seafes.com/hokulea2007/

☆「ホクレア号航海ブログ(日本語)」→ ttp://hokulea.aloha-street.com/
横浜に到着するまで、日本各地に寄港してきたこのフネのクルー
(ハワイ語で”オハナ”と表現されています。「身内」「家族」のニュアンス?)
が経験した「いい話」がいろいろと読めます。

歴史は古く、1976年にハワイからタヒチへ赴いたのが初航海だとか。
星や太陽を頼りに航海する、「スターナビゲーション」で太平洋を往来した
古代ポリネシア人の起源と拡散の科学的立証を主な目的に建造され、
今ではポリネシア文化とアイデンティティ復興の象徴でもあるフネです。

明治初期、開国直後の日本を訪れた当時まだ独立国だったハワイの
カラカウア王が最初の一歩を記した地、横浜へようこそ。
二つある船首には、歓迎式典で掛けられたとおぼしき花輪が飾ってあり、
一段低いデッキでは、「キャプテンサンタ」のキャラが抜け出してきたような
白いおひげのオジサマが何か繕い物をしていたり、ハワイアンのお兄さんが
彫刻をつくっていたりしました。

長い航海の疲れをゆっくり癒してくださいネ。
日本文化の深層には、よく探してみると太平洋の島々の文化に通ずるものが
たくさん流れているような気がします。
沖縄方面にはそれが表に出て強く残っていると思う。

今の世界、一見幾つかの文明、考え方に分断されているようにも思えますが、
ホクレア号のモットー”One Ocean, One People”にあるように、
繋がっているもの、共有できるものもまた多いはず。
そちらの方にいかに目を向けることが出来るかが、人間と云う種のサバイバルに
大きく関わってくるように思います。

話がデカくなってきたのでこの辺りで。(しらふですよ~)
結局は俗人なので、今晩の大河ドラマ・ヴィジュアル系上杉謙信のお姿を
繰り返し見るべく、録画予約をしようと思います。(笑)

逢いに行きたいフネ

2007-06-12 14:19:16 | 海へ
今、横浜港にハワイからのお客さんが停泊中です。
で、日曜日には帰路に付いてしまう。

「ホクレア号」という、古代ポリネシアからの伝統的な大型カヌー。
星を頼りに、風と波と海流をたどって太平洋を縦横無尽に往来していた
偉大な航海者たちの知恵を現代に生かそうと立ち上げられたプロジェクトのようです。

カリフォルニアやハワイの海岸に立って何度か想いました。
「この波の向うには、千葉県とか高知県があるんだよなぁ。」
想像も付かないくらい遠くに感じたその距離を、ごくごくシンプルな手段で実際やって来たフネを、この目で見たい。

この前、修理も無事終わった「海王丸」(数年前の富山での無残な壊れ方が嘘のよう)が来た時には、
そこまで「見たい」気持ちが盛り上がらなかったのに、
(先代の海王丸は、子どもの頃初めて惚れたフネです)
今回は、どうしても観たい。乗船体験もやってるらしいから、あわよくば乗りたい。
これも今週中に根性出して足を運ぶか。

横浜寄港関連イベントその他の情報はこちら → www.yokohama-seafes.com/hokulea2007/

ついでに、日本語による航海ブログ → ttp://hokulea.aloha-street.com/

さすがハワイ州観光局、日本語コンテンツ充実です。
英語のページに切り替えてお勉強もできますよ。

仕事のスケジュール上今回は無理みたいですが、オットーを引っ張って行きたいものです。
あのヒトのDNAの何割かは、黒潮に乗ってドンブラコッコと日本列島にやって来たに違いないと踏んでおりますので。(笑)

十年モノの「RED DIRT」(ハワイの泥染め)シャツを着ていこうっと。

海の合図

2006-07-27 19:41:23 | 海へ
小学5年か6年の頃。(だから記憶もあちこちあやふや)
昨日変更したばかりの、ここの背景・海のテンプレートみたいな美しく青い表紙に惹かれて、
一冊の本を買いました。

タイトル『遥かなる青い海』(原題 ”OCEANO”)
イタリアの映画監督、フォルコ・クィリチが、その頃撮影した映画の、今で言うメイキング本・・・だったような。
手元にも実家にも現物がもう無いのでこの程度しか記せませんが。

珊瑚礁で出来ている為、土が乏しいポリネシアのある島から、一人の少年(名前はタナイ←よく出てきたな)が、
一握りの土を求めて、アウトリガー付きのカヌーで旅立つ話です。
大人になった今考えると、これはある種のファンタジーですが、
『チコと鮫』という作品で高名な監督は、ブルー基調の美しい作品を作り上げたとか。
大画面で見てみたかったです。

この本の最初に掲げられていたのが、タイトルにある「海の合図」という長編詩の一節でした。
それが子供心にたいそう印象が強かったので、今でも記憶ファイルから引き出せます。

おお、海よ 光にあふれ
海よ 美しさのきわみ
我らは その光輝に胸うたれ
深き魂にひざまずく
岸辺は 波に洗われ
櫂に鞭打たれようとも
光に満ち・・・

フランスの詩人、サン・ジョン・ペルスの作品です。
英語題が ”Seamarks”、フランス語題が、多分 ”Amers”
確認の為検索してみたけれど、あまり情報が無かったです。
5行目、6行目があやふやなのですが、この方の和訳の詩集も現在入手困難みたいで、
記憶が唯一の手がかりになりました。(誰が訳したかも覚えていない)
少しだけ、ボードレールの「人と海」に通ずるカホリがしますね。

この詩人、本業は外交官だったそうです。
フランスには、文学と政治を両立させる人がしばしば現れますね。(尊敬)

全くの偶然で、学生時代、図書館でこの作品の英仏対訳本を見つけたので、
該当箇所の前後をしっかり保存しておりますが、
日々のバタバタのうちに完全に本棚の中に埋没状態です。
余裕が出たら、辞書を引き引きチャレンジしてみたいのですが、いつになるんだろ?

夏!を感じさせる陽気になると思い出すポエムネタでした。

ふたりのジャック

2006-07-07 16:59:41 | 海へ
今週2日出たバイトつながりで、図書館で探した写真絵本。
「ラッコ」の絵本だったけど、クストーの名前が冠してあった。
可愛くて不思議なラッコの生態を、写真を通して子どもにも興味が持てるように紹介した絵本。
彼のトレードマークだった赤いニット帽の写真も載っていて、ちょっと胸に迫るものがあった。

私が一番尊敬するフランス人、
それが、ジャック・イブ・クストー氏(1910~1997)
フランス海軍出身で後にモナコの海洋博物館長に就任し、世界各地を巡って
海の生き物に関する記録映画を撮り続けた人です。
ドキュメント映画『沈黙の世界』はあまりにも有名ですし、
スキューバを考案した一人でもあります。

人間の行動範囲を海の方向にグーンと拡げた人。
また、人の活動により汚染され収奪される海を現場から憂えて、
環境問題の活動でも功績の高かった人。
小学生の頃、テレビで定期的に放送されていた「カリプソ号」の海洋観察フィルムは、
海への関心と憧れを子供心に植えつけてくれた。
(そのあと、ダメ押しでアニメ『海のトリトン』にハマるのですが・・・汗)

天に召された後も、彼の遺志を継ぐ財団(協会かな?)が存在します。
公式サイト → www.cousteau.org/

飄々とした、哲学者のような、はたまた皇帝ペンギンのように威厳に満ちた
在りし日のジャック(馴れ馴れしくてパルドン!)に会えます。


もうひとり、海に魅せられたフランス人 ジャック。

映画『グラン・ブルー』で一般に名前が知れ渡った
ジャック・マイヨール(1927~2001)
器材を使わずに深海に潜る、フリーダイビングの伝説的先駆者ですね。

この方は、「魔都」時代の上海に生まれ、10歳の時
休暇で訪れていた日本(佐賀県唐津市七ツ釜)で初めてイルカと出会い、
その後の人生の、決定的な影響を受けたそうです。
私はダイビングをやらないのですが、彼がイルカと出会った場所は
良く知っているところなので、なんだか不思議な親近感を覚えてしまう。

この方の公式サイトもあるのでご紹介
→ www.jacques-mayol.net/

まだまだ工事中の所も多いけれど、日本語コンテンツがあるので嬉しい。
日本にも浅からぬ縁のあった方の面影を、時々追いに行こうと思います。


先週末、湘南の潮風に吹かれてきたためか、今日の天気がトロピカルな湿度だからか、海ネタでした。