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すきゃったどろわーず

「ひきだしバラバラ」~mici_konによる、美術展レビューとか音楽や身辺雑記です。

記念展

2010-09-26 09:05:31 | つくばクロニクル(順不同)
つくば博25周年記念の展示を、「つくばエキスポセンター」でやっていたらしいですね。
サイトへ行ってみたら、常設展示もあるようです。

大量の「コスモ星丸」(激しく懐かしいぞ)とか、コンパニオンのユニフォームとか
どこに保存してあったんでしょう?

実は、つくばエキスポセンターは、当時からあって、会場の一つだったのですけれど、
自慢じゃないが一度も足を運んだ事がありませんでした。
だって、忙しかったんだもん。
その上、開幕後はつくばエリアから宿舎が移動しちゃってたんだもん。

「ファミコン」が発売された年でもあったのかな?1985年。
ネット上で読める記事には必ずファミコンにも触れてありました。

あの年の9月最終週は、会期も終了し、会場担当のコンパニオンさんたちが一斉にフリーになったのを横目に、
(チームごとに記念旅行に出ていた方が多かったです)
協会本部のオフィスに通い続けながら、地味~に残務整理しておりました。
ともかく、経理を〆なきゃならない。

オフィス撤収の引っ越しまでやったぞ!
中堅どころの男性陣がいかにアテにならないか身にしみたなあ。
(彼らは次の身の振り方で頭がいっぱい)
いろいろあって、ある意味失うものが無かったワタクシは、
ただ悔いなくつくばを去れる事を第一義に動いておりました。

それにしても!
机にかじりついて3つくらいの事を同時に転がしている最中に、
「お疲れ休暇」を過ごしている最中の上高地のホテルから電話してきて、
「自宅のある大阪までの新幹線切符手配しろ」には心底腹が立ちましたぞ。
(自分の所属する会社の社員でした。協会職員さんではない)

あの一週間を耐えたごほうびか、
東京のオフィスに戻って、金庫を抱えて経理課に向かおうとエレベーターを降りたところで、
ボスとはち合わせて告げられた次の配属先が、とっても面白い部署だったことは
ラッキーでありました。

三つで千円

2010-08-07 20:58:56 | つくばクロニクル(順不同)
今夕のニュースで観たモスクワ映像。
マスクをしている人が多いのは、各地に広がる、酷暑による自然発火の山火事の煙が
首都にまで流れてきているからだそうです。
(自然発火による山火事って、カリフォルニア?)

何とか食い止めてほしいものです。雨が降るといいのに。
メドさんプーさん、そして現場の作業にあたる皆さん頑張れ!

ロシアから連想した話題です。
先週出かけたシャガール展、売店コーナーに絵ハガキや一筆箋と並んで
売られていたのがロシア産ジャムとハチミツ。

コケモモや黒スグリ、特産品ですね。
でも、お値段を見て思いました。
ああ、もうソ連じゃないんだなあ。社会主義から資本主義に変わったんだなあ。

ビンのサイズは、もちろん日本標準から行くと大瓶です。お徳用です。
それで各種だいたい900円台。

つくば博のソ連館売店で売ってたジャムとハチミツは、
このビンの2倍くらいの容量で、しかも「三つで千円」だったぞ~。
(実際どれくらいの人が買って帰ったんだろう?というカサと重さ)

あの頃の東西貿易(今や死語)って、バーター取引というか、
代金を現物で支払う事もままあったらしく、このジャム・ハチミツもその一環で
入って来たものではなかったろうかと想像します。
チェルノブイリ以前だったから、安全性もまず心配なかった。

猛暑の中、会場内で働くスタッフをバックアップする立場としては嬉しかったこのお値段。
毎日のように、コンパニオンさんたちを束ねる現場マネジャー達のために
レモンのハチミツ漬けを作っていた私は、数日おきに
「ちょっとソ連館行ってくるわ。」と云っては、レーニン像(入口にデーンとあった大きな頭部像)を
拝みに行ったものでした。ついでに串焼き肉「シャシーリク」のランチを食べたりして。
ちなみにレモンの方は、ダイエー筑波店の外商さんにお願いしておりました。

他に何があったかあまり覚えていないソ連館売店。
マトリョーシカとか、伝統模様の漆器はあったはず。
自分用に買った缶入りの紅茶の、ブルーの缶にキリル文字、どことなくシルクロードっぽいデザインが気に入って
そのあとしばらく小物入れに使っていたものです。
(ロシア語第二外国語選択の、オットーによれば「チャイ(お茶)」と大書されていたみたい)

ウルグアイのほうだった

2010-07-04 05:14:00 | つくばクロニクル(順不同)
つくば博に出展していたよね、ウルグアイかパラグアイのどっちかが・・・と
仕舞い込んでいた公式ガイドブックを引っ張り出してみた。

すぐに確認終了。
ウルグアイのほうでした~。

特別に科学技術関連の展示があったわけではないですが、
(外国館はそんなとこ多かったです。それぞれの国の得意分野優先)
確か、特産の羊毛を使ったセーターがたくさん置いてあったような記憶が。

会期中、サッカーの代表チームが会場を訪れて、
(ユースの代表だったように曖昧に思い出す)
素敵なハイテンションで風のように現れ、キャピキャピと盛り上がって
風のように去って行った話を、当日担当していたコンパニオンの日誌で読みました。

その中の誰かが、今南アフリカに居る現代表チームに帯同しているかも知れないですね。


ついでにパラパラ見返してみた公式ガイド。
ここで「未来の技術」として触れてある分野が、
25年たった今実際にどう展開しているか比較する読み方が面白そうと気付きました。

参加した国々も、ドイツは西ドイツだし、ソ連健在だし、まだ「ユーゴスラビア」館だし、
時の流れを感じます。

最後のついでに、アタクシこの本に、コンパニオンのふりして何箇所か
ユニフォーム姿の写真さらしております。
その経緯は、またいつか。

※ ※
ドイツ強かったですね~。WCサッカー。
クローゼ凄すぎる。

ここにきてブラジルとアルゼンチンが去ってしまうなんて想像つかなかった。

ドイツチームの黒ユニフォームのカッコよさに、
アディダスの本気を感じました。国旗から取った配色、デザインともに素晴らしい。

スペインvsパラグアイ戦はこのあとの放映でチェックします。

ジャラナ

2010-01-19 20:33:49 | つくばクロニクル(順不同)
えー、旅行雑誌名ではありません。(あれは『じゃらん』)

むかーし昔のことじゃった。
アタクシが学生時代には、航空会社が女子学生の就職人気ランキングの上位に必ず入っていて、
JAL・ANAをつづめて「ジャラナ」と呼ばれていたものじゃ。

つくば博の会場運営本部にも、サービス業方面から広く人材が集まっていて、
ジャラナからもいらっしゃってました。

会期も終わりが見えてきて、次の仕事を探さなきゃねというのが意識に登り始めたころには、
数名のジャラナおじさま方に、コネクションを模索する航空業界志望のコンパニオンさん達が、
手作りお弁当アタックをなさっていたのをフッと思い出した夕刻。

JAL、会社更生法申請ですか・・・
花形業界って移り変わるのねと改めて思います。
でも、現場って頑張ってると思うんですけれど。

外国のエアライン、アメリカの国内線(ほとんど「バス感覚」)と
少しでも乗り較べた事のある人なら、JALのサービスがいかに日本的な良さを持っているか
実感しているのでは?

弟Bの友人にJAL勤務の方がいて、昨年冬のボーナスがゼロだったと
あきらめながらも落ち込んでいたとの話も聞きましたが、
現場で働く人たちは、そんな条件下でも、お客から嫌味を言われても
笑顔でフライトを支えているんですよね。

一時に比べてそう頻繁に乗らなくなってしまっていますが、
我が家はこれからもひいきにさせていただきますよ。
さっそくだけど、春休み、ちょいと福岡往復。

数年後にはしっかり稼げる企業になっていてほしいと思います。
(ついでに、オットーの会社に対しても同じことを言いたいな)

水戸マイナス6度

2008-01-19 10:30:05 | つくばクロニクル(順不同)
寒いです。
昨日なんて、まるで冷蔵庫のようでしたね。

毎年呟いているような気がしますが、大学入試のセンター試験って
どうして寒さの底の時期にぶつかるのでしょう?

1984年から85年にかけての冬を思い出しちゃいました。
前にも書きましたが、筑波研究学園都市の一角に住んでいた数ヶ月は、
まさに寒さの底の時期。

博覧会協会借り上げのアパートの二階に陣取ってましたけど、
こんな風に冷えた日には、朝布団から出るのが一仕事(笑)。
だって畳がチルド加工されてるんだもん。

入社したばかりのペーペーちゃんには、ホットカーペットを持って行く余裕があるはずも無く、
仕方が無いので寝るときにも厚手の靴下を履く事で対応。

しかし、さすがに大平原つくばの放射冷却はあなどれず、
後で石油ストーブを買い込むことになります。

九州育ちだから、寒さには弱いのです。
この時期が一番ネガティブ気分に襲われやすかったなあ。

ある朝、その冬一番の冷え込みで、水戸がマイナス6度を記録した時ですが、
それまで経験したことの無い現象を目の当たりにしました。

起きてすぐ、お湯を沸かしてお茶や洗面(アンド暖房)に使っていたのですけれど、
ガスコンロに乗っけていたヤカンの中に、少しだけ残っていた水が

ざ ら め 氷 に な っ て ま し た

就寝中は暖房オフにしているとはいえ、まがりなりにも室内ですよ?
こんなのって、アリ?
それはもうカルチャーショック。

クラクラしそうになりながらトイレに入ると、洋式トイレの

水 面 が 凍 っ て る じ ゃ な い の さ !

ここまで来ると、脳内を支配する感情がショックから感動に切り替わります。
一応関東地方だよね。北海道とかもっと寒いよね。
北国で暮らす人たちを無条件で尊敬したくなりました。

この朝の体験がターニングポイントになって、
「この際だから状況を楽しんじゃえ」的な境地に入れたように思えます。

コンニチワ宇宙!

2007-06-10 14:51:55 | つくばクロニクル(順不同)
3月中旬に開幕し、半年間続く博覧会。
当然のことながら、夏を越します。
夏休みには入場者数もピークを迎えるはず。

表向きの華やかなイメージとは裏腹に、体力勝負の世界だった
協会コンパニオンの仕事。
「体力づくりは大事だ」ということで、研修が本格化する前にオリジナル体操を考案して
数回行われた研修の際や、会期中・仕事に入る前に続けて行こうと相成りました。

つくば博の正式名称は「国際科学技術博覧会」。
なので、サイエンステイストの曲と振り付けを・・・
両方とも、プロ・セミプロに依頼して、立派なレコード(CD本格普及前です)まで作っちゃいました。

コンパニオンさんたちの研修と会期中のマネジメントをアウトソーシングされてた
当時の私の勤務先には、総務部のオフィシャルバンドまであったのですが、
その中で一番歌の上手い人が主導して、なかなか素敵な曲が出来たのですよ。
タイトルが ”ハロー・ユニバース”。
レコードのジャケットは宇宙空間から見た地球の写真。

振り付けを担当なさったのは、某体育大学の先生。
女性ならではの、女性のための体力づくりを考慮した、かつ可愛らしい振り付けをしていただきました。

当時のペーペーOLの、素朴な疑問・・・これに一体いくら掛けたんだろう?
まあ、再三度外視のプロジェクトみたいな面もあったからなあ。

早番の人も遅番の人も、担当マネジャー共々に、お天気の許す限り
本部ビルのそばのスペースでこれをワンセットこなしてから勤務開始してました。
何かと珍しかったので、取材もチョコチョコ来ていましたよ。
遠いトコからは、マドリッドのテレビ局まで!

裏方の裏方だったワタクシも、便乗して可能な限り参加しておりました。
体を動かして、目を覚まして、スッキリした気分で勤務に就くのは良い気分でした。

歌っていた方は、やはりというか、サラリーマンはとっくにスピンアウトして、
今はご自分でビジネスをやっておられるようです。
検索したらサイトを発見しました。→ www.yuyake-shonen.com/index.html
東さんとおっしゃいますが、CMソングを何度か耳にしたことがあります。

麗しい南の島から

2007-06-06 16:56:07 | つくばクロニクル(順不同)
今、有名なお客様がいらしてますね。
東北地方を観光で回ってらっしゃる所でしょうか?
現役時代に重要な地位にあったので、いろいろとかまびすしい中何度も日本に来てくださっています。
梅雨入り前の日本の緑を堪能して行かれますように。

つくば博でも、この島出身のコンパニオンさんがいらっしゃいました。
かなりな名家のお嬢さんだったらしい。
他のコンパニオンさんより少し「お姉さん」だったのは、もともと留学生だったから。
他にも何例かあったんですが、留学期間中のこの一大イベントに参加するのを
またとない貴重な経験だと、本当にパワフルだったなあ、皆さん。

例えて云うなら太陽のようなお人柄で、同僚みんなから慕われていたその方、
会期中に、お身内に不幸があり、急遽実家に帰らなければならなくなりました。
悲しみと焦燥感の中、エアチケットを手配し、当座のお金を用意し、
早番終えたらその足で帰ろうとしていたまさにその日、
着替えてトイレに入ったときに、ハンドバッグを置き引きされてしまった!

チケットとお金が無いと、帰れないじゃないか。
(パスポートは肌身に着けてて無事だったぽい)

彼女の窮状を知った、その日出勤だった同僚たちの動きは素早かった。
そんな大切な帰国が出来ないなんて、日本の恥だ。
現場のマネジャーたちの間をトランシーバーで情報が巡り、(携帯の無い時代です)
あっという間に、彼女が失った金額を大きく超えるカンパが集まりました。
私も、躊躇無く二千円出した記憶があります。
当日「出」じゃなかったコンパニオンたちからは、その後数日間にわたってカンパが集まり続けました。
彼女が皆に尊敬されていた事と、同僚たちの心意気のなせる業でした。

無事に帰れた彼女の家族から、後日丁寧なお礼の手紙が協会本部に届きました。
たまたま郵便物整理をしていて私も拝見したのですが、
全て漢字で正確な意味は取れないけれど、とても喜んで感謝しておられることは
十分すぎるほど伝わって来ました。表意文字って便利ですね。
あちらの新聞にも記事が載ったとのことです。

人望厚かった彼女、きっと今頃は重要なお仕事を何かなさっているはず。
この時期になると思い出す、ちょっといい話でした。

気分は「ドナドナ」

2006-12-04 17:15:10 | つくばクロニクル(順不同)
1984年の、丁度今頃でした。
現在のつくば市(当時はまだ谷田部町だったかな?)にある
単身者用アパートにお引越ししたのは。

翌年の春に開幕を控え、ぞくぞくと関係者が現地に転居していた頃です。
その一環で、勤務先の会社からの第一陣として。

大学4年になる時に、新たに上京していた弟と、2部屋あるアパートをシェアしていたため、
自分の荷物だけ運んでの赴任でした。

荷物といってもたいした物はありません。
置いていかなきゃならないものが多く、とりあえずは布団と着替え、
身の回りの細々としたものに、冬に向かうということで
これだけは新たに買った小さなコタツ。

主任クラスの先輩は、「ホットカーペットがあるといいよ」とアドバイスしてくれたものの、
炊飯器買わなきゃならなかったので、ペーペーは遠慮せざるを得ませんでした。

会社差し向けの引越しやサンの2トントラックが、杉並区にあったアパートまで来てくれましたが、
荷台はスカスカに空いてました。
ドライバーのお兄さんもちょっと拍子抜けした表情。

荷物を送り出してその足で電車で移動し、赴任地のアパート開けて待つには
時間的にちょっと厳しかったので、(常磐線の駅からがやたらに不便だった)
「悪いけど横に乗っけてってくれますか?」と図々しいお願い。

土曜日だったかな?
混雑する環状7号、水戸街道(R6)をタラタラと走って、目指すはつくば。
柏あたりのマックでハンバーガーを買い込み、ドライバーさんにもおごったなー。

この兄さん、どうも「元ゾク」だったっぽくて、パトカーを見るとやけに
反応が面白かったです。あからさまに嫌がってました。(笑)
「へえ~、アタマ張ってたんだ~。」などと、それまでの交友関係では出来なかったお話を楽しめました。

一年で一番日が短い12月初め、穏やかに晴れた日でしたが、
午後2時を回る頃には早くも夕陽の雰囲気をまといはじめる陽射しに、
脳内で「ドナドナ」が鳴りはじめたのです。
市場に売られていく子牛の気分?

茨城県に入り、空の広さと空気の澄んでいる事に改めて感心しながら、
搬出同様に、やたらと短時間で終わる搬入を終えたのでありました。
この後、つくば博終了後の9月後半まで、朝に夕に筑波山を眺める日々が始まりました。

この時入居したつくばのアパートからは、3ヶ月ほどで移動し、
コンパニオンの皆さんと同じ場所、埼玉県の三郷団地の一角にねぐらを移すことになります。
それを知った上での赴任でしたから、引越しやサンのダンボールを
カラーボックスのように組み合わせて収納家具にしておりました。
どうせ寝に帰るだけだったし・・・

まるで、「宇宙探偵コゴロー」(@ケロロ軍曹)みたいだったな(笑)

照り返し

2006-07-16 21:03:16 | つくばクロニクル(順不同)
この前書いた、UV対策の講演内容の補足の部分もありますが、
ここ数日、関東地方の暑さって尋常ではないですね~。

日が射している時間帯に外へ出ると、照り返しのきつい事!
日焼け止めでバッチリ防御しているつもりでも、少しずつ焼けてくる気分。

つくば博会場は、アスファルトの路面だったので、過酷な照り返し環境でした。
開幕した3月当初は、皆寒さに震えながらの勤務だったのに、ゴールデンウィークの頃から現れた厳しい暑さの日。
協会コンパニオンは、パビリオン内だけではなくて、ローテーションで会場内各所を担当したので、
暑い日にパトロールが入ったり、移動中にはかなり強い紫外線にさらされました。

案内所やゲートといった、屋根のある場所でも、油断が出来ない照り返し。

ここで、講演資料の受け売りをば・・・

=紫外線の反射率=
 
・芝生-----------1~2%
・コンクリート---5~6%(もっとあったような実感がありますが)
・乾燥した砂-----15~20%
・水面-----------10~100%(ひえぇ~~!)
・雪-------------80~95%

だそうです。

また、曇っていても晴れた日の6割強も紫外線は降り注いでいるとか、
雨の日でも2割は来ている、とか、夏の行楽シーズン前に知っておいて良かったよ。

研修中にS生堂の美容研修を受けたコンパニオンの皆さん、
当然のことながら日焼け止めを塗って勤務してましたが、上記のような理由で、
会期が進むほどに少しずついい色になって行きました。

でもね、押さえた色味のユニフォームとピンク系の口紅が、健康的な肌色に映えて、とってもキレイでしたよvv

この夏、野外のライブやイベント、ビーチやテーマパークなどへ出かける予定のある皆様
是非是非UV対策と暑さ対策をばっちりキメてくださいませね。

空の彼方へ

2006-06-17 22:39:22 | つくばクロニクル(順不同)
つくば博、サントリー館で上映されていた映像のタイトルです。
IMAX方式の(詳しくは知らないが何だか凄いらしい)ド迫力映像でありました。
サントリーは、野鳥保護にも力を入れている会社なので、渡り鳥をテーマにした作品でした。
英語タイトルが、”Skyward”
20分くらいの長さでした。

前の更新で紹介した海辺の公園にも、秋になるとこの映像に出てくるカナダグースが顔を出しました。
モノトーンの、お洒落な模様をした、かなりデカイ鳥たち。
いくつもの群れが、しばらく羽根を休めては、飛び立っていきました。

何で急に思い出したかと云うと、10日ほど前に、NHKのBS-2で、
『WATARIDORI』という、雰囲気のよく似た映画を観たからです。
(こちらは、フランスの映画。監督も違います)

『空の彼方へ』の方が古いですが、両作品に共通しているのが、
鳥たちに手を伸ばせば触れるくらいに近くから撮影した点。
コンラート・ローレンツ博士の「刷り込み」理論をもとに、
何と卵からかえして、鳥たちを慣らし、
超軽量飛行機で伴走(翔?)して撮ったという労作です。

鳥の羽音、翼が起す風まで感じられそうな映像がとても好きで、
非番の時間を縫って何度も観に出かけました。
1985年当時、まだ珍しかったハーゲンダッツアイスを扱っている売店ももちろんチェック!

『WATARIDORI』は、BGM的に流しながら片付け物でもしようと思って観始めたら、
ついつい引き込まれて2時間たっぷりテレビの前から動けなかったです。
移動距離3000キロ、4000キロは当たり前、
キョクアジサシという鳥なんて、20000キロですって!つまり地球半周分。
そこいらのヒヨドリやムクドリくらいの小さな体で・・・尊敬してしまいます。
インドのガンジス平原からヒマラヤを越えて中央アジアに渡る鳥まで居るよ!
こちらは、垂直移動のチャンピオンですね。

ところどころに、演出のニオイというか、やや「狙ったね」というモノも感じましたが、
素直にひきつけられる作品でした。
『DEEP BLUE』に通ずる労作だと思います。