●と、思わせてしまうくらい丁寧な演出が光る「鈴木先生」の3話をちゃんとテレビで見た。
・はっはっは。やってるじゃないかテレビ愛知でも。何を見落としていたんだオレは?
・OPの眼鏡リレーにwktkしながら反省する。こういうOPは好きだ。単にスタイリッシュでなく、画に意味がある。最後にカラーボールで先生を汚すのが小川っていうのも頷ける。
●その小川に対する妄想で1話、2話と終わってしまうので、そんなネタ扱いしちゃったらだたの変態教師に見えてしまうだろーと危惧する、実際知り合いに
「あれじゃだたの変態じゃん」
と言われて何も言い返せなかったぜ(笑)
・「普通の人間である」教師が【聖職者】として生きようとする苦悩の象徴の一つとして、原作でも妄想は描かれているが、実際、【現実の現場】で理想と現実のギャップに打ちひしがれているところに【理想の中学生】がぴょこっと現れちゃったら、誰でもグラっとくるわな。
・っていうところが、どうにもうまく描ききれていないような気がするけども、同時に、「ああ、コレが映像の力なんだろうな」とも思ったりする。理論/理屈より先に脳裏に焼き付いてしまう。おそろしや。
・小川をスペシャルファクターと称する鈴木先生の在り方そのものが【普通の人間】である教師には充分スペシャルファクターだっつうの。そんなスペシャルでも危ない妄想にかられちゃうんだよー、っていうのが狙いだとは思うんだけど。
・その小川を共通素材とした比較対象として、【普通の教師】である山崎先生(ぐっさん)が泥被っちゃった3話。
・気持ちはわかるぜぐっさん。全部鈴木の野郎の所為だよな。
●リアルタイムでTwitterを覗いてたりもしてたんだけど、その中に、実際に教職についているであろう方のツイートがあった。
「ぶっちゃけ聖職者だなんて自分で思ったことなんて一度もないけど、やっぱり教師が風俗行ってたらみんなヒクの?」
・何も言えねーなー。
・ただ、そういう台詞をさしたる抵抗もなくツイートできてしまうほど、個人的な人間として地に降りてきてしまったがために、難しい問題が出てきてしまうのも事実。
・そのための2話では給食酢豚を廃止にせざるを得ず、3話ではぐっさんが学校を去ることになってしまった。
●個人主義と人権の尊重を声高に先頭に立って訴え続けてきた戦後学校教育が、自らの土台とする現場に混乱をもたらす要因を作ってしまった側面がある、という皮肉にも取れる。
・そんな問題を2話、3話と続けて題材にした鈴木先生なわけだが。2話も3話も明確な回答を提示せずに終わる。せいぜい言えるのは
「折にふれて」
「【オレ】はそちらの世界にはいかない」
の二つだけっていう、寂しくも、現実的で冷静な【決断】だけが提示される。真摯だ。
●もひとつ、3話で描かれた構図には【主張は間違っていないが手段を間違えた結果】というものがあったと思う。
・「やり方がわからない子供の主張を、受け止めるのに右往左往するオトナ」という構図。
・コドモっつのはなにも年齢が14歳だからってことじゃなく。オトナってのも同様に20歳過ぎてるからじゃなく。
・この【やっかいな正義感】っつうのはホントーにやっかいで。
・別に中学校に限らない。最近のネットで問題になる事件の数々や、震災チェーンメール問題だってそうだ。戦争だって起こる。
・事件の首謀者たちは自分たちが正当であることを疑わない。モノによっては多少の悪意があるかもしれないが、多くは【正義】や【良心】や【善意】が自分の原動力になっていると信じて疑わない。
・あーもーやっかいだなー。
・そこでやり方を否定しつつ、本人たちの主張は上手いこと掬い上げてやれるのがオトナなんだろーなーと思うのだけど、それができたらそれこそ【聖職者】なんだろうな。
●ドラマとしても3話は面白かったなー。
・相変わらずの光の演出が素晴らしい。
・冒頭の正門のシーン。下駄箱からの視点で撮るところだけど、あれ、普通なら小川が影にならないように照明を下駄箱方面から当てると思うんだ。でもやらない。自然じゃないから。
・其の次のぐっさんが体育館掃除するシーン。各々の扉から朝の光が零れてるっていうのがすごくリアリティあって、郷愁すら誘う。
・で、ぐっさんが学校を去る職員室のシーンでは王道の夕陽が挿し込んでいるわけだ。こだわってるわー。
●そのぐっさんがキレまくるシーンでは、きちんと「キレル側の論理」も展開されている。狂う側にも狂うまでの論理はあるっていう。傍から見れば完全に間違っちゃってるんだが。
・カーベェの告白→あれ?オレ間違ってねぇじゃん→じゃあなんでこんなことになってんだ?→鈴木が仕組んだのか!
の流れはわかりやすい。キレる背景ってのはしっかりあるんだ。
●最後の最後でカーベェの一言によって【その場の正義】がひっくり返る瞬間とか、傍観者としては単純にゾクッとくる展開だった。
・カーベェと神田マリの差は、オトコを人間(生き物?)としてリアルに見れるかどうか、で、なんでカーベェがそんな目線を持てるのかっていうのは、きっと次回以降明かされる…はず。
・まあ、ネェちゃん風俗嬢っていうのは既に3話で明かされたわけだけど。
・そのねぇちゃんにしたって自分の客がどこぞの誰かの名無しさんだったらきちんとプロの仕事するんだろうけど、【妹の中学校の先生】ってIDを得た途端に、やっぱりああいう態度を取っちゃうっていうのはなんだかな、↓
・こういう言い方をすると完全に差別になること分かっていうけど、彼女たちにも一線ってあるんだな、と改めて思う。むしろカタギ?の人間たちより、その一線は明確に他人に対して(自分の中でも)可視化されてるんじゃないだろか。体張った商売だもんねぇ。
・愚鈍な感想だ。失礼しました。
●で、そのネェちゃんの存在と同じくらい「カーベェの布石」にあたるのが冒頭のガニ股歩きにもある、と僕は踏むわけだが。
・いや、完全に邪推だな。単なるキャラづけだと思いますよ。
・なんてこと書くと原作厨呼ばわりされてしまうからやめておこう。
・しっかしカーベェ役の子はうまいな。コレ言っちゃうとあれだが…。
極端にかわいすぎないのが最高にいい。
・1話、そして3話と順調に「カーベェの布石」はおいてきた。さあ!あとは玄関先で髪留めをつけ直すだけだなっ!カーベェ!
・なんてこと書くと原作厨呼ばわりされてしまうからやめておこう。
●さて、次回の鈴木先生はぁ~
・とうとう
「口は達者な中身はコドモ!ハートは思春期ド真ん中!エロエログログロ半端な屁理屈!」
のどーしよーもねーオレタチの象徴が登場だ!
・まさに鈴木先生の真骨頂!
・トバせよ竹地!
・なんてこと書くと原作厨呼ばわりされてしまうからやめておこう。
●にしても田畑智子はいーなー。
・彼女演じる桃井先生も、最初からあんな落ち着きがあったわけでなく、きちんと鈴木先生と一悶着起こしてから、のあれ、なんだから、その辺掘り下げて「田畑智子回」を一回作ってもいいと思うんだけどなー。
・それだけの価値が女優・田畑智子にはあると思うんだがどうだろう?
ほんとこういうの観るとCMってなんでもありだなと思う。
「おめでとうございます」とか、その一言言わせるための伏線をどんだけ積み上げなきゃいけないと思ってるんだよ、とかいってみても、たったあれだけのシーンで充分伝えたいものは伝わっちゃうのかな、とも思う。
ああ、おそろしや。やってらんねーなー。
「米だぞー」にまでいくと正直ふざけんなと思うが(笑)
でも田畑智子だからよし。