といえば僕のバイブルドラマのひとつだったりするわけですが。
タイトルでもわかる通り、その由縁になった決めぜりふを持つお方は
主演で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった少年に
「学校行けてるか?きちんと寝てるか?勉強してるか?」
と声をかける優しい(そう、この台詞は優しいと思う)言葉を
かけてあげられる人だったと聞いています。
もともとは「小学生は思ったほど子供じゃない」をキーワードに
立ち上がったドラマ《うちの子にかぎって》の
中学生版を創ろうという話から持ち上がった企画。
どこまでもお気楽でお調子者の主人公が、
当時ガチガチの管理教育だった中学校をはちゃめちゃにする
(でもコメディでいくところが味噌)というコンセプトが出来ていくうち、
「こんな中学生の親は輪をかけてお調子者じゃないといかんだろう」
ということになり、お調子者といえばこの人、と、スタッフ間で
共通イメージがなんの違和感もなく湧き上がったと言います。
が、しかし案外歳が離れすぎということでおじいちゃんということに。
間に入ったお父さんがこれまたゆるい大人の代名詞だった所ジョージ。
しかも《うちの子~》のレギュラーだったというつながりもあってぴったし。
なわけで、史上最強の無責任家族が誕生。という話。
脚本家は僕の敬愛する人物の一人、遊川和彦氏。
このドラマが連続ドラマ初脚本。その前に、電波に乗ったという意味でも
自分の人生の中でも、初めて書いたホンが《うちの子に限ってスペシャル2》で
これまたワタシのバイブルドラマです。
最近では、《女王の教室》を書いた人。
まあそんな経緯もあり、これまた当時は珍しい、でも流行りつつあった
今で言うバラエティとドラマの中間のようなテイストのミクスチャードラマが
あったんですね。
脚本家も初だし、30分枠ドラマっていう、今ではNHKぐらいしかやらない企画だし、
裏は水曜日、無敵の週間少年ジャンプアニメ枠で《ドラゴンボール》がやってるし、で
実験的な意味合いもあったんでしょう。とにかくむちゃくちゃでそれがまた面白かった。
今ではさすがに時代を感じてしまう部分もありますが。(DVDボックスでてますよってに)
そこではふんだんにクレイジーキャッツの楽曲からギャグから、ああ遊川さんよ、
あんた、シャボン玉ホリデーキッズなんだね、と容易に想像できるノリがそこらかしこに
現れ、その波の中心には、いつもその優しい方がいらっさったのでした。
(話は少しずれますが。
遊川氏とかけて学校ととけばそのこころは、誰もいない教室での告白未満なのです。
勇気をだせない思春期ボーイの独壇場が常にそこで描かれるわけで。
そのシーンは必ずあるのです。
あるときは早朝の教室で。またあるときは西日差し込む夕方の教室で。
《女王の教室》でも、あいかわらずそのシーンは盛り込まれており、
いつ男の子が「俺、オマエのこと、ス、ス、すき焼き食べたくない?」と
言い出すのかとワクワクしてしまった自分がおりました。
あ、《うちの子~2》じゃ成功してたか。
とにかく、遊川さんよぉ。わかる奴がここにもいるぜ。名古屋にもいるぜ。
Comon!遊川!もっとこい!つーわけで以上蛇足)
さて、このドラマがごく一部の熱狂的なファン(笑)に惜しまれつつ終了した後、
しばらくたって、何なのかきっかけは忘れたが、無責任男再評価の気運が盛り上がり、
「スーダラ伝説」なんていうリミックス版が発売されちゃったりして、
何か当時から「おせぇよ、ばか」とぶつぶつ言っていた記憶があります。
90年代前半の出来事ですね。変わんねぇな、俺。
なんだか思い出話とドラマオタクなうんちくに終始しそうなので一つ気張っとこう。
笑われるのか。笑わせるのか。
関西系の番組でたまにみかけますが「その人は普段はバカやってるけど実は…」っての。
う~ん。という感じです。
当然一人一人のストーリーには感嘆するのですが、それを同じ芸人が持ち上げているのが
なんともな。人によっては自分で意気揚々と言い出す人もいるし。
何を勘違いしたのか「俺らで笑えない客が悪い」と言い出して、
一時、姿を見かけなくなった芸人さんもいるとかいないとか。
自分で言っちゃうのはネ、野暮じゃないのかな。と思ってしまうのです。
第三者の声がそれとなく聞こえてきて初めて、偉大だな、と思われれば
いいんじゃなかろか。
笑われているのか、笑わせているのか。
それは手前の心の内だけの問題だろうと思うのです。
人前に立って、目の前の人が笑っている、
その事実だけが全てで、その他に何を望むのか、と思います。
それでもまあ、いかんせん「世間はベタだ。」と息巻いて調子に乗っていた
(今もそうか)自覚のある身としては、
道行くねぇちゃんにーちゃんオヤジオバちゃんに
「あいつ、バカじゃね?」なんて言われて無性に腹が立ってしまう気分が
わからんでもない。
理想はお茶の間でテレビ見つつ、子供がタレントを小バカにしだしたら
「あんたはな~んもわかっとらんのだわ」とペチッと頭を叩く親御さんの図
だったりするんだが。
それでも一つ言えるのは、テレビの創世記にバラエティの基礎を作り上げ、
お茶の間を爆笑の渦に巻き込み、最初、無責任男を演じるにおいて、
自分の素からあまりにかけ離れたキャラクターを演じることにかなり悩みつつも
ぐっと乗り越え、高度成長期のある種、病的とも言える(?申し訳ない)な
会社への奉仕精神に笑いを添えて突っ込みを入れた、
植木等の、植木等を演じきったその姿勢にひたすら感服するということです。
安らかに。
タイトルでもわかる通り、その由縁になった決めぜりふを持つお方は
主演で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった少年に
「学校行けてるか?きちんと寝てるか?勉強してるか?」
と声をかける優しい(そう、この台詞は優しいと思う)言葉を
かけてあげられる人だったと聞いています。
もともとは「小学生は思ったほど子供じゃない」をキーワードに
立ち上がったドラマ《うちの子にかぎって》の
中学生版を創ろうという話から持ち上がった企画。
どこまでもお気楽でお調子者の主人公が、
当時ガチガチの管理教育だった中学校をはちゃめちゃにする
(でもコメディでいくところが味噌)というコンセプトが出来ていくうち、
「こんな中学生の親は輪をかけてお調子者じゃないといかんだろう」
ということになり、お調子者といえばこの人、と、スタッフ間で
共通イメージがなんの違和感もなく湧き上がったと言います。
が、しかし案外歳が離れすぎということでおじいちゃんということに。
間に入ったお父さんがこれまたゆるい大人の代名詞だった所ジョージ。
しかも《うちの子~》のレギュラーだったというつながりもあってぴったし。
なわけで、史上最強の無責任家族が誕生。という話。
脚本家は僕の敬愛する人物の一人、遊川和彦氏。
このドラマが連続ドラマ初脚本。その前に、電波に乗ったという意味でも
自分の人生の中でも、初めて書いたホンが《うちの子に限ってスペシャル2》で
これまたワタシのバイブルドラマです。
最近では、《女王の教室》を書いた人。
まあそんな経緯もあり、これまた当時は珍しい、でも流行りつつあった
今で言うバラエティとドラマの中間のようなテイストのミクスチャードラマが
あったんですね。
脚本家も初だし、30分枠ドラマっていう、今ではNHKぐらいしかやらない企画だし、
裏は水曜日、無敵の週間少年ジャンプアニメ枠で《ドラゴンボール》がやってるし、で
実験的な意味合いもあったんでしょう。とにかくむちゃくちゃでそれがまた面白かった。
今ではさすがに時代を感じてしまう部分もありますが。(DVDボックスでてますよってに)
そこではふんだんにクレイジーキャッツの楽曲からギャグから、ああ遊川さんよ、
あんた、シャボン玉ホリデーキッズなんだね、と容易に想像できるノリがそこらかしこに
現れ、その波の中心には、いつもその優しい方がいらっさったのでした。
(話は少しずれますが。
遊川氏とかけて学校ととけばそのこころは、誰もいない教室での告白未満なのです。
勇気をだせない思春期ボーイの独壇場が常にそこで描かれるわけで。
そのシーンは必ずあるのです。
あるときは早朝の教室で。またあるときは西日差し込む夕方の教室で。
《女王の教室》でも、あいかわらずそのシーンは盛り込まれており、
いつ男の子が「俺、オマエのこと、ス、ス、すき焼き食べたくない?」と
言い出すのかとワクワクしてしまった自分がおりました。
あ、《うちの子~2》じゃ成功してたか。
とにかく、遊川さんよぉ。わかる奴がここにもいるぜ。名古屋にもいるぜ。
Comon!遊川!もっとこい!つーわけで以上蛇足)
さて、このドラマがごく一部の熱狂的なファン(笑)に惜しまれつつ終了した後、
しばらくたって、何なのかきっかけは忘れたが、無責任男再評価の気運が盛り上がり、
「スーダラ伝説」なんていうリミックス版が発売されちゃったりして、
何か当時から「おせぇよ、ばか」とぶつぶつ言っていた記憶があります。
90年代前半の出来事ですね。変わんねぇな、俺。
なんだか思い出話とドラマオタクなうんちくに終始しそうなので一つ気張っとこう。
笑われるのか。笑わせるのか。
関西系の番組でたまにみかけますが「その人は普段はバカやってるけど実は…」っての。
う~ん。という感じです。
当然一人一人のストーリーには感嘆するのですが、それを同じ芸人が持ち上げているのが
なんともな。人によっては自分で意気揚々と言い出す人もいるし。
何を勘違いしたのか「俺らで笑えない客が悪い」と言い出して、
一時、姿を見かけなくなった芸人さんもいるとかいないとか。
自分で言っちゃうのはネ、野暮じゃないのかな。と思ってしまうのです。
第三者の声がそれとなく聞こえてきて初めて、偉大だな、と思われれば
いいんじゃなかろか。
笑われているのか、笑わせているのか。
それは手前の心の内だけの問題だろうと思うのです。
人前に立って、目の前の人が笑っている、
その事実だけが全てで、その他に何を望むのか、と思います。
それでもまあ、いかんせん「世間はベタだ。」と息巻いて調子に乗っていた
(今もそうか)自覚のある身としては、
道行くねぇちゃんにーちゃんオヤジオバちゃんに
「あいつ、バカじゃね?」なんて言われて無性に腹が立ってしまう気分が
わからんでもない。
理想はお茶の間でテレビ見つつ、子供がタレントを小バカにしだしたら
「あんたはな~んもわかっとらんのだわ」とペチッと頭を叩く親御さんの図
だったりするんだが。
それでも一つ言えるのは、テレビの創世記にバラエティの基礎を作り上げ、
お茶の間を爆笑の渦に巻き込み、最初、無責任男を演じるにおいて、
自分の素からあまりにかけ離れたキャラクターを演じることにかなり悩みつつも
ぐっと乗り越え、高度成長期のある種、病的とも言える(?申し訳ない)な
会社への奉仕精神に笑いを添えて突っ込みを入れた、
植木等の、植木等を演じきったその姿勢にひたすら感服するということです。
安らかに。