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匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

驚いた。~「孤独のグルメ」サントラは「全曲著作権フリー」 作者・久住さん「どうぞお使いください」~

2012年05月25日 | 著作権
「孤独のグルメ」O.S.T.
クリエーター情報なし
地底レコード



●さっきブログあげたばっかなんだけど、驚いたんでまたあげちゃう。みんなあげちゃう(笑)

以下記事↓

「孤独のグルメ」サントラは「全曲著作権フリー」 作者・久住さん「どうぞお使いください」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1205/23/news085.html


御大、何をお考えの上でのことだか私程度のモノには量れませんが、なんかすげぇ、と思います。


なんて楽しそうなライブなんだー!!
いいなー!!

 


関連記事

孤独のグルメDVD-BOX発売!


VS JASRAC

2007年12月16日 | 著作権
さて、前回お話しした、DVDちょっと待ってね、という話にはちゃんと根拠がありまして。
標題がらみです。クリアしなきゃいけない用件なもんで、やっぱり。

実は先だって、かの団体に自分が気になる部分について質問を、公式HPのメールフォーマットに従って、送っておりまして。
で、その回答がよくあるテンプレートまかせな、書類フォルダにあるフォーマット45番あたりを参照して、先方名を変えただけのような、通り一遍のメールや手紙ではなく、直接担当の方から電話がある、という事態があったのでございます。

まあ、そもそもテンプレですむような質問ではなかったんだけども。しかしながらこの対応だけで、偏った方向にやる気満々だったざるバカとしては、少々「なんだよ、やるじゃねぇかJASRAC…」なんて思ってしまう、非常に現金な男であったと再確認、いやさ思うつぼ君なのかと自問自答する間もなく、双方、表面的にはアダルトを装いながらも内面は確かに熱く、内容はおそらく厚く、語り合ってしまったわけです。40分ほど。

その電話でのやりとりをここで全てさらすのは、一方的な情報の提示になってしまうので挙げません。フェアじゃないのでね。ただ、担当者さんの印象は書いてもいいと思うのだ。

あんた、いいね。イーネ!(参:クレイジーケンバンド・横山剣)
そこまで真っ正面から語ってくれると思ってなかったよ。上から目線でごめんね。僕、天の邪鬼だから。


とはいえ、議題や問題や課題を、その評価を、結果を、担当の人となりや親密度で判断するような、接待ってヤツが有効になるような「もの・こと」の捉え方はしたくないのだ。(接待しなきゃいけなくて、実際やってる方々は本当に尊敬するが)

課題は周囲の事実によってのみ判断・解決すべきだ。心情を無視するわけじゃない。でも、心に部屋があるとするなら、この二つは別々の部屋に入れるべきものだと思うのだ。そしてお互いの部屋を隔てる一枚の、沈黙する壁に向かって…話が逸れた。


で、議論中、結果的に明言された先方の基本理念というべきものは提示してもいいと思う。基本理念だからね。公式見解だからね。そのはずだから。

曰く、かの団体はあくまで権利者に委託された著作権の管理を行うために全ての行動をする団体である。ということ。
もっと言うなら、それ以外のことはしないのだ、ということ。


う~ん。そーなんすか。そのわりにはここ最近の強気な行動に疑問符が付かないわけでもないのだが。
なんてことも言ってみたら、それなりの答えも返ってきたわけだけど、それはナイショ。

そういうことなら、こっちも、いろいろ「考える」こともできちゃうよ、と思うのだ。


というわけで、DVD及びその他のTAKUMIコンテンツ、そう遠くない未来に権利的な整理もして皆様のお手元にお届けすることが出来るよう頑張りますので、その節には宜しくお願い申し上げるばかりでございます。いや、パルキ流に言うなら、興味があってふところが許せば、お手元に置いて下さい。そうあればこんなに嬉しいことはござんせん。

ではでは。

母ちゃんのためならエンヤコラ

2007年07月21日 | 著作権
お久しぶりです。
お久しぶりということでお久しぶりに心意気を感じる記事を見つけました。
「放送禁止歌」ラジオ特番で一挙放送

ちょい前(といっても半年以上前になるのか…)に書いたTBSドラマといい(まあこれは正確にはオフィスクレッシェンドだけど)何とかしようとしている人が、どの組織にもいるのだなぁと思うと少し安心します。
最近何かと問題のあるTBSですが、こういうことをしようとする人もいるということで、まあ、その、頑張って頂きたい。団塊Jr.のワタクシ、「ドラマのTBS」で育った世代ですので。キンパッつぁんと田村正和とザ・ベストテンね。

とはいえ相変わらず23時のニュースは、ねつ造と分かった途端どこよりも速く段ボール肉まんの件を報道していた訳ですが、その喜々としたリアクションぶりはちょっと分かりやす過ぎるぞ。メディア・リテラシーが叫ばれて久しいですが、これなんかは典型で、何が危ないかといえば、このねつ造部分はあくまで再現VTRの部分について、ということらしいということです。(これにもあくまで「らしい」ということなのですが…)。ま、実際に行われていなかったとして、やらせの目的がわからんなぁ。国営なのだから視聴率を気にするもんでもないだろし。別からの圧力でもうしても観てもらわなきゃいけなかったのか?何にしろ、一番の被害は本当に段ボールを調理して食べてみてしまった某スッキリの皆さんや、無茶な体験を売りにした某サイトの人だということです。大丈夫か?取りあえずカセイソーダは熱すれば成分はとぶらしいぞ。

蒸気船winny番外-OK,GO!

2006年10月11日 | 著作権
(何となく入れるのやめたり、書ききれなかったもの。及び言い訳)

☆週刊少年ジャンプに連載しているある作家が、自身のHPにおいて、自分の作品のイラスト(未確認だが恐らく自分が書いたイラスト)を無断転載されることについて拒否の意思表示をしたところ、掲示板で大論争。最終的に作家が残した一言が
「俺が嫌だって言ってんだ。だからやるな!」
OK。完璧だと思う。いやマジで。正しい著作権の行使の仕方だと思う。作者自身が言ってる。ここまではっきり言われれば「はい、分かりました!」って言うだけでいい。そうやって自分の作品の価値を高めるのも手法の一つだと思うし。いいぞ久◯◯人、もっとやれ。そんなまっすぐな君の作品を僕もまっすぐ愛そう。でもさ、最近強さのインフレ進みすぎじゃね?
 
奥田民生先生がライブ会場で
「今この場所のバイヴを感じてくれ!録音したって今日と同じ響きは体感できないぞ!」
って言ったら(←こんな暑苦しい台詞は絶対言わないけど)踵鳴らせて直立不動、「Yes,sir!!」って叫ぶと思う。
要するに誰が言うかの問題であって。
<ただでさえ論理がぶれてるのにこんなん入れたら目も当てられないのでカットしました。じゃあ何故書く?>

☆著作権は「親告罪」である。これをどう捉えるか。
<考えが及びませんでした。じゃあ何故書く?>


☆正しくは坂本「龍」馬。本人が書いた手紙等、公式な資料に「竜馬」と書かれているものはひとつもない。司馬遼太郎先生の傑作『竜馬がゆく』から「竜馬」表記は拡がったと思われる。司馬先生が漢字を換えたのは恐らく「史実そのものじゃなく、あくまでフィクションですよ」とのアピールのためだったのではないか、と言うのが通説(だったと思う)。
 
最近の研究では、どうも龍馬は西郷隆盛の使いっ走り程度だったらしい、とか、北辰一刀流の免許皆伝じゃないらしいとか(「長刀(なぎなた)」についての何かは貰っているらしい。でも「なぎなた」ではないらしい。確かこの時期、既になぎなたは女性の武器ってことになってたと思うし…)なんだかんだでタダの商売人だよあいつは、というのが主流らしいです。それでは悲しすぎるので、敢えて司馬先生の作品に登場する「竜馬」にしましたよ、という言い訳。

☆winny4の冒頭でも少し触れましたが、ネットの未来について肯定的な何かを、自分の力の及ぶ限りブログという手段で書こうと考えていた矢先に、主にmixiでweb上のコミュニケーション摩擦?による事件が多発していることを知りました。内容知るに、一言「ああ、また繰り返すのか」という思いでなんだか悲しくなっちゃって仕方がありませんでした。折しも自身の文章で幕末ヲタネタを絡めていただけによけいに皮肉でした。

僕は今までネットでの誹謗・中傷(←これもどこまでをそう言うのか疑問だけれど)は匿名である、仮面舞踏会であるという状況が起こすものだと思っていました。そして、仮面を被ったときに人が起こすアクションそのものが、その人の本性であるとは考えていませんでした。所詮「舞踏会」だよと思ってました。そこで示される悪意もその人のあくまで一面に過ぎないと。もちろんその仮面は、かなり高性能な「悪意ブースター」だとは思うけど。でも仮面がなくてもできるんですね。びっくりしました。
 
批判(というか重ねられた第3者の中傷)に対して、「ホントのことを言って何が悪いんだ!」というのが発信者の大まかな言い分でした。その人に言いたい。うん、悪くないよ。ちゃんと話すことは大事だよ。相手が嫌がることであってもね。真実は真実でしょう。でも、あなたは最初陰口のつもりだったでしょう?面と向かって話したつもりではないでしょう?陰口なら場所を選びなよ。給湯室や、トイレや、非常階段の踊り場や、予定の入ってない会議室や、屋上や…。そんなところに600万人も人はいないよ。

陰口言うなとは言わない。言っとくけど俺は陰口の天才だぜ?グヘヘ。人にもの申すのはとてもパワーのいることです。大義名分がない場合は特に。わかる。わかるぜ。でもさ。あなたの癖や、好き嫌いや、機嫌や、ボキャブラリィや、置かれた環境や、性格を全部知ってて、その上であなたの話を聞いてくれる人は、もっとずっと側にいるんじゃないですか?その人をしかるべき場所に連れていきなよ。ちゃんと聞いてくれるよ。mixiはその場所じゃないよ。
何?誰もいない?だったら俺が聞いてやる!だから連絡先教えて下さい。グヘヘ。
<だから何故ここに書く?>


なんつーかなぁ。webも2週目に入って分母が増えるとやっぱり新たにもう一度、いちからやらなきゃいけないこともあるんですね。ネチケットなんてタイプしてて恥ずかしくなるような言葉も復活しなきゃいけないんだろうなと思います。

カンダタなんですよ。。カンダタ。。。それでも生きてる間に蜘蛛一匹助けときゃ何とかなるかも知れない。そんなわけで最後に蜘蛛の糸を一本ご紹介して終わります。(ケータイでアクセスしてる方、すみません。興味があれば、どこかのPCでみてね)

「OK,GO」という外国のバンドのPVです。
メンバーの自宅の庭で一発撮りしたものだそうで。
http://www.youtube.com/watch?v=n9gszs3i9GQ

これを本人達主催のサイトで公開したところ、You tubeでこれの真似をしたビデオが続々とアップされた。この事実を受けて、彼らはYou tubeビデオ選手権を開催。最もウケた人たちに、ライブで踊る権利をプレゼントすると発表。この発表を機にサイトのアクセス数、ビデオのDL数が急上昇。You tubeにアップされるビデオ数も急上昇。こうしてOK,GOは一気に誰もが知るメジャーバンドにのし上がったそうです。(前から知名度はあるバンドだったらしいですが)
ちなみにビデオで口パクしてるおっさんはホントはベースらしい。

バンド名がいいじゃないですか。OK。そしてGO。
どこまでも全肯定。涙が出るぜ。
で、同じ趣旨のセカンドビデオがこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=pv5zWaTEVkI

もう感動もの。違う意味で涙がでるぜ。

言いたいことは、なあパルキング。
金がねぇといいPVなんて出来ないなんてのは言い訳だぞ!

それでは、皆さん。つき合わせてすみませんでした。
次からは通常営業となりますので、
安心してご覧下さい。(なにが?)



蒸気船winny8

2006年10月10日 | 著作権
そりゃもう、14世紀の頃とは違って資本主義・個人主義・平等主義が世界の大半を占めるようになった現在では芸術家も頑張って生きて行かなきゃならない。面倒見てくれる気前のいいパトロンがいた時代ではないのだ。「商業主義と作家性は対立しない!」との夏目房之介先生のお言葉を信じたいけど、とにもかくにも金は必要。大事なのは与えられた環境の中で、最良の選択肢を選ぶこと。

かつて初めて音楽のダウンロード販売を、そのシステムにP2Pを使用して行ったnapsterは、アメリカの音楽業界に総出で潰された。(最近どういうかたちかわからないけど復活したみたい。オメ)しかしアメリカでの音楽DL数は歯止めがきかず増加する一方だった。そこに目をつけたのがapple。DL販売の利点を活かしつつ利益を上げる方法を模索して、遂にDL価格を極限まで下げつつ一方でやや高めの端末を用意しそれを使用しなければ音楽を聴けないというシステムを編み出した。皆様おなじみiPodでやんス。結果もご存じの通りバカ売れ。端末を売りさばくことで全体の利益を得ることに成功した。現時点ではネットと著作権コンテンツの関係について、最も前向きな回答だと思う。いいぞスティーヴ。もっとやれ。あなたには随分泣かされてきたけど今回は応援するよ。

別に金を払わないと言ってるわけじゃない。言い値で殿様商売をするなと言ってる。もうそんなことができない状態になってる。まだまだ曲単価は高いと思うけど、iTunesストアサービスは日本に上陸して仕事始めちゃったよ。

東京ローカルのMXテレビが自社の番組をYou Tubeで配信し始めたそうだ。今はまだどうなるか分からないけど、上手くいけばローカル局でありながら全国ネットに勝る伝播力を持つことができるかもしれない。また、現在では同時中継に限るという限定付きだけど、テレビ番組をネット配信する際の手続き簡略化が可能になるように著作権法を改正する話もでてきているようだ。だけど一方ではYou tubeがとうとう正式に著作権侵害だとしてあるジャーナリストに訴えられたらしい。Googleに買収されることがかなり現実的な話になってきてることも相まって今現在、You Tubeにアップされているコンテンツが次々と削除されている状態にある。(参:TVBros.8月5日、9月16日号「ネット探偵団」川崎和哉 他)

それらを踏まえて敢えて言うけど、それでも僕はコンテンツを楽しむのによけいな心配をさせないでくれと思う。僕らは目の前にぶちまけられたおもちゃ箱の中身から興味のあるものを手にとって楽しむだけでいいと思っちゃう。その際のチョイスの判断基準や方法にまでとやかく言われる覚えはない。だって消費者だもの。好きなだけ楽しんで飽きたら捨てる。娯楽はそういうものだと思ってる。人生にはもっと大事なものや局面があると思うし、あくまで余暇の範囲で楽しんでいるものに「こっからここまでは使ってイイヨ」なんて当然のようにいうのはちょっとおこがましいんじゃないか。そんなに必死にならなくても影響を受けてしまったものは忘れられないし、自分の何かを満たしてくれるものにぞんざいな扱いをするわけがないじゃないか。スラムダンクの25巻~最終巻を何回読み直してると思ってるんだ!(笑。「こんなに嬉しいことはない」って前回書いた台詞にアムロの脱出シーンjpegを貼りたい!と思う気持ちをどれだけ我慢したと思ってるんだ!(笑。持ってないけどね。すぐ探せるし)

自分の手柄に見合う報酬の相談は◯テレとザキさんの、エイ◯ックスとMAX◯浦の、集◯社と鳥◯明の、山◯理事と◯◯◯♂の間でやってくれ。僕には関係のない話だ。ただ、少女漫画の金字塔、キャンディ◯ャ◯◯ィがい◯ら◯ゆ◯この主張の所為で、青年漫画の傑作MATERキー◯ンが、原作者でもない某グルメ漫画の巨匠の横やりによって読めなくなったみたいな、バカげた話にはしないでくれ。何でそんないざこざに巻き込まれて、数々の傑作を目に出来ないなんて事態を突きつけられねばならんのだ。(巨匠が生み出したグルメ漫画というジャンルで今、数少ない人気漫画でのある台詞、「料理のレシピには著作権はありませんから(ニコリ」がどうにも皮肉にしか聞こえない今日この頃だ)

道具は道具だ。ツールはツールに過ぎない。曲はただの曲だし、映画も漫画もアニメも、極論、誰が創ったかなんて関係ない。それ自体が自分にとって面白いかどうか。それ以外の判断を強要されるのはどこか間違っている。(誰それの創った映画だから間違いない、なんて見方もあると思うけど、あんまり固執すると本当に面白かったかどうかの判断もつかなくなる。それはそれで制作者にとって不幸なんじゃないか。昨今のお笑いブームを見てもそう思うが、それはまた別の話)
それでも何か欲するのなら、最低、消費者が守るべき著作者の権利は、それがどこで誰が創ったものなのか、知っておくことくらいでいいと思う。
ドラえもんは藤子不二雄だし、
ガンダムは富野 由悠季だし、
スラムダンクは井上雄彦だ。これらは全て日本で創られた誇るべきコンテンツだ。僕は勝手に尊敬するし、彼らの次回作に期待する。でも、強要される覚えはない。少なくとも制作者本人以外の誰かに。



前述のiPodのようにネット環境とビジネスとの合流点はきっとあるはずだ。それを探す努力をもっとしてもいいと思う。(かつてカラオケが全国的なブームになったときに上手いやり方をちゃんと整備したじゃないですか。J◯S◯A◯さん。歌う人も、曲を提供する人も、箱を貸す人も、関わった人が全員幸せになれるシステムなんかなかなかないよ。素晴らしい。あのときと同じ感じで。ねぇ。win-winで笑。ねぇ笑)


winny制作者の「47」氏はwinnyがどんなものであるかと(或いはどういうものにしたかったか)と問われて「ネット上の図書館のようなもの」と答えた。本当にそんな状態を創り上げることができたなら、そのときこそ「web2.0」に進化したといえるんじゃないだろうか。安政の大獄をおこしちゃう前に、政府高官の中に「なんでぇべらんめぇ。いつまでもでかい船にビビッてたんじゃ粋じゃないねぇ。じゃあこっちも同じのつくっちゃえばいいじゃん」なんて勝海舟テイストの人が出てくることをしがないリョウマニアは期待してしまうのだ。もしホントに現れたら「弟子にしてつかぁさい」とか「勝先生。海援隊がやりたいです」って泣き崩れたかったりするんだ。(ホラ、ここでスラダンの名シーンのjpeg入れれば面白さ倍増じゃん。ってそんなに面白くないね。)


まあグダグダ書きましたけど僕、マカーだからwinny使えないんすけどね。

(おわった~。矛盾な部分は後々訂正しますさかい。)



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だから何泣いてんだよ。あ?なんだ。可哀想?うるせぇよ。同情?おいおい、勘弁してくれ。ふざけんな。何様のつもりだ!あ?写真を取り替えてくれ?この間の別の子の写真に?どういうことだ?また路上から始める?くだらないこと言ってんじゃないよ。一体何が欲しい?あ?聞いてくれる人の顔を見たい?つくづくバカだな。そんなやり方じゃダメつってんだろ。それは勉強したから大丈夫?今度はもっと考えてやる?てめぇ、いい度胸じゃねぇか。おい、ちょ、まてよ!まて。考え直せ。な。もうちょっと小賢しくなれよ。だからな~く~な~よ~。悪かったよ。言い過ぎた。へ?悲しいからじゃない?じゃ何だよ?ありがとう?…は、バ、バカ言ってんじゃないよ。だからもっと小賢しくいこうぜ。ん?コザカシイってどういう意味?ほっっんとに君はバカだな。「小さく賢い」って書く……。まあ、いいよ。別に覚えなくていい。こんな言葉、バカな君が知ってる必要はないよ。こんな言葉知ってるくらいなら確かにバカな方がいいかもな。ったく。胸くそ悪いぜ。とっととどっかに行っちまえ。何だよ。まだ何かあんのかよ。何?どうしてこんなにいろいろしてくれたの?………。バカだな君は。好きな人の側にいて、出来る限り役に立ちたいと思うのは人として当然の感情じゃないか。…たとえそれがどんなかたちであっても。…そんなこともわからないなんて、やっぱり君は本当にバカだ。




蒸気船winny7

2006年10月09日 | 著作権
mixiがmixiミュージックというサービスをここ最近スタートさせた。「mixi stationというソフトをインストールすると、その人がiTurnsで聴いている音楽の情報が順次mixiミュージックにアップされていく。その情報を元にして、同じアーティストの音楽を聴いている他のmixiユーザと繋がれたり、ユーザたちの間でどんな曲がよく聴かれているかのランキングがわかったりする。ユーザたちが無意識に音楽を聴くだけで、どんどん出会いが生まれて、情報とコミュニティが増殖していくのだ。~(中略)~僕はSalsa Soupというバンドの『Latin North America』という何年も前に偶然買ったアルバムが好きで今でもたまに聴くのだが、周囲にこのバンドのリスナーはひとりもいなかった。それがmixiミュージックの中にはほかに3人もリスナーがいた。~(後略)」(「」内引用:TVBros.7月22日号・「ネット探偵団」川崎和哉)

ゼロから3人だ。快挙といっていんじゃないでしょうか。「自分の周囲には一人もリスナーがいなかった」、という現実から一気に3人も仲間が増えたのだ。自分の生身の肉体(笑、生活環境では飛び越えられない壁をいともたやすく越えられるのがネットだとするならば、この可能性を利用しない手はないと思うんですが。(最早猫も杓子もネットネットだ。ほんの10数年前に「文通?うわ、ダッサ。キャハハ」なんて言ってた女子高生がmixiで「専業主婦集合!」なんてコミュ作る時代だ。やってることは根本的に何も変わらないのにね。mixi?うわ、ダッサ。キャハハ。おっと失礼しました。それくらい浸透しているのだ!ってことで)

借りに自分が一介のミュージシャンだとして、前述のようなコミュニティが形成され、自分の作品を楽しんでいてくれてるという事実を知ったら小躍りするけどなぁ。そのコミュに参加している面子がイギリス人やインド人や中国人やコスタリカ在住やエチオピア在住の人たちの集まりだったらもう、「ワールドワイド万歳!」って叫ぶけどなぁ。現実には難しいけどあり得るのがネットの世界だ。それこそエアロスミス他ロックの大御所やジャズ・ジャイアンツの皆さんだったら充分可能なことでしょ。別に言語なんてさ、「Cool!」「Great!」ぐらい分かってりゃいいんじゃないかな。好きだ!が伝わればいいんだから。

某音楽著作権を守るための団体は「CDを貸し借りしていいのは4親等の家族まで」なんてズレまくった決めごとをパンフレットに書き込んで印刷するよりも、この可能性をもっと前向きに捉える視点を持つ努力をすることが出来ればもっと世界は拡がるんじゃないだろうか。大槻ケンヂの、「自分の本に自分の過去の作品の歌詞を使おうとしたら使用料を求められた。そんなバカなと思いつつ支払ったが、今度はいつまで経っても(その歌詞の)印税が振り込まれてこない」なんて話は出来の悪いアメリカンジョークを聞いているみたいで正直うんざりする。(この文を書いている時点で印税が振り込まれているかどうかは未確認です。「絶対」振り込まれているとは思いますけど)

何を、何のために、どこまで、どうやって守るつもりでいるのかが曖昧すぎるのだ。加えてネットの現状に関しては批判的な視点でしか捉えられないのはどうなのか。歌詞を掲示板等、ネットツールを使用して書き込むことはログ(若しくはキャッシュ)にコピーして残すことになるので著作権侵害にあたるというけれど、ネットコミュニケーションが主にテキストで構成される世界であることは必要十分条件だ。世界総人口65億のうちの不特定多数がコミュニケーションするために、各々のスケジュールに左右されずにいつでも閲覧できる方法として、テキストをキャッシュで残して保存しておくこと以外になにか効率のよい方法があれば教えて欲しい。気仙沼の漁師と福岡のサラリーマンがレベッカのベストチューンについて時間を気にせず、存分に、しかも日常的に語り合える場所をどうやって作る?あなたたちの目的は何だ?あなたたちが守ろうとしている人々の願いは何だ?

そもそもCD アルバムの価格が3,000円強なんてのも丼勘定もいいとこでコスト的な根拠なんてないし、そうでなくても再販制度でがっちり守られてるのに、売れない、コピーすんなよなんて簡単に言い出しすぎなんだ。他業種の人たちが聞いたら怒っちゃうぞ。出版社にしたってそうだ(07年問題大変ですね)。文化事業だから再販制度がないと百科事典なんて本屋から消えてしまいますなんて言ってるうちに、初出版当時から現実とのそこはかとないズレっぷりを発揮している解説てんこ盛りの現代用語の◯◯知識なんて出したりしているうちに、その道の権威数人が(権威の方そのものには敬意を払いたいと思いますが)互いの人間関係まで考慮に入れながら上から目線であ~だこ~だと下らない注釈を加えているうちに、ネットでは「集合知」によって、全ての概念が四方八方からかみ砕かれ付け足され、またぶち壊されながら、今このときにも再構築されつつある。まったくスピードが圧倒的に足りない。ウルグアイのストライカー、ダリオ・シルバが不幸な交通事故で片足を失ったというニュースが流れたとき、You Tubeではすぐさま彼のFWとしての華麗なシーンを、スーパーゴールの数々を編集したビデオがアップされていた。様々な権利条件をクリアした後、やっと「ダリオ・シルバ-スーパーゴール集」を出したってもう遅いんだ。(いや、画質や特典等、そしてこの利益がダリオ・シルバ自身に向かうという意味で存在意義はありすぎるほどありますねどね)



主観だが、キムタクが一番格格好良かった頃に一番格好良く撮った◯ジのドラマ「ギフト」はある少年の一言によってDVD化ー再発売の芽はもうない。他にも低視聴率で打ち切られたもの、古すぎて(とは言っても80年代)利益が見込めないもの、僕が好きだったあれやこれや、周りの人たちに聞いても恐らく知っている人が一人もいないもの、それら全てをどこかでだれかがデジタル化してくれている。こんなに嬉しいことはない(参:アムロ)

常に費用対効果を頭にこびりつけながら仕事をしていては、応えられない環境がそこにはある。それをあってはいけないこととして押さえつけるのもどうかと思う。皆、好きなものについて話をしたいだけだ。ファミコンのカセットを貸し借りしたいだけだ。バンゲリング・ベイは糞ゲーだったなと、でも今やると結構これはこれで味わい深いじゃんと(ねぇ、現場で一線を任されて居るであろう皆さん)。あなたたちの範疇の外にあるニーズを潰すことを考えるよりも新しいビジネスチャンスとして考える方向があってもいいんじゃないか。今こそ、「企業努力」ってやつをすべきなんじゃないだろうか。だって文化事業なんでしょ。市場原理につぶされないようにマイノリティを守っていくことも使命でしょ。

中には上司に「ペイできねぇよ、こんなもん」って言われて居酒屋で泣いている人もいるでしょう。そんなときは隣に座ってあげたい。僕にはその程度しかできないけど愚痴ならいくらでも聞こう。僕が苦手な酒の席でも一向にかまわない。



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そら、もうDL数が2万を突破したぜ。すげぇな、まさかこんなうまくいくとは思わな…予定通りだぜ。ああん、どうだ、俺に任せておいてよかっただろ。君はもう、立派なメジャーミュージシャンだ。よかったね。ははは。こんなの簡単さ。連中が望んでいるものをぽいって落としてやっただけ。健気に路上で活動するピュアなミュージシャンってやつだ。これがプロデュースってやつさ。それをこのペットボトルとコンビニ弁当のカラで一杯の4畳半のまったく糞な俺の城でもできるんだから便利になったもんだな。よく覚えておけよ。連中、こんな便利な時代になっても未だに自分から捕まえようなんてしないんだ。ソファにぐだ~とふんぞり返ってTシャツまくり上げて腹をボリボリ掻きながら口を開けているだけ。誰かがそこへ食いモンを運んでくれると思ってる。あとはピーチクパーチク、うまいだの不味いだの言ってりゃいいと思ってる。我らは忙しいんだ。食って欲しいなら美味しそうだと思わせろと。自分からうまいもんを探そうなんてついぞ思わない。まあ別にそれでいい。いくらでも運んでやるよ。何度も言うが簡単だ。そこらで汲んだ水道水だって「まあ。いつかミラノで頂いたロマノコンティに勝るとも劣らないわ」くらい余裕で言わせて見せるぜ。水道水に一滴、赤い絵の具入れるだけでいいんだ。何しろ奴らには味わおうって気がないからな。ま、一度味わおうと思ったらとたんに面倒くさくなるからな。気持ちは死ぬほどよく分かる。まあせいぜい楽しませてやろうぜ、ぐへへ。何だよ。なに泣いてんだよ。別に今日はお前をバカにしてねぇぞ。あ?何だってんだよ?




蒸気船winny6

2006年10月07日 | 著作権
例えばロバート・キャパなんてどうだろう。
彼の写真は本当に「胸を打たれる」という表現にふさわしい作品だと思う。ただ、彼の写真を綺麗な額に納めて豪華な美術館で鑑賞する気には僕はなれない。ロバート・キャパがその写真を撮ることで何を求めたのか僕は分からないが、彼が取った手段が「報道写真」であったことは知ってる。報道の原理はなんだ。「できるだけ多くの人に事実を伝えること」ではないのか。もし今、彼の報道写真がそれ本来の意義を詐害されるような状態にあったとしたら?彼はそれを望むだろうか?


「うーん、すばらしいなぁ。この絵は君が描いたのかい?」
「ええ。」
「うん、素晴らしい。私にこれをゆずってくれんかね?」
「53億円。」

アリなんです。著作者が自身の作品についてその価値を求められた場合、決めるのは著作者です。自分の作品を誰かの手に渡したかったら100円だろうが100億円だろうがアリです。もちろんタダでも。要するに「言い値」ですね。でもまあ、これじゃ「商売」にはならんわけで。こっからは古典経済の世界ですね、と。そしてアダム・スミスの巨大な手に大ビンタされてぶっ倒れる様をリカード、ミルにゲラゲラ笑われ、助けてくれると思ったケネーに案外為すがままにされ、そうこうスルうちにケインズに冷笑を浴び最後はマルクスに打倒されてしまうのです。
まあ、だから例えばソロバンの得意な人にお願いして「適正価格」で売って貰ったりするわけですが。

作品の価値というものはそれこそ人それぞれにあるもので(もちろん最低基準の「理解」は必要だと言いたいのですが、最近の流れからいくとそうでもないみたい)それでも代替する何かに価値を写さなければならないとき、やっぱりお金というものは最も便利な物差しであるわけで。それ以外に、関わる全員が納得できる度量衡は、今んところ僕は思いつかないわけです。

でもって、著作物を商品として扱う場合。まあ「売る権利」ってやつを著作者は売ってくれるソロバンの出来る人=出版社・レコード会社等々の企業に譲渡あるいは貸与することになると思うんですけど、交わされる契約書の中身には著作権そのものを譲渡するみたいなものも中にはある(あった)みたいですね。でも昨今、それこそ著作権て言葉が認知されていくようになると、創った人にちゃんと歩合でお金を払う印税なんて制度が一般化されたっつうことでいいと思うんですが。で、晴れて販売となる。じゃあ一般販売された「それ」を買った人が自分で楽しむだけじゃなくて、別の用途、つまり自分以外の人々に「それ」を「広める」場合はどうか?

現在では『著作権法の定めた基準により著作者の許諾なしに行うことは出来ない』ことになっているのが主流かと。で、現実には著作者と広めたい人=使用者との間に前述の企業が入って「使いたいなら、こんだけちょうだい」と親指と人差し指で◯をつくるわけです。そしてその行為を正当化する理由をここ最近の流れでは著作権法に求めている。

待て。何故、商法でなく著作権法なんだ?というのが僕の疑問の趣旨。

「あんたにそんなことやられちゃ、うちの儲けが少なくなるわけじゃないですか。だから保証(補償?)にこんだけちょうだい」
「別にね。販売の仲介やってるだけじゃないんだよ。一から企画してアーティスト(笑)を育てて先行投資してやっとものになったものだってあるの。成果だけ好きに使われてもねぇ。だから保証にこんだけちょうだい」

と、言われた方が100%納得できるんですが。(確かTUT◯YAがレンタルサービスを初めて始めるとき、あるレコード会社に97億円を納めたそうです。コンテンツ代金はもちろん別途。その後も毎年いくらか払ってたはずです)

で、ここにきて何故に著作権?

「弊社の著作物にあたっては~…」とか言われてもどうにもへそ曲がりの僕はそこに別の「企業の論理」が働いているようにみえるんどす。言っちゃうじょ。

「言い値」でいけるからちゃうん?

それに「ショウバイの邪魔すんならゼニくれや」より「芸術を保護するために」って言った方が綺麗だしね。うむ、今日も中2病全開だぜ。

余談。
まあそういった綺麗な論理がまかり通るものですから、昨今巷では妙にいろんなところでいろんな人が著作権の保護に協力してくれるわけです。曰くあっちもパクリ、こっちもパクリ。80年代に甘酸っぱい想いを抱くワタクシとしては「今さら?」なんてことも多々あるわけです。じゃあずっとビートルズだけ聞いてればいいじゃんと想っちゃう(ハート)のです。しまいにはあの「アンタッチャブル」の乳母車階段落ちシーンすらパクリって言われりゃちょっと待てと言いたくなるのです。あんなにエイゼンシュタインへの敬意を感じるシーンもないじゃないか。映画マニアがニヤリッってするところを同じ映画マニアの監督がやったってだけで。もちろん同人誌で泣くことがあってもいいし、「スピン・オフ」て概念の立場は?とか思うわけです。(スラダン2はこれが生まれた経緯にオリジナルへの依存しか感じられず、そこに「愛」がないからダメ。主観ですか?)
余談終わり。

さて、企業さんのことはちょっと忘れて商品=著作物の作者に視点を当ててみれば。
どんな経緯があるにしろそもそも創ったそれを世に出した意味は?と問うてみたいのです。意味というか、う~ん、願いは?
できるだけ多くの人に届けたいからではないのか。もしそうなら…。
著作権に敏感すぎるがために当初の目的を阻害してしまっていることになってはいないか。

だって、大分前だけど、タイかインドネシアか忘れてしまったけど、その国の路地裏にはドラえもんの落書きがそこら中にあったって話を聞いたんです。で、その国の子供達はドラえもんが自分達の国で生まれたキャラクターだって信じて疑わないらしく。でも、もしもそんな話を、僕のイメージの中の藤子・F・不二雄さんが聞いたとしたら、きっとずっとニコニコ笑ってんだろうなって思うんだもん。(Aはしらん)


……そこでインターネッツですよ。みなさん。
(は~やっと戻った)


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あ~疲れた。まったくつくづく君はバカだな。何回リテイクすれば気が済むんだよ。いいか?俺は録音したいんだ。録画じゃないんだよ。自分のキーにあったコードをうまく押さえられないんだったらカポ使えよ。若かかりし頃のナガブチさんも言ってたぞ。皆、カッコばっかにとらわれすぎだ、カポを使えばもっと楽にコードを押さえられるのに、ってな。今はある意味違う方向でカッコつけまくってるけどな。まあいいや。これで最初の作業はすんだ。勝負はこれからだ。ようしようし。うまく世代をばらけさせてっと。F1/2層は当然チェックと。あん?何やってるかって。さらすんだよネットに。ウェブで情報をフィードしてCGMを狙うんだ。ちゃんとアグリゲーターを活用して市場の把握はできてる。SEOもばっちり。そこにお前をぶち込んでおけばSMOはまず成功だ…。今度は何が悲しいんだよ。あ?言ってる意味がさっぱりだって?大丈夫だ。俺も半分くらい自分で何言ってるか分かってない。でもやりたいことはできてるからそれでいンだよ。バカ。あ、あっちで写真撮らなきゃ。行くぞ。は?別に、顔だよ顔。イメージは大事だからな。別人使ってもいいんだけど。むしろその方がいいかな。ばぁか冗談だよ。だからな~く~な~よ~。何?かわぃく撮って?当たり前じゃないか。そうじゃないと効果がない。俺のフォトグラファー力(りょく)をナメンなよ。……グヘヘ。




蒸気船winny5

2006年10月06日 | 著作権
自分で書いておいてなんだけれど、ここで芸術論について深く言及するつもりは別になかったりする。(ごめんなさい)。著作権法はあくまで実用的でロジカルな「法律」であって、社会規範を定めた「法」とはまた別モンてすんませんもっと大学でちゃんと勉強するべきでした。

その昔、ある漫画で警察を舞台にしたものがあったんですけど、(あの踊◯大捜査線の参考になったってやつですよ)そのエピソードの中で、若い刑事がある事件で状況証拠が揃ってるのに動けない現状を見かねて上司に突っかかるって場面があったわけですが、受けたその上司が「俺たちの仕事は基本的に手遅れなんだよ」って言ってたんです。要するに出来事に対して公権力が“前もって”対処するような世の中はろくなモンじゃないってことで。昔は治安維持法なんて法律があったんだとさってことで。要するにそういうことなんですが。分かりませんね。失礼。どうせ俺はバカだ。ヘン。

えっと、いいたいことは法律ってえやつは、権利義務の交通整理のために生まれたものであって、且つそれが必要な背景があるってことで。著作権法なら(現代において)創作物をやりとりする(売り買いする)際のシステムってやつを整理するために生まれたもんだと思うってわけです。そこには創作物の「受け手」が当然存在するでしょってことですわ、はい。「買ってくれる人」がいること前提のお話なわけですから。(僕が思うポイントはその法の中に、受け手が果たすべき義務は何ら明示されていないんじゃないかってことなのですがそれはまた別の話)

保護期間がどういう基準で設けられているのか、設けるべきかは議論が分かれるところかと思いますが、言えるのは何年か経てば著作者はこの世からいつかは居なくなり、作品だけが残されるということです。が、「受け手」はいつの時代も存在する訳で。故にパブリック・ドメインだと思うのですがどうでしょうか?

さて、「売り手」の話。
僕の存じ上げている現代著作権法に明るいある方(いや某理事会の委員ですけどね)は「著作権法は、より明確に創作物のやりとりが出来るように定められたものであって、創作物の使用範囲を制限するためのものではない」と言っています。なるほど逆説的?でわかりやすい。こういう前向きな捉え方は僕のようなへそまがりにとってはまばゆいばかりです。

「これは俺が創ったモンだバカヤロー」と公に言える権利が著作権であると理解するとして、具体的には何が守られるかというと、大きく出ますが、そこは著作者の尊厳ではないかということです。ですから、例えば「スラムダンク」の(“本当の”)続編が書けるのは世界で唯一ただ一人、井上雄彦その人を置いていないわけであって、どこの許可を貰って「2」なんて数字をつけとんじゃコラァ!となるわけです。大体「2」って安直なセンスに怒りを抑えられません。それで面白けりゃまだいいものを(よくないが)つまらん、ときたからもう大変です。(本人が続編に「2」ってつけたら目も当てられんな)。他にもたくさんありますがまあ、あまり事を荒立てるのもどうかと思うので触れませんが。

他にちょっとずれた例ですが、「クレ◯ンし◯ちゃん」のグッズ販売権を何故か既に確保している会社があって、本編の著作権(版権という言葉は法律上はもう存在しない)を所持している出版社がし◯ちゃんグッズを出せない、なんて事実もあります。まあ、滅茶苦茶だなと思うわけです。

ところがどっこい、創作物=著作物を販売コンテンツとして見た場合、その「商品価値」までを著作権法が保障するかと言えば僕は、これにはどうしても疑問がわいてきてしまうのです。


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やあ、また会ったね。こんなところで何やってるんだい?って見たら分かるけど。今度はギターを抱えて歌を歌ってるって一体君は何をやってるんだ?しかもこんなところで。バカだな君は。何なら今からここらあたりの交通量調査でもしてやろうか?一体何人の人がここを通るか、それなら手伝ってあげよう。そのうち何人の人が君の歌を聴いてくれると思う?いや、やっぱりバカらしくてやってられないよ。よくやる気になるねぇ、こんな手応えのないことを。だ~か~ら~泣~く~な~よ~。悪かった。言い過ぎたよ。そうだ。一つ俺にだまされてみないか?もっと簡単な方法でもっとたくさんの人に君の歌を届ける方法があるよ。何?ばぁか。何もしないって。いいから今から俺ん家に来ないか?だから何もしねぇって!……グヘヘ。



蒸気船winny4

2006年10月05日 | 著作権
(「仕事が立て込む前に句読点的に」と書いておきながら結局立て込んでいまい、にっちもさっちもいかなくなりつつ、一方で帰結へ向かうはずの、用意した結論に反する事実が最近起こったしまったことに戸惑いつつも取りあえず終わらせようと思っております。ざるそばの)

<蒸気船winny 前回までのあらすじ>
[ネ◯ミーランドに行きたいなぁと思っても正式名称を書くことを躊躇せざるを得ない感情の有り処を探すうち、そのために使用していたツールで起きている問題点と自らの疑問が一致することに気づいたざるそばは嬉々として発表しようとするも、そのうちいくつかの矛盾といくつかの制約に押され停滞。なんだかもう悲しくなって来ちゃったと思いつつ、要するにP2Pスゲェな。だけど止められちゃったな。で著作権って何?というお話。がんばれざるそば、負けるなざるそば、明日はホームラン。と言うわけで↓]



パブリック・ドメインという言葉をご存じだろうか。
「パブリックドメイン (public domain) とは、著作物や発明などの知的創作物について、著作者や発明者などが排他的な権利(特に著作権)を主張できず、一般公衆に属する状態にあることをいう」「パブリックドメインの状態になった知的創作物については、知的財産権が誰にも帰属しない。そのため、所有権を侵害するような態様である場合などを除き、その利用を排除する権限を有する者は存在せず、誰でも自由に利用することができる。」(以上「」引用:wikipedia)

とまあ、言葉自体の(法律上の)定義はこんな感じだ。
「制作されてある程度経った著作物は、以後人類共有の財産としてみんなでその価値を分かち合いましょうよ」ということだと
僕は理解してる。

例えばレオナルド=ダ=ヴィンチのモナ・リザは既にパブリック・ドメイン(以後P.D)だ。だからモナ・リザの写真をこのブログにはっつけても何の問題もない。だからはっつける。

いやぁすばらしい。

こんなことをしてもルーブル美術館は文句は言えない。撮った写真家も文句は言えない(モナリザの「写真」は二次著作物でもあるから。詳細は割愛します)。彼らに僕がモナ・リザの写真を使うことそのものにどうこう言う権利はないのだ。でもルーブル美術館からモナ・リザ像を盗んだらダメよ。所有権の侵害ってやつです。泥棒なんだから当たり前。

だけど例えば、僕がここで「ミケランジェロのモナ・リザです」とか「実は僕が描いたものです。」なんて言ったらどうだろう?大問題だ。モナ・リザはどこまでいってもレオナルド=ダ=ヴィンチの作品だ。これはちゃんと伝えていかなければならない。(実はこの意見については「著作人格権」がP.Dになっても存続するかという問題としてあり、意見が分かれるところだ。だけど、以後の僕の説は、この考え方が主になってくるのでこう書くことにする)

当たり前だと思うかもしれないけど、偉業を自分の手柄にしようとする人。作品自体に敬意を払わない人はうようよいる。盗作に贋作にパクリに。この手の事件は後を絶たない。だからせめて公表後(あるいは著作者の死後)何年かは期限を定めて、必ず著作者にどこで誰がどういう意図で使用するのか連絡しなくちゃいけませんよ、って決めたのが著作権なのだ。著作者自身が「てめぇ勝手に俺の作品持ってくなよ」って言える権利を定めたのだ。決めないと法的に罰せられない。日本は一応、法治国家だ。
これが著作権を保護することだとすることにして。

だが、あくまでこの著作権というやつの土台は、その対象である著作物がP.Dになることを前提で成り立っている。期限が切れた後どうなるか。もう著作者(あるいはそれに類するもの)個人のものになって誰も使えなくなるってことじゃないのだ。誰のものでもない。みんなのものになるのです。

何故か。

芸術とよばれるものの多くは、特異な例外を除く限り、鑑賞する人がいて成り立つものだからである。
(それで「稼ごう」とするなら尚更である。)

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はい、「私は誰かのためにやってるんじゃない。自分のためにやってるんだ!ふざけるな!」と思った現代に生きる自称芸術家のあなた。その通りです。間違ってない。創作活動の根幹にあるものはたいてい自分のためのものでしょう。でもな。それ「だけ」なら発表すんなよ。できたものは自宅のクローゼットにでもつっこんどけ。それでも100年200年先、大地に埋もれたあなたの創作物が発掘されて、それを目撃した未来の人々があなたの創作物に「価値」があると「勝手に」判断したとき、あなたのそれはPDとして全人類の共有の財産となり多くの人に愛でられることでしょう。それか、ただのゴミになるか。それでいいじゃん。
何?嫌?今じゃなきゃダメ?自分のために作ったものをみんなにも見てもらいたいの?誰かのためにやったものじゃないのに?わがままだねぇ。でも、だったら発表するしかないね。それで自分の存在価値を表明したいのなら尚更だ。どうぞ発表してください。ごめんごめん。でもそれって評価してもらうってことだよ。それも自分の意図とは無関係に。自分の作品に対して自分と同じ評価だけを望むなら、わざわざ他人に見せなくてもすむよね。それでもやる?おいおい、泣くなよ。だからなーくーなーよー。悪かったよ、言い過ぎた。あのな、実は俺もお前と同じなんだって。同類だよ、だからそんな目で見んなよ。でもな、自覚してるかしてないかの差って、でかいと思うぜ。あ、もうこんな時間じゃん。いいよ、泊まってきなよ。ばぁか、なにもしねぇよ。シャワー使っていいよ。ばぁか、何もしねぇって!……グヘヘ。

(つづくよ)


蒸気船winny3

2006年09月23日 | 著作権
僕は坂本竜馬を尊敬しているので黒い船を見つけたときには、そこら辺の小舟で堂々と横付けすることにしてる(笑。
で、黒い船が何なのか分からないまま好奇心だけを推進力に進む。

当時の小舟のスペックは56kpsのモデムと128Mのメモリ、10GのHDにCPUがpowermacG3のiMACくんだった。ああ懐かしい。(こいつは今でも会社で元気に駆動している。)

が、致命的なミスを犯しこのクルーズは失敗に終わった。後先考えずに飛び出す馬鹿さ加減も坂本を尊敬する所以である。で、坂本を尊敬しているが故に僕にとっての勝海舟と出会うことができた。二人で再び侵入した船の中には、当時よく言われていた「便所の落書き」の世界の最下層とは思えない、随分と自分の印象とは違った世界があった。まあ、下らない比喩はこれぐらいにして。

正確には当時winnyはまだ発展途上、その他P2Pを体現したソフトもごく僅か。ハイブリッドP2Pだかなんだかで、要するにソフトを介してやりとりするのは基本1対1なのだった。

「おい、◯◯の××ない?」
「あるよ」
「くれ」
「いいよ。やるからお前も何かくれよ」
「わかった。これでどお?」
「オッケー」

そんな感じで契約は進む。当時、ファイルを交換し合う場合、自分もそれに見合うものを用意する、という暗黙の掟がユーザーの間に築かれていた。1対1の物々交換がコミュニケーションの最先端を使用した場所の大原則だったのだ。

実にほほえましい。
まるで路地裏でビー玉やメンコを交換するように。トレーディングカードを交換するように。
感覚はそれと同じだ。

またP2Pが現れるちょっと前、要するにアングラサイトと呼ばれるつまりは著作物ファイルの交換を仕切る場(サイト)では、ダウンロードした場合、必ず掲示板にお礼を書かなければならなかった。しかも厳しい。一度でもお礼を言うことを怠ったら次から使用させてもらえないこともしばしば。でもそこはネットの世界。たちまち氾濫する「お礼コピペ」の嵐。自分で1文字も書いてない人だって大勢いるはず。今で言えばヤフオクの出品者・落札者評価みたいなもんだ。だがそこには敢えて突っ込まない。大事なのはとにもかくにもお礼といわれる行動を取ったかどうか。

要するにここでやられていたことは、普段リアル世界(っていう言い方は嫌いだが便利だから使います)で行われているような「ものの貸し借り」と感覚が同じなのだ。

まるで友達の部屋に来て興味を持ったCDや漫画を借りていくように。同じミュージシャンを好きな者同士、自分たちの持っいる関係グッズを持ち寄るように。漫画週刊誌を買う当番を持ち回りで決めて回し読みするように。そしてそんなときに交わされる軽い気持ちの「ありがとう」。

サイトを運営する、あるいは初期P2Pソフトのユーザーには自分のお薦めを他人に知って欲しいという欲求もあったはずだ。
「ちょっとこれ、聞いてみてよ」
それを「自分の周り」というごく限られた空間から一気に(理論的には)世界中に言える可能性を持った場所が彼らにとってのインターネットであると感じた。

winnyの制作者である「47」氏(敢えてこう表記させて頂く)はこういったユーザーの需要をちゃんと読みとって、ソフトのバージョンアップを定期的に行っていた。そしてそれが著作権侵害行為を助長することに繋がることも明らかに理解していた。むしろ更にそういった方向性が加速するように、いやただ、より使いやすく便利になるように改良を加えていった。彼のソフトは、今では不特定多数が不特定多数からファイルをやりとり出来るようになっている。

某掲示板には彼の「わかってるけどやっちゃうもんね」と言いたげな発言が見受けられる。もちろん基本的には一技術者として自作ソフトの向上の延長線上にP2Pというシステムの向上と理解を狙ったものであると発言していると思うけど。また使われ方そのものに対しては「それでいいんじゃないの?」という感情が根底に、あるときはわかりやすく乗っかった発言をしているように僕は読みとった。

公判上で「47」氏は「一技術者として、自分のプログラムをより完成に近づけたい」という決意をしっかりと発言している。売られた(買われた?)喧嘩はまだ続けるようだ。

つうわけで著作権侵害幇助については、多少なりとも本人にその自覚はあったんじゃないかと思われる。
なら、そもそも著作権を保護するってどういうことだ?


蒸気船winny2

2006年09月22日 | 著作権
「ファイル共有ソフト」とはよく言ったもので、winnyを積むPCは文字通りネットワーク化され完全に他のPCと繋がるわけだ。PC内のファイルはそのネットワークの中をずっと漂っている。互いに繋がったPCの中のファイルは、まさしく共有財産というわけだ。で、問題は「何を共有しているか」であったりするわけで。

ご存じの通り、このwinnyの制作者が逮捕されたのが2004年(この年はいろんなことが起こりすぎ)。罪状は「著作権侵害の幇助」。いや、ちょと待て。

これには多くのPC技術者、プログラマーが首をかしげたはずだ。

カ◯ーラがガードレールに突っ込みました。100%自損。ドライバーの判断ミス。これでTO◯OTAの技術者が逮捕されるって普通考えられないだろう?カ◯ーラに致命的な欠陥があったとしたら話は別だが(そういえば、こないだのリコールはどうなった?何故もっと報道しない?大体分かるけど)。だけどwinnyの場合、真っ先に制作者が逮捕されたのだ。これは異例だ。

道具はどこまでも道具だ。包丁だって人を絶命し得るのに十分な役割を果たす。毎日自動車通勤をしている人の中で、やろうと思えばいつだって自分は人を殺せるモンスターに乗ってるんだって自覚している人が何人いる?(だから「免許制」で歩行者優先なんだ。完全に余談だけど、車乗ってる人はもっと自覚してほしい)。大事なのは使う人間の知恵と勇気(笑。

とまあ、考えるにどうみてもこの「逮捕」はネット社会への警告及びみせしめというふうに僕は捉えてしまうのだ。とはいえ、確かに技術の進歩に人の常識が追いついていなかった部分はあったかもしれない。
でも、

「泥棒に入られた?鍵閉めてないなら入られてもおかしくない」ってぐらいに
「個人情報流出?winny入れてるPCにそんなもの入れてちゃダメ」って

当たり前に言われる時代は、今のネット社会の進行速度を考えれば、あっという間に来たような気がするんだ。

ともかく、この一件で「P2Pは今のところNO!」とお上に宣告されたのは事実と思うしかない。まさに「ネット池田屋事件」。維新はこれで3年遅れた。どうにも僕には、この判断を下したお偉いさんが、観たこともない巨大な黒い船に突然来られて、思わず大砲ぶっ放しちまった長州藩と重なって見えてしまうのだ。

じゃ、著作権侵害幇助そのものについてはどうか。
それについての考察は次回。

やらせてくださいな。


蒸気船winny

2006年09月21日 | 著作権

この画像は文中の内容に何ら関係はありません。


(思った通り仕事が立て込んできたのでここらで句読点的に。)

先日ある番組を観ていたときのこと。
千葉の◯ズミーランドの特集ということで、某タレントさん達がその場所で乗り物に乗ったり食べ物をほおばったりしていたのですが。
その夢の国には「隠し◯ッキー」なるものが潜んでいるそうで。それを見つけるといいことがあるらしい。どんないいことなのかは忘れた。まあ、そこらのモニュメントや何の変哲もない建物の中に「ある法則に従って丸が三つ並んでいる」のがミッ◯ーだそうだ。レストランの入り口にレイアウトしてあった酒樽の並びがそうだったりするみたい。
面白い遊びですね、と素直に思う。おおミッキ◯、大安売りだな。丸が三つでもうミ◯キー。さすが夢の国。国外で同じ並びを見つけた場合はどうなのか(笑。「ちょっと、ちょっとちょっと」ってざ・たっちなみに「待った」が入るんだろうか(笑。

ミッキーマウスが映画「蒸気船ウィリー」で初登場したのが1928年。その後誰からも愛されるキャラクターに成長し、生まれ出でてから50年以上が過ぎた。彼が生まれた1928年当時、アメリカの著作権法による保護期間は56年間。つまり、保護は1984年で切れるはずだった。

しかし、保護が切れる寸前、1976年に著作権法は改正され、保護期間は75年間に、更に1998年に制定された著作権延長法にによってアメリカにおける著作権の保護期間は95年間まで延長された。これによりミッキーマウスの保護は2023年まで延びることとなった。「ミッキーマウス保護法」なんて揶揄されたもんである。ここに至るまでミッキーのお父さんが何をやったかを知る由はない。興味もない。問題はこの動きに合わせて日本でも著作権の保護期間が延長されたことだ。「黒澤映画保護法」なんて揶揄があったかは定かでない。(ちなみに日本では映画の保護期間を70年に延長)

かように日本が著作権保護に関して敏感に反応したのは何も「米兄さんのやることだから従わなくっちゃ!」っていういつもの調子で行ったわけではなく(←そうかもしれんが。でもその姿勢自体をまるっと避難するつもりもない。今回は論点ちょっとずれるんで)日本国内でも年々「著作権保護」に関心が高まってきていることが背景にあったのではないかと僕は感じる。
そして、ネット社会で起きている現象がその根幹にあることは確実だ。(まあ、販売コンテンツ不調を補填するための他方面からの収入保持って面もあると思うんだけどここは誤魔化す)

つまりは著作物の違法コピー、アップ・ダウンロード。しかも情報的に劣化することがないデジタルコピー。(デジタルコピーそのものについては早くから懸念されていたことは皆さんご存じの通り。CCCDなんてありましたね。)

最初にたまらんわと声を張り上げたのが音楽業界で、次がジャ◯ーズ(笑。で、動画コンテンツを扱う業界が続く。出足の遅かった動画コンテンツ業界は、最初はPCの高性能化とブロードバンド化の加速及びブロードバンドそのものの高速化によってちらほらと、そしてあるソフトの登場によってとうとう本腰を入れたように思う。winnyだ。


(休憩します)