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匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

テレビは広告で成り立ってる

2011年03月22日 | 動画
のだから、CMを自粛するってのはどうもなーと思う。
スポンサーが金だしてるから運営できるんじゃないか。
今日もテレビは放映してる。
流してる情報は無駄ではないんだし。

えーしーえーしーウザイっつうのはよく分かるけど、
それはACよりも編成の判断の問題が大きいわけで。
文句言うならテレビの編成局だと思う。
AC自体は「枠があまってたら流してね」って、素材を渡してるんだから。
ACが今の状況をつくりだしたわけじゃない。

それでも謝罪したACは……オトナだなーと思ったり、いろんな意味で気を使ってるんだなーと思ったりする。
でも謝っちゃうってことは認めちゃうってことだから、今回の状況を創りだしたのはウチですってことになっちゃう。謝罪を見聞きして、そう思っちゃう人がいる。
それはどうなんだろう。微妙だ。

ウザイっつうんならさー。

コレ流そうぜ↓



かっけー!(笑)

額のワンポイントが出るときにきちんと「えーしー」ってSE入る!
こまけー!

コメント欄にもあるけれど、
こういうものをどこかの誰かがちゃちゃっと創れてしまうこの国は、
きっと大丈夫だと思うよ。

不謹慎?
でもさー。

『長い夜』過ごしたり
「それでも恋は恋」っつってたり
さんざんどこの歌手よりオレは歌がうまいっつって、
司会者に「じゃ美空ひばりは?」と問われたら
「………五分だな…!」って逡巡しながらも豪語するおっさんがさー。

「今、知恵のある奴は知恵を出せ!
力のある奴は力出せ!
金のある奴は金を出せ!
知恵も力も金もない、オレには何もないって奴は…

元気出せ!」

って言ってたらしいんだ。

オレ、知恵も力も金も無くてさー。どうしよっかなって思ってる矢先、
コレ聞いて、
で、さっきの動画観て大笑いした。
大笑いしたら、元気でたよ。




今回の原子炉事故(等)に対する岡田斗司夫のツイートまとめ

2011年03月12日 | 雑記
http://twitter.com/ToshioOkada


●今回の原子炉事故に関して、理屈民族なりの対処法を考えてみた。人よりは多少なりとも理屈っぽい自分や同種の人間が、いまなにをするべきか。未整理かもしれないけど、とりあえず書いてみる。


●これから書くことを、僕自身は忠実に守ろうと思う。別に同意する人や賛成や反対する人がいようとかまわない。「僕はこうする」という基本線をちゃんと説明して、大げさかもしれないけど「宣言」しようと思う。

まず、ニュースは一日3回しか見ない。
新聞の朝刊と夕刊、あとは昼間にテレビのニュースを見るだけ。これ以上の「事情や情況を知ろうとする気持ち」は、自分自身のエゴだと思う。被災の当事者でもなく、東京に住んでる僕はどんなに当事者風に心配してもやっぱり部外者だ。

次に「買いだめ」はしない。
これまでと同じく、普通に生活する。新聞や大メディアが「大丈夫」と言ってるんだから、彼らを信じる。不安で買いだめするのは「買えない人たち」や「不安で買い占めする人たち」の不安をさらに加速させるだけだ。自分たちだけでもやめよう。


●ニュースを見ないのは、僕たちには固有の「悪い癖」があるから。僕たちは「普段は知らなすぎ」「非常時はムキになって知りたがり」だ。これ、逆であるべき。平時は注意深くニュースを監視すべき。非常時は思い切って専門家たちに任せるべき。

地震や津波の被害、原発の情況を、僕たち日本人の大半が知りすぎようとするのは、どう考えても「負の連鎖」を生む。テレビを見るために起きていては電力を消費するし、僕たちが不安な気持ちになっても問題の解決に役立たない。

家族が被災地にいる人は、そうはいかないだろう。でも僕たち大半の人間にとっては「知りたい欲求」「不安な気持ち」は押さえられるはずだ。それを「不安だから」「知る権利」と考えちゃいけない、と思う。


●テレビ局の報道ヘリが爆音をたてて被災地を取材し、その騒音で救出活動が妨げられるという。この事実に僕は今日までの自分を恥ずかしく思う。不安だから、知りたいから、リスク回避のために、僕たちはいったいなにを要求してるんだ?

リスク回避、というのは簡単に言えば「なんとか自分の助かる可能性を上げよう」という試みだ。それはわかる。でも、この非常時で僕はやめる。やめたほうが「全員の危険や不快」が下がると「理屈っぽく」思うからだ。


●もちろん被災地の状況を知ることで義援金を送ったり、ボランティアに行ったり「いいこと」もいっぱいあるだろう。でもそれは「一日3回のニュース」で充分じゃないか?それ以上、僕たちが全員で心配して不安になって「いざというときのために備え」るのが、いいとは思えない。


●「実は政府は隠してるけど」「実はこんな有害物質が」・・・こんなデマが出回るのも「善意」があるからだ。「自分の大事な人を、早く守ってあげよう」という善意。しかしそれは、非常時には「情報テロ」になってしまう。


●誤解を恐れずに、あえて僕は言う。「もし、本当にダメな時が来たら、みんなで被害を分け合おう。一人だけ助かろうと思えば、けっきょく自分も周囲も不幸になる」 すごく愚かなことを言ってるかも知れないけど、理屈で考えたら、これが最適解ではないだろうか?


●報道を信じて、政治家を信じて、専門家を信じようと思う。自分たちのシステムが作った報道であり、選んだ政治家であり、作った教育システムで育てた専門家だ。彼らを信じて僕たちは普通に暮らすのでいいと思う。

行政の指示より早く動いて、それでいくばくか「得」をしたと思うのは、もう沢山だ。僕は「普通に」ニュースを見て、「普通に」買い物をして、「普通に」被災地に義援金を送ったりする。それ以上の行動を行政から求められたら、即座に動く。


●もう一つ、大事なこと。僕が言ったやりかたを、人には強制しない。これは「理屈っぽい」考え方だ。いま、現に不安な人はこういう考え方をできない。だから無理に説得はしない。自分だけのルールとして守ればそれでいい。


●僕たちは「大人」だ。大人の役割は子どもたちに「空手形」を発行することだと思う。「地震や津波でたいへんだね。”でも”絶対に”大丈夫だよ」「原子炉?ああ、絶対に大丈夫。でも政府が言ってるから避難しようか?」

子どもに空手形を発行して、「大丈夫!」と言い切るのは心が痛む。だからと言って、子どもや冷静になれない情況の人に「ますます大変になるぞ」と不安を届けてもなんにもならない。

アニメやドラマを見ていると、非常事態になったら騒ぎ出して責任を追及する「ヒステリックな市民」というのが出てくるよね?僕はああなりたくない。普段は専門家にツッコミ入れようとも、非常時には彼らを全面的に信用する。でないと誰も責任者をやってくれなくなる。

もちろん僕にも子どもがいる。自分より大事な人もいる。そんな人のためには、と思う気持ちは僕だって同じだ。でも、みんなが「自分や、自分の大事な人のために」という不安で行動したらどうなるのか、もうわかってる。だからやめる。結果を世間と共有する。


●というわけで、ツイートはここまで。これを読んでくれたみんなに約束しました。買いだめしない。必要以上に知ろうとしない。専門家を疑わない。結果をみんなと共有する。ニュースは一日3回まで。できるだけ、今までどおりの暮らしを取り戻して、復興の手助けをする。

では、テレビを消して仕事をします。みなさんもお休みなさい。みんなに良い夜でありますように。


デーゲーム

2011年03月10日 | 音楽


●故人をネタにしているようで申し訳ないがやっぱり書きたくなったので書いてしまう。
そうだ僕はひどいヤツだ。


これとかこれでさんざん書かせてもらってる、例によって例の如くの話で、

そう、「やりたいこととやれることは違う」って話で。

だからといって特に今更言葉を重ねることもないのだけれど。
やっぱりどうにもいたたまれなくなってしまう。
そこには大きな尊敬と、きっと不意に訪れるであろう諦観を勝手に推測して切なくなってしまう気持ちとの、揺らぎの連続で、
やっぱりどうにもいたたまれなくなってしまう。


歌手になりたかったんだってさ、二郎さん。

でもって、当時の才気走った萩本の欽ちゃんに寄り添っていけるのは二郎さんだけだってことも、多くの人が言ってるのを聞いた記憶がある(記憶違いだったらごめんなさって)。

どうなることが、本当の幸せだったんだろうね、二郎さん。
僕にはわからない。


埋め込んだビデオじゃ、リズム外してる。でも予想してた以上に実直な、まっすぐな声だって印象は、シングルを買って初めて聴いたあのときと変わらない。

これからは好きなだけ、歌って下さい。
安らかに。




にしてもよりによってナゴヤ球場とはね。


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●↑本編PV。

もう明らかに変化球なわけだけど(野球だけに笑)、
当時のアイドルバンド雑誌「パチパチ」とかで取り上げられるミュージシャン勢の中では明らかに異色であったわけだけど。

そんなところが好きだった、と言われれば、そうかも知れない、と答えざるを得ない。
そう、答えざるを得ない。


●今の30代でユニコーンのファンじゃなくてもなんとなく知ってる曲っていえば、
『大迷惑』か『雪がふる町』かコレって人、多いんじゃないかって思う。

で、実は僕としては、こういった遊び方?に関して必ずしも諸手を上げて賛成してたわけじゃなかったように記憶してる。

4作目のアルバム『ケダモノの嵐』が出たときに、同輩のギターくんと部室で

「もっと真面目にやれよ、なー…?」

なんてお互いの腹の内を探るような会話をしていたことを思い出す。
(当然「なに?ワザとヤッてるっていうのがわからないの?ダセー」って言われないように警戒してたってことだ)


●もちろん、どこかついていけない部分を感じながらも

【"バスケット抱えて"ベースボールウィークエンド】

って歌詞のセンスにはどうしても惹かれてしまってたのも事実。

【負けないで】とか
【頑張って】とか
【いつか夢は叶うはず】とか

カンタンに無責任に重さを伴わず、120円いれてボタンを押せばゴロンと出てきちゃうようなノリで言われるより、

よっぽど素直に聴けて、ウィット?にニヤっとして、果ては"敢えての"リアリティまで感じてしまっていたような気がする。だからずっと聴いてたんだけどね。



●かといって、この曲がりリリースされた当時の僕は、この企画に

「ボーカルが【坂上二郎】ってウケるぅ~」

ってノリを感じて、嫌悪感さえ抱く寸前だったかもしれない。

それでも、真っ直ぐに、実直に唄う二郎さんに、なぜだか憎めないシンパシーに近い何かを感じてしまったのも事実で、

ラストのフレーズ、【今も過ぎ去った日の~】ってところ、本当はメロディラインは2拍3連なんだけど歌いきれていないところも、なんだか微笑ましくて、

「違げーだろジロー!」

って言う気になれなかった。


●これをOKテイクにしたユニコーンの連中の中にもそういった気持があったらいいな~なんて思いつつ。

実はBメロの民生が唄うターブ上ハモリを、隠れて必死に練習してたり(笑)。結局唄えなかったり。



●そして今現在、仮に誰かに

「ユニコーンのベストアルバムは?」

と聞かれたら、

「『ケダモノの嵐』か『ヒゲとボイン』」

って答えるオトナに、僕はなりましたとさ。

どっちがよかったんだろうね、二郎さん。


●今更ながら、思い出したように失礼ながらもう一度。

安らかに。

歌唄いっていいよな

2011年03月09日 | 音楽
●つうわけで話題に乗りまくって便乗。



ご存じない方に概要解説。

なんか、ダイヤ乱れで足止め食らっちまって、お客さんのイライラが蔓延してた空港に、同じくその場にいたシンディ・ローパーが空港のアナウンスマイクでアカペラ祭りをやった、というニュース。

元記事↓
http://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1363632/Cyndi-Lauper-calms-angry-airport-passengers-breaking-song.html

翻訳記事↓
http://rocketnews24.com/?p=78711


●なんかね、もうね、
例えば、実はテレビ番組のどっきりでしたとか、
ある筋が仕掛けた大きな意味でのプロモーションであるとか、

そんな勘ぐり、やる人いると思うし、そういう可能性を否定できないと言えばできないけど、そんなんほんともーどうだっていいんだ。

例えばコレが映画のワンシーンだったとしてもいいんだ。

シンガーが、自分の声で、歌で、Songsで、廻りの空気を変える、幸せに変えるっていう現象がいいんだ。
感動するんだ。
すげーって思うんだ。
ワクワクすんだ。
それが大事だ。
その気持が大事で、それだけが確かなことで、
その現象がフィクションかノンフィクションかなんて、
ほんと、もー、
ほんとに、もー、
どーだっていいんだ。

(「下衆の勘ぐり」とまで言うつもりもないけどね。他の分野で、別の状態で、違うシチュエーションで、その日の気分で、ぼくだって同じような勘ぐりをするかもしんないから)


あーいいなー。
喉ひとつで、なー。
もちろん曲もいいけどさー。
テメーの体ひとつで表現できるって、素敵だなー。

でもってやっぱり音楽の、ポップスの力ってすげーなって思う。




記事を読んでる最中に思い出してしまって検索してみたら、まったく同じ人がコメント欄にいた(笑)

また別の人は
「当時小学5年生で見にいきました。今でも子供とみています」
だってよー。

オレも見に行ったよ。小学生のときにね。
で、昨日もひとりで見たよ、この動画をね!(笑)

小学生(多分)のときに、初めて友達と一緒に自分たちだけで観に行った映画です。
トレジャーハントはいつだってロマン心をくすぐるね。
マイキーが吸ってた喘息吸入薬が僕の目には珍しくて、羨ましくて?吸うマネしてたんだけど、後々けっこう強いクスリで、「もう限界!」って時にしか使っちゃいけないって聴いてすごくビビったのを覚えてる。



で、これっすよ。
やったやったやりまくった。
タイアップ/キャラクタゲームはクソゲーっつうのが80年代の常識だったんだけど(その常識作りにバンダイが多大な貢献をしてたわけだけど笑)、これは純粋にゲームとしても面白かったと思ってます。

えっと、BGM、多分許諾とってないよね(笑)
当時はおおらかだったからなー。

それにしても8bitミュージックの心地良いこと。

以上です、キャップ。




せとぎわ!

2011年03月02日 | 雑記
お久しぶりです。

と書いて、おひさ~と思ってくれる人はいるのかな?

すっかり月イチ更新が板についてきた本ブログですが皆様いかがお過ごしですか。

僕はスジナシ見ながらコレ書いてます。
中部地区限定ですかね。
つるへー、いや鶴瓶さんがやってる、毎回ゲスト(主に俳優)を呼んで台本なしの即興芝居を繰り広げる番組です。

まあ役者志す、演劇に詳しい人ならだれでも知ってるエチュードってやつですね。
本当は場面(舞台)設定まで即興でやる場合もあるんですが、この番組はしっかり舞台は整えてあってシチュエーションが固定されてます。割と制限あるんじゃないかと思います。

あー別に書きたくないこと書いちゃった。
鶴瓶さんは他人の話の腰の折り方が、僕にとっては多分に失礼に感じることが多いので(しかもそこまで強引に腰を折った割には挿入される話が面白いと思ったことがあまりない)実はあまり好きではないのですが。

好きじゃないことを報告するのはあまりよくありませんね。

まーいーや。

いろいろとまーいーや、な気分でう。

スジナシも「すじなし!」とかにして萌えキャラだせばいいのにね。
ある意味鶴瓶さんは萌えキャラか?
腹黒丸出しなところも含めて昨今のヲタ事情・流行りのキャラと相似な部分が多いのじゃないかと密かに思ったり。


●さて、タイトルですが、せとぎわってやつで。
いろいろと大きなことや小さなことが廻りで起こっておりますよ。

いちいちご報告は差し上げませんが、ひとつだけ言うと恐らくは、
今までのマイ人生で、今、確実に岐路であるということです。

どう転がるんだか。

そしてもうひとつだけ付け加えれば、
ワタシの数いらっしゃる師匠のお一人が宣うには、

「人生の選択において間違いはない」

らしく。


●その方は(多分いってもいいとおもいますが)
絵師になりたく美大を目指すも色盲のため受験資格が与えられず(※今は受験できるそうです)、

ならばと哲学科に入り真実を究明しつつ(全然違うやんという方、もう少し考えてみてください。僕は芸術と哲学は親和性がすごく高いと思います。だからと言って理屈がオモテに出すぎるのもまた良くないとは思いますが。いや哲学=理屈っぽいというイメージ自体が間違いだとも思いますが)、

卒業後就職しようと思ったら、ただでさえ不利な学部なのに更には時代はオイルショックの真っ只中で、結果、就職浪人になってしまうという、

何とも一見、間の悪い人生であるがしかし、その経験は、今の自分にとって一つも無駄になっていないと断言出来る人です。

その人は、教卓に立って話し続けます。

「なぜなら私は、今、こうして、君たちの前で話せているからだ。美大に入れず、哲学科を履修して、オイルショックと就職時期が重ならなければ、私は教卓に立とうとも思わず、君たちには会えず、君たちにこのことを伝えることもできなかっただろう」

(本当は実際のその場で、受験直前に教室で聞かないと威力が半減するおはなしです。周到に用意された舞台と伏線があって成り立つ話なのです。中途半端に引用してしまって、話の主人公にも、読んでいただいている方にも、申し訳ありません。ですが即興ではできないこともあるということも伝えたかったのです)


●尊敬しております。
その方の言葉にウソがないということは、ワタクシ程度の人間が注釈を入れるまでも無いと思いますが、敢えて拙言を加えさせて頂ければ、

その経験を無駄にさせない努力と才能と屈しない心が、その方にあったのだろうと思うのです。

重ねて尊敬しております。

そんけい!

そんなふうになれたらいいなー。

何年後かに、

あのときの経験は無駄じゃなかったっ!

って言いてーなー。

まあ取り急ぎ、

おつかれ!




ほんとマジさいしょびびったわ。
3連裏打ちでバスドラ連打とか今でもできねーんですけど。
ただの連打じゃないからね。リズムパターンでやってるからね。

ま、練習しますよ。
5年後ぐらいにはできるようになってるんじゃねーのかなー(笑)


…5年後も続けてられるといーなー。