匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

’10岐阜Live告知

2010年06月29日 | 告知
2010年TAKUMI DUO名義での初ライブです。


TAKUMI DUO LIVE in GIHU



■日時
2010年7月8日(木)
19:10 開場
19:30 開演(~21:00)



■場所
ハートフルスクエアG 2F音楽スタジオ(JR岐阜駅ビル東隣)

※JR岐阜駅改札口から徒歩2分
ハートフルスクエアーG2F 音楽スタジオ(大)



■完全予約制

予約を希望される方は、ライブ後援(河合塾岐阜校大学受験科)宛、電話で申し込まれてください。

TEL : 058-264-5581
(河合塾岐阜校大学受験科)



■ゲスト出演

当日はアカペラバンド「新(あらた)」が来演。
彼らの、心地好いハーモニーとエネルギー溢れるパフォーマンスも、モチロン、必見、必聴!


※公共施設を借りています。
※河合塾岐阜校生への壮行イベントです。
※でも、一般の方でも全然参加OKです。友人・恋人・ご家族大歓迎。
※ライブチャージはなしよ。


映画「告白」を見ました~少なくとも『重力ピエロ』より良心的~

2010年06月27日 | 漫画映画小説ドラマ
タイトルにした映画及び小説のネタバレ含みます
つか、観る前に検索すんのやめれ。









というワケで感想です。
久しぶりに「映画」を観た、という感じです。
映像と脚本とセリフと音楽と編集が見事に融合していました。
無駄なカットがひとつもない。全てのカットに意味があるように思いました。

質感からカット割りにいたるまで、スタイリッシュでありながら、暗示的であり、かつメタファ。

忌まわしい過去は、極限まで彩度を落としコントラストを上げた無機質な画。
願望と夢の時間は、露出を上げて眩しく、コントラストを落として淡い色調。
ただそこにある現在は、温度の低いブルーで、淡々と、でも抑圧的に。

うるさい教室と、ひたすらに温度のない教師の小声。
法廷の木槌のように空気を切り裂く、出席簿を机に落とす音。
元に戻せない高速の時間が悪意を包みこんでいく様を、レディオヘッドの楽曲を加速力にカットを詰め込んで飛ばしていく。
絶望とズレた意識を敢えてコミカルなSEで。

逆回り時計が正常に時を刻み始める暗示。
腕時計とリストバンドに隠された「L」の文字。
牛乳。
注射器。
鉈。
血。
映像が言葉となってリズムを伴い詩を紡いでいくカタチを、久しぶりに体験しました。


大げさすぎる描写も敢えての演出だろうと。
一目で、ビジュアルで理解できるように。

学級崩壊の様子とか。
優等生然とした制服姿と私服の対比とか。
この私服がまた、狙ってなのか中学生の実態を追えていないのか、あの子だからそのズレ方なのか、まぁ…ケレン味(笑)あふれるカッコなんですよ。意図的なのははっきりと分かる。対照的に男の子の方は、パーカとジーパン(ジーパン!)でしたからねー。いや、敢えて『ほとんど』普通の中学生、というのを表現したかったか?

何度も何度もカットインする屋上のイジメの描写。絶望的に空を見上げるいじめられっ子。天気は当然、曇り空です。で、決定的な事件が起こった夜は嵐になる。
わかりやすい。かつ情緒的。

中心人物の男の子と女の子のキスシーンなんて水辺で夕陽をバックにシルエットで、ですよ。キレーすぎる。そのキレーな画が女の子の絶望的シーンでフラッシュバックする。キホンです。キホンを確実にやるとこんなに効果的なんだと思わせます。


原作の方は一人称で構成され、章ごとに主人公を換え、同じ事件についてそれぞれの立場から語られる、というモノローグ形式をとってます。これ、もちろん意図的にそうしているのですが(で、この形式がこの作品の根幹でもあると思うのですが)合計で6人もの人物が同じことについて語るので後半さすがにだれてくる。そのあたりの構成の「仕方なさ」も、映画では各々の「告白」をシャッフルしていくことで救っています。練られた脚本。


さて、標題の件についてですが、
かつて、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』を読みましてね(映画は観てない)、そのレビュー記事をざーと追っていたときのことです。
ある人が、主人公が起こした行動について擁護の立場をとっていまして。
まー、要するに復讐のための殺人について。
それ自体を擁護することについての賛否はここでは控えますが(何故なら1行2行で終わらないから)、気になったのは、反対の立場をとる側についての予測した反論の一部に、

「まさか、『法治国家だから』なんてくだらない理由をあげないよね?」

なんて書かれてあったことです。
もうね、三十年戦争はなんだったんだ、と。
『神様』も『法』も無視するのなら、何によって秩序だてていくつもりなのか、と。
いいかげん、「ルールを守りましょう」の呪縛から解き放たれてくれ、と。「ルールに守られている」可能性に目を向けろ、と。その上で議論しましょうよ、と思うのです。信号のある交差点で交通事故が起きるのはなぜか、と。


その上で『告白』に話を戻し、かつ標題にした言葉の、まずは意味を記すなら、
後半、ファミレスから立ち去る松たか子のシーン。
1カットで、明らかにそれまでのカット平均尺から逸脱した長尺で撮られた、
そのシーンが答えです。
怒りと絶望と後悔と悲しみと愛情と、理性の、全てが同時に彼女を襲った末の慟哭。その後の一言。
脚本としては、完全にここがクライマックスです。あとは決められた予定を消化するだけ。映像的なクライマックスはここからです。最も力のあるシーンがこの後に続きます。このフーガのような、カノンのような構成。作品のクライマックスの描写を二つに分けた、ってことが、僕が『良心的』という言葉を、今度は選択した理由です。

映画のレビューとしての最後に、ちょいプロダクション的な部分を書かせてもらえれば、非常によくできた映画でしたが(上から目線で『よくできた』なのは、『面白かった』『最高』などどいう言葉を使うと作品のテーマ上、余計な誤解を招く可能性があるから)、本編の主役級を演じるティーン俳優の皆さんがおしなべて演技力が少し…という点。まぁこれはむしろ器用な演技よりあの世代しか持ち合わせない、なんともいえない『危うさ』の方をとった、と見たほうがいいかなー。

…窪塚洋介があと10年遅く生まれたら…
…濱田岳をキャスティングできたら…

なんてタラレバを言えるのは観客の特権(笑)。
あ、濱田岳は「アヒルと鴨のコインロッカー」の瑛太じゃないほうの子です。
金八センセで、給食費払わない親の子役だった子です。

脚本的にひとつだけ。
『告白者』のひとり、優等生の女の子、ケレン味(笑)ある私服の子である役名「美月」クン(13)笑ですが、この子のエピソードが、原作から一番削られていたのが結構な不満です。原作読んだときはこの子に一番感情移入してしまったがために笑。

まあでも、お話を整理するためには一番削りやすいキャラだったのは確か。でも熱血先生を追いつめるシーンは完全にoffコメでモノローグかぶっちゃうのはどうなんだろう。しかもそのシーン、まるで、例えば

好きになったセンセを視聴覚室に呼び出して、思いが受け入れられないとみるや、自分で制服破いて、大声を上げ、騒ぎにして、集まってきた他の教師に

「せ、せんせーが、せんせーが、わたしをぉぉぉ!!!!!」

なんつー、ありがちな狂言を演じたような、レベルが低くあざとさたっぷりの行為に見えてしまいました。
原作での追い詰め方はもっとリアルで、…恐ろしかったですよ。

まあでも、登場する13歳があっちもこっちも天才肌のアッタマよくてそれがために壊れてしまった子ばっかじゃねー。『ただの』不安定で感受性の高い子って設定の方がすっきりしたのかもしれません。

ただ、僕がこれだけはカットして欲しくなかったセリフがあります。

美月クン(13)笑は、殺人を犯した生徒をイジメることに参加しなかったが為に、自分もイジメられます。嬉々として自分たちを『正義の名のもとに』いじめるクラスメイトについて、『被害者であり加害者』である教師にモノローグでつぶやきます。

「悠子先生、直くんと修哉くんが人殺しなら、ここにいる子たちは何ですか?」



最後に作品のテーマ、というか原作について。あるいは捉え方について。
性懲りも無く、原作を読んだ後、ネットでレビューをあさってしまったわけですが、特に原作のアマゾンレビューが酷い酷い(笑)

曰く、
「作者の倫理観を疑う」
「これが本屋大賞だと?こんな不謹慎な作品を選ぶなど本屋大賞も落ちたもんだ」

等々。

反論を述べるとすれば、
前述しましたが、この作品、各章がそれぞれ事件に関わった人間の一人称で描かれています。各々のモノローグでそれぞれの価値観=倫理観について存分に語ってくれます。
重要なのはそれぞれの価値観がそれぞれ微妙にずれていて、対立していることです。
自分自身の中では矛盾のない正論、つまり正義であることがポイントです。最も顕著なのが娘を殺された教師と娘を殺した生徒の母親の視点の違いです。一人称だからこそかける自分の正義への疑いの無さと、各章によって人物を換えることで浮かび上がる各人の『正義』のズレ。
かつてどこかのコピペで(クレヨンしんちゃんだったか?)

「正義に対するのは悪ではない。また別の正義だ」

なんてセリフがありますが、まさにこれ、あるいは真逆、裏、対偶?(数学わからへん)。
分かりやすく言い換えるなら

「自分にとって正義は他人にとっての悪」

ってとこでしょうか。

大事なのは、立場によって姿・見方が変わる倫理観=価値観というものを、『いくつも』『一人が』書けるということはどういうことなのか、ということです。
レビューの中では作者には倫理観がない(っつー表現もおかしいが。理解できない、とか、間違っているとか、だと思う)なんてものがありましたが、僕はこの作品のテーマは、それこそ『倫理観とはなにか』であり、「こいつらのやってること、どう思いますか?」であると思います。全部で6章あり、それぞれ語り手が違うということは、「第7章はお前の出番だよ」と言われているように僕は感じます。倫理観についてろくに考えたこともない人間が、それを問われる事実について多方面から考察できるわけがあるか。

いつから小説というもの(物語というもの)は、そのテーマの答えすら、その作品の中に提示しなければならなくなったのでしょう。なんだそのわかりやす『過ぎる』物語。
文庫本では、結末について映画に出演した子役全員が参加してのディスカッションが付録で収録されていますし、映画のサイトでも結末についての意見を募集しています。自分の意見の表明なしに作品は完結しない形なのです。それなのに…。



まあそんな感じで唐突にレビューを終わりたいと思います(笑)。
え?お前はどう思うって?
それについては、ここはステージが違うと考えてます。公式サイトに書き込むものでしょう。ここで言いたかったのは、フィルムとしての映画について、作品の評価について、ただダラダラと書きなぐりたかっただけですから。。。。アハハ。

とか書きつつ、それについての自分の考えはだいぶ出してしまってるんじゃないかなーと思ってます。
(少なくとも、「この作品はこう『解釈』すべきだ」と書いたことは、僕のコンテンツに対する倫理観の現れのひとつだと思ってます、とか書くと少々やりすぎ広げすぎか)


あ、あと美月ちゃんかわいい笑(←ペドじゃないよ)
あれだね、受験生だったら代ゼミ入ってるね。彼女がCMやってるからね(←冗談ですよぉ。社会人の倫理観ってっきっに)。


うおおおおおおおお!!!!!

2010年06月25日 | スポーツ
…あ、すんません。

サッカー日本代表、決勝トーナメント進出おめでとうございます。



昔のドラマでね、「もしも学校が…」ってのがあるんですね。
いじめられっ子数人と、正義感の強い女の子がずっとUFOを信じてて、UFoを学校に予防といろいろ試してて(もちろんUFOってのは少年少女の『願い』のメタファーなんすけどね)、クラスメイトに馬鹿にされるわけなんです。

最終回でね、言うんです。叫ぶんです、女の子が。

今、それを叫びたい気分です。
今、そんな気持ちです。
何を言ったか、はネタバレになるし、少々キタナイ言葉なんで、書くのは遠慮しときます。

とても良質のジュブナイルです。当時のTBSっぽい、テレビならではの鼻白さもありますけどね。多分Videoはでてないです。残念です。



それにしてもトマソン。
正直、あんなに現役レベルで活躍して、日本のゴールを脅かすとは。
すんません、本番が始まる前までは、一世代前の、若手の精神的支柱的な立場で収集されてたと思ってました。ふた開けてみればとんでもねー。過去2戦はもちろん、対日本戦は特に輝いてましたね。
後半、PKを決めた後、誰にでも分かるくらい右太ももを痛めていたのに最後まで走りきってましたよ。おっさんの星すよ。30オーバーが頑張ると無条件で胸が熱くなります(笑)。

ここでついでにお知らせと謝罪?を。
かつてこのブログで紹介したトマソンのいい話。(もう4年前かよ)
少年とサッカーと約束の話ですが、
デマだったそうで。

すんません、しらんかったんや。
でも、かつて同じくコピペを紹介するときに
「自分の目で観た事実以外の事実をリアルに感じることなんてできないから、僕にとって、身の回りのこと以外は、フィクションもノンフィクションも変わらない」
って書いたことだし……。いや、すんません。
このタイミングで隙を見て謝っておきます。
でも、トマソン、いいやつなのか確からしく、凄い奴なのは今日の試合で証明済みです。


さて、次だ次。選手もうかれてない。いいことだ。
渋谷で馬鹿騒ぎしてる場合じゃない。
なにせ過去の対戦上、相性が悪い南米のチームっす。

…アテにはしません。信じるだけです。


負けは負け

2010年06月20日 | スポーツ
…うーん。…

ロジックでいきましょうか。
1-0で負けたのは良かったと思います。

これから行われるカメルーン対デンマークが引き分けだった場合、デンマーク戦で引き分けても得失点差でグループリーグを抜ける可能性があります。
最高の条件を残しての負けだと言えるでしょうね。


感情的にいきましょう。
後半20分、明らかに手ぇ抜かれた感じだったなー。
ムカツクわ。
でもしょうがない。
実力差は圧倒的な事実だかんね。
それは僕なんかが言わなくても実際に接してる選手達が一番わかってることだしょな。
それでいて、
かつ、
だからこそ、
全力で当たった選手に敬意を表したいと思います。
だからこそ、
僕は素人として、感じたままに感想を言いたいと思います。

きめよーぜ、岡崎ぃ…。


…ま、次だ次!
3戦目に根拠ある希望をつなげられるって、開幕前に比べたら、とんでもなく良い状況ですよ。これもまた希望的観測でもなんでもなく事実ですからね。先に書いたように。

過去の対戦成績において、
対スイスとかポーランドとかドイツとかイングランドとか、ヨーロッパの組織的サッカーには意外と相性がよくて、なかなかの結果を残してきてますからね日本代表は。
デンマークもしかり。バリバリ組織サッカーですかんね。

頑張れば、イイジャナイカな(越後)。


アテにはしません

2010年06月19日 | スポーツ
あだち充の「タッチ」と言えば、説明の必要もないのではないかと思える有名なマンガだと思います。若い人はもう知らないのかなぁ。ご存じない方に向けて説明しましょう。ラブコメ野球漫画です。以上(笑)。


僕の姉貴があだち充のふぁんでして、デビュー作からずっと揃えていたりしてたんですが、ご多分にもれず?「タッチ」も愛読しておりまして。

「岩崎良美が主題歌歌えたのは、あだち充がファンだったからなんだよ」

なんて豆知識も仕入させてもらったりしたもんだす。
で、僕も小学生の頃から姉貴の本棚を勝手に触ってはタッチを読んだりしてました。


姉貴はいわゆる「単行本派」でしたので、週刊連載してる少年サンデーには目もくれなかったんですが、そこは小学生のワタクシ。辛坊たまらん、すぐに続きが読みたくなりまして、週刊サンデーを手にとって、むさぼり読んだりして。

単行本とリアルタイム連載には若干のタイムラグがありますんで、当然、お話のつながりがわかんなかったりするわけですが、そこは小学生のワタクシ。コマケーことはいーんだよってなもんで、ただ最新情報を手に入れられたことが嬉しくて「今週のタッチはねぇ~」なんて姉貴に報告したりしてたわけです。

今にして思えば完全なネタバレなんですが、そこは小学生のワタクシがすること、姉貴は特に怒るでもなく「ふんふん、それで」と聞いてくれたわけで。随分とオトナな中学生だったわけなんです僕の姉貴は。
はい、甘やかされておりますワタクシ。


そんなはしゃぐ小学生のワタクシが「『今週のタッチ報告会』で最も興奮した回」というのがありまして。今でも覚えております。細かいことはうやむやですが。はっきりと覚えていることがあります。


時にクライマックス。
野球でも恋で(笑)最大のライバル、新田くん率いる須見工との地区大会決勝。勝てば甲子園。
8回裏、3対4。
1点ビハインドで主人公のタッちゃん率いる明青の攻撃。
6番からの下位打線。
簡単に2アウト。
ぶっちゃけ万事休す。

「柏葉がサー。目が見えないことがタッちゃんにバレたわけ。そんなこんなで柏葉もチームに的確な指示を与えるわけぇ~」

なんてヘタクソ報告をしていく僕。
再現するのも憚られるので、オトナになった僕が要約すると(笑)、
その後柏葉の指示といくつかの偶然が重なって、2連続ヒット。
2死1,2塁。打順が1番に変える。一転してチャンス。
ここからの柏葉監督とタッちゃんの交わす会話が思い出深いんです。
なぜ思い出深いかといえば、当時の僕には理解できなかったから。
以下要約。

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柏葉「こっちは7番からの下位打線。どう考えても分が悪いってのに、偶然にもヒットが2回も続いた。2回までなら偶然で済んでも3回続くとなれば、確率はぐーんと下がって、もはや奇跡だぜ?」

タッちゃん「じゃ、奇跡を信じればいいんじゃないスか?」

柏葉「アテにはできんな」

タッちゃん「アテにはしません。信じるだけです」

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わりとそのまま姉貴には伝えたはずですが、言ってる本人が理解してないもんだから、聞いてる姉貴は尚更フシギ顔で(笑)。工藤静香の不実なみのフシギ顔で(笑)、二人の間に奇妙な空気が流れたのは言うまでもありません(笑)。


アテにはしません。信じるだけです。
いい言葉だな、と思います。
自分以外の何か大きなものに任せようとする。ともすればその結果、うまくいかなかった場合に、その、何か大きなものの所為にしてしまう。そういった『外野』の態度ではなく、あくまで自分を主体とした、当事者意識を持って『信じる』。うまく言い表せませんが、なんというか、潔さを伴った確固たる意思を、この言葉には感じます。

当時の僕は、奇跡といわれるものを『アテにすること』と『信じること』の違いがわかりませんでした。アイデンティティ不在の小学生ならではだと思いつつ、当時からマセガキだと注意されることの多かった過去の思い出と比較するに「なぁんだオレ、かわいいとこあんじゃ~ん」なんて思ったりします(笑)。
はい、甘やかされて育ってきました(笑)。


本題(笑)。ワールドカップ。明日の日本対オランダ戦への、僕の心境はまさにこれなんです。奇跡をアテにはしません。信じるだけです。本題終り(笑)。

以上、サッカーの話題の主題に敢えて野球マンガを持ってきましたの巻!(キリッ)


ちなみに今までの試合で僕的ベストバウトは、今さっき終わったアメリカ対スロヴェニアかも…!熱かったわー。
シドニーオリンピックのときから思ってましたけど、アメリカって同じフットボールでも、アメリカンフットボールみたいなサッカーしますね。いや、他意はないです。


まーボールの所為とか標高の所為とか、いろいろ言われてますけど、選手はどんどん与えられた環境に順応していっているような気がします。そろそろスーパープレーが出る予感。よかーん。


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ちょ~余談ですが、あだち充のセリフ回しは本当に面白いです。感心します。前述の、柏葉監督が、ほとんど目が見えなくなってしまっていることを、タッちゃんだ気づくくだりとか見事です。「ま、まさか監督、目が…!」なんて説明的で無駄にドラマチックなセリフなんて使わんのです。細かいセンテンスで、誤魔化しきれない柏葉と、それまでの経緯から気づくタッちゃんの描写がテンポよく繰り返され、決め手のセリフが「…いったいいつから?」なんですよ。もうね。そのものズバリじゃなくて、その周辺を固めていくことで主体を浮かび上がらせるっていうね。テクニックでもあり、粋な演出でもあり。
正直わかり易すぎるセリフの応酬の韓流ドラマとか、某9時からやるドラマとか、深夜のグダグダアニメの脚本家は見習って欲しいッて思います。すんませんねー上から目線で偉そうに。

まあそのものズバリを書かないとプロデューサーに「こんなんじゃ視聴者はわかんないよ」とか言われるんだろうなって想像しますが。でもね。あだち充は『少年』サンデーで連載してる人ですよ。


いまのうちに書いておこうっと

2010年06月14日 | スポーツ
後出しジャンケンになるのいやだし。

あー今日忙しいなー。2連投なんて初めて笑。

箇条書き。


2007年、目前に迫るW杯予選って状況で、引き受けた岡田監督はオトコだったと思う。(男女差別に聞こえたらごめんなさい)。
記者会見でもそんな浪花節的なこといってたし。
前任の監督の後を追う形で、準備期間ほとんどなくて、しかも予選突破って命題が掲げられてる状況で引き受けることってなかなかできんぜ。「目立ちたがりだからじゃないの?」なんて言われればそれまでだけど。
思えば最初の代表監督就任も、加茂さんの更迭からの引き継ぎだからなー。いつだってスクランブルの状況を背負って立つって、ちっとやそっとの根性じゃできないと思う。

「理論だったらオレの前に出れるやつはそうはいない」と発言もあったらしいし。外見にそぐわず(笑?失礼)熱い人なんだと思う。
自分の浪花節的な部分に自覚的で選手と仲良くなりすぎないように距離をとる一方、「いつもきちんとお前を見てるぞ」って声掛けを忘れないと言う。

今、いろいろと言われてるのは、結果が出てない以上当然だと思うし仕方がないと思う。それを受け止める器量…があるかはわからないが、いわゆる逆ギレをするような人ではないと僕は感じている。

本田圭佑を画面で見ると、いつもなんか目がキラキラしてんなーと思う。
ビッグマウスとかいわれているけど、予防線をはった上での消極的なプレイをされるよりよっぽどマシ。
フリーキックに立候補するような自己主張はむしろ当たり前だと思う。そんなに騒ぐことじゃない。
いっときの中田英寿と比べて「生意気」だとはどうしても思えない。(それはひょっとしてぼくちんがオトナになったってことか笑?)
受け答えも基本的に誠実だし。
ひょっとしたら中田より頭は切れないかもしれない笑(失礼)。

確か97年のインタビューで、中田サンと金子達仁の会話で

「だって俺には敬語じゃん?」
「え?いつタメ口になるかわかんないよ笑」

なんて牽制も忘れない人だったからなー。
彼に比べたら随分素直な良い子だ。全然良い子。
モスクワのメンバーにも人によって言い方変えてるみたいだしね。
で、はっきり言って当時の中田氏よりチームと戦局を決定的に変えるだけの影響力はまだないと思っちゃってる。
これは本田を貶めたいんじゃなくて、持ち上げすぎやでー、って思ってるってことです。
「よくないこと」が起きたときに全責任を背負わせることができるような立場にないだろうと思ってるってことです。それは過剰な期待だと思うのです。

「メディアのスターシステムが…」なんてわかったような口は聞きたくないんだけど、もう随分わかったような口を聞いちゃってるんで、敢えて書かせてもらうなら、

何かを伝えるときに「中心」を作らないと構成が成り立たないってことは(ギョーカイの崖っぷちに分からないように体操座りしてる身として)わかるんだけども、ちょっとカンタンにやりすぎじゃないか?雑なんじゃないか?と思うわけです。
「海外でそこそこ活躍してるし、追っとけ。あと長谷部ぐらいでいんじゃね?」
くらいの軽い気持ちでやってるんじゃねーか?なんて思ったりします。

それで潰された選手もたくさんいる。

もちろん、本人のメンタリティの所為もあるっちゃあるんだろうけど。
メディアの力は怖いよ。勘違いもするよ。
自分達でカメラを向けといて、責任を対象に押し付けるのはよくないよ。



あーわけわかんなくなってきた。

とりあえず、今は、頑張ってくださいといしか言えません。
やったことに対して説明を求めることはアリだが、
その経緯に対して、どこまで突っ込んでいいかは、関係性とその場の状況によるよ。
目の前にいるのは、アイコンじゃなくて人間だっていうことを忘れないで欲しい。


あーあと。
ベスト4なんて無理に決まってんじゃん、とか。
なら、
何を目指すの?
目指さなくてもいいの?
目指さなかったら、何のためにやるの?
参加することに意義がある、とか、
それこそ、アマチュアじゃねーんだから。
(ホントは、参加する時点でFIFAから○億円もらえるので、参加するだけでも意味はあるんだが笑)

「どのくらいまでいけそうか」なんて打算がある時点で、おかしい。
とかいうと、「ベスト4」ってのも中途半端だと思うけど笑。

可能性と、確率は、別のフィールドで語られるべきことだと思います。
結果がでるまでは、前を向かなければ。
そうでなければ、「行う」意味ってないんじゃないか。
たとえ、確率が0%でも、
やってみて「やっぱり0%だった」と、
「0%だからもう、やる必要ない」は、
雲泥の差だと思います。
「予想」は予想で完結する世界で、「結果」というものは別次元にあるものだ、と
僕は思います。

少なくとも「やっぱり0%だった」は、「経験」に生まれ変わりますから。
なにものにも代え難いものであると思います。

人の足を止めるのは、絶望ではなく、諦め。
人の足を進めるのは、希望ではなく、意思。

らしいです(照w コピペを参照した)


出来るかできないかじゃなくて、
やるかやらないかだって、
僕は思っているので、
それを確認するために、明日は観たいと思います。
願わくば…。


はやぶさ最後の1枚

2010年06月14日 | 雑記
はやぶさ、最後の1枚

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ついでにもちょい補足コピペ↓

●本来ならリアクションホイール3個で姿勢制御
⇒ ホイール1個壊れたのでホイール残り2個と化学スラスタで制御 (ここまでは普通の「こんなこともあろうかと」、な範囲)

⇒ ホイールさらに1個壊れた!化学スラスタ全損!燃料全部漏れた!漏れた燃料が機体内で凍ってる!!通信途絶!!!バッテリも壊れて太陽電池パネルは常に太陽を向けなきゃなんない!!!

⇒ 姿勢が狂っても、ほっとけば持ち直すように設計してたんだよね。こんなこともあろうかと。1年以内に60%の確率で通信回復するはず。(数ヵ月後)ほうら3ヶ月で繋がったぜ!


⇒ とりあえずイオンエンジンの中和器から生キセノン吹かして姿勢制御。こんなこともあろうと中和器の向きを微妙にずらしてたんだよね。

⇒ 機体内をヒーターで暖めてベーキング。爆発しないようにゆっくりとね。気化した燃料はそのうち機体外に逃げるだろう。

⇒ 生キセノン吹かしつづけてると地球帰還用の燃料が足らなくね?あ、風車の原理で太陽光圧を利用して回転させて安定させればよくね?こんなこともあろうかと、回転軸が機体の中心を貫くように設計してたんだよ。


⇒ 地球帰還用のカプセルに採取した試料を入れるにはバッテリーの電力が必要だなぁ。でも極低温で短絡故障(ショート)してるから下手に充電すると爆発しそうだなぁ。

⇒あ、古河電工のおっちゃんが補充電回路で充電する裏技教えてくれた。電源オンオフを高速連打すれば良かったんだ、ラッキー。

⇒ よし、地球帰還航行開始っと。イオンエンジンは3基生きてるからオッケー。ホイールは残り1個だから今のうちに何かいい手を考えておこうっと。


⇒ 地球帰還第一期軌道変換完了。半年お休みして、第二期軌道変換開始。イオンエンジンBはどうやら寿命らしい。お疲れさん。残り2基。

⇒ おや、メモリエラー(SEU)か。良くある良くある。とりあえずセーフホールドモードで指示待ちっと。地球から診断してもらってイオンエンジンも再起動出来たので巡航再開。


⇒ イオンエンジンDが経年劣化で故障。この状態ではもう地球に帰れない。

⇒ スラスタAの中和器とスラスタBのイオン源を組み合せることで、2台合わせて1台のエンジン相当の推進力を得ることができるじゃん、余裕余裕。(NEW)



上のコピペを
もう少しわかりやすくした動画


こういうのをさあ~、ハートだけで作っちゃうからねー。プロはどうすんだって感じだよねー。「金もらえないとつくれない」っていう逆の意味で足かせになっちゃうっていうねー。


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もひとつ。

「松浦晋也のL/Dより 抜粋↓

時事通信:このような動作ができることは事前に解っていたのか。

國中:これができることが実験室では自明だった。現状では探査機が数十ボルトに帯電し、帯電することで電子が引き出されるという運転をしている。このような状況は地上では再現できないため、地上試験ではこのような運転を行っていない。


川口:ちょっと盛り上げるなら、これは電気回路にダイオードが一つが入っていないとできない。あらかじめそういう回路を組み上げ、搭載して打ち上げたということを注目してもらいたい。

國中:はやぶさは、設計時の重量制限が厳しかった。色々考えた末にダイオードひとつを追加するだけで今回のような運転が可能な電源回路を組んで搭載した。

毎日新聞:こういったトラブルを想定してあらかじめ回路を積んだのか。

國中:そうだ。

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人生、一度でいいから言ってみたい。
「こんなこともあろうかと」。


理系の人でもロマンサー

2010年06月13日 | 雑記
ひさぶりコピペ。

の前に関連ニュース。

以下コピペ↓
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センチメンタルな奴が多いな。
帰ってきた「工学実験探査機はやぶさ」ってのは、ただの壊れかけた機械だろ。

だぁからぁ。
帰ってきた「はやぶさ」は、再突入回廊ではなく、より深い降下角度で大気圏に再突入する。
帰ってきた「はやぶさ」は、断熱圧縮による空力加熱で、真っ赤な軌跡を描く紅蓮の火の玉となり、轟音とともにダイオードひとつ残さず燃え尽きる。
燃え尽きた「はやぶさ」は、ゆっくりと成層圏に拡散する。
燃え尽きた「はやぶさ」は、高度13kmでジェット気流に乗り、天空を駆け廻る。
空を廻った「はやぶさ」は、高度6kmで乱層雲と出会う。
空を廻った「はやぶさ」は、昇華核として飽和水蒸気を集め、氷晶となり雪片となる。
雪になった「はやぶさ」は、ひらはらひらりと舞い降りる。
雪になった「はやぶさ」は、途中で融けて雨になる。
だから。

ある朝玄関を出たお前の肩先に落ちる一滴の雨粒、それが「はやぶさ」だ。

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かっけー。
理屈の中に一粒光るせんちめんたるかっけー。

ついでにリンク↓
宇宙航空研究開発機構(JAXA)のページ


宇宙ヨットに「イカロス」って名付けるのもね、もうね、
ろまんちっく。



理系の人でもっつうか、理系の人「だから」っつうか。



ちょっとズレるけど、

なんとなくの気分をなんとなく共有した気になって、
その実思ってることが全く違うかもしれない
いわゆる「文系」の人より、
よっぽどブラッシュアップされた、
不純物の混入を許さない、
頑なだけど純粋な、
水晶のような想いが、そこにはあると思う。

空気悪くなると「人それぞれ」で逃げたり、
曖昧なことを曖昧なままにすることの重要性と
曖昧さを曖昧に許していく、グダグダでアンニュイな
不安定さを楽しむのが、
嗜みだって、考える価値観も、わからないじゃ、ないけどね。

人生の最適化

2010年06月11日 | 雑記
こんにちは。
あすなろ会には入りたかったがすななれ会には入りたくないパル傷無です。
今更批判する気もないですが、あえて一言だけ言えば、「それ、メールでいいじゃん」です。まあでもTwitterのスタートはグループ内のリアルタイム連絡ツールだったらしいですからね。まともに調べて、情報のみでわかって、現状を見てない例の典型ですね。
今もう、ついったーのつの字もでてないもんね。ドロドロ人間関係まさに北川脚本真骨頂。さすが、プロデューサーに流行りもん入れてなんか書けって言われてとりあえず書いて強引に自分の土俵に持っていくこの図太さ、見習わねば。
にしても最早郷愁を呼ぶ言葉選びのセリフの数々、そりゃあすなろ会も思い出す、もう、いつ瑛太が

「オレがお前のバリアフリーになってやんよ」

って言い出すかってドキドキ(笑)、それに応えて上野樹里が

「リングディンドン♪リングディンダンドン♪」

とか歌い出したら最高!虚をついて出張った渡辺えりが

「そう!あの子、私に面と向かって『腹筋とかしましょーよ…』とかいいやがんのよっ!!だから岡○にふられんのよ!!!」

って何故かここに居ない蒼井優批判をする始末。その様子を今何言ってもいいんだと勘違いしたジェジュンが

「東方神起!復活!!」

とかありもしないことを行った途端、登場人物全員号泣!舞台が反転したと思ったら、床からまたしても何故かリン・チーリンがせり出してきて

「ワタシ、キ○タクよりタカイと、キラワレル…」

とそんな派手な登場をしておいてアンニュイな雰囲気を醸し出したところで真打が舞台奥から余裕ぶっこいて登場!もちろん日本3大T.Kのトップ、天下のキム○クだっ!!そして、たっぷりと間をとって、鼻をすすって、自然派のセリフ回しで一言、

「オレじゃだめかな…カケイじゃなくて、オレじゃだめかな…」

言いながらしっかりと玉山鉄二を秘技『あすなろ抱き』(情感をもって満を持して、後ろから抱きすくめる高等テクだっ!シロートは真似しないように!)で抱きしめる!!

ヤッター!! あすなろ会、サイコー!!!


……ふう。
………………はっ!!お、オデはなにを?





まーいーや。
(失礼しました。)




さて、
5年後、言葉の壁は消える

なんてニュースが飛び込んできました。
ほーへー。
大分昔につらっと書いた覚えがあります、「集合知」の概念、これを企業ベースでモノにしていこうとしているいうのが、僕のGoogleさんへの理解だったのですが。
ほーへー。そこまで行くか、と。

情報を「検索」でくくってみた場合、まあ使用言語からの解放までは予想がついたんですが、そうか、そういう方向に行くか、と。
ぼくちんの八丁脳みそでは

「要するにAmazonさんの『これを買った人はこれも買ってます』のヤバイすごい版ね」

っつう理解までしかいかないんですがどうでしょうか。

今でもそうですが、ずんずんとマニアックでディープな方に偏ってきつつあるような気がするネット世界です。私、IMEに『グーグル日本語入力』を使ってますが、変換候補を見るとその偏りが非常によく、肌で感じられます笑。

記事を読んで頭に浮かんだ妄想。Googleさんの目指す未来の検索の世界。

ex)
けんさくけんさく《オデ、ジェフ=ポカーロみたいなドラム叩きターイ!》

《ジェフ=ポカーロを目指すドラマーはこんな練習をしています》

《スネアドラムにスティックを突き刺して、破りましょう!》
(実話です。明らかに『かわいがり』をしてくるプロデューサーにキレた際に取ったジェフの行動)

とかね!


そういった偏りを是正して、情報を『均等』に整理していく『調停者(レフェリー?)』が必要になってくると思うんですが、

それって神じゃん。


でも一方で、ちらちら耳に入ってくる、ともすれば

「そんなんいーから、チャチャっとやれる方法教えてよ」

という声は、年々大きくなるばかりのような気がします。
昔、大学のジャズ研で、うまくなるために『まずは黒人の歴史から知ろう』、と教えてくれるアドバイザーに教えてもらったことがありますが、今の世の中だと

「金返せ!」

なんて言葉が正当性を持って放たれそうでなんともかんとも、です。程度問題だとも思いますが。ま、確かに人種差別の歴史をデータだけインプットしたからって楽器がうまくなるわけでもないし、ね。(でもさ、突き詰めていくと必要になるときがあるんだよね。経験則。すなわち、何のためにやってるのか、のヒントなんだけど…それはまた別の話)



話飛んだ。
まあーだから、
「Aをするときどうすれば良いか」をすぐにでも検索してくれる、寄り道の一切ない「最適化」を望む人には最適(笑)なサービスかもしれないですね。
もちろん行政・教育・経済・その他、社会インフラ(すごくごまかしの多い文章だ笑。曖昧すみません。カッコわるぅ)において多元的な情報伝達をするのには恐ろしいほどの効果を上げるかもしれません。ね。ERとかね。1秒を争う場面で最適な術式を選択・レクチャーみたいな。もしくは臓器を運ぶ手段の徹底的な最短化(?)とかね。救える命が100倍増えるかも。


戯言だ。もう少し煮詰める必要のある話題でした。情報のみでわかって、現状を見てない例の典型ですね。

何しろクラウドコンピューティングもまともに体験できてない始末だし。iPadかiphone4を生活に導入してみることから始めてみようかな。

と、思ってたらウチのMac、未だ10.4だったわ。G4だったわ。恥ずかしいワ。買い換えるべきなんだけど結局だどりつく結論は前回同様ブログサブタイトルです。


煮詰めてる間に現行サービスになってたりして笑。


検索《パルキズム》

結果《再就職しましょう》

とか笑。


部屋を探したいです

2010年06月09日 | お引っ越し
前回記事

↑前にこんなことを書いたんですが。
決め手の一いたつになった、1階にあったコンビニがつぶれまして。

ここ2,3年のうちにすっかり趣味と化した不動産めぐり(但し賃貸に限る)のおかげで(所為で)、わかることなんですが、お店の退去告知は4ヶ月前だと記憶にあります。

つまり、僕が今年の正月夜中、実家から我が家に帰ってきて爽健美茶を買った時、
『ピッ』てやった瞬間さり気なく

「…お、おめでとうございます」

って言ってくれた店長(おそらく)は、その時既に潰すことを決意していたわけですね。
言われたその瞬間は、

「え?何が?爽健美茶なんかキャンペーンやってた?」

とか、KYなことを感じてしまった僕ですが。

だって店内に入ったときは普通に

「っっら…っさいますぇ~」

っだったんだもん。
言えよ、最初に(笑)初顔合わせのときに(笑)
でも、そんな不器用なとこが、…す…すき……すきだったぞっ!

とか、おんなのこにいってほしーなー(書いたことに責任は持ちません)。


少なくとも前に住んでたとこの、最寄のコンビニの兄ちゃんよりは安心できたぜ。

なにせその兄ちゃん、
僕が入店するやいなや、
すっげぇさりげなさを装って、
ノールックパスをくり出す、在りし日のロナウジーニョのように、
目線をわかりやすいくらいに外して(既にこの時点でさりげなくない)、
『サッ』っと、レジカウンタ前に
ラークマイルドを2箱、置いてたんだよ~。

いや、いわゆる『使える店員』さんです。間違いなく。
でもオレ、そのミッションに気づくようになってから、
できるだけそのコンビニ避けるようになっちゃった(笑)

だって、絶対アダナついてるっしょ。

「はい来たよ、『ラーク2箱』来たよ」
って、裏で言われてるっしょ。


いやもっと酷いアダナの可能性もあるよなー。
『ママチャリオヤジ』とか、
『午前2時マン』とか、
『時報』とか、
『ママチャリオヤジが、午前2時をお知らせします。』とか。

いやもっと酷い、…駄目だこれ以上はセンシティヴ・マイ・ハートが耐えられない…。


そんな『一体お前は何と戦ってるんだ?』と言いたい自意識過剰状態に比べれば、
随分、楽させてもらったんだけど。


もう、素敵な笑顔の留学生くんにも、
外の灰皿の蓋が逆になってるから、今日は彼だな、とシフトがわかってしまうあの子にも、
午前11時にパートが開けて、その灰皿の側で深く煙を吸い込んで、仕事終りの一息を楽しんでいる、かっけーおばちゃんにも、
音だけ聞けばよくある苗字だけど、漢字がすごいあの娘にも、
お釣りを渡すときに必要以上に上から落とす、潔癖症(いや?嫌われてたのか?)のあの子にも、
逆に必要以上に手を握り締めるあの娘にも、
毎回レシートを渡し忘れる前髪くんにも、
あえないんだなー。



午前2時、時報替わりにしてた、
商品入換用トラックがコンテナを開けるときのオイルダンパーの音も
もうきこえません。

これはこれで快適ですが、
何かを失ったような気がします。

だから標題なわけで。
いっそ環境そのものを一新したくなるわけで。
でも、ブログサブタイトルにあるように、
来年もまともな社会人生活が送れる保証はないわけなんです。

オチのない話。
つうか部屋じゃなくてコンビニの話。

ごめんオレやっぱりFANKSだったんだ2

2010年06月07日 | 音楽
前回記事

お久しぶりです。
かわいい美人のパルキズムです。とか言おうとしたら既にこのネタ忘却の彼方。もっと大きなことが起こってしまったので悔しくて仕方ありません(ウソ)。松葉杖は得意なのに(経験者)。

まあここで政治について大いに語ることも、空気読まずにやろうと思えば出来ることなのですが、やりたくないのでやりません。

なんて態度を貫いていると、どこぞの方より「あなたは【映像作家】だから理屈は苦手よね。俗世間には興味ないのね。感覚派よね。まー高尚ですことほほほほほ」なんてことを言われるので如何ともしがたいのですが。

ひとつだけ言っておけば、僕は政治ってのはすっげぇ頭の良い人がやることだと思ってて、外に出てくる「結果」なんて裏でさんざスッタモンダあった挙句のクソッカスだと思ってるんで、それについて語るならせめてファーストソースを追いかけることまでいかなあかんだろうと思ってて、それは現実問題、僕のプライオリティのかなり上位にこないとできないことなんだけど、それでもそのクソッカスに意見を添えるならば、あくまでできるだけ感情を排した解釈の後に「僕の世界」での対処方法と打開策を見いだしつつ、ちょっとだけマクロ的な視野で希望的観測を述べたいなーなんて思ってるのです。
(仮に僕が政争の渦中に巻き込まれるような立場に偶然居合わせることができたとして、なんかやろうにもきっと三日も持たずにいなかったことにされるだろうなーと思うですよ笑)


たいていの場合、人は、世の中の物事に於いて傍観者でしかいられないと思うのですが、だからこそ自分の立場から見えるものについて、その立場で知り得ることについてのみできるだけ正確に、誠実に、愚直に考え応えていく、答えていくことは、あるべき姿勢だと思います。そういうことを継続的にやられている方を尊敬もします。

また、僕は、事務処理能力(整理)と想像力(構築)と展開能力(説明)は全く別系統のスキルだと思ってるんで、それら全てを一人の人間に委ねるのはちょっと酷いんじゃないかと思うところもあります。クリエイトとエンターテインメントを両方高いレベルで維持できたら天才だよそりゃ。だから政治家と官僚がいるわけで(当たり前すぎる)。

要するに○トぽっ○をルー○ーよばわりしときゃOK的な空気になんて絶対乗るもんか、っていう天の邪鬼さんですよ、と言いたいだけなんですが。

まあですからここでは前述の方々のご要望に応えて「そんなことよりカルチャートークしよーぜッ!」って感じのことを書こうと思います(さんざん書いといて)。




こんな記事見つけたことだし。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100604-00000301-trendy-ent

いやー。
文章へったくそだなー笑



「良い曲+企画=ヒット」

ということだそうですが、言い方は違えど至る所で同じようなことはいわれていますね。
僕が最近目にしたのは、Google日本支部の社員になった人の言葉、

「コンテンツではなくデリバリーの問題」

です。内容(コンテンツ)でなくて伝え方(デリバリー)が重要だよ、ということで。
内容がどうでもよいというわけではなく。

例えば場末の居酒屋当たりでよく聞かれる愚痴で「誰も俺のことをわかっちゃくれない」なんてセリフがきかれますが、それは「俺」本人が否定されているわけではなく、「俺」の表現方法が間違っている場合が多い、ということだそうです。

人は皆、それぞれ違うデータベースを参照して生きているようなものですから、それぞれに通じる共通言語を使用しなければ伝わらない、という意味と、前述の記事にも有る「企画」といいかえてもいい「方法」を練る必要があるわけですね。

その方法(若しくは「企画」)を、かつては全て背負っていたのが「T.Kプロデュース」ってことなんでしょう。思えば、この魔法の言葉を背負うことで曲のブランド化が図れていたわけです。同時に、前に出る人間がパーツでしかない、という印象を観ている人に理解させてしまったという側面もあると思いますね。もちろんそれは古くから行われてきたわけなのですが少なくとも消費者にはばれてはいなかったわけです。小室以前小室以後に音楽業界を敢えて分けるとするならば、このプロデュースという構造を白日の元にさらした上でのメタ的な理解が消費者に求められているかいないか、ということなんですが、現在の状況をみると、あれ?みんな忘れちゃったの?と思ってしまうこともしばしば。


アニメ主題歌いわゆるアニソンキャラソンがシングルチャートの上位を占める現象について、自称音楽ファンの方々からの嘆きを聞く機会が多いです。そこから音楽業界の低迷を嘆く声に繋げるのがひとつのフォーマットと化しているような気がします。象徴的なのが、もう20年続いている某音楽番組の、必ずジャニー○枠が出演枠にひとつ有る某音楽番組の、もはや伝統芸能の域に達するサブカルグラサン昼メガネ大先生の「超スルー姿勢」です(タモさん大好き)。

しかし80年代、6畳居間の食卓で、ミンチカツを奪い合いながらたのきんトリオについて熱く語り、「発売日の前の日にはもうレコード屋には並ぶから!」と興奮しつつカツの衣を飛ばしあっていた姉妹を目の当たりにしていた僕からしてみれば、アイドル⇔アニメキャラの変換以外に、差し当たって状況が変わっているとは思えないのです。いつの世も歌謡曲(敢えて)というものは、お茶の間の人々にとって、ファンアイテムとして機能してきたのではないかと思うのです。日本語HipHop?の歌詞におけるキズナ感謝率の高さとサビのポップさをみてもそれは垣間見えます。

で、コムロの90年代後半を経由した今、ファンアイテムとして曲が売れている現状を売り上げ枚数でみれば、80年代と比べてそんなに変わっていない、と言える(そうです。手元にはっきりした資料がない、のに、言い切る)。90年代のT.Kプロデュースが売れすぎていた、とみるべきなのでしょう。そのコムロの快進撃の始まりがゲームを元にしたアニメ映画の主題歌だったというのは一種の皮肉を感じますね。愛しくて切ないですね。心強くはないですね。

断るわけでもなく勝手な推測ですが、僕の思うT.Kプロデュースというのは結局の処、
「【企画】としては鈴木アミに歌わせてるけど、君たちが鈴木アミにいつでもなれるんだぜ」
というコンテンツをデリバリーする手段だったのではないかと思うわけです。そりゃ売れるわ、つうわけでね。個人主義全盛の、全ての人が「自分という物語の主人公」時代だったことも相まって。

それでも楽曲には何の罪もない、と言いつつ、これは皮肉でもなんでもなくて、ひょっとしたら、90年代後半が「最も多くの人が音楽と寄り添った時代」って言えるかもしれません。ファンアイテムではなく、曲そのものと寄り添った時代。そう考えると、T.Kプロデュースってのは「罪」だけでなく「功」もあったんじゃないかと。「功罪」として語ってもいいんじゃないかと思うのは、感傷でしょうか。
まあ、これから先、何が起きるか分からないけど。

もちろんこれは音楽=歌謡曲をひとつの「商品」として見た場合の考え方であって、僕自身が音楽と向き合うときの姿勢はまた別の物になる、と付記しておきたいと思います。同時に小室哲哉を語るとき、どうしても音楽を商品としてみなければ語れない、という事実に、僕と小室哲哉の関係の悲しさを感じてしまうのです。でも「human system」を…以下略。


どこの馬の骨とも分からないヤツが個人名(つってもここまで名が知れりゃ公人だからなー。俺が知ってるT.Kは「企画」としてのT.Kでしかねーしなー)をさんざ挙げへつらって書いた免罪符として最後に以下の言葉を添えたいと思います。

復活おめでとうございます。上から目線ですみませんが、頑張って下さい。
もう、応援はしないと思いますが。

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いやー、僕の文章も人のこと言えんなー笑
投げっぱなしジャーマン。
書いたことに責任を持たない、と言われました。マジデカ?

練習始めました。まもなく今年最初のDuo live告知ができると思います。