匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

耳だれ

2007年02月28日 | 雑記
ってこんなに症状と言葉がガッツリはまる言葉も珍しいわけなんですが恥ずかしい話、出てきたんですよダラッとね、左耳からね、それがまた最近何だか周りの喧騒から自分をシャットアウトしたくて仕事でPC打ってるときとか四六時中インナーヘッドフォンを耳につっこんでたわけでそいつがかつて話題にも出した同僚からもらったヘッドフォンなわけなんですが、どういうことか半年過ぎでもう断線しかけてまして、そういう音作りでも何でもないのに音が右から左、左から右へとぶぉんぶぉんと飛ぶわけで、昔ステレオ録音ですよ、とアピールするためにL-R~R-Lと音が飛ぶミックスがあったんですがLRってバンドもいたねと思いつつ要するにまさにそのミックス状態、いい加減嫌になってこの野郎とばかりにヘッドフォンを投げつけるわけですがあれだね、音楽ってヤツは右脳に直接来るだけにちゃんと聞こえないとやっぱイラッとくるのねなんて頭の隅っこに若干冷静な分析台詞を残しつつ後輩にも当たってみたら、ダラッと出てきちゃったわけでまぁ、ヘッドフォンが壊れたと思ったら自分の耳も壊れてたってことで、どこのホラーかと言わんばかりの悲鳴ですよ悲鳴。一瞬脳漿がはみ出したのかと思い冷や汗とともに、いやさ坂本龍馬も最後は脳漿はみ出しながら中岡の名前を中岡とばれないように中岡の偽名で中岡の名前を叫んで安全を確認したらしく、そんな龍馬の雄姿を心に浮かべつつ、それでも、つまりは耳だれていてもなお、後輩に怒り続ける僕って何てストイック、なんて素敵にジャパネスクなんて若干冷静な分析台詞を頭の隅っこに残しつつ、それはただのつっこみだろともう一人の自分が突っ込んでいる有り様なわけで、要するに忙しくてやってられねぇぞコノヤローあ~耳がいてぇ~母ちゃん耳がいてぇよぉ~と泣き言をほざいてみれば、「そんなん唾つけときゃなおるわ!」とか「黙って目ぇ瞑ってれば寝られるわ!」なんて冷たくあしらわれた悲しい過去を思い出し一人むせび泣いている今も、流れてくるのは涙ではなく耳だれなのです。

そう言えば昔、よく中耳炎を起こしてその度に中村公園駅近く、あのくそでかい鳥居をくぐって昔今田耕司が番組に遅刻して土下座したことで地元では有名な、妙にキレイに舗装された歩道をてくてくと歩くとやがてぶつかる子供の病気なら何でもござれの小児科病院に連れていってもらったことを思い出すのです。治療を受けた後に、いつもねだって無理やり連れていってもらったマクドナルドでフィレオフィッシュを食べるのがいつものコースで、その度に隣で母ちゃんが「ここはまずいくせに高いんだから。見なよ、このしゃびしゃびのコーヒー」なんて言ってたのも思い出す。しゃびしゃびって何?なんて思いながら食ってたのを思い出す。当時はおやつには高くつき、ご飯にするにはボリューム不足のマックも今ではバリューセットで100円200円が当たり前、でも母ちゃん、コーヒーはプレミアムになってちょっとだけおいしくなってるから、まぁ取りあえずトランス脂肪酸を効率良くとるならマックですってそういやMacもといappleがとうとうケータイ始めやがりましたね。日本上陸はどうなることやら既存のキャリアがスクラム組んでまた阻害するのか、モトローラの再現か、いやソフトバンクの某孫悟空さんが何かやらかすのかと余計な心配してるウチにMac大好きの同僚から「そんな乱暴な使い方しとりゃ断線もするわ」と冷たい言葉を浴びせられたところでまた、むせび泣くわけですが相変わらず流れるのは涙ではなく耳だれなのです。壊れかけたインナーヘッドフォンから流れ出るのはジュディマリの「ステレオ全開」なのです。同僚の使ってるのは最新iPodnanoなのです。

ごめんね同僚。そして後輩、八つ当たりじゃないから。決して。断じて。だんじり。たれじり。たれそれ。誰そ彼。黄昏。





自分的最新イビツァ

2007年02月26日 | スポーツ
サッカーに詳しい皆さんにはすっかりおいてけぼりをくっておりますがとりあえず僕が拾ったイビツァ・オシム語録で心に残ったものを勝手に掲載。権利関係のグチグチしたものはシラン。

「基本的に私があなたたちに同意する必要はないし、あなたたちが私に同意してくれなくても構わない。お互いが同じ意見を持つ必要はないからだ。それぞれが正しいと思ったやり方で、お互いの考えを重ね合わせながら良いものを作っていく、そうした意味の信頼関係を築くべきだろう。お互い日本代表がより良い方向に進むことを願っているのだから。

私は監督なので、ついあれはだめだ、これはだめだと言いがちだが、でも、いま私たちは、こうして中村をはじめいろいろな選手について話しあうことができている。ゲームの進め方についても話しあいができている。何時間でも話しあえる環境がある。

~中略~
もし説明が必要なら、私はいつでも話すつもりだ。私は正しくないと侮辱されても怒らない。もっと議論しよう。」


もっと議論しようってことでね。でも怒らない自信はないなぁ。おしむかっこいいよおしむ。



けんたっきースピットファイア

2007年02月21日 | 雑記
つーわけでこんばんうあ。ついさっきカミソリにまた負けたざるそばです。流血中です。
特にトリオネタもあがってないので、ワタクシの近況ネタでもドンぞ。

◯月×日
久しぶりにアガシの店へ。会社で必要なPCサプライ購入のついでに。
店内に入ると、そこにアガシはいなかった。かわりに妙にノリのいい、お前ブルックリン生まれって言ってほしいだろ的な典型的なブラックマン。いやそんな演出しなくても十分だから。どうやったってアジアンには見えないから安心して、とおせっかいをやきたくなるもさくっとスルーしてブツを物色。そこになれなれしく近づくブルックリン(仮)。ひざ裏でon beatしながら。「hey yo チェケラッ、俺のパンツ、hey yo チェケラ、おめーのデニム」とお誘いの目線。そーいや昔、あのブラザートムが、あの小柳トムさんが「安室奈美恵のリズムの取り方はね、こう、ひざ裏で、きちんと(リズムのonを)とってんのよね。あれ、モノホン。モノホンだよ」とべた褒めしてたっけ、などと思い出しつつ限りなくブルックリンをスルーする僕。そのうち階段を下りる足音が。いつもは2階で別のお店をやっているおそらくここのお店のオーナーであろう、あのキレーなおねぃさんだ!ときもちワクテカしてたら、そこに現れたのは某週間少年マガジン連載中の某「エア・ギア」という漫画に出てくる某「スピットファイア」というキャラクターに髪形までそっくりのにぃちゃんだった。(ちなみにこれを描いてる漫画家さんは人物を常に3Dでアタマに描けるらしく、「ここの視点から描いて」と言われればなんの下書きもなしに描けてしまうそうです)
まさか。この店、売られたか?

若干の憂いを覚えつつそんなに時間もないのでさらっと一着選んで試着。昭和生まれの日本男児なら皆そうだと同意を求めたい僕は、当然あれだね、ずぼんノスソッテタイガイアマッテキルコトニナルヨネ、と言いたいのだ。で、そういう事態に。仕方なくスピットファイアに「ここでお願いします」と語りかけることに。ところがこのジーンズあれですよ、凝ったステッチが施してあったのですよ。其れを確認したスピットファイア、すかさず「いや、ウチとしてはこれ、切れないッスネ」とキメキメの顔をこちらに向けた。まてまて僕はそんなにかわいい女の子か?スピット?そりゃ確かに0~8歳の間は親戚および近所から「天才的にかわいい」と評判のざるそばちゃんだったけども今はしょっちゅうカミソリに負けて流血する、ひざ小僧も乾燥肌でカサカサのイイおっさんだぜ。なんでそんなに目が鋭いんだよ。細い眉を立たせてんだよ。力のいれどころ間違ってないか?大体アガシはなぁ、そんな日本人体型の僕のことを全部わかって「ゲヘヘ、足ミジカイネ。切った布のブンダケさーびすネ。イヒヒヒ」って言ってくれたんだこのイケメンがっ!などと頭の中で必死に唱えつつ「アハハ、じゃいいです」とそのまま購入。そそくさと店を出る。もうここはかつての僕が知る場所じゃなくなっちまったみたいだよジョニー。わすれっちまった悲しみにってやつでね。生誕100年おめでとうちゅうや。さよならアガシ。

◯月×日
某熱帯雨林で布団乾燥機を購入手続き。平日はもちろん休日も布団など干すことができず、ようやく候補に挙がった引っ越し先も日当たりがNG、故にそれなりに家賃がお値打ちん。なんて状況も手伝い加えてなにより新生活応援セールってことで79%offときた日にゃ買わずにいられない。またレビューが白眉だの目からウロコだの今までの生活は何だったんだ的な絶賛の嵐にのみや君なわけで。あれ活動再開はnewsだったけ?

まあほかのキッチン&ホーム商品には目もくれず。何より自分料理を全くしないもんで。そういやかつてうぶな思春期、中学2年のある土曜日の昼下がり、きままに作った野菜炒めラーメンがまともな料理の最後だったような気がしないでもない。でもって、それをたまたまいたネーチャンが発見「一口くれ」と言われ4口以上すすられたのは遠い昔。そのネーちゃんからある日「中村公園までギターを運べ」との電話を受け取った僕は即座に「断る!」と返したっけ。だってうぶで多感な思春期のこの時期、ギターを担いでバスに揺られるなんてありえませんよあなた。カッコ悪。それこそやんちゃグループに「おうざる、なんやカッコつけとるやないけ」なんてちょっかい出された日にゃ、あれぇ~そう言えば靴下の裏側に千円札が二枚も!なんて僕、言い出しかねない。あまりに危険なお使いなわけで。

お使いといえば僕の「初めてのお使い」は忘れもしない小学1年生のクリスマス。バスに揺られてケンタッキーフライドチキン中村公園店に、パーティーセット9ピースを買いに行ったことでした。今になって思えば、バスに充満するあの芳醇な香りに振り向けば、天才的にかわいいと言われた少年が自分的に特等席だと決めたバスの最前席に座って、ヒザにしっかりパーティーセット9ピースを抱え込むその姿。もちろんひざ小僧は擦りむき傷や直りかけたカサブタ付きですよ。今の僕ならほっとかずにはいられないはず。思わず少年に「一人かい?大変だねぇ」と語りかけてみれば、正義感たっぷりのおばちゃんに「あんた!なにしとーと!わからんとでも思ったか!」と言いがかられ「いや、まだ何もしてないです」と思わず焦り、「な!まだってどーゆーことね!これからするつもりとね!」と更につっこみを受け「それでも僕はやってない!」などと口に出しかねない、あまりに危険なお使い。ってことで映画観てー。

なんて妄想を膨らませてたらもうこんな時間じゃん。予定の仕事半分も終わってないじゃない。と一人突っ込み。ぐいっと重たい腰を上げ「お~い<海鮮家>行こ~ぜ」と同僚の仕事を無理やり止めて道連れに、夜食を食べに回転寿司屋へ向かうのでした。

最近のお気に入りネタはもちろん、軍艦納豆です。

ちなみに引っ越し先の新しい住まいは、2口コンロが付いてます。



ざるそば的悪魔の辞典1~飲酒運転~

2007年02月10日 | 雑記
罰金が洒落にならなくなった途端に萎縮する。それまでは前後不覚になるまで飲んでも平気でハンドルを握っていたはずなのに。判断の決定打は責任感でも良識でもなくて、単に自分のふところが痛むのが怖いから。「どんだけ飲んでも運転は大丈夫」と豪語していたのはどこのどいつだ。お上の決めたことにただひたすら従順に従って抵抗もせず、反論もせず、そのわりに愚痴だけはしっかりこぼし、自分で自分を律することができないことにはついぞ反省もしない。最初から本気じゃないから当たり前。おとがめを受けることを個人の尊厳への冒涜だとでも言いたげにこれでもかと嫌悪するくせに、おとがめを受けるまでは何をやってもいいと思っている。自由って、個人の尊重ってこんなに緩くてお気楽で簡単なものだっけと思わず首をかしげてしまう。封建国家万歳。恐怖政治万歳。ギロチンと重すぎる罰金のどこが違うのか。強制されることを結局は望んでいる。取り返しの付かないことになる前に、姿をみたことがない、想像すらする気のないどこかの偉い誰かさんに悪態をつくだけで済むことになって、本当によかったね。「何を言われようが飲む。そして乗る」っていっそ言い切ってほしかった。この根性なし。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とにもかくにも自分以外のどこかの誰かが決めてくれたおかげで、全部その所為にできる。ホントは早く帰りたい。もう随分まともに寝ていない。まさかこんなことで助けられるなんて。癖の悪い人のお誘いを断るのにも角が立たない。「仕方がないね」って言ってくれる人がホントに多くなった。自分の時間が欲しいってささやかな願いを、こんなに合法的にかなえられる日がくるなんて思っても見なかった。リミッターなしでどこまでも行きたい。でも、帰り際に「送ってくれるんじゃないの」って目線を送られることがわかっているから、そうそう羽目も外せない。でも今では最初から電車で来ることができる。誰にも咎められることはない。久しぶりに旨い。久しぶりに愉しい。久しぶりにいい気持ち。お上万歳。罰金万歳。この勢いで違法駐車や歩行喫煙もどんどん取り締まってくれ。みんなでつくろう住みよい社会。いやさ、あなたがつくって住みよい社会。しょせん自分は一庶民。なんの力も財産もない。大事なのは日々の充実。毎日にほんの少し、愉しいことがあればいい。多くは望まない。手に入れようとも思わない。みんな何かを背負っていて、みんな何かを足かせにして、みんな何かに縛られている。だからこうすべきだとか、そうしろよとか言うつもりもない。よけいな混乱を生んで疎ましがられるのもうまくない。第一自分がそうされたら何より面倒くさいのだ。その辺はみんな偉い人たちに任せた。文句は言わない。只、侵されなければそれでいい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「やらない善よりやる偽善」とか言う言葉もあるわけで。よし。何も言わないことにしよう。(言ってんじゃん)




ドラマチック

2007年02月02日 | 音楽
<失くした約束は星に 思い出はとけない>


もうホントマジで涙が止まらなくなる。
疾走感のあるアレンジとひたすら切ないメロディ、加えて裏にストリングスが入ってるとそれだけでもおかしくなりそうなのに例の悲しい事件の後に出したシングルという事実が追い討ちをかける。僕はよく比喩的に「泣きそう」と言う言葉を使ってしまうけれど、この曲に関しては比喩でも何でもないのだ。


<服を着替えて窓の外を見てみよう 深呼吸して見える景色は違うはずだわ>
<幼い頃 思い描いてた全ては かなえられたかのように見えたのに>


わざわざ今更断ることもないけれど、まったくの勝手な解釈だ。
AメロBメロでどれだけ一般化しようとしてもかたちにしたいことはきっと一つなんだと思う。


<こわれた大切なものと いつか又あえる日がくるかしら
残した傷跡が消えない それぞれの場所まで
もう行かなくっちゃ>


ピカソが『ゲルニカ』を描いたときのエピソードだったか、それとも全く別の誰かの話だったか、もう忘れてしまったけど、こんな話を聞いたことがある。
怒りや悲しみや、その他いろんな感情が自分を揺さぶって、芸術家はそれを作品に込めるわけだけど、それを制作していく過程で作品自体、あるいは作品に向かう自分をどうしても客観視する。制作意欲の発端になった感情は冷めていく。『凍結』されるといった言い方の方が正確かもしれない。本来の自分の純粋な感情をかたちにするとき、芸術家・クリエイターは常に『冷静』なのだ。自分の周りで起きた事実と自分の感情を演出してしまう。意識的に。あるいは無意識に。

例えば脚本家だとしたら、『もっとかわいそうにできないか』と考える。
例えばミュージシャンなら、『この進行よりこの進行の方が、よりかっこよく/悲しく 聞こえる』
作詞家ならもっと顕著だろう。自分の感情を表すために、それこそ辞典をめくるようにことばを感情にあてはめていく。
それを冷静でなくてなんだというんだ。

原秀則の漫画『いつでも夢を』では、漫画家を目指す主人公(←この時点で原さんかなり意図的)がひどく悲しい目に遭って、その主人公は嘆き悲しむが、その悲しみと悲しみの間に、ふっとこの出来事を漫画に、正確に言えば漫画のコマ割、構成を考えている自分を意識する。やがて『ここはもう少しこうしたほうがいいんじゃないか』などと考えている自分をはっきりと自覚する。(蛇足だがこの漫画、この後、腹が減ってカップラーメンをごそごそととり出して食うシーンがあるんだが、この主人公、「俺、こんなときにラーメン食ってるよ。腹へってラーメン食ってるよ」ってまたおいおい泣き出す。ヒドイ。ヒドイよ原さん)


ところがYUKIちんは(これまた何度も言うが勝手な解釈だ)きっとそれを認めない。あるいはあっさりと「そうだよ」と認めてしまうかどっちかだ。少なくとも自覚はしている。絶対に。それでも「だってそうしないといられないんだもん」という答えが返ってきそうな気がする。で、それでいいと思う。本人に聞かないとわからんが。でもってそんな機会訪れないが。
(もうちょっとだけ言わせてもらうなら、女性って本来そういうところないですか?はっきりと自覚していて、その上で無視するっていう。男と女の一番の違いってそこだと僕は勝手に思ってるんですがどうでしょ?え?セクハラですか?)

とにもかくにも作品を創ることで自分の何かを整理し、それを他人に伝えるだけの才能と努力があるならば、その人は芸術家として生きていけるんじゃないかと思う。というか芸術家としてしか成り立たないというか。あるいは一種のヒーリングなのか(あったなそういう話)。その行為に参加させてもらえるのなら、ぜひ参加させてもらおう。


<優しい雨は降る 私達の上に
すれちがう人の数だけ ドラマチックになるの>


その雨が何なのか想像に難くない。デビューしたての頃から計算づくでロリータ要素を演出し、「帰れ、ブス!」とヤジった客に「うるせぇバーカ!!」と怒鳴り返し、2回公演ライブ一回目でノリが悪かったと反省、2回目はがんばるぞとメンバーに誓い、何をするかと思ったら1曲目でいきなり客席にダイブをかまし、屋外ライブでは「YUKIちん、今日は生足でぇ~す!やぶ蚊さん、吸って吸ってぇ~!」とあおり、名前が売れることと平行して,うまいことライフスタイルを提示していくことで同性の評価を得、ある種の女性に指標とされてきた彼女が、自身の人生の中でも最も大きな悲しみの一つであろう事実を乗り越えるために必要としたのは、やっぱり歌だった。そう思いたい。「Can you hear me?」と問われれば「Yes!」と答えたい。「I can hear your Radio!」と答えたい。壊れかけだけど。


<こわれた大切なものと いつか又あえる日がくるかしら
残したくちづけは消えない それぞれの場所まで
もう行かなくっちゃ>


もう行かなくっちゃ。こんなに重い、だけど清々しい言葉もない。


(次男誕生おめでとうございます。一生愛してあげて下さい)