理由や原因がわからなかったり、
半年も経ったあとだから後の祭りだったり、
このあと、わかることが出てきて内容によっちゃ不適切だったりすることもあるかもしれんけども、
それでも、僕とお前のなんやかやや、お前に対する気持ちは変わんないだろうから、書く。
しったことかよ。
第一こういうことを、
どういうタイミングでどういう時期に、
どんな塩梅で、
知らせたらいいのかわかんないんだオレ。
こういうときに誰に向かってってわけでもなく書けるってぶっちゃけ便利なんだよ。
許して。
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「一人でいると別にどこにいても変わりゃしないんだよね」なんつー、
あの日のお前の一言が突然理解できたのは
僕が一人ぐらしを始めて何日か過ぎた日のことだった。
なるほどね、とひとりごちて、夜中の練習室でギターをいじっていたお前を思い出す。
お互いがいつ、
いかに本性をバラさずに、
世間の空気を感じて得た情報を纏うことで
自分を脚色するかに思案するタイプだということを見ぬいたのはわからないが
ああコイツ、オレと同じだな、なんていう一種の共感めいたものを感じたのは割りと早かったはずだ。
違いがあるとすれば、
僕はそんな自分にどこか嫌悪感を拭いきれず思いきれないその側で、
お前は完全に割りきって、自己演出をやりきっていたということだ。
「自分を演じろ。それが本当になる」っていうのは、いつかのセンパイが言ってたことで、
最早誰から聞いたのか忘れてしまったけれども、
その言葉を聞いた瞬間、最初に想起したのはお前だった。
共感めいたものを感じ
お互いに話しが合うと思いつつ一緒に行動を取りながら、
具体的に言えるわけじゃないが、
何か自分たちの根幹を揺るがすような事態が身の回りに起きたとき、
恐らくはお互いがお互いを見捨てるであろうことをどこか確信しているような、奇妙な関係。
だからこそ、僕らはおよそ他人には話せないような、
打算に満ちた下卑た思惑や
実際にその思惑に沿って行動した出来事とその顛末を
まるで競うように、
今風に言えば盛って盛って盛りまくって
報告しあえたんだろう。
まるで逆説的に素の自分でいられるかのような奇妙な錯覚を覚える関係。
少なくとも僕はお前との間柄をそう捉えていた。
なに言ったって、バレてんだぜ。
お互いのアタマの中には、常にその言葉があったはずだ。
今はきちんと目的を持って大学選びをする方々がほとんどだと思うから当てはまらないと思うが、
まだ受験戦争なんて単語が鮮度を保っていた当時、僕は、
大学生っつー輩は、“ヤカラ”は、旧帝大や医学部等の有能な連中を除いて
大きく3つに別れると思っていた。
とにかく無理してでも学生ライフを目一杯楽しもうと忙しくするヤツ、今で言えばリア充、
受験勉強の癖がヌケないのか、
若いゆえの視野の狭さも手伝って、
自分が興味を持ったモノコトに、
自ら、あるいは強制的に取り込まれて、
寝ると食う以外はソレしかやらない、
でも実は他にやることが思い浮かべられない、
日常を固定化することにある種の安心を覚えてしまっている似非ストイック、
そして全体の八割を占める最も要領の良い、その、どちらでもないヤツ。
僕らはその、似非ストイックが集まる集団の中で出会った。
ほどなくしてお前は、ファーストフードのアルバイトを始めてから、
明らかにリア充サイドに偏った。
それはもう徹底的に。
当時の僕が持っていた最大の偏見、
【全てのリア充は似非ストイックにコンプレックスと憐憫を抱き、
全ての似非ストイックはリア充に憧れと憎しみを持つべきだ。】
2つの相容れないはずの世界に、同時に存在するお前は一体なんなのだ?
学校から程無い距離の住みよい街の、
家賃二桁に届くようなマンションに住み、
FF2シーターの車を乗り回し、
右折左折を繰り返し(笑)
深夜にやってくる後輩の愚痴を店で聞いては
サービスだと無料でコーヒーを出してやる。
「話せるマスターのいる店、見つけたんだよね」
そこで頼むのは決まってテキーラ・サンライズだと
お前は満面の笑みで言っていた。
対して僕は
「なにぼさっとしとんだコラァ」なんてケツを蹴り上げられるような現場で
翌日のLIVEを控える公民館で椅子をひたすら並べ、
午前7時にライトバンに拾われ、
毎日違う現場に他人と雁首並べて向かい、
電気ドリルでネジを締めつつ300円の弁当をかきこみ、
ようやく仕事が済んだあと、近鉄に乗って田んぼの真中に帰宅した。
酒なんて飲むか。
アタマが痛くなるだけの、翌日に影響を残す、マイナスにしかなならないものを
好き好んで、やっと手に入れた金を払ってまで飲む気になどなるか。
最近のテレビ番組で北川悦吏子が
「人間は3つの居場所を持っているといい」とか言っていたが、
それは凄く頷けることで、
当時の僕は、学校とサークルの他になにかもう一箇所、
なんでもいいから自分の居場所が欲しくて仕方がなかった。
お前はそれを持っていた。
お前は僕が欲しかったものを全て持っていた。
それこそ、相容れない2つの世界を渡り歩くような、
要領と無神経さも含めて。
そう、僕自身はきっちりと、
僕の作り上げた偏見の上に乗っかり、
体現していた。
持論を曲げるわけにはいかないからだ。
自分を裏切るわけにはいかないからだ。
最後の定期演奏会が終わって、緞帳が降りたあとに見せたお前の涙にさえ、
僕は疑いを持っていた。
そんなわだかまりを抱えたまま、僕らは卒業を迎える。
卒業して社会人になってからも、
時々連絡を取ると、
お互い、盛って話をする癖は抜けていなかった。
香港のエスカレータの話なんていい例だ。
今時、海外で仕事したなんて話、珍しくもなかろうに。
「袖にチラつかせたROLEXエクスプローラーで釣られるオンナぐらいが今のオレにはちょうどいいんだよ」
なんて自虐的に言ってたが、
なんだ?
その後退が目立ち始めたアタマで、
BARのカウンターでROLEXエクスプローラーチラつかせながら
テキーラ・サンライズあおってんのか?
いい機会だ、言おう。
僕はな、
そんなお前が大嫌いだったよ。
お前が香港で仕事をしてようが
オタクであることを公言することで却っての潔さを演じようが
BARでエクスプローラーをチラつかせようが、
オレは知ってるぜ。
お前が
FSSのキャラクターデザイン集広げながら
「最高だよな」って言ってたのを、
お前が「ICEが好きなんだ」ってアルバムを何枚も進めてきた時の遠慮のなさを、
お前が一緒にやるはずだった、
ジャミロクワイの物販バイトを僕が
ブッチ(笑)した時
「なんで来なかったんだ」って電話してきた時の泣きそうな声を、
風邪ひいたって明らかなウソでサークルの練習を休んだ時、
センパイと一緒にお前のマンションに乗り込んで、
センパイに
「今日発売のジャンプを買える元気はあるんだ?」って言われた時の
「いや、それは妹が買ってきてくれたものです」って言ったときの能面のような表情を、
1年のとき、TMNの解散コンサートには絶対サークル休んででもいくよなって約束した時の顔を、
結局、休むって言えなくて練習室で過ごした、消沈した顔を、
話せるマスターを見つけた話を嬉々としてするお前の笑顔を。
それら全ての瞬間のお前を、
とても愛おしく感じたことを僕は否定しない。
テキーラ・サンライズだって?
BARで?
カウンターで?
スコッチでもバーボンでもなく?
ロックでもストレートでもなく?
タンブラーを傾けずに?
それがお前の限界だよ。
テキーラ・サンライズがお前の限界だよ。
むしろテキーラ・サンライズがお前だよ。
お前がテキーラ・サンライズだっ!!(笑)
この
ガンダム好きがっ!!!
もっと早く、言ってやればよかったかな。
冥福を祈る。
「水樹奈々のライブ・ツアーについてくのが今の唯一の楽しみだ」っつってたな。
公言してんだからいいだろ?
どうせだから貼っといてやるよ。
お前のためのセカンドラインは用意してやった。
明日LIVEあんだよ。
ちょっと寄っていけや。
そのあと、これら観て聴いて、またかえればいいじゃん。なぁ?