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長靴を履いた開高健

小説家開高健が書かなかった釣師開高健の姿や言葉などあれこれ

たゆたえど沈まぬユーロに

2010-05-17 08:36:40 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

5月17日付け日経新聞(朝刊)に「たゆたえど沈まぬユーロに」というタイトルの記事が載っていた。

ギリシャの財政危機に端を発したユーロ圏の混乱に関する記事で、同社のコラムニスト・岡部直明氏は次の世に書いている。

〈しかし、これで危機が収まったわけではない。等のギリシャが財政再建を断行できるか、ユーロ圏内の「弱い環」への波及を防げるかである。そして、なによりEUがこの危機を教訓に統合の次の段階へと踏み出せるかだ。「たゆたえど沈まず」というEUの精神がいまほど問われているときはない。〉

開高健が「漂えど沈まず」と記す前は、パリ市のモットーとして長く伝えられているこの言葉は「たゆたえども沈まず」と訳されていた。「たゆたう」とはゆらゆらと揺れ動いて定まらぬという意味だ。

パリ市のモットーがいつの間にEUの精神になっていたのか? まったく知らなかったので、エッと思った。もし、そうだとすれば「たゆたえど(漂えど)沈まず」の精神はヨーロッパ人の心情をよく表している言葉、彼らの共感を得やすい言葉なのだろうと想像する。

この言葉に共感する日本人は多いのか、少ないのか?

■参考URL
http://blog.goo.ne.jp/takitagoo/d/20100430


幻の『フィッシュ・オン・オン』

2010-05-05 09:30:11 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

長靴を履いた開高健 (朝日文庫 た 55-1) 長靴を履いた開高健 (朝日文庫 た 55-1)
価格:¥ 735(税込)
発売日:2010-05-07

釣りのできる国では釣りをし、戦争をしている国では最前線へ行くという和戦両様の構えで地球を半周した『フィッシュ・オン』は週刊朝日の連載企画だった。

その週刊朝日で、『フィッシュ・オン』の続編として企画されたのが『フィッシュ・オン・オン』だ。専用のワッペンが作られ、同じデザインをプリントしたTシャツなども作られた。

しかし、開高ファンならば先刻ご存知の通り、『フィッシュ・オン・オン』という作品は存在しない。途中でタイトルが変わってしまったためだ。『フィッシュ・オン・オン』として企画、取材されたものは『もっと遠く! もっと広く!』というタイトルで作品化されるのである。

フィッシュ・オン・オンの文字をあしらったワッペン、そのワッペンがついている用品、Tシャツを持っている人は数人を数えるのみといっていいだろう。幻のフィッシュ・オン・オンなのだ。

Photo

Photo_2

KEN KAIKO & ASAHI TEAM
FROM ALASKA TO FUEGOの文字をあしらったデザイン。用品を提供したデサントのマークも。

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YouTubeで視聴できる「ベトコン少年の公開処刑」

2010-04-19 20:51:33 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

1965年1月29日の早朝、1人のベトコン少年が公開処刑された。銃殺だ。10人の憲兵が10挺のライフルで少年を撃ち、直後に将校がこめかみにとどめの一撃を打ち込んだ。

その現場に、朝日新聞の特派員としてベトナム戦争に従軍していた開高健も居合わせた。

『銃音がとどろいたとき、私のなかの何かが粉砕された。膝がふるえ、熱い汗が全身を浸し、むかむかと吐き気がこみあげた。』(『ベトナム戦記』朝日新聞社刊)

このシーンは小説家の脳裏に鮮明に焼き付いて生涯消えることがなかった。35年後に発表された遺作『珠玉』(文藝春秋刊)のなかにも、この処刑シーンが登場する。

『引金がひかれると学生の首、胸、腹などにいくつもの小さな黒い穴があき、血がひくひくしながらいっせいに流れだして、腿を浸し、膝を浸す。学生はうなだれたままゆっくりと頭を二度か三度ふる。』

58歳の若さでなくなった小説家の死を悼んで編まれた『悠々として急げ 追悼開高健』(筑摩書房刊)の中に、妻であり詩人であった牧洋子(故人)の次のような言葉が紹介されている。

『苦しいときでも、例えばジョークで、いつもエンターテインしようとした男でした。そんないっときの歓楽に身をゆだねているような男でした。それはやはり、ベトナムで見た少年の処刑ですよ。あらから何をやってもいつも空しいという思いから抜け出せなくなってしまった。』

--『長靴を履いた開高健』(小学館刊)より--

驚いたことに、40年以上前のこの公開処刑の動画をYouTubeで見ることができる。ここにその動画を貼り付けようかとも思ったが、思いとどまった。1人の人間の命が無惨に散っていく様を興味本位で紹介してはいけないと思ったからだ。

この動画を見て感じたことはただひとつ、写真や動画がいくら克明にその場を写し取っていたとしても、パソコンの画面を通して見る限り、小説家が感じたような“何かが粉砕されるような衝撃”は伝わってこない。それが逆に怖いと思った。何発もの銃弾を浴びてガクッと崩れ落ちるベトコン少年の姿をPCの画面で冷静に見ている自分が怖いと思った。私だけではないだろう。テレビの前で、パソコンの前で、我々は毎日多くの死に接しながら、ほとんど何も感じなくなっている。

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開高健は川の釣師2

2010-03-17 22:25:32 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

開高健はなぜ海釣りよりも川釣りを好んだのか?

真っ先に思い浮かぶのはヘミングウェイの存在だ。

開高健とヘミングウエイは時に比較される。作家であり、従軍体験があり、従軍体験記をものにし、ともに釣りが好きだからだ。

ヘミングウエイは海の釣師だった。もし開高健が海を志向していたら、おそらくは彼のベトナム従軍も、釣りも、ヘミングウエイの真似といわれただろう。

ヘミングウエイを真似て、ヘミングウエイよりも高い評価を得ることができるのであれば開高健は海に乗りだしたと思うが、それはなかなか容易なことではない。

開高健は何であれその分野の博識、行動においてナンバーワンでなければ、前人未踏でなければ気が済まない癖があったように思う。、

開高健がルアーフィッシングに夢中になった大きな理由の一つは、当時まだルアーフィッシングをやる釣師が日本にはほとんどいなかったからだ。

ドイツの湖でルアーフィッシングを覚えて帰国した開高健は、ルアーフィッシングならば日本の開祖になれるかもしれないと思ったに違いない。開祖になれば、誰もがその話に耳を傾け、感心もすれば感嘆もする。そういう人間でありたいと望んだのではないか。

そのひとつの裏付けとしてゴルフをあげることができる。

開高健はゴルフを「車夫馬蹄丁の遊び」とあざけり、生涯、手を出さなかった。茅ヶ崎の家から数分の所にゴルフ場があるのに手を出そうとしなかった。原稿を書くために部屋にたれ込めて弱くなった足腰を鍛えるにはゴルフはもってこいのはずだが、開高健は左記のような理由でゴルフにはまったく手を出さなかったと少し前に亡くなった菊谷匡祐氏に聞いたことがある。

しかし、「車夫馬蹄丁の遊び」だからというのは本当の理由ではないと私は思っている。ゴルフに関しては文人の中にも手練れの者がいくらでもいる。人に遅れてゴルフをはじめても、開高健のゴルフ論が輝きを持つようになるにはよほどの収斂が必要になる。だからやらなかったのだと私は考えている。

同じように海釣りの世界にはヘミングウエイを初めとする先達がいくらでもいる。そこで寄贈のは得策ではない。そんな打算が彼を川のルアーに向かわせたのだろうと推測する次第だ。


開高健は川の釣師(1)

2010-03-01 22:38:25 | ■Fish & Tips(うんちく・小ネタ)

昨年11月に「フィッシング・カフェ」というテレビ番組のロケでニューヨークへ行く機会があった。作家・開高健を真似てストライパー、ブルーフィッシュ、それにブラックフィッシュを釣ろうということで出かけていった。

日頃渓流でヤマメやイワナを追っているフライフィッシャーである私は、ブルックリン沖の船の上でアウェイな感じを味わいつつ、自分はやっぱり川の釣師なのだという認識を新たにした。

同じ事は開高健にもいえる。彼もまた川の釣師だった。南米アマゾン、アラスカのキーナイ川やヌシャガク川、モンゴルのチュロート川等々、彼が主戦場にしたのは名だたる河川だった。

開高健が船で海に乗り出し、釣り竿を出したのはベーリング海のオヒョウ、コスタリカのターポン、ニューヨークのストライパーなど、ごくわずかだ。

基本、開高健は川の釣師なのだ。