くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

大丸東京繁盛期

2007年11月19日 | くない卿見聞記
先日,新造の高層ビル移転した、大丸東京へ行ってきました。
先に記した通り,昼食を、八重洲地下街の味噌煮込みうどんの専門店【玉丁本店】で取った後,14時頃に行ったのですが、そこはもう,黒山の人だかり。
特に、東京駅と繋がっている地階,1階は大変な混み様で、足の踏み場も無いくらい,進むもならず退くもならず、二進も三進も行かない有様。

これにはもう,辟易としました(--ゞ

ただ一応は,噴水の如く上階まで上がってから、1階毎にゆっくりと見て巡るべく,エスカレーターを使って移動をしたのですが、これも概ね大渋滞。
各階毎に係員が“交通整理”を行っていましたが、余り要領がよいとは言えず。
バイトの兄ちゃんの誘導に従って移動をしたら、通路が塞がっていたので、半ば強引に,導線を遮って行ったこともありました。
また、次のエスカレーターへ移るのにも、混雑緩和の為か導線を蛇行させていたのですが、これが返って人の流れを鈍くして更なる渋滞招き、危うく将棋倒しに成り掛けたことも。
物珍しさも手伝っての大混雑だから・・・かもしれませんが、旧店舗よりも何だか手狭で、通路も(なんだか)狭くてゆとりが無い感じがました。。。
いま少し,落ち着くまでは様子見をした方が、尚良いのかもしれません。
ただ...
ここよりかは、一駅南の有楽町駅東側にオープンをした有楽町イトシアの方が、広々としていて,尚且つ、各階毎に個性的なソファーが置いてあって、一休みしたり寛げたり出来るので、良いかと思います。

ちなみに。
店内には、大丸の店員の他にも、松坂屋のネームプレートを付けた人が幾人もいました。
早速に,経営統合の証を示したかのようですが、なんだかちょっと不思議で不自然でしたが、それが返って新鮮でも・・・ありました。
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暗雲が覆う甲夜の怪光

2007年11月06日 | くない卿見聞記
時は前夜の19時頃。
道を歩いている時、ふと夜空を見上げると...
南西の方角で、不気味な怪光を発見しました!

それは、デジカメにも収まるほどにはっきりと、しかも、結構な大きさでした。

昨日の首都圏は、午前中こそ晴れていましたが、午後になると雲が多く出始め、夕方頃にはすっかりと空を覆いつくしていました。
それは、薄陽すらも届かぬ程に厚く,どんよりと重たそうな雲で、「雨が降る」と予想した天気予報の通りの雲行きでした。
それゆえに、満月を過ぎて隠れるばかりの月のはずは無く...。
また、時折パチンコ屋やホテルが夜空に向かってサーチライトを放っていますが・・・その多くは白光。
しかも、夜空に上がるまでには一筋の軌跡が見えるはずなのに、この怪光にはそれもなく、更に決定的なのが、その方角にそれほどの演出をするパチンコ屋やホテルが無い!・・・のです。
尤も,在ったとしても住宅街なので、中々出来ないかとも思いますが。

然らばあれは何なのか...。

私がこの橙の怪光を見かけたのは、自宅(千葉)上空ですが、ひょっとして,他の地域でも見えたのでしょうか?!
そうしたらばひょっとして、地震雲?!
そういえば...
都内千代田区永田町一帯では、一昨日来かなりの激震が続いて、政界の地殻変動と民主党崩壊の危機が囁かれているようですが...(爆)
毎日新聞は、民主党議員の一言より“小沢版「天岩戸」”なる見出しを打っていました,絶妙です(笑))

いやはや,あの橙光がなんであったのか、ますます以って謎だらけ。
ちなみに,夕方には空一面を覆っていたのは雨雲だったようで、乙夜の頃にはもう,雨が降っていましたが、それと何か関係があるのでしょうか。。。

それとも・・・・・・まさか・・・・・・!

地球外生命体が接近して来た証でしょうか?!(笑)
私は、この宇宙に於いて地球だけが唯一「生物のいる星」だなんて思っていませんから、ひょっとしてひょっとすると?!
それならば一大事!
急いで地球防衛軍(UNDF)・・・はもう解体されらから、そうそう,TPCGUTSに連絡しなきゃ!!
・・・というのは、ウルトラマンティガだけの世界(笑)
現実問題として、地球外生命体を見つけても、通報すべき先は定まっていないそうです。
そこで、先日来,「地球外知的生命体探査(SETI)」に参加する国内の天文学者が集まって協議をしたそうですが...
なんでも、国際天文学連合(IAU)の原則では、発見時は確実な「信号」だと判断されるまでは公開が厳禁で、発見は関連する「国家当局」へ連絡することになっているので、日本国に於ける連絡先としては、国立天文台や総務省などの機関が候補に挙がったそうです。
しかし、出席者からは、当局の「情報(事実)の隠蔽」が危惧されて、国際原則へも疑問の声が上がったとか。
そんなこんなで、結局結論は出ず、作業部会を設けて継続審議になったとか。

ウルトラの世界(など)の様な事は「無い」とは信じたいですが、もしもの為に,いち早く各国の武装を解除して、一致団結できる組織が出来ることを、願っています。
そう,TPCの様な組織の誕生を!(爆)

・・・それにしても・・・
あの光は、一体全体なんだったんでしょうか...。

ちなみに,怪光は乙夜の頃にはもう、見えなくなっていました。
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Halloweenの夜に開く「Bophana」

2007年11月02日 | くない卿見聞記
神無月の初め頃。
銀座の並木通り沿いに在るAfternoonTea TEAROOM】で喫茶をした時、スペシャルライブの応募を受付けていたので、(相方が)何気なく申込んだところ...
見事!これに当選したので行ってきました,Halloweenの夜に(欧米か!\( ̄  ̄ )(笑))

スペシャルライブは、喫茶をした銀座(並木通り)の【AfternoonTea TEAROOM】で20時からなのですが、スタンディング形式だと聞いていたのでゆっくりと,開演の15分前に入店(受付)をしました。
しかし...
いざ入ってみると、ライブスペースを取り囲む様にイスが配され、奥は(一部)通常通り,テーブル席も残されていました。
ただ、オープンから既に15分も経っていたのでよい席は埋まっていましたが、店舗最奥に空いていた長ソファー(スペース)があったので、そこに腰を落ち着けました。

この時,ライブ開始まで10分ほど。
サービスで付いていたシャンパンと、ミートパイや野菜チップなどをツマミながら、開演の時を待っていました。
(この日は“欧米の収穫祭!”だったからか、かぼちゃチップが多かったです(笑))

この日ライブに立ったのは、ボサノヴァ系の「Bophana」というバンド。
ただ...
私は音楽に無知なので(^^ゞ「Bophana」はもとより“ボサノヴァ”というジャンルの曲も初めて聞きました。
なんでも、“ボサノヴァ”はブラジル発祥の音楽だと聞いたので、ラテン系のサンバ的なノリなのかと思いきや,と~ってもゆったりとして落ち着く曲調。
シャンパン(小瓶)を飲み干した後・・・という事もあったでしょうが、全身の力が抜けてリラックス出来、安眠へと誘うが如く優しい曲ばかり。
加えて、山田里香さん(Vo)の歌声はとても清らかで柔らかく,どこか暖か味があるのです。
また、(歌声が)「bird」や「鬼束ちひろ」にも近く感じたので、余計琴線に触れ,うっとりと、時には手拍子をしたりVoの後に続いて歌ったりしながら、8曲の歌に聞き惚れてきました。

ライブは凡そ1時間ほどでしたが、時が流れるのを忘れさせてくれる、とっても有意義な一時でした。

そして、最後...
ライブが終わって帰る際,出入口近くに居られた山田さんを(ライブ中よりも)近くで見られたのですが、それはもう,と~・・・・・・~ってもお綺麗な女性でした。
失礼ながら、年の頃は23,4くらいかと思って居たのですが、実は私と同い年!(ですが、学年違い)であることを知り、より感動(笑)もしました。
全く以って、ホンっトに!すらっとしていて、すんごい綺麗なんです!!
お母様がカンボジアの方だそうですが、(正直)その趣きは微塵も感じません。
(“Bophana”ユニット名は、お母様のお名前を文字って決めたそうです。)

既に3枚ものアルバムを発売している「Bophana」
楽曲提供には「THE BOOM」の宮本和史矢野顕子の名も有り、来月には代官山ライブもやるようで、これから注目して行きたい!アーティストですね。

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我が街の伝統

2007年10月17日 | くない卿見聞記
商秋の頃10月は、全国各地で大なり小なり祭礼が執り行われる季節。
我が街でも,昨秋観に行きましたが、市街地の一画(御城近く)に在る総鎮守様の御祭礼が、金曜日から3日間に渡って賑々しく挙行されています。
ただ、実はご近所でも,御神輿が練り歩く祭礼が執り行われていることを知りました。
しかし、そのことを知ったのは、祭礼初日の土曜日昼過ぎ。
(私が住んでいる新興住宅地に隣接する)旧来の住宅地を、自転車で何気なく通った時,家の軒先に「祭」の堤燈が。
電柱などには...
「地区の歴史と文化・伝統を継承し、新旧住民の親睦と家内安全、皆様方の祈念し祭禮を祝いましょう」
...なる貼り紙がありました。

そこで、その道沿いにあった自治会の掲示板を見てみると、案の定,祭礼の掲示が為されていたので、これを参考にして、翌日曜日の朝,観に行ってみました。
ちょい、貼り紙の文言にも感銘を受けたので...。

御神輿は2基出ており、その内の1基が自宅近くの私が住む新興住宅地と旧来の住宅地との間に在る公園から出発するので、それをちょいと追い駆けて行くつもりだったのですが、
一足違いだったようで...。
既に出た後で、(ここから近い)別の公園で“ご休息中”でした。
しかも、担ぎ手衆はそこに用意されていた飲食を“飲めや食えや”とリラックスしていて、その後も暫く出発することは無かったので、致し方なく,御神輿が行き着く先の“神社”へと向かいました。

それは、ここから南へ1キロ程行った“山間”というか窪地に鎮座します「熊野神社」という御社。
いつ頃からあるのかは、よく判っていないそうですが、少なくとも鎌倉から室町の初め頃らしいです。
近くに大きな公園がありますが、そこへは更に,車一台がやっと通れるほどで街灯も少ない道を(少し)進んだところで、凡そ近在の人しか用のある人しか行かないであろう場所。
鬱蒼とした木々に囲まれて、家は数軒点在するのみ,とてもひっそりとしています。
ただ、恐らくはここから。
夏は、毎週土日に賑々しくお囃子の音が風に乗って聞こえてきていたので、さぞかし賑やかなんだろう・・・と思いきや,至って静か。
鳥居前に2本の幟があったので、祭礼中とは認識できましたが、参詣者も,私を含めて3人ほど。

凡そ祭礼中とは思えぬ静けさには拍子抜けしましたが、風に乗ってか,少し遠くから「ワッショイワッショイ!」と賑々しい声がしていたので、その方へ自転車で向かってみました。
すると...
通りから一本脇に入った、車一台がやっと通れるほどの道を、もう一基の御神輿が進んでいました。
この担ぎ手は子供で、正面に回り込んでデジカメに収めよう・・・と思ったら、またもや,空き地に入り、飲めや食えやの“ご休息”になってしまいました。
こうなっては、先ほどと同じく中々動き出さないので、残念無念ながら,家路に着きました(^^ゞ

けど、まぁ...
御神輿が観られただけでも良かったかと。

しかし、やっぱりそれだけでは物足りず。
午後になって市街地へ、「秋祭り」を観に行ってみました。
ただ、山車が勇壮に曳き廻る1時間前に行ったので、感じたの雰囲気だけ(^^ゞ
それでも、巡行路には露店が軒を連ねて、普段は“静かな”市街地も、この時ばかりは大変賑やかでした。
(いま、ガチャピンがブームなのか?!抱き人形の露店は“ガチャピン”だらけ。ですけど、売っているのは、その場に不似合いなオッチャンです(笑))
また、曳き廻る前の山車が何機か,出番待ちも兼ねてか展示されており、

去年観る事の出来なかった仲町の“関羽”山車を観ることが出来たので大満足!して、帰りました。

けどやはり,祭礼本番をじっくりと楽しみたかったですね...。

そういえば。
今夏,埼北に住む方から「(担ぎ手不足で)御神輿を担ぎに来ない?!」とお誘いを受けたのですが、都合がつかず,とっても残念無念な思いをしました...
来季こそ!夢にまで見た担ぎ手になってみたいですね。

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ジェネレーションカップ’07 in コマザワ

2007年10月07日 | くない卿見聞記
昨日の土曜日。
大学時代に属していたサークルの「OB・OG会を(今年も)開く」との連絡を受けて、1年振りに我が母校へ行ってきました。
会場は大学のキャンパス内で14時から開始だったのですが、行く途中に時計を見てみると、なんだか中途半端な時間に着きそうだったので、ちょい寄り道を...。

東急田園都市線沿線にある母校最寄駅へ向かうべく、三越前で地下鉄銀座線から半蔵門線に乗換えて行ったのですが、乗り込んだ電車は[急行]。
これだと、この母校最寄駅には止まらないの・・・のですが、これ幸いにと,そのまま乗って(一旦)二子玉川駅まで乗って行きました。
この駅は、下り(中央林間)方面の一部が多摩川に突き出しているのですが、そこからの眺めが,なんだか落ち着く景色で好きだったので、大学時代はちょくちょく来ては何も考えず,ただただボーっと景色を眺めていました。
そこへ久方振りに行っ(て降り)たのですが、以前は多摩川上部分に無かった屋根が付けられていて、ちょい雰囲気は変っていました。
(大井町線の“バイパス化工事”の余波なのか,ガッカリです。)
ただ、眼下の多摩川の景色は変らず,ゆったりとしていて“忙中閑ある”趣きでよかったです。
(特に,黄昏時が良いんですよ!)

     ←東京都(用賀駅)|神奈川県(二子新地駅)→

この後,踵を返して母校最寄駅へ,そして、母校内の会場へと向かいました。

会場は去年と同じ。
慣れ親しんだ学び舎たる本部キャンパスから南へ500m程行ったところにある新キャンパス。

125周年記念事業やら、各専攻専門科院の新設やらで新造されたここは、去年の同じ時に来た時はまだ未完成でしたが、1年経って漸く全貌が!
それはもう,我が母校には不釣合いな程に豪華な仕上がりでビックリですよ!!(ちょも,ぽてきちさん,aammeeさん,どん子さん,見たら驚きますよ(笑))
今回はその中の,(昨年)茶道部に結構なお手前を頂戴した日本館内「桜の間」というお座敷。

ここへ着いた時にはもう、既に同期(2人)含めて、この会の出席予定者の半分程度が集まっていました。
受付を済ませ、クジで決まった席に着いてから暫くして,(取り敢えず)始まりました。
けど...
卓にはお寿司と乾き物,お酒はふんだんにある雰囲気は、なんだか法事の様...。
ゆえに、終始しめやかに・・・なることは無かったですが、放送研究会だったので(爆)かつて自分が参加した作品などを観ては懐かしく,また、現在と過去の作品を観ては時の流れや、脚本は別にして,映像的な完成度の違い感じました...。
また,我々の代が始めた事が今も連綿と続いたり、大学から“仕事”一コンテンツ任せられる・・・など、ちょい前には考えられなかったことまでやっていて、温故知新が為されているとも感じました。

そんな中,(一応)一代上の先輩が飛び入り参上されたので、それからは,勢いがあり過ぎる座敷を後にして、見事なお庭を眺めながらゆっくりと...
三十路境の連中が縁側に集って、日本酒片手に飲み明かしていました。
尤も,私は専らとんがりコーンばかりを摘んでいましたが(^^ゞ

そこで飲むこと小1時間程か...
閉会が近くなってから座敷に戻ってみる、もう,若い衆だけで“宴も酣”で、我(々)などが入り込む余地はなさ気でした。

そして,この後は渋谷(センター街)の居酒屋に河岸を変えて、もう一飲み!と行きました。
大学から渋谷までは、後輩(2次会不参加)の車で送って貰いました。何でも,3ヶ月前に300万円で買ったばかりの車で、メーカや車種は忘れてしまいましたが、玉川通りスムーズで,実に快適♪でしたよ。
けど...
用意されていた座敷が参加人数と不釣合いで、満員電車級に手狭な状況。
私が、本来座る場所では無い隙間に移動しても、それは焼け石に水的で改善せず,女の子が3人(くらい)、諦めて帰っていきました。。。
また,端っこに陣取ったということもありますが、後輩たちとは一切絡めず(笑)
またまた,以前は飲み会で最も盛り上がり、“力の入った”コールも、店が小ぢんまりとしていた所為か,それともご時世か、店側の顰蹙を買ったようで物静かに,抑えて抑えてやっていました。。。
なんだか,随分と勿体無く、窮屈な感じが・・・ありました。

そんなこんなで,19時から始まって2時間ほどで2次会は終了。
次の予約客があるとのことで一同店を出て、ここで今会は“お開き”となりました。

この後,同期衆でシメのラーメンを食し、最後の一杯を飲んで解散しました。

なんだか,随分とまぁ、気力と体力を使った感じがしました...。
帰りの電車内でも,乗り過ごさない様に気をつけつつ、ぐっすりと眠れました。
翌朝,起きたらなんだか声がガラガラだったのは、ここだけの話ということで。

来年もまた,この会を催す計画があるそうで、その折には、もっともっと,現役生含めて多くの参加車を募るそうです。
けど...
今会でさえ、結構な世代格差を痛感しましたから...はてさて,どうなることやら(苦笑)

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目黒の雅叙園に行こう!(下)

2007年10月04日 | くない卿見聞記
・・・目黒の雅叙園に行こう!()に続いて・・・

9月15日(土)
高校以来の悪・・・ではなくて親友が目黒雅叙園にて開く華燭の典に参列すべく、その最寄駅たる地下鉄目黒駅に着いたのは11時半頃。
晴れの御式に参ずべく、ネクタイにジャケット着用という“フル装備”の,季節に逆行するウォームビズ的な装いでしたが、それには酷なこの日の陽気。。。
結婚式に相応しく晴れたのはいいのですが、如何せん,陽射しが強くて気温が上がりすぎ...。
家から駅まで,自転車で5分の道程ではや汗だくだったのですが、1時間半の快適な電車移動中にそれは引いて落ち着いていたのですが、返ってその反動で,目黒駅から雅叙園までの道程がキツイことキツイこと(汗)。
しかも,僅か300m程の距離なのですが、その殆どは,江戸時代に富士山見物の名所として栄えた“行人坂”という急峻な下り坂。
ゆえに、転ばぬように・・・と余計な神経と体力まで使ったので、もう、結構な汗を掻いて折角の身嗜みもちょい・・・心配な具合になってました。

ある意味,やっとのことで辿り着いた雅叙園は、さながら“オアシス”の様な快適さ,その反省エネ的に涼しくて、生きた心地がより戻ってきた感がありました。
その後から少しして友達連も到着し、指定の部屋へ行くべく,建物の中へと進み入りました。

ここから先は、首都圏民な私でも「お上りさん」的発言が続きますので悪しからず(苦笑)

建物は近代的ななのですが、館内は純和風な造り
時は長月9月ゆえか,「招きの大門」と呼ばれる口の手前の廊下には、紅葉など,秋めいた設えがされていました。

そして、そこから更に進み入り、カフェラウンジの前を通過すると左手には、4階くらいまでの吹抜け空間が。
そこには螺旋階段やエスカレータに外が見えるエレベータなど、さながらデパートの様相でした...が、その奥(北側)には、茅葺屋根の「料亭」がありました。
建物の中に茅葺家屋があるだけで驚き!なのですが、その門前には着物を召した仲居さんがいらして、値段すらその場で確かめるのがおこがましく近寄り難い雰囲気。。。
ゆえに、遠巻きに,もしくは上階へと向かうエレベータから見るのが関の山でした・・・けど、以外に上から見下ろすと見た方がよく見え,趣を感じられてよかったです。
ちなみに...
この吹抜け広場の向かいに、一際目を惹く構えの入口を発見!

よくよく近付いて見てみると、そこには俄に信じ難い“お手洗い”の表示が!?
「まさか(笑)」と思って入ってみると、そっそこは!
紛れも無い,正真正銘の“お手洗い”でした。

しかし、その造からして「ここは【土風炉】の一角です」と言っても不思議ではないくらい,個室も適度な広さがあってよかったです。
...が、何故か斯程までに豪華な造りはここだけ(のよう)でした。
なんででしょう...ね。

1階から既に驚かされっぱなしですが、上階もまたスゴイ!
2階に在ったクロークに荷物を預けてから、(案内された)4階へ。
ここには和室宴会場があるのですが、入口からしてもう豪華絢爛!
後から知ったのですが、ここには3,4の宴会場あるようで、中がどんな風になっているのか?!
とっても興味があったのですが、残念ながらこの日は既に宴席中なので見ることは出来ませんでした...。
但し、入口の立て札を見た限りでは、何も宴席など無い時は見ても構わない・・・ようです。

さて、「平成」なる一室に集まった一同は、招待状にあった12時20分頃にやってきたスタッフに誘われて更に上に。
そこに何があるのか判らず,ただ案内されるままに付いて行くと、そこには・・・チャペルがありました。
実のところ、このことを知らされていなかったので、驚きと納得をしつつ、一旦屋上に出てから渡り廊下を通ってそこへと入りました。

ここでの挙式は、正味1時間ほど。
普段とは違う装いの新郎(親友)と新婦さんに感嘆しつつも、式中は,慣れない讃美歌を口パクしたり、片言の日本語を話す神父さんの所作に笑いを堪えたり...
中でも、新婦さんのお父上様は随分とご緊張されていたようで、新郎と予定以上に近付きすぎて戸惑う場面もありました。

挙式後は、表の芝生でブーケ投げや記念撮影,渡り回廊でのフラワーシャワーなどをして後、スタッフに付いて披露宴会場へと移動しました・・・が、その前に,受付用の控室へと移動しました。
ここで時間まで、ジュースやお酒を軽く頂きながら、出欠の確認してご祝儀を納めるのですが...
この部屋,空調が効き過ぎていて実に寒い!!
省エネに反する行為もあわせて、非常に閉口しました。
しかし一転,13時半過ぎ、スタッフに案内された披露宴の「華つどい」は暑い暑い!!
照明など使っているのに、室内が密閉状態だったのが原因だったかと考えられるのですが...
これに加えて,私たちの席に付いた、年の頃は50代のスタッフが酒を注ぐ注ぐ。
さながら体育会系かわんこそばのノリ。
私的には、苦笑し気味可笑しかったのですが、同席の友達がそれに閉口しっぱなしで、私の気分も幾分吹き飛んで、不快指数も釣られて増大していきました。
また、他のスタッフの目も行き届いておらず、そこかしこで些細ながらも粗相の連発。
折角の目出度い席が、およそ名門のプロとは思えぬ仕事振りにより不快に思い、閉口しました。
ただただ,それでも溜飲が下がったのが“お食事”の美味しいこと美味しいこと!!!
フォアグラにふかひれにと、普段は食べることが出来ない食材を扱ったお料理ばかりが出てきて、もう,私的には事の他満足しました。
ゆえに、調子に乗って杯を重ねてしまい...
室内の暑さも手伝ってか,御式後半の記憶がいまだに蘇ってきません(爆)

13時半過ぎから始まった御式は、足掛け3時間,16時半頃まで盛大に挙行。
美味しい料理を太良腹を頂き、おみやを引っさげて1階へ。
記念撮影をする為に、吹抜けの広場へと移動しました。

・・・が、その順番待ちの間,“お庭”に出て胎内巡りをしてきました。
久し振りに入った瀧の裏側で、思いっきり爽やかに,マイナスイオンを得て戻りました(笑)

眼下では、別の組が記念撮影をしていましたよ。

この後,記念撮影も終えてから、2次会をすべく目黒駅前へ,急峻な行人坂を登って行きました。
けど...
先の暑さとスタッフの無礼に友達がげんなりして盛り上がりには欠け、20時過ぎ,それぞれ帰路に着きました。
ゆえに、最後は締まらずに終わってしまいました。。。

ちなみに...
目黒の雅叙園は、今年80周年。
その為に、諸式のお値段が若干安くなっているそうです。
しかも、紹介を受けて御式を挙げれば、より安くなるとか。
どうですか?!皆さんも(笑)
スタッフの気遣いは2流以下ですが、内装は豪華絢爛!で素晴らしいですよ,ホントに。
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目黒の雅叙園に行こう!(上)

2007年10月03日 | くない卿見聞記
つい先だってまでは“敬老の日”だった9月15日。
高校以来の悪・・・じゃなかった(笑)親友が、この度遂に!年貢を納めることとなり、その“お披露目”に立ち会うべく,いざ!目黒雅叙園に行ってきました。

目黒の雅叙園といえば、結婚式場としては言わずと知れた名門中の名門。
私も、今までに何組かの結婚式に招かれて出席をしましたが、ここまで名の知れたところへ行くのは...
2次会形式では何年か前,信濃町の明治記念館へ行ったことはありますが、挙式,披露宴からは初めて。
雅叙園に来るのは、実は2度目・・・とはいっても、最初は夜。
この近くを流れる目黒川の桜が名所と聞きつけて観に行った帰り,行きに歩いた権之助坂目黒通り)とは違う道を歩いて目黒駅へ行こう・・・と、南側に通る行人坂に差し掛かった時,偶然見つけたのが始めて。
但し、その時は夜だったので玄関口より先へは進まず,ただただライトアップの見事さに感嘆し、そこにあった掲示板だけを見て帰りました。
それから5ヶ月して、まさか正々堂々と来賓として,世に名高き雅叙園に堂々と行ける!とは夢にも思っていなかったので、実に!胸高まる思いでした(笑)

ある意味,結婚式よりも雅叙園に行くことの方が楽しみ・・・だったりも(爆)
その折の模様は別して,コチラにて記録しておりまする。

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新宿食良く品定め!

2007年06月08日 | くない卿見聞記
この間の土曜日。
久方振りに我が母校へ行ってから、次に用事のあった新宿まで,渋谷から歩いて行きました。
ただ、新宿での用事は僅か30分ほどで終了・・・したのですが、後日,そうやらそれに不手際があった模様で...
時刻は正午前,昼食時、久方振りに新宿に来ていたので、どうせなら(安くて)美味い店を・・・と思い、地の利に詳しい法城寺殿にご指南を仰ぎ、西口のオフィス街内,新宿NSビル29階に在るステーキレストランスエヒロ】で取りました。
休日とは言え、眺望の良いレストラン(街)ゆえか,結構繁盛していました。
其の中で私は、“メキシコ風ステーキ”を注文して食べたのですが・・・うん,美味かったです。
ご飯も一杯だけお代わりできて、大満足でした!
けど、食べ終わってから“ランチステーキ”がお得であることを知って、ちょいショックでした。(苦笑)
其の帰りは、眺望が楽しめる直通エレベーターで1階へと降り、次の予定まで新宿の街をぶらぶらとしていました。

ちなみに...
法城寺殿が教えてくださった店で結果,昼食をとったのですが、すんなりと判断と考えが纏まらず・・・暫し新宿の街を彷徨ってました。
その途中,まず立ち寄ったのがサザンテラス
ここには宮崎広島のアンテナショップがあり、“本場の味”を楽しめるレストランも併設されています。
その内,宮崎県には先日立ち寄って“地鶏カレー”を食べたので、この日は広島県に照準を定めてちょい行って見ました。

このカレー,550円とお手頃で、尚且つ美味かったですよ。
すると...
1日限定30食 鯛刺身丼 980円なる看板が!!
これは「食わずばなるまいて!」と思って覗いてみると、店内は満席,更に待ち客も店外に。
しかも、時は既に正午過ぎ...。
もし売り切れたら、お好み焼き定食・・・だど、この日の意にそぐわなかったので、無念ながら,大事を取って撤退しました。
すると、其の直後にはそれだけの看板が無くなっていた・・・ので、どうやらこの日の分は売り切れてしまったようです。
次回こそは是非!!!

一方で,中々考えが纏まらずに、新たにラーメンとの欲望で対立する中通りかかったのが、いま巷で話題のドーナッツ屋

アメリカからやってきたここは、連日1時間以上も待ち並んでやっと買えるほどの大人気!で、この日も,店前は言うに及ばず、直ぐ側の跨線橋(イーストデッキ)中ほどまで行列が出来ていました。

けど...
実はここのドーナッツ,先日機会あって食べたのです。が!...
私には正直,1時間以上も並んで買うほどの価値は無いと思いました。
私が食べたのはオリジナルとレモン,ラズベリーにチョコ...
まず、レモンとラズベリーのジャムは人工物と判る味で、そのキツさに噎せ,思わず笑っちゃうほどでした。
また、オリジナルとチョコも脂ぎっていて、尚且つと~っても甘かった・・・です。
尤も,甘いのは大好きなのですが、物事には限度というものが...。
寝起きや疲労困憊時などの糖分不足にはよいでしょうが、加えて自分が脂ぎってきて、目方も絶対に増える・・・と思います。

これはまず,私の味覚が下した判断なので個人差があるかとは思いますが...
私には正直,こんなにしてまで並んで買い求める理由が判りません。
並ばずに買えるなら、もう一度くらいは食べてみたい・・・かな?!とは思いますが、並んでまでは絶対に買いません
もうこれ以上、皮脂はいりませんから(爆)

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神宮内苑の杜を抜けて

2007年06月07日 | くない卿見聞記
この間の土曜日。
久方振りに訪れた我が母校で所用を済ませた後、次に用が有って向かったのは新宿。
そのためにはまず,渋谷へ出てからJR(山手線)に乗っていくのが普通(の人)なのですが、私は歩いて行きました。
これを見て「なぬ?!」と思われたかと思いますが...
渋谷から新宿まで,距離としては3キロ強ですが、そんなに苦ではないのです。
なにせ、行程の半分は明治神宮の杜なので、とっても気持ちよくまた快適に散策することが出来るんです。
だから、季節を問わずに学生時分ちょくちょく歩きました。
けど...
真夏は散歩は不評で、同行者を半殺しにしたことも・・・あります(^^ゞ
尤も,そればかりではなく...(笑)
この日は薄雲が空を覆って陽射しを少し和らげてはいましたが、少し湿度があってか,少し汗ばむ陽気でした。

東急田園都市線渋谷駅から地上へ出、ここを発ったのは10時40分頃。
夜や休日の猥雑な街とは打って変わって、静かで幾許か落ち着いた雰囲気,五差路で行き交う人も疎らで、なんだか新鮮でした。
それは、ここを渡って進路を北へ,電力館渋谷消防署の前を通って神宮橋(原宿駅南,井の頭通り)へと抜けるファイヤー通りも同じく。
特に、岸記念体育館辺りでは車も疎らで、歩道はありますが急く事無く,悠々自適に歩いて行けました。
そして、渋谷駅から歩いて15分ほどで神宮橋に到着。
ここからいよいよ明治神宮の杜へと進んで行きます。

新宿へは、線路沿いに伸びる(原宿駅の臨時改札口)が最短なのですが、せっかくなので,明治神宮へ参拝すべく、南参道より大鳥居を潜って社殿へと進んで行きました。
土曜日の午前中ということもあってか、文化館前では雅楽の奏でられ、参道や社殿には多くの参拝客や結婚式が執り行われていました。
ただ・・・参拝客の多くが中韓系の人々でした,なんだかとっても不思議な感覚でした。

神道に則って明治神宮本殿にて悲願成就を祈念。
時刻は11時。
これから何か祭祀でも執り行われるのか,低音に鳴り響く太鼓を聞き、神官の装束(狩衣に烏帽子)に萌えつつ、北参道を通って再び新宿へと歩き始めました。

目的の場所は新宿駅の南に在るJR東京総合病院近くだったので、北参道交差点から都道を北に歩いて行きました,が、“あと一歩!”というところで小田急線の踏切に捉り、ここで5分以上足止めを食らってしまいました。
しかし...
この間に、近くのビルからは、警報音らしきブザー音がけたたましく鳴り響いていました。
すると...
この踏切で違反車の監視に当たっていた警察官がその方へ,怪訝そうに向かって行きました。
その際、入れ違いに運送業者らしき人が出てきて、2,3言交わして入っていったので、行方を見届けたかったのですが・・・無常にも?!遮断機は上がり、更に、予定の時間が迫っていたので足早にそこを後にしました。
けど...
夕方から翌日に掛けて、ニュースになっていないところをみると、何事も無かったようですね。

なお、ここ新宿での予定は30分で終了,時刻がお昼だったので、美味い飯を求めて暫し彷徨って行きました...が、それはまた別項にてm(_ _)m

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昔懐かし母校と街

2007年06月04日 | くない卿見聞記
この間の土曜日,所用があって世田谷に在る我が母校へ行ってきました。
久方ぶりに訪れた構内は、私が通っていた頃と寸分変らずに懐かしく、また、土曜日の午前中で授業中だったということもあって、とてものんびりとしていて静かでした。
しかし、その周辺は随分と変っていました。
まず、私が通学していた頃の主とした出入口だった東門が閉鎖(教職員のみ可)されて西側の正門(北門は午前中)のみとなり、最寄駅から随分と離れて不便になっていました。
それに伴って・・・か、かつて東門外にあって文化系(文連棟)と体育会系(体連棟),それと相撲部の部室が無くなり道路となり、かつて道路だったところは築庭されていました。
中でも相撲部の部室には土俵もあって、日夜そこで部員が稽古に励んでいたのですが...一体何処へ行ったのでしょうか?!

それと、周辺の店舗にも変化があり、以前通っていたコンビニなどや、偶には豪華に・・・と行っていた昔ながらの定食屋さんも無くなっていました。
ここに美味しくて、コロッケ定食などの揚げ物が食べられ、それが500円くらいから味わえました。
お場所柄か,壁一面に有名人の色紙が所狭しと飾られていたのが印象的でもありました。
また、サークル連とよく集っていた喫茶店とその周辺も様変わり,あちらこちらにマンションが建ち、随分と昔に店仕舞したというその喫茶店の面影は言うに及ばず、それがどこにあったのか迷うくらいでした。
大規模な変化ならばそれなりの意識はありますが、中小規模の変化が随所にあると認識できなる・・・ということを学んだ気がします(^^ゞ

いまは通学路までの道々に母校の腕章を付けた警備員が正門へ誘導するので、かつての通学路を通る学生は人っ子一人居らず、とても閑静な住宅街となったそこを帰りに通って最寄駅まで向かいました。

その道すがら,諸所の変化はなんだか感慨深かったです。
また、も少し時間があったら行きたかったところがあったんです。
そこは...
東急田園都市線二子玉川駅です。
ここは、直ぐ側(中央林間方面)を多摩川が流れていて、そのホームからの眺めがなんだかよくて、ちょくちょく来てはボーっとしていたんです。。。

それはまた今度,何事にも余裕が出来た時にでも改めて...。

ちなみに、この日は他にもいろいろとありました(笑)ので、それは別して記して参りますm(_ _)m

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お笑いの祭典 in 幕張(下)

2007年05月17日 | くない卿見聞記
先月29日(日)の旧みどりの日に、高校以来の友達など8人で観に行った[LIVE STAND '07
その最初の頃,CONA-MON STAGEの二番手「キングコング」までは全員一緒に観て居たのですが、その次のケンドーコバヤシがあまりのも寒かったので、些かの同情の念を抱きつつその場を退散。
この後は二組に別れ,幹事兄弟とその友人は若手ばかりのAGE-MON STAGEへ,私を含めたもう一組は、まず「麒麟」を観にKAWAKI-MON STAGEへと向かいました。

ケンドーコバヤシのお蔭でごった返すKAWAKI-MONですが、私は一緒に来た友達は離れて1人,満員電車並みの混雑の中、人々の間隙を縫って奥まで進むと、結構空いていて、案外間近に見られてました。
勿論・・・か,麒麟の漫才も面白かったです。
これが終わると、ここからはどっと人が出て行き、その人気ぶりも感じられましたが、私もまたその中の1人。
最初にいたCONA-MONでは、「品川庄司」が上がる頃だったのでそれを観にいきました。

最初とは違って、もう、3エリア全てで各プログラムが始まって人が分散しているのか、結構舞台近くまで,背が比較的低い私でも難なく観られました。
しかし、ここのエリアはこの後面白そうでは・・・無かったので、またKAWAKI-MONへ。
15時から1時間,芸人が一同に会す“楽屋ニュース”を観に行きました。
その大半は、さすが?!ここでは絶対に書けない下ネタばかり。
特に、MCのタムケンや(ここに居ない)陣内智則が如何にヘンタイでヘタレであるかがよーく解りました(苦笑)

この後,16時からCONA-MONでは「南海キャンディーズ」が立つので、“楽屋―”に途中で見切りをつけ、間隙を縫って脱出してそこへと向かいました。が、さすがに人気コンビ。
エリア内には、さっきまでとは比べものにならないくらいの人が押し寄せていました。

その中でまた、人々の間隙を縫ってなんとか肉眼で見えるところまで接近しました。
こういう時は、「小柄で良かった」と思えますね(苦笑)...。
ちなみにこの時、はぐれた友達連はカブリツキで観ていたそうですが、キャーキャーというアイドル張りの歓声が「騒がしかった」と辟易した様子でした。
ここでは、続いて(ただ)エネルギッシュな「ザ・ぼんち」と最後の「ダイノジ」を堪能,その間は、ずっと立ちっぱなしでヘトヘトだったので暫し休んでいました。
ちなみに,はぐれた友達連と合流できたのはこの第三幕終了後。
私と幹事姉以外はみんな不健康な愛煙家,なもんで、喫煙所で待ち伏せていたら案の定、会えました。蛇の道は蛇・・・ですね(笑)
一同会して暫し休憩した後,CONA-MONの第4幕にいよいよ待望の「チュートリアル」が立つので、それに合わせてエリアに入りました。
けど、さすが・・・と言うべきか,そこにはもう、大勢の人が詰め掛けていたので舞台近くまで接近することは出来ませんでした...。
けど、エリア後方でもモニターが大きいので、さほどに不便さは感じず,お蔭でその漫才を存分に楽しました。
余り舞台近くだと、熱心なファンなどが騒がしいとか。なるほど,チュートリの時も、遠くながらそれが感じられました。
その前の「かつみ・さゆり」がまた酷すぎたので、余計に・・・かも。


この後はここで最後まで,メッセンジャー→笑い飯次長課長・・・と堪能しました。
その中,メッセンジャーや笑い飯は面白かったのですが、次課長はいつものネタな上にキレが無く、余り面白くは・・・なかったです。

そして,この日の全プログラム最後は、「山崎邦正芸能生活20周年」ということで今田耕司と雨上がりが登場(MC)して邦正をいじっていましたが、正直,あんまり面白く無かったです。
返って、雨上がりのコントを観たかったです...。

こうして、13時から7時間ぶっち抜きのお笑いの祭典は終了しました。

今年初開催のこれは、聞くところによるとチケットのハケがイマイチだったようですが、それでもこの日が最大,キャパの2万人近くが訪れたとか。
3つのエリアでそれぞれ,漫才なりコントが見られて8,000円とは・・・結構これってお得なお祭りだったかと。

来年もまた開催するようだったら是非,行ってみたいですね。
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お笑いの祭典 in 幕張(上)

2007年05月16日 | くない卿見聞記
先月29日(日)幕張メッセで開催された[LIVE STAND 07]を観て来ました。
この切欠は3月中旬頃,高校以来の友達のお姉さん。
この方,かなりのお笑い好きだそうで、幾度と無くライブなどへ行っているそうですが、昨年(末)のM-1以来,チュートリアルにハマった!とかで、それが出演する期間中日に照準を合わせて観に行くこととしたそうです。
しかし、かなりの規模のイベント,ならば・・・と友達が片っ端から連絡をした結果、この私とその姉弟以外に高校以来(共通)の友達など総勢8名で、このイベントを観てきました。

集合は10時半,京葉線海浜幕張駅だったのですが、諸般の事情により間に合わず...
その旨,幹事と友達の1人にメールをすると、その友達から「忘れたチケットを取りに一旦帰ったから一緒に行こう」と誘われて途中駅で下車し、車でメッセへと向かいました。
けど...
大きなイベント,駐車場は既に埋まりつつあるのでは?!と、心配していたのですが、それは単なる杞憂に過ぎませんでした。
駐車場には到着した11時過ぎの時点ではかなりの余裕があり、しかも、そこに止めた人々の大半の目的が、別棟で同時進行中の「ペットフェア」の様で、駐車場域の見渡す限りに(ほぼ)犬連れの人々。
「ホントにやるのか?!」という心配を抱きつつ、時間を守って集まった友達連と会場口(受付)で待ち合わせる段取りをつけて、そこへと向かいました。

友達連と落ち合えたのは会場から数分後の11時半過ぎで、そこには結構な人が並んでいました。
我らもその列に並び、チケットを見せて入ろうとすると・・・なにやら我々のは特別なチケット?!だったようで、「入場前に記念品をお受取下さい」とはじかれてしまいました。
仕方なく、係員に案内されたブースへ行ってチケットを呈示すると...

こんなキラキラシールがもらえました♪けど、微妙~・・・です。
今度こそ,受付口に戻ってチケットを呈示すると、そこでは入場者全員に“入場タグ”と会社などで使う首から掛けるタイプのポケットに入った“プログラム”を渡されました。
正直,こういうのに萌える私にとって、気分はもうギョウーカイ人か関係者でした(爆)

しかし、タグは一旦腕に巻くと容易に外れない仕組みになっていて、家に帰ってからはさみで切断をしてこれを外しました(苦笑)

ところで...
この日のことは、幹事から何と無く,「ずーっと立ちっぱなし」といった予備知識くらいしかなく、正直良く解ってはいませんでした。
しかし、プログラムを見,会場に入って目の当たりにしたその光景は、壮観でした。

会場(舞台)は3つ,一番広いのが有名どころが上がるCONS-MON STAGE。
そして、企画モノなどもするKAWAKI-MON STAGEと、オール若手のAGE-MON STAGEとが同じ広さでありました。
そして、その中央には巨大な案内板とテーブル,ベンチがあり、その奥には10軒以上の飲食店が軒を連ねていました。

開演が13時からだったので、それまでここでまったりと,体力を温存。
まず最初,CONA-MON STAGEへはその開始10分前に乗り込みました。
しかし、この時点でもう結構な人出で舞台からは少し離れたところ,しかも全員立ち見・・・なもんで、背の若干低い私にとってはちょいツラかったです(^^ゞ
ただまぁ,何とか人の隙間に入り込んだり、左右に設置された巨大モニターなどを駆使して観る事は出来ました。

まず最初に,西川きよしのオープニングセレモニー。
・・・ですが、余りの観客数を目の当たりにしてか?!終止(何と無く)空回り気味,締めも無理矢理でしたでした(苦笑)
この、何と無くビミョーな空気を一気に換えたのが1組目の「タカトシ」。
もう、面白いの何のって!
漫才の中心はタカの独りボケツッコミ。
しかも、「欧米か!」を1度だけ,さり気無く言ったところがよかった!
いやぁ~、もう大満足!!の次に登場したのが、「キングコング」。
これは、普通に面白かったです。
けど、この次に出てきたケンドーコバヤシが酷かった。。。
しかも、30分の時間差で始まったKAWAKI-MONには「麒麟」が立つ頃・・・とあって、次々と引き去っていく観客。
私たちも、あまりの寒さに耐えかねてここを後にしました。
ケンドーコバヤシにとっては、この上も無い屈辱だったのでしょうね...。
一方,KAWAKI-MON STAGEには大勢のある意味避難客が押し寄せ、手狭なエリアがすし詰め満員状態。
その中、私は1人間隙を縫ってエリア内を進み、比較的空いていた中ほどの舞台近くでこの「麒麟」を観ることが出来ました。
しかしその代わり,ここで友達とははぐれてしまったので、以後暫く,独りで観て周っていました。
ケータイのえねるぎーも切れ掛かっていたので、省エネ目的で電源をオフにしてしまっていました。
けど、返って気兼ねなく出来、あちらこちら観て周れてよかった・・・・・・ですよ。

>>>お笑いの祭典 in 幕張(下) へ続く ノヽッノヽッノヽ!:・(≧∇≦)・: ハッハッハ

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異街?!な路線

2007年04月19日 | くない卿見聞記
これは、昨年の夏前のことなのですが...
所用あって千葉北西部<葛北>のへ、今回初めて電車で行ってきました。

私が住まう街と柏では然程に結びつきは無く、沿線も違うので足を運ぶことは滅多にありません。
しかし、近頃ららぽーとが出来たりしたので「行ってはみたい」とは思うのですが、もし行くとしても断然!車の方が勝手が良く、便利なんです。
ただ一点,関東循環道たる国道16号線の渋滞を除けば・・・ですが。
朝晩など空いていれば3,40分程度で行けますが、日中は大概混んでいるので1時間程度は掛かります。
しかし、この日は柏駅近くで宴だったので車と言うわけには行かず、初めて電車で行った・・・というわけなのです。

自宅最寄駅から柏までは幾筋かありますが、一番簡単でお手頃なのは、船橋より東武野田線に乗って向うルート。
ゆえに、その日はこのルートにて向いました。

通勤時,船橋駅北側<船橋東武>に発着する東武野田線は、見慣れた光景だったのですが、実は乗るのは初めて。
・・・いや・・・
ひょっとしたら、東武とは小さい頃から関わりが多かったので乗っているのかもしれません。
けど、一応,物心ついてからは初めてです。
なもんで、柏まで約30分,ちょいワクワクドキドキ気味に、乗ってきました。・・・って、至って普通の路線なんでけど(^^ゞ

船橋を出てから暫くは、緑こそ多いものの、都心へのアクセスも比較的容易<船橋乗換>なので、見えるのは住宅街ばかり。
中には宅地開発真っ只中!というところもありましたが、印象としては、迫り来る住宅街を突っ切るように走って行きます。
・・・が!途中,ある意味衝撃的な光景に出くわしました。

それは、六実駅を出てからのこと。
ここから先、なんと!単線になっていたのです。
それは、2つ先,逆井までの凡そ4キロの区間で、線路沿いは樹木に囲まれて緑深く、また、所々線路際まで家や建物が迫っていて、複線化はどうも難しい感じ。

↑“中間駅”の高柳/“単線”なので、ここで双方到着待ちをしなければなりません。↓


船橋のほぼ中間に位置。
両駅とも15分程度と利便性もあって、自宅最寄駅より船橋へ出るよりも近いのにこの光景。
自宅最寄駅から東へ3駅行ったところには、ここよりも更に“田舎”・・・というより、寒村な駅がありますが、船橋からは30分以上掛かります。
それに比べれば・・・(比較的)大都市近くに、こうした街,風景が広がっているのが不思議で、また、なんだか羨ましくも思いました。

船橋から柏へ。
単線の北側出入口,逆井から先は再び複線となり、街も一気に広がった感じがしました。

・・・けど、このギャップがまた、より不可思議な光景に感じました。

東武野田線,侮り難し(笑)
・・・実は、柏から先も単線と複線が混在しているようなので。


右に伸びる線路は留置(引き込み)線です。(高柳駅から柏方面を望む)

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酒勝な心掛け

2007年03月21日 | くない卿見聞記
昨年は師走の初め頃
武蔵野線新座駅(埼玉県新座市)から志木街道を南へ進んだところに在る【バリバリラーメン】の味が恋しくなって一年振りに(前回同様),志木の[おふろの王様]でひとっぷろ以上して行ってみたら・・・時既に遅し!?
その日の営業は終了していました。。。

それから三ヶ月,この無念に鬱々とした気を晴らすべく!17日(土),久方振りに志木方面へ遠征をしました。

仕事だったこの日は、(久し振りに)車で通勤,(これを終えて)職場を発ったのは14時半過ぎのこと。
繁華街を抜けて川越街道に入って西上すること一時間ほど。
土曜の昼下がりからか、成増駅前まで流れが悪かったですが、後は概ね順調に,一応難なく紋次郎。殿と合流し、まずは[おふろの王様]へと向かいました。

今回、岩盤浴には入らずに温泉(お風呂)とサウナを2回堪能。
寒風吹き荒ぶ中での露天,サウナ上がりの一杯は、まだ日没前ということもあって格別!でした。

けど...
私はこの日運転手だったので生中一杯限りとし、この後仮眠を採り、(再び)一っ風呂浴びてしっかりとアルコール分(解毒)を抜いてきました。

そして、これから5時間余。
この日はもう一人,先の用事が為に21時過ぎから参加の美琴殿と志木駅にて合流し、いざ!この日のメインである念願の【バリバリラーメン】を食らいに向かいました。

風呂上りにはこれが一番!けど、思い出すのは高校生の時のこと...

夕方頃は大変な混雑だった志木街道も、この時間ならばもうスイスイと南下。
暗闇の中に目立たず光る電光掲示板を目印に着いたのは、21時頃。
店内は生憎満席だったので、それが空き,オヤジさんのゴーサインが出るまでの暫し,夜風冷たい店外で待っていました。
(フライングをすると、ピシッ!と叱責されますので...。)
それが漸く出て入店できたのは着いてから10分ほど(の感覚)。
オーダーを取りに来たオヤジさんには空かさず、念願の「ラーメン」をお願いしました。

そして待つこと数分,待ってました!【バリバリ】の“ラーメン”。
冷えたからだと風呂上りの塩分不足には持って来い!の一杯。
その一口目は、スープを“そのまま”頂いてその味を確認。
続いて二口目へといく前に、卓にある豆板醤をお好み加えて食らうと・・・
それまでの味と違った,まろやかで旨味格段上昇!なラーメンを楽しめる。
その美味さと、無念晴らせた嬉しさから一心不乱に食べたので、悲しいかな,あっさりと終わってしまいました。

1年半振り位に食らったこのラーメンは、その時の記憶と変らずに“美味かった”です。
その詳細は、前回の「記録」等などに譲るとして...
この後我々は、一杯以上引っ掛けるべく再び志木駅へ。

駅まで歩いて5分ほどのところに在るコインパーキングに車を止めて、私の大好きな【土風炉】に河岸を変えて“二次会”へと突入しました。
但し...
私はこの日の運転手。
酒類は厳に控え、ただひたすらにソフトドリンク。
その中でも一工夫し、ビール感覚にとジンジャーエールやら、土風炉名物のマンゴージュースを飲んでは、杯を重ねてテンションが急騰していくお2人さんに対抗していました。
それも4時間...
草木も眠る丑三つ時に漸く、楽し過ぎた“二次会”を締めました。
この後、紋次郎。殿と美琴殿をご自宅近くまで無事にお送りして、帰路へと着きました。

今回、初めて独りノンアルコールだった飲み会。
ハイテンションとなっている2人を冷静に視ているのは、ちょい悲しかったですが...
それに素面で付いて行けた自分にはちょい、誉めてあげたい気分です(笑)

でもまぁ...
偶にはいいですかね,ノンアルコールの“飲み会”も。
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池袋の「宮城県」

2007年03月19日 | くない卿見聞記
最近,都内随所にて見掛ける(地方)道府県のアンテナショップ
例えば...
昨今何かと話題の多かった宮崎県新宿(サザンテラス)に,広島県と隣接してあり、青森県飯田橋に、島根県日本橋室町にあります。
その何れも、中々に見応え(種々)選び応えがあって楽しい!のですが、その中でも一番行き応えのあるのがこの、池袋にある宮城県
以前は大好物!の“牛たん”を、「比較的お手頃価格で食べられる」とレポしましたが、この他にも生ドラや笹かまに銘酒浦霞,名産宮城米に至ってはその場で精米できたり・・・と、選び応えはまず満点!なのです。
しかし、私がよく知り,利用しているのは2階層中1階だけ。
観光案内などが中心の2階には、あまり足を踏み入れたことがありません
一度捉ったら逃れがたく,何と無く気恥ずかしくて。。。
そこへ先日,政宗萌えが高じてここに入り浸り、店長他スタッフの方々とも昵懇なまつ殿と美琴殿に付き従って、(恐る恐る)上がってみました。
するとそこには、ななな~んと!
瑞巌寺殿(伊達政宗公)御愛用の甲冑,鉄黒漆塗五枚胴具足が鎮座ましておりましたm(_ _)m
それをなななな~んと!希望すれば着甲出来、更にははなまる風に記念撮影まで出来るのです。
それも、現像は最新鋭,ケータイに撮った画像を赤外線で機械に読み込ませてプリントアウトするのです。
そんな魅力的な体験に、この日ご一緒していた破天間武茶殿が名乗りを上げられました。
これに際して私は、着付人として着甲のお手伝いをしましたが、武茶殿は細部までこだわりを示し、その上がりは実に立派なものでした。

着甲を終えると、表での記念撮影の為に“ご出陣”。
着付人総出で周りを固めていざ!表へ。

時は日曜日の夕方。
池袋東口から繁華街のサンシャイン方面へと抜ける目抜き通り,立地条件は最高なこの店先なので、道行く人で気付いた人は、一様に驚きと感嘆の声。
これに対して武茶殿も、寒の戻りで肌寒く風が冷たい弥生初旬な気候もなんのその。
見事なる気概を魅せ、或る時は微動だにせずに“人形か?!”と思われ、また或る時は勇壮なる見得を切っては、道行く人から記念撮影などをせがまれたりしていました。
それを我々は、(店長の指示で)遠巻きに見ていましたが、これに武茶殿の威容ある勇姿に引寄せられて、多くの人が集まっては「宮城県」に興味を持って入店するひと続々でした。
実に良い,効果的な宣伝活動です、これ(笑)

武茶殿の「成り切り政宗!広報活動」は、凡そ30分近く行われ、店内は大賑わいでしたが、この後思わぬ展開に。

武茶殿が(裏口より)帰陣して武装を解いていると、女子高生くらいの女の子2人がやってきて...
「政宗公の甲冑を着たい」
...と、ミヤプラのスタッフへ申し出ました。が、実はこれ,表に立っていた武茶殿の御姿を見てやってきたのです。
戦国に興味があるという子の1人が着甲することとなったのですが、その場にいた私などが「序でに」と、再び着付人として着甲のお手伝いをしました。

まさか、趣味と経験が斯様なところで役立つとは思いもよらず...
幾度か取った杵柄,実に手際良く着甲し、武茶殿と同じく表へ“ご出陣”し、見事(無事)にミヤプラの宣伝活動を相務められておりました。

これを見ていて...
私もいつの日かは、着甲して見たいと思いました。けど、表に出るのはちと・・・ね(笑)


お手伝いの“恩賞”として、「政宗ビール」を賜りました。


ついしん:
ミヤプラではいま、1階では[萩の月]を特別販売。
2階では、3月にて廃線となるくりはら田園鉄道のキャンペーンをやっています。
是非に一度、足を運んでみては如何でしょう?!
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