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くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

疾走の参ヶ月│八月の連洛/第一段

2013年11月11日 | 旅日記
気が付けば、あっという間でした。
8月のお盆と連続宿泊出張から10月の鬼小十郎まつり関ケ原合戦祭り2013まで、何だか全力で駆け抜けた感じです。

始まりは、毎年お盆の頃に行っている母方の先祖の墓参り。
いつもなら叔母宅に泊まるんですが、今回は、そこに居る犬が部外者への警戒心がえんらい強いということで、隣町のビジネスホテルに宿泊。
変な感じでした。

この1週間程後の8月下旬、京滋方面に連続的に出張。
4泊5日と、中2日置いて2泊3日です。
前者は業務上担当なのでやむを得ず、後者は立候補なので、ある意味、しんどいのは自業自得なんですが(^^ゞ
せっかくの出張、しかも京都ですから、タダでは行きません。
しっかりと時間を作って観光しました(笑)

前者の時は、初日の夕方までしか私的時間がなかったので、行くところを絞って、予てより行きたかった「貴船神社」に初参詣。
京都から地下鉄烏丸線の終点・国際会館まで出て、ここから京都バス3番乗り場、[52系統-鞍馬温泉行き])で向かいました。
これだと、市の市バス地下鉄1日乗車券が有効に使えるので(^^ゞ

途中、この規模のバスがこんなところを通るの?!と思う隘路を(単線の信号所みたいなのが途中にあり)30分ほど掛けて向かいました。

国際会館(⇔鞍馬温泉)発着のバスでは「貴船口」が最寄り。

そこから神社までは徒歩で30分ほど。
往復するバスもありますが、往路は歩いて行きました(けど、復路はバスを利用、時間と体力の限界が、、、)。
舗装された道路でしたが、登りの山道なのでちょいきつかったです(^^ゞ
けど、大半は貴船の清流に沿って歩くので、風景とせせらぎの音が心地よかったです。

漸く辿り着いた貴船神社(^^ゞ

濃い緑に囲まれた参道の階段を進み、本宮へ。



貴船神社本宮

本殿向かいには“神水”が湧いていたので、涼と喉の渇き、それと、貴船の地のお力を頂戴すべく一杯頂きまして、更に先へ。


奥宮にも足を延ばして参りました。



途中に鎮座します摂社に参りながら、歩くこと10分ほどで奥宮に着きます。



賑わっていた本宮と異なり、奥宮はひっそりとしていて、すぐ横を流れる貴船の清流の音と、凛とした涼やかな空気がとても心地よかったです。

貴船社へ至る道は車1台が通れる程度の道幅なんですが、そこに、参詣する人などの車が多数往来し、さながらひしめき合ってました。
それに加えて、有名な川床料理の店がひしめき合うように軒を連ね、そこの送迎バンやバスも入って、狭隘な道路を余計窮屈にしていて、にっちもさっちも行かない有り様で、歩くのも不便でした。

貴船に着いたのは昼頃。
せっかくなので、名物の川床で、とても気持ちよさそうだったのでお昼でも・・・と思ったんですが、どこもかしこも手が出ぬ値段だったのには、閉口しました(ノД`)

最低価格は、流しそうめんの二千円!(くない調べ)でした。

貴船参詣を終えて洛中へ。

バス着まで少し時間があったので、近くの滝でマイナスイオンを浴びてから、、、

向かったのは糺の森下鴨神社

私は、ここの、何とも言えぬ落ち着いた雰囲気がとても好きで、上洛する度に必ず参ります。

今回は、折りよく特別公開されていた本殿内と大炊殿、御車舎、それと、開かずの間とされている神服殿を見学。

本殿内では、文久3年の攘夷祈願行幸の折の史料を見ることができて、とても興味深かったです。

本殿を正面に見て左側に建つ大炊殿は、神前に供える御饌を準備する“台所”です。

本殿を背にして右斜に建つのが神服殿。

天皇の御幸された折の御座所となるところで、今上陛下が行幸された折にもここへ御座されたそうです。
陛下がいらした場所に入ることができ、もう、感動!感激!!です。

さて、私的なのはここまで。
河原町に出て仕事に必要な物品を買ってから、同僚と約束していた夕方に待ち合わせ、この後は仕事モード。
翌日から仕事に備えて同僚たちと一杯やって英気を養って、、、
それらが開放されたのは、4日後の土曜日でした。。。

その間は、ホント、大変でした、、、。


│疾走の参ヶ月◇八月の連洛│第二段▲▲▲
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奥羽口福島から、松島へ出張る!

2013年07月28日 | 旅日記
祭友さんを頼って福島を本陣とした2日間。
前日は羽州置賜へ、敬慕してやまない治憲公所縁の史料などを見、赤湯や高畠にも行きました。
そして2日目。
前日夜に沛然と降っていた雨も上がり、少しひんやりとした朝。
7時に起きて朝食をいただき、9時頃に出立。
針路は北に、松島へと向かいました。
前日夜、作戦会議という名の宴の時には作並秋保の湯でまったりとする・・・という案で行こう!としたんですが、“牡蠣が食べたい!”というところから一転、(そことは反対方向の)松島に決定しました。

福島から松島までは、東北道、仙台東部道路三陸道松島北)を利用して1時間ほど。
祭友さんの豪快な運転で、10時を少し過ぎに着きました。
けど、松島市街の駐車場はすでに軒並み満車。
道は、空いているところを探す車で渋滞していました。
若干の出遅れ感と松島の人気に嘆きつつ、我々は、少し離れた駐車場で空きを見つけたのでそこに止め、市街地へと向かいましたが・・・もう少し遅かったら、大変だったかと(^^ゞ

さて、市街地に入って真っ先に探したのは、勿論!“美味しい牡蠣が食べられるところ”です。
そこで目に留まったのが、「松島さかな市場」に在った“かき小屋”です。

焼き牡蠣が最大2,000円、それも45分間で食べ放題!なんです。
ただ、他の名物のことも考えて控え目に、1人2個づついただきました。

いや~ぁ、もう、サイッコー!です(*´▽`*)
我々は屋外で食べましたが、小屋の中にも席があり、そこでは目の前で牡蠣を焼いてくれる(ようなん)です!

今度はここで、食べ放題をしたいです!

このあと、市街地をぶらぶらとしつつ向かったのが、「瑞巌寺」です。
現在は臨済宗妙心寺派に属し、正しくは松島青龍山瑞巌円福禅寺。
伊達宗家の厚い庇護を受け、その治下随一の規模を誇ったお寺です。

現在は国宝の本堂の改修を行っているので、普段は非公開の庫裡と政宗公の正室・愛姫(陽徳院)の御霊屋(寶華殿)が公開されています。
庫裡に入ってすぐに在る食堂(ジキドウ)には、伊達宗家歴代当主(12代陸奥守斉邦公まで)の御位牌が安置されていました。
さすがは陸奥国主家当主の御位牌、いずれも荘厳立派な造り。そこに戒名と生前の官職が唐名で記され、淵には竪三引き両が付されていました。
伊達家の紋には、この他にも“竹に雀”や“九曜紋”などがあり、どう使い分けているのかが気になりつつ、、、
往時を偲ぶ一級の史料に暫し釘付けになり、祭友さんたちに置いて行かれました(^^ゞ
食堂の先、僧侶達が出入りに利用していたという登竜門を見、大書院へ。
ここに、本堂の改修工事で移された御本尊様と、伊達宗家初代の政宗公と次代忠宗公の御位牌を、結構間近に拝することができました。
食堂で安置されている歴代当主の御位牌より数段も荘厳立派な政宗公の御位牌には、戒名の“瑞巌寺殿”と法名の“貞山”がしっかりと刻まれていました。
この先、篤志寄付をすれば改修中の本堂を見ることが出来るようなんですが、、、立ち寄らず。
庫裡を出て、修行道場の裏手の高台に在る寶華殿(陽徳院御霊屋)へ行きました。

さすがは政宗公の正室が御霊屋。
瑞鳳殿(政宗公御霊屋)に勝るとも劣らぬ立派な造り。

漆黒の造りが、絢爛な装飾を際立たせています。

続いて、無料公開されていた宝物殿に。
ここで、かの有名な政宗公の木造を拝見。
この他、貴重な史料群を見て瑞巌寺を後にしました。

瑞巌寺を出て、次に向かったのは隣接する「円通院」。

忠宗公の嫡子・越前守光宗公の菩提寺で、境内奥に霊廟の三慧殿があります。
外見は質素ですが、内装は絢爛豪華!

正面奥に光宗公の騎馬木造を据えた厨子が配され、そこには、支倉六右衛門常長が欧州から持ち帰ったといわれているバラや水仙の絵柄が付されています。
残念ながら、よく分かりませんでしたが(^^ゞ
夭折した光宗公への、父君・忠宗公の厚い思いが感じられる霊廟です。

円通寺の見所は三慧殿の他に、きれいに整えられたお庭です。

こじんまりとしていますが、落ち着きと風情があり、前日来の雨を吸った苔の緑が鮮やかでした。
事あるごとに言っていますが、お庭は、曇天か適度な雨天の日が一番魅力的です。。。

ここでは本堂で数珠作りの体験ができますが、それにはあまり目もくれず、ここを後にしました。
この時、俄かに雨が強く降ってきたので、向かいの茅葺屋根を冠した茶屋にて一服しました。

雨が降ったのはほんの数十分。
妙に湿り気のある落雁擬きと熱いお抹茶を喫した後、雨が止んだのを確認してからここを出て市街地へ、昼餉を探しに出ました。

海岸に面した国道沿いには数多のお店が軒を連ねていますが、我々が選んだのは笹かま屋さん!?
昼餉の前の前座として、自分で焼いて食べる笹かまに挑戦!

両面にきつね色の焦げ目を付けていただく焼きたての笹かま、とっても美味かったです!

そしていよいよ昼餉に。
向かった先は、牡蠣を食らった「松島さかな市場」。

ここで私が選んだのは、海の幸が豪華に11点も入った“夏の陣政宗丼”!

お値段が1,980円にしてこの量!この豪華さは驚きです!!
三陸産の生たこにホタテ、まぐろなどなど、いやいや、たまらぬ美味さでした!!
ちなみに、弦月は卵焼きです。

この後、当初は「みちのく伊達政宗歴史館」の向かいに在る「伊達かふぇ」で、名物のパフェを食らうはずだったんですが、別腹モードには切り替わらずにスルーして、、、

松島より退きました。

そして、一路仙台へ。
暫し海岸沿いを走る国道45線を通って向かいました。

▽▽▽置賜へ出戻るか、龍上海を味わうか◆仙台経由で退く!か▲▲▲

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奥羽口福島から、置賜へ出張る!

2013年07月26日 | 旅日記
いつの間にか出来た「海の日」。 
世間一般は3連休ですが、職場は(月曜日、実は)営業してます。
けど、さすがに平日程は混雑ないという見込みから当番出勤になっていますが、今回はそれから逃れることができました。
そこで、初夏の上杉まつり米沢へ出陣した折に見付けて気になっていた、「上杉博物館」の企画展を見に行こう!と発心。
ただ行くだけではつまらない・・・と、野岩の祭友さんたちにお声掛けをしてご一緒していただきました。

出発は13日の午前3時半。
今回お世話になる福島の祭友さん宅へ8時に全員集合!に間に合わすべく、本当は3時に出るつもりだったんですが、、悲しいかな、毎度のことでして、ちょい反省で(^^ゞ

千葉(北総)から東北へ向かうルートとしては磐越道を通るのが一般的で早いんですが、ここ、何だかイヤなんで(^^ゞ
今回はそれを敬遠して東北道に。
それも、ウチから北へほぼ一直線上に在る矢板から乗ることにして、それまでは一般道を使いました。

夜明け前の道なので交通量も少なく快適なドライブで、矢板まで2時間ちょっとで着きました(休憩なし)。
3連休の初日なので、東北道の渋滞をある程度覚悟していたんですが杞憂だったようで、交通量は確かに多く感じましたが、詰まることなく順調に流れていました。
一般道では休憩無しできたので那須高原でまずは小休止。

この先、最後に福島松川で小休止をして、集合時間前(の福島市内)に着きました。

ここから野州の祭友さんの車に乗り換えて、目指す置賜米沢へと向かいました!

福島から米沢までは1時間ほど。
天気は雨でした。
家を出た時は晴れて酷暑となりそうな気配がありましたが、那須に至ってから雨になり、時折激しく降ってました。
お陰で、那須以北ではとても涼しく、連日酷暑を体感していた身にとっては実に快適でした。

米沢に着いて、真っ先に上杉神社へ参詣。
この後、地元米沢在住の方と合流して目当ての上杉博物館へ!
常設展示内上杉文華館で本年度1年間に渡って私が敬慕して止まない上杉治憲公の特集が組まれていて、今回はその内の1つ、七家騒動(※注)の史料を見に一目散に向かいました。

展示されていた史料は3点ほど。
先の5月、上杉まつりの翌日にも来て観て感じたんですが、もうちょっと、もうちょっといろいろな史料を観たかった・・・です。
ただ、幕末の写しですが、強訴の七重臣が治憲公へ提出した言上書の内容と騒動のあらましの記録を観ること出来たのはよかったです。
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※注)七家騒動
安永2年6月27日に起きた主流派に対する反主流派の7重臣による強訴事件。
御館治憲公の押込隠居まで目論み挙行されたが、大殿(先代)重定の阻止と、大目付等監察衆による調査で強訴(言上書)の内容を否定し、虚偽と裁定。
結果、これに最も強硬だった須田伊豆満主(江戸家老)と、今回、伝来の甲冑が展示されていた芋川縫殿延親(侍頭)が切腹。須田、芋川の父子らは押込め処分で事実上の改易。
千坂対馬高敦と色部修理照長(いずれも奉行=国家老)が隠居閉門、知行の内半知召上げ。
長尾兵庫景明、清野内膳祐秀、平林蔵人正在(いずれも侍頭)は隠居閉門、知行の内三百石召上げとなり、このこの三か月後には、藩医隠居の藁科立沢が姦謀教唆で斬首されて、この騒動は一件落着を見る。
ちなみに、強訴の七家は、いずれも戦国時代に名を馳せた武将の後裔で、高録の上士層。
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目的を果たした後も引き続き博物館内の常設展示と、特別展として開催されていた秋山庄太郎の写真を観てから伝国の杜を後にしました。
ここで、祭友さんたちとは一旦別れ、私は独り米沢城二の丸址に在ります松岬神社に詣でてから、上杉家の至宝が展示されている稽照殿に行きました。

建物の構造上空調が利かないのか、館内は結構蒸暑かったですが(^^ゞ
米沢には何度も来ているんですが、開館時間に来ることが中々できなかったので久しぶりに、治憲公や藩祖謙信公が遺した至宝を観ることができました。
ただ、ここで気になったのは、直江山城が遺した兜の有名な“愛の前立”に関してしつこいくらいに注釈があったこと(笑)
俗説が余程堪忍ならないようです。解ります解ります、ええ、解りますとも。私も、ここでその鬱憤を晴らしましたから(^^ゞ

稽照殿はそれほど広くはないので、比較的短時間でここを出て、祭友さんたちが休んでいる(であろう)上杉城史苑に入りました。
案の定、ここのカフェでお茶されてましたので、それをよいことに、私は暫しお買いもの(^^ゞ
ここで試食して美味かったので毎度買う米沢ラーメンと、今回は合わせて冷やしラーメンも購入。
勿論試食して買ったんですが、家で作っても美味かったです。
カツオだしベースのスープが、冷えてても旨味が感じられてよかったです!
あと、酒類のコーナーでは地元の酒蔵さんが提供している地酒の試飲をしていたので、それぞれ一杯づつ、運転しないんでいただきました。
5種類くらいいただいたと思いますが、どれもこれも美味くて!どれにしようか迷ったんですが、その中で小瓶の地酒があったのでそれで2種類。
祭友さんへの献上酒と私飲用に買いました。
小さい酒蔵さんだそうで、米沢以外では中々飲めない、いい地酒が買えましたv。

ほんのちょっといい気分になったところでラウンジへ行き、祭友さんたちと合流。
時刻も昼近くだったので、どこかで食事を・・・と、外へ。
米沢牛とラーメン、いずれがいいか天秤にかけて・・・結果、ラーメンに振れて、その名店のある南陽赤湯へ向かいました。

着いたのは、赤湯駅から少し離れたところに在る【龍上海】の本店です。
・・・が、このレポは別に設けて記すとしてβ(_ _ )、、、

満足の一杯を平らげた後、“パラダイス”と言われているらしい東置賜の「高畠ワイナリー」へ向かいました。

ここ、前々から興味はあったんですが中々来ることが出来なかったところ。
しかも今回は非運転手!
ワイナリー内の試飲できるワインを片っ端から飲みました(^^ゞ

全般的には甘目が多い・・・と感じましたが、その中で美味しい!と思ったのが山形が誇る名産のさくらんぼを原料としたワイン。
甘味と酸味が程よくあって美味かったです。
あと、試飲ができなかったのが残念なんですが(笑)
白桃のワインはどんなのなか、味の想像が出来ずに興味がありました。
・・・けど、それは買わず。最近夜食にヨーグルトを取ることもあるので、その付け合せにと、さくらんぼのソースを買いました。
ワイナリー内の産物や工場(施設)の見学とした後、屋外で売っていたソフトクリームを(各々)購入。
3種類ほどあった中で、私はワイナリー1のワインである“「まほろばの貴婦人」を贅沢に使っている”というソフトクリームを買って食べました。

そのお味は・・・うーん、うーん・・・とても美味い、普通のソフトクリームにしか、私には・・・(^^ゞ
いや、美味いんです、実に美味いんですが・・・アルコール分は全く感じませでした。
試飲し過ぎて味覚がおかしくなったのかもしれないです・・・ね。

前々から気になっていたワイナリーを存分楽しんで、身を後部座席に委ねて次に向かったのは米沢市街。
希望としては、白布などへ攻め入りたかったんですが、時刻は夕方。
この後のことを考えてそれを止め、ファミレスで暫しお茶をしてから、残念無念ながらも地元の祭友さんを自宅近くで解放し、福島へ戻りました。

祭友さん宅に着いたのは18時か19時頃。
ここで、主の祭友さんがご用意してくださったお料理と、米沢から祭友さん宅へ戻る途中(福島市内)で買った「照井」というお店の餃子を肴に酒宴を開始。
祭友さんがラベルの松永久秀が気になって買ったという奈良の地酒“春鹿”等をいただきながら、この日を終えました。。。

・・・ええ、途中でエコモードになったのはデフォルトで(マテ)

中にまで雨脚の強さが伝わってくる程の雨が降っていたことは、よく覚えています。

▲▲▲松島へ出張る!か◇赤湯のラーメンを食らう!か▲▲▲


※編集ミスを修正して、再度上げ直してます。
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はやく起きた朝は。

2012年11月12日 | 旅日記
何かとつぶやいていたので、お気付きの方も居るかも知れませんが、、、
10/31から11/2まで、上洛していました。
・・・いえ、仕事などではなく、全くの私事、いわゆる旅行です。
この時期、有給休暇を取らなくても年休になるので、それを利用して上洛しました(^^ゞ
本陣は京都に置きましたが、初日は近江から大和、大坂を巡行。

あとの2日で洛中を巡りました。
京都には品川始発の[のぞみ]の一番列車[6時00分]で向かったので、朝3時半には起きて行きました。
京都滞在中も、遅くても朝4時半には起きてました。
普段では考えたくない時間に起きてます(笑)
けど、旅に出ると何故でしょう?!それが全く苦では無いんです。
ただ、4時半(まで)に起きてもダラダラとニュートラルに(^^ゞ
朝風呂入ったり、この日巡るところを考えたり・・・としながら、テレビのチャンネルを回していたら・・・見つけました!

読売テレビの「す・またんを。

朝5時20分から関西ローカルだけで放送しているこれが、(私的に)とても面白くていいんです!
ズームイン朝のイレコミを見ていたトラキチには堪らない!?
森たけしアナと辛坊治郎さん(と日替わり女子アナ、中でも虎谷さんがいい!)が司会なんですが、この掛け合いがグダグダ(と言うか、いい意味でくだらなくて)で、いいんです!!
変に気張らず、楽に見られます。
枠は6時半までのようなんですが、6時になったらナントカっていう見るのをやめたとてもつまらない番組(のニュース)に切り替わったので、普段やむなく見ているのに変えましたが、あまりに「す・またん」の印象が強かったので、すぐに見るのを止めて、洛中に出て行きました。

関東ではこの時間、NEOでおなじみの中田さんが出演している「オハヨン」はいいんですが、他は・・・(苦笑)
タレント任せで、朝からクイズ?!したり看板犬を殺めたり、司会が独善で濃すぎたり、内輪でキャッキャッと女子会ノリの放送だったり・・・など、食傷気味の番組ばっかり。
その点「す・またん」は気楽でよかったです。
グダグダだけかと思いきや、辛坊さんが真面目にキリッと解説したりと、メリハリがあったので。
叶うことならこれ、関東でも見たいです。
・・・いや、寧ろ、悲しいかな終了してしまったズームの後番組としていま放送しているナントカっていう番組をこれに替えて欲しいです。

「す・またん」見られる人達が羨ましい、、、。

そこまで?!って思われるかもしれませんが、何せもう、関東の朝番組ツマラン!のですよorz、、、。
めざましなんて、大塚さんだから堪えていたのに、いまじゃもう、先に触れた通りで、、、。
ズームは、ガラス張りのマイスタだったので臨場感があってよかったんですけどね、、、。

「す・またん」がいまの番組を喰ってくれたらいいのに・・・って、関東に戻って来てより思います(苦笑)
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東海道中久しぶり[復路:100キロ以上の乗車券]

2012年09月18日 | 旅日記
何かとアツかった!とよはし時代まつり翌日
前夜にできなかった入浴を朝の起床後にし、身支度や朝食、先に出立される祭友さんの見送りなどをして、9時前に宿(【大黒屋旅館】)を後にしました。
近くの(豊橋鉄道小池)駅から、かつて東急の目蒲線(いまの目黒線多摩川線)や池上線などで活躍していた7200系(豊橋鉄道では1800系)に乗って、2つ先の終点・新豊橋に移動。
豊橋の新名物を食らうべく、店が開く11時まで何するワケでもなくぶらぶらと。。。
もう少し早く出ていれば、名古屋熱田神宮などへ出張ることもできたんですが、何分、ノープランだったもので(^^ゞ
街中で見た、手筒花火が勇壮な羽田八幡宮例大祭ポスターに惹かれて、豊橋駅近くの羽田八幡宮へ行きました。
御社まで、駅西口から歩いて10分ほど。
広く賑やかな東口と違って、西口はロータリーも幾分手狭で、住宅地も近いこともあってからひっそりとしていました。
住宅街の一画、木々に囲まれて在る御社はそれほど大きくはありませんが、どことなく、言い知れぬ威厳と風格がありました。
この羽田八幡宮には、(幕末に)平田篤胤から国学を学んだ羽田野敬雄宮司が今の図書館の先駆けとなる文庫を設立し、蔵書の閲覧や講義などを広く一般に行っていたそうです。
宮司没後は、明治期になって吉田から豊橋に改名した行政府が、紆余曲折を経てこれを引き継いたとのこと。
その足跡を記す看板が参道に在り、駅の自由通路には図書館開館100周年記念行事と周知のポスターがありまりました。
仕事柄、大いに気になりましたが、、、
今後の旅程のことを考えて、駅周辺に留まりました。

11時。
駅東口に建つ駅ビル・カルミアの1階に在る【みかわの郷】で、いま、豊橋が強く推している“名物”を食らいました。
それが、、、
豊橋カレーうどん”です。
この存在を知ったのは、これから1月ほど前。
テレビで紹介されていたのを見たのですが、今回の祭の資料と一緒に豊橋カレーうどんが食べられるマップも同封されていたので、地元の祭友さんのご意見も参考にしてこの店に来ました。
店には一番乗りだったようで、カウンターに通されてメニューを確認。
普通のカレーうどん(600円)もありましたが、(一工夫されている)名物は“豊橋”を冠したカレーうどんのようなので、それ(890円)を注文しました。
このすぐ後に付け合せのお新香の盛り合わせが着、これから3分も立たぬうちに、注文の品がやって着ました。

は、早い・・・という複雑な心境を持ちつつ、店員さんの食べ方指南を少し聞き、用意された紙エプロンを掛け、薬味のネギを全部投入して、いざ!一口目はスープから。
ほのかに感じるかつおだしがいい具合で、まろやかでよかったです。
ラー油がアクセントとして入っているようでしたが、私的には、唐さは足らなかったので唐辛子を投入しました。
二口目、うどんは、、、
いい茹で加減でした。
スープを絡めて、または蓮華に添えていただくと、より一層美味さが引き立ちます。
そして、最後の最後、スープを大方平らげてからいただくのが、この豊橋カレーうどん最大の特徴である・・・底にあるとろろ飯です。
なんでそうなったのか?!その時見たテレビでは“一石二鳥だから”と言っていましたが、、、
美味しかったです。
けど、とろろの気配が残念ながらほとんど感じられず、代わりに、スープを引き立てるべく投入されているチーズが大きく主張していました(^^ゞ
可能ならば、底に窪みにとろろご飯を仕掛ける様に作ったらいいのに・・・と感じつつ、店を後にしました。

豊橋から東京まで、新幹線を使えばあっ・・・と言う間です。
けど、それではちょっと交通費が高・・・つまらないので、静岡まで東海道線を利用することにしました。
予め、みどりの窓口で乗車券のみ買って豊橋駅構内に。
ここ豊橋駅は、JR名鉄が共有している駅なんですが、驚いたのはこの構造。
改札口が共有・・・というのは首都圏にいくつもあります。
けど、名鉄のホームがJRのホームに挟まれて、正確には左が名鉄、右が飯田線という構造なんです。
例えば中野(JR東西線)や和光市(東武東上線と有楽町線、副都心線)なら相互乗り入れをしているので解りますが、これに当てはまらない豊橋駅は実に不思議です。
しかも、駅名標がJR東海形式だから、ますますです。
乗り降りする人々はさも当然の様に往来していましたが、迷わないのか?!
しかも、両者とも“豊橋⇔名古屋往復きっぷ”(JR名鉄)を売り出して競争しているのに、、、不思議です。
それともう一つ、JR東海で。
普通と快速以上の列車との到着時間にとても開きがあるんです。
例えば名古屋まで、普通だと98分もかかりますが、区間快速だと64分、快速は58分、新快速は56分、特別快速は52分で着きます。
なんでこんなに開きが出るのか、不思議でなりません、、、。
そういえば・・・書いてて気が付きましたが、関西圏も含めて、快速の区別が複雑で多い。
区間快速、快速、新快速、特別快速・・・どれが一番早いのか、どこに止まるのか、慣れてないと、間違いそうです(苦笑)

そんな豊橋駅を発ち、いざ!東京へ進路を取ったのは11時半過ぎ。
11時41分発[普通|浜松]行き乗って、まずはこの終点浜松を目指しました。

豊橋から浜松までは凡そ35分弱。
昼餉後だったので途中眠りこけていましたが、起きている間は3両編成の最後部、乗務員室縁のシートに腰かけて、車窓を流れる沿線の風景を楽しみました。
11時41分に豊橋を発った電車が終点の浜松に着いたのは12時15分。
100キロ以上のJR乗車券は途中下車が可能なので、ちょっと浜松城でも・・・と思いましたが、まぁ・・・いっか・・・と思い、先へ。
浜松到着から14分後、12時29分発[普通|興津]行きに乗って東、静岡市方面に向かいました。

今度は浜松までとは逆、3両編成の最前部の、同じく乗務員室縁のシートに腰かけて、車窓を流れる沿線の風景等を楽しみました。
途中、掛川大井川鐡道との接続駅・金谷で降りよう・・・と思ったんですが、前者は結局気乗りせず(^^ゞ
後者は、思った光景(メインは次の大井川鐡道新金谷駅)ではなかったので、スルーして先へ進み、結局終点の興津まで乗り通しました。
浜松まで、丁度1時間半です。
ここから先、熱海まで行く電車があるんですが、それまで10分度時間があったので構内を散策し、(構内に在った)地図で海が近いことが分かったので、途中下車して行ってみました。けど、、、
静清バイパス(国道1号線)と、その先に高く聳える防波堤に阻まれて海は断念。
その間、電車一本を見送ってしまい、何の成果をもなく次の電車を20分も待てそうになかったので(^^ゞ
折よく着た[普通|静岡]行き(14時14分)に乗って、隣の清水に移動しました。
興津から先、熱海まで行く電車は静岡発だったようなので、出来ればそこまで移動して、ついでに駿府観光をしたり、草薙まで移動して草薙神社へ参拝しよう・・・と思ったんですが、今後のことを考慮して、清水までにしました。

清水駅は島式のホームなので、階段など使わずにそのまま隣の番線に、5分後(14時24分発)の[普通|熱海]行きに乗って終点の熱海を目指しました。
今度も3両編成の最前部に乗り込んで乗務員室縁のシートに腰かけるつもり・・・だったんですが、電車は朝のラッシュ並みの混雑。
予想外です。。。
辛うじて1箇所空いていたシートに座って終点まで行きましたが、混雑は、途中の富士沼津まで続きました。
静岡を中心としたエリアは、編成こそ少ないですが、10~20分間隔で電車が往来していて結構便利でしたが、その分利用率は多い・・・ということですね。

清水を14時24分に発った[普通|熱海]行きは、終点の熱海の手前でJR東日本管内の東海道線でダイヤ乱れがあったので到着が暫し掛かりましたが、約1時間15分ほどで熱海に着きました。
[豊橋から熱海まで、車両はすべて211系313系を期待していたんですが、いずれも1本違いだったようです。]
ここから先、新幹線で・・・と考えていましたが、熱海から東京まで快速があったのでこのまま東海道線で向かうことにしました。
それまでの時間、せっかく熱海に来たので、興津で果たせなかった海を見に途中下車しました。

3連休の中日だからか、街中や温泉街は人が多くてとても賑やかでした。
熱海駅からサンビーチに行き、波音と潮風を受けて再び熱海駅へ。
最初は幹線道路沿いに向かいましたが、帰りは温泉街の中の小道を進んで行きました。
中には、21時まで日帰り湯が楽しめる湯宿があって、強く心が惹かれましたが・・・ここはぐっとこらえて先へ。
結構の上り坂を進むと平和通南端に至り、アーケードの平和通を熱海駅へ向けて進んで行くと、左手には【伊藤園ホテル熱海館】が。
ここの表にあった“365日同一料金 1泊2食付き7,800円”の看板にとても、とても強く惹かれたんですが・・・ここでもぐっと、ぐーっと堪えて熱海駅に向かいました。

熱海駅前に足湯が在り、海を見てからここに浸かろう・・・と思っていたら、何と、足湯は16時まで、、、。
何ともツイテない・・・と肩を落として熱海駅構内へ。
そこで1番線に16時35分発[普通|(伊豆急直通)伊豆高原]行きがあるのを知って、上がってみました。
ただの興味本位で、それほど多くは期待せずに上がったんですが・・・見てびっくり!
止まっていたのは、伊豆急が誇る“リゾート21”車両。
それが、普通電車で運用されていました!

他なら有料特急として運用されていてもおかしくないこの列車が、乗車券だけで乗れる普通運用とは・・・驚きです。
出来れば乗って行きたかったんですが、ルート外になってしまうので、ここでもまたぐぐっと堪えて列車を見送り、東海道線ホームに。

列車は既に到着して乗車可能となっていて、席はほぼ埋まっていました。
けど、私はここからグリーン車に(笑)
せっかくの鉄旅、ちょっとは贅沢をしたいので、混雑が見込まれる熱海から先、終点東京まで(モバイルSuicaで)グリーン券を手配して乗り込みました。
そして最後、熱海16時44分発[快速アクティー|東京]行きに乗って、終点東京(18時22分着)を経て家に着きました。

東京着は18時半前だったのでとてもごった返していました。
ここから先は、総武快速線に乗って行くので、地上から地階へ移動すると、丸の内地下中央口近くに新しいエキナカが誕生していました。

この10月。
東京駅は、往年の姿に生まれ変わりますが、中は次々と進化し続けています。
来る度に、その変わり様、賑やかぶりには驚かされます。

豊橋から東京まで、東海道本線一本をひたすら乗り継いで行きましたが、ゆくゆく考えれば他にも、、、
ルート1:富士―(身延線)→甲府―(中央線)→都内
ルート2:沼津―(御殿場線)→国府津―(東海道本線)→都内
ルート3:豊橋―(飯田線)→辰野―(中央本線)―岡谷→都内
単純に、これだけありました。
JRのきっぷで100キロ以上離れた目的地行く場合は途中駅下車自由で(今回のは)3日間の有効期間がありました。
もう少し計画立てて行けば、復路はもうちょっと面白いものになったかもしれません。

計画って、大切ですね。
熱海の温泉街を歩いて、また、都内に入ってあれこれ可能性が解ってから、ふと、それに気が付きました(^^ゞ

◆◆◆|「往路」に移動
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信州松本に、参る!(下)

2012年04月28日 | 旅日記
松本の食と湯、それと松本城を堪能しましたが、本来松本まで来たのは初甥のお宮参りに参加するためでして(^^ゞ
松本城に攻め入った後、お宮参りを執り行う神社へ向かいました。

そこは、松本城から車で5分ほど。

信州大学松本キャンパスの近くに在る長野縣護国神社で、今回泊まった浅間温泉はこの先に在り、初甥が生まれたのはこのすぐ近くの信大病院らしいので、ここが選ばれたのかな・・・と思います。が、まぁ、弟夫婦が決めたことなので...。

うちと義妹一家が揃ったところでお手水をし、巫女さんに誘われて本殿に。

床几に腰を掛け、狩衣に烏帽子を冠した神職の姿を羨みながら(笑)
儀式は30分ほどで滞りなく終了。
このあと、本殿隣の美須々会館で記念写真の撮影を行いました。
なるほど、これもあったか・・・と、いろんな意味で感心しつつ、その模様を見ていました。
ただ、甥っ子ぐっすりと睡眠中。。。
いいショットを狙って、カメラマンさんやとってもかわいい私好みのアシスタントさんが手を変え品を変えて起こそとしたんですが、反応するのはホンの一瞬。
その一瞬に付け込んで、一気呵成に起こしに入っても結果は同じ。
まるで天岩戸のよう(笑)泣かれるよりはマシですが、起きないならば是非もなし。
眠りこけたままで写真を撮りました。
いやはや、大物です(笑)

神社にて一連の諸式が滞りなく終えた後、松本市街に在るうなぎ割烹の【桜家】で祝いの食事会をしました。

けど、、、
朝、宿の食事を堪能し過ぎてあまり空腹感がないところに会席料理が(--ゞ、、、

これは、単なる序章です...。

祝いの膳には欠かせない、鯛の尾頭付き。まさか、山国信濃で海魚を担当できるとは思っていませんでした(^^ゞ

松本はウナギが名物だとか。これは単なる蒲焼で、ご飯は次に。

これはもち米を桜餅風に炊き上げ、中にウナギが入ってます。美味しかったんですが、如何せん、腹がもう、、、。

これはお吸い物。やさしい味でした。

この他にも、ふろふき大根や山菜の天ぷらなどが供されましたが、残念無念なるかな、全てを残さず頂くことはできませんでした。
最初のうちは美味しくいただいていましたが、次から次へと運ばれてくる料理が段々と苦行に思えてきました(^^ゞ
しかも、あとどれだけ運ばれてくるのか、頼んだ弟すら判らない有様。。。
このあと千葉まで運転して行く身には、少々堪えました...ので、早く切り上げて車の中で仮眠とりました

宴席も、気が付けば2時間。
これにて全行程は終了し、14時に松本を発つ・・・はずだったんですが、地元スーパーに美味い蕎麦が売っているので、それを買うのでスーパーに立ち寄ったりしたら、結局15時に松本を離れました。

ただ、中央道上り線の渋滞は既にこの頃から始まっていました。
最初のうちは、まだ5キロ程度でしたが、長野道から中央道に入り、山梨県内を東京方面へ進んで行くうちに、渋滞の距離はどんどんと延び、遂には20キロほどの渋滞に捕まってしまいました。

諏訪湖S.A.の上り線から。↓の湖畔沿いには諏訪の高島城が在ります。

渋滞に嵌ってしまう前に入った釈迦堂P.A.の周りは、桃の花が咲いていてとてもきれいでした。


第1の渋滞は談合坂付近で発生した事故の影響で、第2は小仏トンネルの車線減少でそれぞれ長蛇の渋滞に、、、。
結局、この先の調布インターを過ぎる辺りまで断続的に渋滞をしていて、首都高に入るまでに松本から5時間近くも掛かってしまいました。

全く、参りました。
ちょうどこの前日に新東名道が開通しましたが、その前に、既存の高速道の改良に取り組んでほしい!と思っているには、私だけでしょうか。。。

松本を15時に発って千葉(家)に着いたのが21時。
ざっと6時間掛かってます。
お蔭で腰が痛くなって、いまも少し痛いです。
渋滞にハマってしまってから、3時間近く運転せざるを得なかったので、抜けた後に入った石川S.A.とかは地獄に仏の境地です。

せっかく入った温泉も、この渋滞で帳消しどころか疲労でマイナスになってしまい、その疲労が今もじんわりと残ってます(^^ゞ
いやはや、参りました。

あっ!最後に、これがうちの甥っ子です。

何にも動じない大物の風がある甥っ子の、今後がちょい楽しみです(笑)

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信州松本城に、参る!!

2012年04月24日 | 旅日記
初甥のお宮参りに招かれてやってきた信州松本。
地の食と湯を満喫し、あとはお宮参り・・・の前に、松本まで来たからには、是非是非行かねばなりません!

そう、松本城に!!

お宮参りは10時半からだったので、それまでの空いている時間に攻めてきました(笑)

松本城に攻め入るのは2年ぶり(多分)3回目ですが、車では初めて。
ナビと案内板に従って城北の駐車場に止め、まずは近くの松本神社(禊ぎの意も込めて)へ参拝。

湧水がコンコンと湧き出していました。

松本城下には、この他複数の湧水があるそうです。

ちなみに、境内のお手水も湧水です。


毎年この時期には“桜まつり”が開催されているそうなんですが...

咲くまでにはいま少しの暖かさが必要なようです。
松本城には、から初めて入り、二の丸御殿趾を通って天守閣へ向かいました。
二の丸御殿は、本丸御殿焼失後(享保12(1727)年)、城主家の屋敷と政庁となった御殿で、廃藩置県後も筑摩県庁が置かれていました。

しかし、二の丸御殿も県庁時代の明治初年に焼失してしまったそうです。
何とも惜しく、残念です。

二の丸の出入り口となる太鼓門は、合図の太鼓を備えていたことからこの名が付いているそうです。

城が開くのは8時半。
それから30分ほどしか経っていないんですが、城内は結構な人出。
しかもこの日は茶会が開催されることもあってか、より賑わいがあったように感じました。
メインの大茶会は10時からでしたが、それ以外でも城内に3箇所程お茶席がありました。
そのうちの一つ、本丸御殿趾で青年部が設けていたお茶席が9時半からだったので、一服頂きましたm(_ _)m

国の宝となった城を前に野点で頂いたお茶は贅沢感満点!
しかも一番茶をいただきました。
お点前も結構で、言うことありません。

御堀端の桜はあと一息!といったところでしたが、城内の枝垂れ桜はほぼ満開。

中には“加藤清正公ゆかりの桜”も。

城とのコラボがよかったです。
ただ、豪勢に咲く桜の中に在る松本城を見ることが出来なかったのが、残念です。


朝の内掛かっていた雲や靄も次第に消え、陽射しとともに北アルプスや周囲の、いまだ雪を戴いた優美な山々を見ることが出来ました。

天守から↑東と西↓

ただ、天守からの眺めもよいですが、北アルプスをバックにした松本城もカッコイイです。

今回は、天守と月見櫓は、(人出もあって)駆け足で見て周りましたが、その分、二の丸や本丸御殿(趾)を見て周り、いままでとは違う松本城を見ることが出来たと思います。


松本城を堪能した後漸く(笑)
お宮参りが行われる長野縣護国神社へ行きました。

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信州松本に、参る!(中)

2012年04月23日 | 旅日記
年度代わりで、いつの間にやら忙しくなっていた仕事も、何とかなく一息着いたこの間土日。
3月上旬に生まれた初甥のお宮参りに招かれて、信州松本(筑摩)まで行って来ました。

行程は一泊二日。
筑摩に在る義妹の実家に立ち寄ってから、松本の浅間温泉に入りました。
投宿したのは、温泉街の外れに在る「山映閣」。
静かで落ち着いた雰囲気と、心配りの効いたおもてなしに世俗の憂さを忘れ、腕のよい板さんの料理に腹が満たされ、地の酒に酔いしれて、、、
気が付いたら、23時。
万が一に・・・とセットしたケータイのアラームで起きました。
そして、手短に身を整えて湯殿に向かいました。
この時間なら誰も入ってないだろう・・・と思って行ってみたら、案の定、人っ子独り居ません!
ええ、独り占め出来ました(*^-')b

この日の24時まで男湯だった湯殿は、内湯と外湯がありました。

もちろん!ほぼ外湯に浸かって、浅間の湯を楽しみました。
外湯からは、松本平が一望できます。


翌日は朝6時に起床。
前日夜遅くまで降っていた雨も上がり、雲や靄が多い中でも空気が洗われたお蔭か、ひんやりとしていましたが気持ちのいい朝でした。
起きて軽く身支度を整えて向かったのは、前夜に(行っただけで)入らなかった露天と、24時以降男湯になった湯殿です。
内湯には多少人はいましたが、露天は独り占めできました。

湯は循環ろ過方式ですが、僅かな塩気と硫黄の匂いがし、湯あたりはとても柔らかくてよかったです。

2日目は、朝湯からスタート。
至福の時を過ごしてから、少し(部屋で)休んで朝食に。
これもまた、とっても美味かったです(*^-')b
特に、出来立てが供されるところが心憎いんです。

朝から大好物の湯豆腐がいただけるとは・・・優しい味に、心打たれました(笑)
前夜の膳では刺しで出てきた“信州サーモン”が、照り焼きで出てきました。

あまりの美味さに箸が進み、たらふく食べてしまいました(^^ゞ
添えられている厚焼き玉子も旨かった!です。

松本の食と湯を堪能し、至福の時を過ごさせてくれたお宿を8時半過ぎに出立。
お見送りしてくれましたよ、お見送り。
お宮参りを行う神社へ向かう・・・前に、せっかく、せっかく松本に来たからには・・・そう!松本城へ行かずばなりません!!
・・・ということで、お宮参りの前に登城しました!松本城に。

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信州松本に、参る!(上)

2012年04月22日 | 旅日記
年度代わりで、いつの間にやら忙しくなっていた仕事も、何とかなく一息着いたこの間土日。
3月上旬に生まれた初甥のお宮参りに招かれて、信州松本(筑摩)まで行って来ました。

この往復は車で。
首都高(湾岸線千鳥町)から中央道、長野道を通って塩尻北まで、(甲府南から先に)初めて行きました。

南関東では散り始めた桜も、八王子から先では今が盛り。
山谷に点在する満開の桜、運転の疲れを癒してくれます。
また、甲府盆地に入ると桃の花も満開!
それが、盆地を桃色一色に染めるくらいに広がっていて、運行中にも関わらず、思わず(ちょっと)魅盗れてしまいました。
それと。
この翌日の日曜日、石和温泉川中島の合戦があります。
今年も光栄ながらお招きいただきましたが、諸般の事情で参じれなかったので、若干後ろ髪惹かれる思いでここを通過しました。

首都高に入るまでに、(一般道で)多少混雑に巻き込まれましたが、概ね順調に。
途中、石川諏訪湖に立ち寄って、千葉から5時間弱(高速は3時間半)で、信州筑摩に着きました。

義妹の実家に立ち寄って初甥とご対面。
お茶にも呼ばれて1時間程してから、この日のお宿へ移動。
筑摩から松本市街を抜け、1時間程掛けて向かったのは浅間温泉
最初聞いたときは浅間山の麓に在るのか?!と思ったら、差に非ず。
松本の中心部から車で10分ほどのところにあり、山一つ越えた先には美ヶ原高原があります。
その一番奥の、温泉街を見下ろせる程位置に在る「山映閣」というお宿です。

普段の私の(独り)旅では有り得ない女将さんの出迎えを受け、ロビーにて一服いただきました。

このあと、中居さんに誘われて(この日の)部屋に入って1時間程休んでから晩御飯を頂きました。
食前から飲み始めたビールと地酒の「大雪渓」を飲みながら、腕利きの板さんが用意した料理に舌鼓を打ちました。

いや~ぁ、ホント美味かったです。
加えて酒(大雪渓)も、引き締まった辛口でとっても旨かったので杯が進みました(^^ゞ


蛤潮汁仕立て

本日の鮮魚・・・“信州サーモン”がことのほか旨かったです。これで、杯が余計に進みました(笑)

信州と言えば・・・そう、お蕎麦です。これ、とっても美味しかったです!

春を告げる鰆の菜種焼き。

安曇野豚の陶板蒸し。

筍海老挟み揚げ。桜塩にていただきました。

花山葵土佐酢ジュレ掛け。さっぱりしていて、美味にございました。

安曇野産コシヒカリを使った筍ご飯と赤出し。それぞれおかわりしました(^^ゞ

デザートに焼きプリンとイチゴです。
ここまで美味いと全てが素晴らしく感じて、供されたほうじ茶も美味く感じました。

・・・いや、実際美味しかったので、入っていたポットを抱えて部屋へ持って帰りました(笑)

いつもの食事なら10分程度で終わりますが、コース料理の様に一品づつ(出来立てが)運ばれてきたので、気が付けば1時間半近くも経っていました。
けど、とても贅沢な時間を過ごせたと思います。

食事を終えて部屋に戻り、敷かれた布団にゴロリと横になって・・・気が付いたら23時。
一息着け、酔いも醒めたので、温泉に入ってきました。

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秋の安芸参り◆広島と呉に、また来て「くれ」と言うことか?!(目次)

2012年01月11日 | 旅日記
同僚の話に乗っかって、初めて行った広島安芸地方。
見所が一杯あって、とても面白かったです。
今年は、嚴島神社を創建した「平清盛」公が(NHKの)大河ドラマで取り上げられるので、俄然注目されて、大いに賑わいそうですね。
大河による(観光等による)経済効果、結構あるようなので。
ただ、脚光浴びると困るのは混雑。
今回、その前に行くことが出来てよかったです。



ただ...
どうしても行きたかった嚴島神社(宮島)や大和ミュージアムてつのくじら館には行くこと出来ました。
けど、呉の2館や、その後味わったお好み焼き牡蠣の記録は撮ること出来ず...
ほか、広島城原爆ドーム江田島などには行くこと出来ませんでした。
天候も、台風の接近でよくなかったのも要因の一つ。
これは、きっと広島と呉にまた来て「くれ」と言うことでしょう(笑)
ですからまた今度、きっと行きます!
広島と呉に。

ほか、広島と岩国が意外と近いことが判りましたので、時間が有れば、岩国または福山などへも行ってみたいですね。
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秋の安芸参り◆広島で食い倒れ(終)

2012年01月10日 | 旅日記
同僚の話に惹かれて初めてやって来た、芸州広島一泊二日の旅。
念願であった嚴島神社総本社(宮島)、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)とてつのくじら館(海自呉史料館)の数々を巡ることが出来て嬉しかったんですが、、、
せっかく広島までやって来たのに、本場のお好み焼きと牡蠣を食わずには帰れない!と、これを求めて市中心部へ向かいました。

広島駅から広電乗って向かったのは中心街の八丁堀
手持ちのガイドブックを参考に、まず向かったのが【お好み村
4階建てのビルのフロアー全てがお好み焼き屋のここは、余所者からすると、一種独特の雰囲気が(^^ゞ
入ったのも16時前だったというのもあったのかもしれませんが、呼び掛けや呼び込みに不思議となぜか萎縮をしてしまい、ここをそそくさと退散。
同僚が「ここは?!」と見付けた近くの【みっちゃん】の総本店に向かってみました。
けど、、、
閉まってました。
見ると、昼間の営業時間は15:00まで。
ここまで来て残念無念・・・と思いきや、この近くの【福屋百貨店八丁堀本店】の地下食にお店が在る?!という案内があったので、そこへ行ってみました。
すると・・・在りました
見付けるのにちょい時間が掛かりましたけど、地下1階に!

時は夕方、16:30頃だったので、お客さんは数人。
空いていたテーブル席に座って頼んだのは、(確か...)牡蠣とそば入りのお好み焼き。

実はこの前、お好み焼きを求めて八丁堀へ来る前、牡蠣を求めて広島港まで、広電に乗って(終点まで)行っていました。
けど、在ったのは客船ターミナルだけ。
しかも、台風の影響で殆どの便が欠航していて人は疎ら。
おまけに商業施設が皆無。
ただ臨時、または営業時間が終わって閉まっているだけならまだしも、潰れてしまっているところも多く、当てが外れたので牡蠣は諦め、お好み焼きに絞って八丁堀へ来たのです。
ゆえに、メニューに牡蠣を見付けてしまった以上、頂かないワケにはいきません(笑)

関東では、ネタを渡されて自分で作らされる印象があるんですが、、、
ここではお店の人が作ってくれて、給してくれます。
これが一般的なのか?!はたまた広島流なのか?!は、よく判りませんが(^^ゞ
作っていただくのは有り難いことで。
注文から少ししてやって来たお品をいただきましたが・・・もう、美味いのなんのって!
特に感動的だったのがおそば。
空腹だったら、きっと軽く3杯はいただいているであろう、美味さでした。

この時、時刻は17時過ぎ。
新幹線の時間(19時06分)まで2時間もありましたが、台風の接近に伴う天候悪化が懸念されたので、余裕をもって広島駅に戻りました。
すると、、、
台風の影響で、在来線は21時までに順次運転を終了し、明日は始発から運転を見合わせる予定とのアナウンスが繰り返されていました。
しかし、新幹線はダイヤ通り運転されることもアナウンスされていたので一安心をし、ホテルに預けてあった荷物を受け取って、広島駅構内を散策。
すると、、、
駅ビル6階で牡蠣が食べられるお店【かき名庵】を発見!
しかも生牡蠣が、ワインとセットになったお手頃価格で頂ける!!とあらば入らずにはいられません。
新幹線の時間まで、あと1時間もあったので、余裕をもって頂きました。

頂いたのは、確か、、、
白ワインと岩牡蠣だったと思います。
生のそれは、もう~、美味いに決まってます。
口に含んだ瞬間の塩味と、噛んだ後に味わえるクリーミーな牡蠣の身は、もう、堪りません!!
白ワインにもよく有って、もう、大満足でした。

この後地階の食品売り場や駅の売店で車中で楽しむ酒肴を買いに向かったんですが、、、
台風の接近で、この駅ビル自体も19時で閉まる?!とかで大混雑。
何とかビールや牡蠣のオリーブオイル漬け等を買って、定刻通り着た新幹線に乗車。

広島のみならず、福山岡山でも台風の接近に伴って在来線の運休が相次いでいましたが、新幹線は何とか。
強風雨の影響で多少遅れはしましたが、それも誤差の範疇。
何の影響もなく東京に到着し、同僚とはここで別れ、私は総武快速線などを乗り継いで帰り着きました。

しかし、この翌日、広島圏内の在来線は長時間運転を見合わせていたようです。
特に被害が甚大だった紀伊半島の状況などを見れば、間一髪・・・と、言えるでしょうか。

激熱の呉]<<<<<<<◆>>>>>>>[目次

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秋の安芸参り◆激熱の呉

2012年01月09日 | 旅日記
同僚の話に惹かれて、初めてやって来た芸州広島
初日の昼間は、世界遺産にも指定されている嚴島神社総本社鎮座します宮島へ。
そして夜は、この旅の表向きの“目的”でもある同業他社さんとの会合に参加すべく、広島市中区に在る瀬戸内料理【まつばら】と居酒屋【カープ鳥】で酒杯を交わして就寝。。。

翌日は朝早くに起き、ホテル近くのMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を見てからホテルのレストランで朝食を鱈腹食べて10時にチェックアウト。
広島駅からJRに乗って向かったのは・・・呉市です。
そう、戦前は旧海軍(呉鎮守府)、戦後からいまは海自の街です。
この街へ来たメインの目的は、勿論!大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)とてつのくじら館(海自呉史料館)です。

関心度のあまり高くない同僚を引っ張って、雨の降る呉駅に着いたのは11時前。
広島駅から呉線普通電車で45分ほど掛けて到着しました。

この日は平日。
一般的に夏休みも2日前に終わっているのと、台風の接近に伴う強雨で駅周辺はとても静かでした。。。

目当ての大和ミュージアムと呉駅とは屋根付の自由通路(デッキ)で繋がっているので、一切濡れずに行くことができました。

デッキから、大和ミュージアムと道路を挟んで隣に在るてつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)をデジカメに収め、いざ、向かおうとしたら・・・ここでデジカメのエネルギーが尽きてしまいました。。。
実は、この安芸参りの直前にデジカメを買い替えたんですが、充電システムをイマイチ理解しておらず、必要な機器を家に忘れてしまったが為に充電が出来ず...
全く以て、残念無念でなりませんでした。。。
ただ、これも致し方のないこと、気を取り直して、いざ!館内へ。

まず向かったのは、呉の歴史や海軍史、戦艦大和史を紹介している展示室
その一つ一つ見応えがあってとても充実しているので、牛歩の様にゆっくり、じっくりと見て周っていました。
ゆえに、気が付いたら同僚はどっかへ行っていましたが、それに構うことなく、自分のペースで見て周り続けました(^^ゞ

展示室-呉の歴史を一巡し、知的満腹感に満たされつつ、戦艦大和が鎮座します“大和ひろば”は後にじっくり見ることとして通過して入ったのが大型展示史料室
ここには、映画にもなった帝国海軍版特攻兵器「回天」。

帝国海軍の主力戦闘機「ゼロ戦(零式艦上戦闘機)」。

特殊潜航艇(海龍)や魚雷に戦艦大和や陸奥の主砲弾が展示されていました。
これらは、(1階の)展示フロアーから見るだけではなく、周囲にぐるりと配された緩やかなスロープを登って行けば上から見下ろすこともでき、ゼロ戦の操縦席もこのスロープからよく見ることが出来ます。
また、スロープをそのまま登って行けば、戦艦大和を見下ろすポイントにも行くことが出来ます。
これはもう、圧巻です。
(この先へ更に進むと、船を造る技術を紹介する展示室へ行けます。)
そして、上階から戦艦大和を見下ろした後は、下に降り、間近に寄って見に行きました。

ミュージアムの中央、大和ひろばに鎮座します戦艦大和は、本物の1/10の規模で、限りなく忠実に作成されているそうです。
その精巧さは、間近に寄っても高所から見下ろしてもよくわかります。

もう、感嘆しかできないほど圧巻です。
ドッグ風に設えられたひろばの様々な角度から見れば、その精巧さはよく判ります。
このリアルさ、迫力には、ただただ感嘆しかできません。
もう、圧巻です。
デジカメのエネルギーが尽きてしまったのが、返す返すも悔しいです。。。
4枚の画像は、同僚がケータイに収めたモノです。

展示室で紹介されている戦艦大和の歴史とこの大和を合わせて見ると、感慨も一入です。

ミュージアム内を1時間半掛けてじっくり見た後、はぐれていた同僚と合流して昼食に。
館外に在る【シーサイドカフェ-ビーコン】に入って注文したのは・・・ええ、勿論!
この日は金曜日でもありましたので、カレーを注文しました。
中には、鯨のフライをトッピングしたモノもありましたが、私は・・・朝、ホテルの食事(バイキング形式)を鱈腹頂いたので、ノーマルの海軍カレーをいただきました。
お味は・・・ええ、美味しかったです。

この後、ミュージアム内に戻ってミュージアムショップをグッズを品定めしてから、隣地に在るてつのくじら館(海自呉史料館)に行きました。
ここは海上自衛隊広報施設なので、朝霞の陸自広報センターと同じく入館無料でした。
館内は水中での活動をメインに、海自の歴史に加えて掃海活動潜水艦の紹介を行っています。
そして、その潜水艦の紹介の一つとして(館外に)除籍した海自潜水艦「あきしお」が、展示用として公開されています。
勿論、外観からだけではなく、内部に入って見学することができます。
「あきしお」に入るには、3階に設けられたデッキから入ります。

その内部は、意外と広かった・・・という印象です。
確かに、居室とかは狭かったです。

しかし、操舵室や作戦室など、主要な部分は機能的に造られているのかな?!と、感じました。

中には、ボランティアのおじいさんが一人居て、いろいろと紹介をしてくれます。

時間があまり無かったので足早に見て周ってしまったんですが、「あきしお」含めて、とても面白かったです。

一通り巡った後、売店でグッズを見ましたが・・・ちょい残念だったので、再び大和ミュージアムへ。
考えあぐねた結果、何点かグッズをお買い上げをし、14時過ぎに呉から広島へ。
首都圏からは全て引退してしまった103系の呉線快速安芸路ライナーに乗って向かいました。

出来れば対岸の江田島旧海軍施設も行きたかったんですが・・・それは今度。
デジカメのエネルギーも切れてしまったので、呉にまた来て「くれ」ってことでしょうから(笑)

※画像はリンク付サムネイル方式なので、クリックすると別ウィンドウで大きく表示されます。

広島のふぐとコイ!]<<<<<<<◆>>>>>>>[広島で食い倒れ](終)

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秋の安芸参り◆広島のふぐとコイ!

2012年01月08日 | 旅日記
同僚の話に惹かれて、初めてやって来た芸州広島
初日の昼間は、世界遺産にも指定されている嚴島神社総本社が鎮座します宮島へ。
そして夜は、この旅の表向きの“目的”でもある同業他社さんとの会合に参加すべく、広島市内の指定のお店に。
その会合が開かれるお店は、中区に在る瀬戸内料理の【まつばら】です。
三越福屋百貨店などが在る八丁堀からは少し離れた雑居ビル群の中にあり、地図無しには、土地勘があっても見落として辿り着けそうにないところにお店はあります。
ここには、指定の時間の5ふんほど前に着いたんですが、我々が1番乗り。
同僚は、幹事含めて知っている人が多くいますが、私は、同じ職場とはいえセクション(畑)が違うので、絶対に会うことのない方々。
ドキドキしながら待っていると...
それから10分ほどして、皆さんが集まって着ました。
この会の参加者は25名ほど。
私は非会員なので、確か、7,000円ほど払った・・・と記憶しているんですが、給された料理の数々は、それに見合う品々でした。
もう、暫く前のことなので、何が出てきたのかを逐一覚えてはいませんが、これだけは、しっかりと覚えています。

はい、ふぐ刺しです。
それはもう、い~い具合の歯応えで、とっても美味しかったです。

私の席には6名ほどの方が最初に着座。
その後、時も進む、宴酣ともなると流動的となりますが、私は一番奥の席に着いたのと、同僚が隣にいたとはいえ、若干のアウェー感は解消されず。
最後まで同じ席で、酒肴と会話を楽しんでいました。

ここでの宴は3時間弱。
瀬戸内海の名物に舌鼓を打ち、初めての人々とそれなりに打ち解けた後(^^ゞ
次に向かったのが、ここから少し離れた所に在る居酒屋【カープ鳥】(本店)です。

私は、若干のアウェー感から正直脱出したかったんですが、同僚は酒席が大好きなので同行しました。
予め取っていたのか、それとも偶々空いていたのか、3階へ躊躇なく(集団が)上がっていき、着席。
ここで、他の会合へ参加されていた方も合流し、定員超過状態になっていましたが、、、まぁ、無理矢理各々着席。
少し落ち着いた段階で(漸く)注文のすべく、メニューに目をやると・・・?!
全て、カープの選手名串焼きのメニューになっていました。

例えば、野村(謙二郎)監督=心臓とか前田(智徳外野手)=砂肝とか(重宣外野手)=先皮とか。。。
何か関連付けがあるのか?!
トラキチの私には、正直よく判りませんでしたが(^^ゞ
広島市民の皆さんのカープ愛を直に感じて知ることができました。
ちなみに私は...
酔いも入っていたので、何を頼んだのかはよく覚えていません。
【カープ鳥】には、結局閉店(24時頃)まで居座っていました(^^ゞ
この後、3次会へ行く人や帰る人三々五々散って行きましたが・・・我々は、タクシーでホテルに戻りました。


そして、次の日の朝。
6時過ぎに起きて外を見ると、雨が降っていました。
一時雷雨があったとはいえ、夏らしい青空と灼熱の太陽が降り注いだ前日の茹だる様な暑さが一変。
結構本格的に、強く降っていました。
間違いなく、接近しつつある台風の影響です。
そんな中、朝独りで向かったのが・・・新造のMAZDA Zoom‐Zoomスタジアム広島です。
広島に到着直前の新幹線から見えた新造間もないこのスタジアムには前々から関心があったので、一目だけでも間近で見たかったので、行って来ました。

ホテルからここまでは、およそ1キロほど。
この日の(本格的)行動開始を10時から、朝食も8時過ぎにしていたので時間は十分あったので7時過ぎにホテルを出、通勤通学の人で大勢の人が行き合う広島駅を抜けて、事前に地図で確認した経路と見た景色を基にした勘で向かいました。

北側に在るホテルから、地下で繋がる細い自由通路を通って南側に出、線路沿いの道へ出ると、線路を道路を隔てる金網のフェンスにカープの選手を紹介する看板が。

その先、スタジアム側には監督以下選手の写真がプリントアウトされた工事用フェンスが出迎えてくれました。

一人一人のポーズがカッコ良かったので全てデジカメに収めたかったんですが・・・ちょっと、電池残量が(^^ゞ
そこで、この中から厳選して...

篠田純平投手と、前田智徳外野手です。

この、バットを見上げる姿が渋くてカッコいいです。

広島駅とスタジアムを結ぶこの最短ルートは“カープロード”と呼ばれていて、プロムナードからメインゲートへとアクセス可能なルートにもなっています。

歩いて大体10分程度で到着します。

真新しいスタジアムは、周囲に未開地が点々としていて工事用フェンスなども随所に見られ、いまだ完成していないのか?!と、感じました。

また、移転してきたゆえ仕方がないのかもしれませんが・・・意外と民家に近いのに少し驚きました。

ちなみに、カープロードの途中に在るローソンはカープカラーに。

また、周辺のマンホールにはカープ坊やがあしらわれていました。

前夜の【カープ鳥】からスタジアム周辺まで、さすがは市民球団、応援の仕方が違います。

その熱さを感じながら、この後の支度をすべく、ホテルへと戻りました。

ちなみに、この日の夜に試合が予定されていて、あわよくば、帰りの新幹線から(一瞬でも)煌々と輝くスタジアムで繰り広げられる熱戦を目撃することが出来たかもしれないのですが、、、
台風の影響で、中止となってしまいました。
宴に参加されていた方の中には、この試合のチケットを持っていた方がおられたので、折角の機会、さぞ無念だったかと、、、。

※画像はリンク付サムネイル方式なので、クリックすると別ウィンドウで大きく表示されます。

自然の神秘]<<<<<<<◆>>>>>>>[激熱の呉

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秋の安芸参り◆自然の神秘

2012年01月07日 | 旅日記
同僚の話に惹かれて、初めてやって来た芸州広島
広島へ来て、いの一番に向かった宮島
世界遺産の嚴島神社総本社鎮座しますここで、中国地方の関ヶ原とも言うべき厳島の合戦の軌跡と念願だった嚴島神社への参詣を済ませ、名物の穴子を食らって次に向かったのが、海辺に建つ清盛神社です。

昭和29年の創建と、比較的新しいこの御社は、嚴島神社の北西、西の松原と呼ばれる景観が美しい、御手洗川と瀬戸内海に挟まれた築堤の上に鎮座しています。
ここから、清盛公が創建した嚴島神社を見ることができます。


清盛神社へ参詣後、再び嚴島神社へ。
そこまでを結ぶ「西の松原」は、「坂の上の雲」の第1部第3話「国家鳴動」で、東郷平八郎(呉鎮守府参謀長)秋山真之が(訪日してた清国北洋艦隊「定遠」視察後)とが会話を交わす場面が撮影されたところです。
また、ここから嚴島神社の象徴でもある大鳥居がよく、間近に見ることができます。

周囲の松原とも合間って、とても美しかったです。。。

嚴島神社参拝から1時間半ほどしてから(嚴島神社に)戻ってきましたが、潮はこの時すっかり引いていました。

その落差には、ただただ驚くばかりです。
参拝時には冠水に近い状態で、簀子を敷かないと通れない程だった参拝口もすっかり乾いていて、水になどまるで浸かっていなかったかの様の状態になっていました。

自然の力、神秘を大いに感じました。。。

しかし、この日の広島はとにかく暑かった!
先にも述べましたが、関東のこの時暑さが和らいで秋めいてきた(のはこの時だけ)ので、それに幾分慣れていたのにこの厳しい暑さ・・・には、さすがに堪えました。
風光明媚な有の浦を歩いてフェリー乗り場へ向かう途中、かき氷の幟を見付けるや、すかさずこれをいただき、大きな木陰で一休み。。。
これで暑さを凌いでから、再びフェリーに乗って対岸の宮島口に渡りました。
ただ、、、
かき氷を買い求めたお店では、焼き牡蠣も売っていたんですが・・・食い損ねました。
有の浦や表参道では、3歩も歩けば焼き牡蠣屋さんに出会えるほどたくさんありましたが、残念無念なことに、一つもこれを食べずに宮島を離れてしまいました。

それだけが、いまも返す返す残念でなりません。。。

さて、帰路もJRのフェリーに乗って対岸に渡り、JR宮島口駅へ。

折よく到着した山陽本線糸崎行きの普通電車に乗って広島へと戻りました。
しかし、さっきまで苦しめられていた灼熱の太陽が一変、南の空から不気味な黒雲が覆い始めていました。
実はこの時、まだ記憶に新しいかと思いますが、紀伊半島等で甚大な被害をもたらした台風12号(タラス)が日本に接近しつつある時でした。

宮島口から広島までは30分ほど。
15時前に到着しましたが、既にこの時広島上空は雲に覆われていて、それから程なくして、雷を伴った猛烈な雨が降り出しました。
幸い、ホテルと駅は直結しているので濡れることはありませんでしたが、天気の変化は突然でした。
私の部屋は14階の東向きで見晴らしもよかったので、落雷のその時を何本も目撃できました。

・・・え?!ええ、雷、結構好きなんで(^^ゞ

この間、同僚から「汗流しに行きましょう」と言われて、ホテルからタクシーに乗って運転手さんに「知ってる近くのスーパー銭湯まで」と言って連れてこられたのが、広島の東隣,安芸郡府中町に在った【やまとの湯】。
まさか、広島まで来てやまとの湯に来るとは思ってもいませんでした。。。
広島駅から5キロくらいのところで、一応、天然の湯が在るみたいです。
ここで小一時間寛いで、帰りもタクシーで・・・と思ったんですが中々捕まらず。。。
さてどうしよう・・・と、ケータイで近くの情報を検索していたら、バス路線があり、すぐ近くにバス停(新大洲橋)が在ることを発見。
残り雨が少し降る中、西へ少し歩いて行ってみると、情報の通りバス停を発見。
時刻表を見ていると、直近に広島駅へ行くバスを確認!
そこで5分ほど待っていると、定刻通りにバスが到着!したので、それに乗って、広島駅へと戻りました。

ちなみに、往路のタクシー代は4,200円くらいしましたが、復路のバス代は(確か)420円程度。
掛かった時間も10分程度だったと思います。

都内に比べて、広島のタクシーは安い(と同僚が言ってました)・・・ようですが、公共交通機関の有難味を、実感せずにはいられませんでした。

湯からホテルへ戻り、身支度を整えてから広島市内へ。
この安芸参りの表向きの“目的”である会合に出席すべく、指定のお店に向かいました。

※画像はリンク付サムネイル方式なので、クリックすると別ウィンドウで大きく表示されます。


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秋の安芸参り◆嚴島神社総本社参詣

2012年01月06日 | 旅日記
同僚の話に惹かれて、初めてやって来た芸州広島。
広島へ来て、いの一番に向かったのは、勿論!
世界遺産嚴島神社総本社が鎮座します宮島です。

列車とフェリーを乗り継いで、いざ!嚴島神社・・・には向かわず、情緒ある路地を町屋通りや山辺の小径を(行き当たりばったりに)歩きながら(笑)
要害山の宮尾城址、五重塔、千畳閣などを巡り、宮島に上陸してから1時間程掛けて、漸く念願の嚴島神社総本社に到着しました。

時刻は12時過ぎ。
神域ゆえか、どことなく落ち着いた雰囲気を感じながら、参詣すべく本殿に近づいたら、参拝口の前で、神職や作業着姿の人たちが掃除をしていました。
・・・けど、どうも様子が変なんです。
よく見ると、参拝口の受付前は水浸し。

一段高い石畳と受付前の簀子に板を渡して、即席の橋代わりにしていました。
掃除としている・・・と思った人たちも、長柄のゴムへらやホースで流している感じ。
その光景を不思議と思いながら、受付を済ませて本殿内に入って、漸く状況を得心しました。
海水が入り込んでいたんです!

この時は、どうやらヤマは越した後の様でしたが、それでもまだまだ、床板の隙間から、さざ波程度でも海水が噴出していました。
また、土嚢で海水の侵入を防いでいるところもありました。

(ところどころ)床板が一面濡れているところもあったので、ひょっとしたら、一番高い水位の時は海水に浸かっていた・・・かもしれません。
神職さん達が、本殿内の至る所で長柄のゴムへらなどで水を掻きだしていました。

後々知りましたが、初秋の頃は例年潮位が高く、満潮時は廻廊は数時間海水に浸かることがあるそうです。
ただ、今年は例年以上に長い時間、潮位の高いままだそうですが...
廻廊や本殿のギリギリまで海水が迫っている光景は、浮城か竜宮城、、、はたまた洪水にでも遭ったかのような、不思議な感覚です。


今から6年程前。
(この前年の)台風災害で甚大な被害に遭った嚴島神社の復興勧進を目的として東京藝術大学美術館で開催された企画展観ました
展示された貴重な財産と一緒に、台風から少しでも社殿を守ろうとする神職方の苦闘を写したパネルも紹介されていましたが、規模が違うとはいえ、浸水が日常化しているとは思いもよらず、正直驚きました。
けど反面、貴重な時に行けた・・・とも(^^ゞ

浮城の様になった廻廊や社殿ばかりに気が行ってしまい、肝心要の参拝はとてもあっさりと、20分程度で一巡して終えました。

この後、すぐそばに在った宝物館に入りました。
目的の第一は・・・すいません、どうしようもない暑さから逃れる為ではありましたが、入ってしまえば、館内の快適さよりも展示されている資料の数々に目が行くのは当然のこと。
独りでじっくりと、隈なく見て廻りました。
気が付いたら同僚と逸れていて、私が30分くらいかけて見終えて出入り口へ行ったら、待ってました。
入って最初に出迎えてくれる大鎧から太刀の数々に平家納経やそれに関する数々の資料に、私はもう、規模は決して大きくはありませんが、大変充実しました。

宝物館で体力的な一息も入れることが出来たので、もう一踏ん張り・・・と、この近くに在る多宝塔へ向かいました。
そこは、山の中腹程にあり、見晴らしがとてもよいです。
ちなみに、この途中に“勝山城”と掘られた石柱を発見しました。

どうやらこの辺りが、先にも触れました厳島合戦の折に、陶勢(大内勢)が陣を張っていたようです。
確かに、見晴らしがよく、毛利方が築いた宮尾城や嚴島神社の大鳥居がよく見えました。


この後、事前に武者友さんから「必ず行くべし!」と言われていてた清盛神社へ向かいましたが、時は昼中。
宝物館を出てから(この時)さほど時間は立っていませんが、この日の暑さは、一時涼しかった関東より来た者には堪えました。
ゆえに、またまた休憩と昼餉も兼ねてお店に。
何気なく入ったお店だったので、店名ははっきりと覚えていないんですが、確か・・・店舗は真新しく、家族で切り盛りしている感じでした。
それと、安芸宮島まで来て何故武田?!と思ったのを、記憶しています。

テーブル席に通されて、メニューを手に取って迷っていると、穴子が“名物”だと銘打ってあるのに気が付きました。
「安芸宮島の名物」といってすぐに思いつくのは牡蠣・・・以外にないんですが、実はもう一つ、穴子が名物なんだそうです。
穴子は関東だけのモノだと正直思っていたので、ビックリしました(^^ゞ
安芸宮島の名物と聞いて、穴子を食べないワケにはいきませんから、ちょうどいい値段だった穴子丼とうどんのセットを注文。
それから10分程か、給されたそれを食らいましたが、、、

穴子がもうフワッフワで、いやぁ~・・・美味かったです。
同僚は、かき氷まで食らってましたが、一息つけて、名物も食らえたので、目指していた「清盛神社」へと向かいました。

諸行無常の宮島]<<<<<<<◆>>>>>>>[自然の神秘

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