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くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

「夏」がくれば打ち上がる!

2008年06月21日 | 春夏秋冬
仕事帰りに乗った東西線快速が荒川中川橋梁に差し掛かった時、川の向こう側から花火の上がるのが見えました。
時刻は20時半過ぎ。
浦安を過ぎるまで打ちあがっていたこれは、ディズニーランドの方角(東南東→南)に見えたので、パレードだかアトラクションに合わせてのだと・・・思います。
満員の電車内だったので、音は全く聞こえずに視覚のみで,周りの人は誰一人気が付いていないようだったので私独りが、心の中で「た~まや~,か~ぎや~!」と叫びながら、満月の夜に上がる巧みの技を楽しんでいました。

は昨秋の我が街の花火大会以来、久しぶりにみた打上花火ですが、やっぱいいですね。

けど、私はかの「国」のことは詳しくないので、いつから、どういうタイミングで打ち上げているのか知らないのですが...
毎年5月頃から10月頃,20時過ぎから30分くらい打ち上がっている印象があるのですが...これから一つ、楽しみが増えました(笑)
ただし、寝ていなければ・・・の話ですが(爆)

東北地方では先日入梅したそうですが、沖縄では早くも梅雨明けとか。
関東も、先週一週間は梅雨の中休みなのか、雲が多目ながらも晴れていますが、あと一月もすれば、毎日毎日ギラギラと晴れて暑い日がやって来ます!

しかし、1年経つのは早いですね...。

p.s.
五月過ぎからか、船橋駅近辺を歩いていると、南風に乗って磯の香りが感じられます。
ここから近い海まで、直線距離にして1.2kほど。
北風の強い冬場には感じられなかったので、ここでもまた、季節の変わり目を実感できます。

※TOPの花火は、TDRのではありません(^^ゞ
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門前の桜

2008年04月03日 | 春夏秋冬
出勤前,千代田城北の丸田安御門へ立ち寄ってきました。
朝も早くから,立派なカメラを携えたカメオさんたちが数多、ここの景色をカメラに収めていましたが、中には私と同じか,出勤前と思しきスーツ姿の人や、外国の方も、撮影に興じていました。
<fotn size=1>外人さんも、立派なデジカメ(らしきもの)を携えていましたが、撮影をお願いした人とのコミュニケーションに、難儀されていました。

ちなみに...
以前にも記したかもしれませんが、ここの桜の見事さを知ったのは、大学の3年か4年生の頃。
それから毎年桜季の頃,ここへ花見にやって来ています。

それも、気付けば10年以上。

ほとんど独りで来ていますが(笑)
何度来ても、どの時間に来ても、どんな天気でも、飽きることがありません。
たとえ周りで(大きな)歓声を上げていようとも、全く意に介せず,独りの世界に居る事が出来ます。
尤も,道路一つ挟んだ向こうの杜は、飲めや歌えと賑々しい・・・というよりは大騒ぎしていますが、こちら(御濠端)側は反対に,桜を“愛でる”が如く、静かにゆったりと、桜を楽しんでいます。

そして、開花から11日。
先日の風雨は一様に耐え凌いだようですが、そろそろひらひら舞い降りる頃...
今週末には、咲いている頃よりも強く心惹きつける光景を見られることでしょうね。。。

ところで,日記に上げる画像を選んでいる時に気が付いたのですが、桜は、どうしてお城と見事に合うんでしょう!?

我が街にも、土塁とお堀だけですが、戦国以来の城(址)があり、その一帯には数多の桜があって名所となっていますが、この他にも,世に名高き桜の名所たる伊那の高遠や羽州角館,津軽の弘前も、城廻が特に見事と聞いています。

機会があれば是非今度,これを確かめる旅にでも出て見たいものです...。

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首都圏では、もう何度か雪降りましたよね...

2008年03月01日 | 春夏秋冬
ここ最近,漸く寒さも緩んできて、比較的過し易い日々が続いていますが、今冬は,久し振りに何回か雪が降りましたね、首都圏では。
ただ、さすがに・・・2年前の様に、驚くほど積もることは無かったですが、

雪の降った夜が明け、晴れ渡った空の下,一面銀世界に立つと、普段見慣れぬ光景ゆえに感嘆し、暫く見惚れてしまいます。

また,先月中頃、夜になって降り出した雪は、湿気を多く含んでいて、降り出してから僅かの時間,あっという間に街を一面白くしていきました。
それは、歩くのもやっと。
道路も、なれぬ雪道に車がノロノロとなって大渋滞をしていました。

けど、一歩路地に入ってみると、雪が全ての喧騒を呑み込むかのように深々と降り続いていました。

それは、さながら雪国の温泉街にでも来たかのようでした。

ただ,この時の雪は、翌日の穏やかな陽気の前にすっかりと,昼頃には消え去っていました。
あんなに一杯降っていたのに...ちと、残念でした。。。

そして、それから2週間ほどして。
寒さも空気も、一時よりも緩んで過し易くなってきたように思います。
いつの頃からか,職場に植わっている梅の花も満開となり、微風が吹いただけでいい香りを届けてくれます。

こうなると,桜の季節が待ち遠しいです。。。

けど、何年か前,桜が咲いた時に雪が降ったことがありましたね。
あれは中々オツでしたから、ちょっとそれも期待したいですね。
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謹賀新年:平成20年戊子

2008年01月01日 | 春夏秋冬
くない鑑をご覧の皆様。
新年明けましておめでとうございます。
本年もまた,旧年より引き続きまして、「くない鑑」と記主くないをご贔屓,ご愛顧を賜ります様、何卒宜しくお願いいたします<m(_ _)m>

平成となってはや20年。
小学6年生だった私も、いまや社会人。
しかも、気付けば三十路で歩み始めていました...。
けど、中々安定的に浮き続けることが出来ず、旧年中は、特に浮き沈みの大きい年でした。。。
而立を目指した昨年の意気込みを、今年こそ!は実有るモノにしていきたい!!と思います。
そして...
我が名の如く,皆様にも私にも、「苦無い」1年でありますよう、祈念致します。

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幾望の聖前

2007年12月24日 | 春夏秋冬
西洋暦では、キリスト降誕の前夜に当たるこの日。
街中には、煌びやかにデコレーションされたツリーやイルミネーションが数多あって、とても綺麗ではありますが...

旧暦では11月の14日であるこの夜の空には、とても鮮やかで煌びやかに光り輝くお月様がありました。
この日は、朝寒く,昼は風が強かったお蔭で空気がとても澄んでいたようで、いつもよりも爛然と,見惚れてしまう程に綺麗で、地を照らす青白き光は実に幻想的でした。
しかも,近くには、小さいながらも(他の星よりは)はっきりと,仄赤く輝く火星も観ることが出来ました。
デジカメには、中々収め辛いですが...

私には、どんなに趣向を凝らし,煌びやかな創り上げられたイルミネーションよりも、

幾望の月の方が、断然綺麗で美しく思いました。。。


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復活の花火!

2007年10月27日 | 春夏秋冬
日本の夏!と言えば・・・そう,金鳥の夏!・・・じゃなくて、「花火」ですよね(^^ゞ
7月から8月に掛けては特に,全国各地で大なり小なり打ち上がっていますが、我が街でも8月の第1土曜日に打ち上げていました。
それも、2時間半程の間に2万2千発余も打ち上がる関東屈指の規模を誇り、毎回,海外から花火師を招いて打ち上げる“国際”的な花火「大会」でもありました。
しかし...
国から地方自治体等の行政機関の財政危機が懸念されている昨今,我が街もまた、ご多分に漏れず財政難に喘いでおり、この窮状を打開すべく,諸方面での歳出削減を行う中で、我が街自慢の花火大会も“中止”を余儀なくされてしまいました。
平成17年のことです。。。
勿論,中止に追い込まれたのはこれだけが理由ではなく、周辺道路の交通渋滞等安全面での配慮増に、マナーの悪化による“環境問題”もまた、深刻だったようです。
明石事故以来,警備計画策定も一苦労で、最寄駅と会場とはかなりの距離があるので警備員の配置も大変だったとか。)
(最寄駅と会場とは、徒歩でしか移動手段が(一応)無く、周辺住宅地の“ゴミ問題”は酷かったとか。)
しかし、これらの多くは運営費内で解決出来る問題な筈であって、結局は、過去にツケによる財政悪化が中止の判断を下す最大の要因で有った事は容易に察せられたので、この報を聞いた時,何とも残念な思いをした反面、市当局への憤懣も有りました。
(この他にもまだ,色々とありますから...)

それから3年を経た今年の4月。
任期満了に伴う市長選が行われ、中止となった花火大会の“復活”を公約の一つに掲げた候補が見事,何度目かの挑戦で当選したのです!
(ちなみに、前代からのツケを解消すべく花火大会を中止した前市長は、3期12年務め上げて引退しました。)
ただ、実は私,このことを全く知らなかったのですが...
新市長は公約通り,我が街誇りであった花火大会の“復活”させたのです。
それが、この間の土曜日だったのです。
ただし、規模はかつての1/3,開催時間も1時間半。
“国際”色は無くなって“市民”大会と、原点に立ち返った名称に改まりました。
しかし、それでもやっぱり待ちに待っていた花火大会ですから、この目で復活の花火が打ち上がるのを観に行ってきました。
ただ、向かった先は打ち上げ会場に非ず,地元民だけが知っている“穴場”へ自転車で行ってきました。
何せ、会場までは直線距離でも4キロ強あり、加えて起伏の激しい道程。周辺道路が交通規制で混雑する中、最寄駅からも通りここへは自転車しか有効な“足”が無く、大変なんで...
地元民だけが知っているその穴場へは、
丘の上の村落を走り、街灯も無い畑地の間を通る一本道を抜けて10分程行ったところ。

もう、年なもんで、手ブレがひどいですが、その途中で撮りました。
そこは、田圃の中を通る農道・・・というよりは、車一台がやっと通れる程の農道で、私が着いた時には(既に)奥から順に10台程度が止まっていました。
それもあって、私はその(道の)途中に在る橋の上から観覧しました。

昼間はこんな感じのところです。
けど、橋上は道中で一段高くて見晴らしが良く、川面には花火が写って見えて、結構いいポイントで観られました。

ただ、そういうところなので街灯なども無く、夜目に弱い私は慣れるまで大変で(^^ゞ
頼りになるのは、(確か)市長が経営しているゴルフ練習場の照明と、仄明るい月光くらいでした。

この夜の空には星は煌き、月が仄明るく地を照らし、流れ星も見える良い天気。
湿度も低くて空気も澄んでいたのか、花火がよりはっきりとまた鮮やかに見えた!気がします。
けど、周りは田圃だからか、ちょい空気がひんやりとしていて寒かったです。
また、ほぼ無風だったので、打ち上がった花火の煙が流れず、一所に留まったままだったので、花火が連発的に上がると煙雲に隠れてしまいました。。。

けど、それもまた一興でした(笑)

次々と上がる様々な形や大きさ,色の違う、創意工夫の詰まった花火は見事。
中には、スターマインや一尺玉など、五臓六腑に響き渡る花火も幾発か上がり、壮観で(より)見事!の一言で、とっても良かったです。

やっぱいいですね,地元の花火大会ってのは!
地元の誇りであり、自慢になりますから。
環境面や安全面,資金面での課題はまだまだあるでしょうが、近い将来には是非,3年前までの規模に近い花火大会を開催してもらいたいです!ね。
けど、開催はこの時季がいいですね。
観る上で暑苦しくなく、蚊に食われることも無いですから(笑)

コメント (6)
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天高く 月満つる秋

2007年10月25日 | 春夏秋冬
淡く青白い明りにふと気が付いて、見上げた夜空には、きれいなお月様が浮かんでいました。
十五夜お月様は明宵ですが、今宵の月もまた,見事に丸く、輝いていました。
十三夜や十六夜の月には、侘び寂びや情緒を感じ、また,儚く感じることがありますが、満つる月にはどこか,見惚れれば離れられない魅力があります。
物思いに耽る時,香を焚きながら月を見ると、より深く無念夢想の境地へと誘われます。。。
それはさながら、座禅の如きもの感じます。

しかし、明日からは雨模様らしく、その先触が今宵の空を早くも覆い始め、観月の興も、僅かにある雲の切れ目から覗く程度。
なんとも無粋なことです...(苦笑)

けど、まぁ...
それもまた一興で(笑)
薄雲に隠されても、今宵の月ははっきりと,青白くその存在感を表していて、聞こえてくる虫の音と、微かにそよぐ風の冷たさから、秋の深まりを感じました。
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阿蘭陀花の咲く頃

2007年04月14日 | 春夏秋冬
桜の時季が終わる頃...
次はチューリップが見頃を迎えます(笑)
我が街の印旛沼畔(飯野龍神橋袂)のふるさと広場で今,正に見頃を迎えている!と聞きつけて、ちょい運動がてら,自転車で行ってきました。

家から広場までは自転車で20分ほど。
アップダウンがきつく交通量の多い国道などの一般道は避け、家の在る新興住宅地を北側に在る深緑の中の昔からの集落を抜けて沼畔まで出ると、そこには沼に沿って整備された県道の“自転車専用道路”があります。
その、何処までも続く平坦な道を東へ,目当ての広場へと向かって行きました。

沿道には延々と桜が植わっていて、見頃の時季はまた見事なんです!

この日、都内では夏日を記録するほどの陽気,その中で、風は穏やかで心地よかったので、とても爽快で気持ちよかったですが、それと同じくか...
隣区の裏手を差し掛かった辺りから、多くの人々がこの道を行き交ってしました。
そんな中を軽快に,そして縫うようにして走りついたそこでは前日の金曜日から日曜日までの3日間、見頃の時季に合わせた“チューリップ祭”が開催中!でした。

そこはもう、多くの人々と露店が所狭しと軒を連ねていて、とても賑々しかったです。

ところで、何ゆえ我が街で“チューリップ”かというと...
その“起源”は幕末まで遡ります。
江戸時代,東側(房総)の要衝だった我が街の城には数家の譜代名家が置かれ、そこからは幾人もの城主が幕府首脳に就く,いわば“出世城”でもありました。
その中,混沌とする幕末政局で主席老中を務めていたのが、我が街の御城主様・堀田備中守正睦公です。
ただ...
英才の誉れ高かった名宰相・阿部伊勢守正弘<備後福山城主>と豪腕宰相・井伊掃部頭直弼<近江彦根城主>との間に隠れてちょい地味な感はありますが、実は見山公,現在にまで残る業績の“切欠”を作られた賢君でもあるのです。
見山公は“蘭癖”と称されるほどの洋学(蘭学)に関心を持ってこれを奨励。
順天堂」<順天堂大学の前身>の創設や藩校「成徳書院」<県立佐倉高校の前身>を見、ここからは、新選組とも関わりがある林董<外務大臣>や依田学海,松本良順<帝国陸軍初代軍医総監>、津田仙・梅子<津田塾大学創設者>父子,西村茂樹等々...
多くの人材を以後も輩出している。
このことから、西の長崎と対比して“東の佐倉”と称されるほどに洋学が盛んな“先進的”な街だったのです。

こうした縁を介して、我が街と江戸時代に欧州内で唯一国交を樹立していた“蘭学”の発信地・オランダとの誼が築かれたのです。
その結実がまず,「日蘭交流380年」を迎えた平成元年にこの“チューリップ祭”と、市制40周年を迎えた平成6年にはここふるさと広場に造られたオランダ風車リーフデなのです。


微風を受けてゆったりと回る風車の下には、色取り取りのチューリップと、淡く小さな紫の花を咲かせる蓮華が一面にびっしりと,正に“咲き乱れ”ていました。

初めて間近で見たこれらは、もう見事で圧巻!でした。
しかもここ,100種以上45万本余のチューリップがあるのですが、(確か...)500円を払うとこれを持って帰れるのです。

なので、中には鎌などで掘ってはビニール袋に詰めている人も幾人か居られました...。
また、蓮華は踏み放題!摘み放題!!だったので、皆さんとっても楽しそうにその中で思い思いに過ごしておられました...。


この街にはもう20年近く住んでいて、幾度か遠くから見たことはあったのですが、何度も言うように,間近で見るのはこの日が初めて。
その見事さ,綺麗さにはただただ感嘆するばかり...。
また、地元民として「勿体無いことしなぁ...」とも、思いました。
あとは...
ここふるさと広場近辺では毎夏8月の第一土曜日に、関東屈指の規模を誇る佐倉・印旛沼国際花火大会が催されていたのですが、財政難にて一昨年から中止になっているのです。
これがまた、復活されることを願うばかり・・・です。


なお、折角ここまで小回りの効く自転車でやって来たので、先日地図を見て発見した「飯野観音」()へ詣でて参りました。

そこは、ふるさと広場からは1キロほど北東の小高い丘の上,百八の階段を上った先に祠堂が在ります。
ただ、そこを守る人がいないのか、木々が鬱蒼としてどことなく侘しい雰囲気でした。(けど、眺望はよいです!)


ちなみに...
周辺駐車場は全て満車の様で、止め場の無い車で道路は大渋滞していました。
そのお蔭で・・・か、泥濘の止めていた車がその場から脱出できずに往生していたり、駐車場が何れも満車で在ることに苛立った人が誘導員の噛み付いてみたり、玉突き事故のほか警察のお世話になる人がいたり・・・ともう、大変。
ただ一方で,ここは最寄駅からは遠いので、祭期間中は最寄駅とを結ぶ無料送迎バスがあるのですが、それも満員。
しかも、運行間隔が40分程度と少な過ぎ。。。
これってちょい、問題あるような気が・・・しました。
これらを打開するにはやはり、以前から計画のあった駅を建設すれば、広場までは歩いて5分程度,南側の新興住宅地や病院へのアクセスも良くなる・・・と、ちょい思いました。
けどまぁ、無理でしょうけど(苦笑)。。。
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水面の桜瓣∥目黒川にて...

2007年04月10日 | 春夏秋冬
先日7日(土)のこと。
弥生晦日に離職して以来、次に一手を考える日々にて家に引籠もる事が多かったのですが、時は春,桜の季節!なので、花見と洒落込んできました。
その目当ては2箇所。
1つは外堀(飯田橋)と内堀(北の丸)の桜で、これを夕方から2時間,じっくりと歩いて堪能してきました。

そしてもう一箇所,観に行ってみたのは目黒川です。

ここの桜は何度か、電車中から見たことがあって、是非に一度は観てみたい!と思ってこの日、行ってみました。
・・・けどその前に,結構歩いたのでお腹が空いてきたので、(取り敢えず)目黒まで出、一緒に行った友達オススメの寿司屋へと向かいました。
それは、目黒の駅ビル[アトレ2]の中に在る、超有名な美登利寿司の兄弟店【回る寿司 活】。
新橋のコリドー街にも在るお寿司屋さんなんですが、いつもいつも物凄い行列!が出来ているので、「大丈夫かな...」と思いつつ向かってみると...
案の定,物凄い行列!
それこそ、閉店までに入れるのかが心配になるほどの混雑振りに敢え無く断念。
時刻は19時過ぎ,ならば致し方ないですが、いつも見かける行列に、一度は食べて見たいと思っていたのですが...
それは次の機会・・・にとして、2階で見付けた【霧笛屋】という和風居酒屋に入りました。
ここで通されたのがカウンターで、目の前に生簀の在る席。
名前は知っていましたが、入るのは初めてなのですが...
どうやらこおk,売りは新鮮な海産物の様で、刺身類の品数があり、頂いたそれも美味しかったです。
またここは、通常の刺身とは別に、注文を受けてから捌いて提供される“活”なお刺身もいただけます。
そこで友達は“活いさき”を注文したのですが、生憎この日はなく、その代わりに“活あじ”を注文しました。
すると...
目の前の生簀に突然,網が入ってきたかと思うと、手際よく鯵を一匹取っていきました・・・が、そう!これが数分後,刺身となって我々の前にやってきました。
だからか、鯵の顔はまだピクピクと元気良く動いていました...。
以前,「魚には痛点がない」と聞いたことがあるのですが、う~む・・・ちょい無残で衝撃的な姿でした。が、勿論,成仏の為にキチンと頂きました(合掌...)

その他にも、美味い刺身と銘酒に舌鼓を打ちながら3時間ほど休んでから、この日のメインたる「目黒川の桜」を観に行ってきました。

目黒駅からそこまでは、権之助坂(目黒通り)を下って直ぐ。
昼間からもっと早い時間までは賑わっているのでしょうが、時刻はもう22時過ぎ。
しかも、いつの間にか雨が降ったようで、花見客は橋下で2組だけ,でも、えんらい賑やかでしたけどね。。。
ただ、その他は人通りも疎らでとっても静か,路地に街灯も然程無く暗かったですが、一点,堤燈が仄明るく桜を照らしてくれていました。
また、雨上がりだったので桜もしっとりとしていて、とっても気持ち良く観桜が出来ました。
一方、川面に目を転じて見ると、そこには数多の桜瓣がゆっ・・・たりと流れていました。
初めて間近で観ましたが、盛り過ぎとはいえ,観応え十分な桜でした。
ただ、初めの予定だと、このまま中目黒方面まで歩いて行くつもりだったのですが、遠方より来る私,終電の時間も迫っていたので、権之助坂下の目黒新橋と区民センター(ふれあい橋)との往復,30分程度に止めておきました。

これは神田川の桜ですが、目黒川もきっとこんな感じなんでしょうね...。

ここから目黒駅まで,復路は目黒雅叙園を経由して行人坂を登って行きましたが...
まずは雅叙園,その入口付近は、眩しいくらいに暖色系のライトアップがされていて、それがさながら燃えているかのように見えました。
そして、その脇にある急峻な坂が行人坂です。
車ですらしんどそうな坂だったので、途中で目黒通りへと逸れて登坂することはなかったですが...
江戸時代,この天辺からの眺望が素晴らしくて“名所”として賑わったそうですが、特にこの坂が有名となったのが、今から235年前の明和9年2月に起きた“明和の大火”。
火元の地名を取って“目黒行人坂の大火”とも言われるこの火事は、世に“江戸の3大大火”としても有名で、春先の強風に煽られて火は瞬く間に燃え広がり、死者は1万人強,被災地域は遠く千住まで及んだそうです。
坂の途中には、火元となった天台宗松林山大圓寺が在りますが、ここでは火事で無くなった人々を弔う羅漢石像が安置されているそうです。
(但し、火元であったことに加えて火付罪人を出したが為、嘉永元年までの76年間,再建をすることは許されませんでした。)
ちなみに、何の因果か...
ここには、歌舞伎や浄瑠璃で有名な放火犯「八百屋お七」が弔なわれていたそうです。

車では通ったことがあるのですが、駅を降りて街を歩くのは初めてだった目黒。
マンションが林立し、権之助坂界隈にはよさげなお店が結構在って、ちょい、魅力的な街でもありました。

p.s.
目黒川は、桜の観応えは勿論のこと,それに掛かる堤燈もまた一興です。
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水面の桜辨∥千鳥が淵にて...

2007年04月09日 | 春夏秋冬
3月晦日に離職して以来、日々家で次の一手を模索中なのですが、この間の土曜日は久しぶりに都内へ,千鳥が淵目黒川の桜を観に行ってきました。

千鳥が淵の桜は毎春,大学生の頃から観ていたのですが、今年はその時季に余裕が無く、危うく観損なうところでした。。。
・・・して、その花見の始まりはその日の17時頃。
JR飯田橋駅西口前は牛込橋,千代田城外堀に植わる桜をまず観てから出発しました。
ここより千鳥が淵までは早稲田通りを南に,途中、青森県のアンテナショップに立ち寄って、15分ほど歩いて向かいました。

飯田橋から九段まで,一通の早稲田通りを歩いた先に在るのは靖國神社です。
ここも、桜の時季には露天が出て、花見客で賑々しいのですが、今年はそれも5日(木)までだったようです
それでも桜はまだ楽しめるようで、境内には結構人出がありました。
けど、ここには立ち寄らずに内堀通りの向こう側,まずは目当ての千鳥が淵へ、歩道橋を渡って行きました。

ここからの眺めも、盛りの時季にはよいのですが、もやは散り際だったのでちょっと寂しかったです。。。
また、千鳥が淵の桜も同じく,淡い桜色の花辨の合間からは力強い幹枝と若々しい緑の葉が見えており、ちょい寂しくて興をそがれた気になりましたが、一方,御堀に目を転じてみると、その水面には多くの桜辨が、まるで敷き詰めたかのように浮んでいました。

観桜の為か,幾船ものボートが繰り出していましたが、個々の人間模様が垣間見れて面白かったです(笑)
ちなみに、ボートは30分で800円,60分で1,600円です...。

いつもと同じく,この日もまたスタートは眺めのいい田安門交差点前に立つ大山巌の銅像裏から千鳥が淵緑道へ。
盛りは過ぎたとは言え、まだまだ観応えのある桜と、その視界の先にあったとんがり屋根の洋館に誘われ、初めて緑道の南端まで歩いていきました。
その洋館の正体はイギリス大使館でしたが、せっかく南端までやって来たのに戻るのは勿体無い・・・と、そのまま千鳥が淵の対岸,千代田城北の丸(公園)へと向かって行きました。

いつもは九段下駅から近い、千鳥が淵北端からしか観たことなかったので、新しい地点からの観るそこは、なんだか新鮮でした。
しかも、千鳥が淵交差点から入った代官町通り脇には築堤があり、勿論そこは歩くこと出来るのですが、小高くなっていて眺めがまた良かったです。

幾度か来た事のある千代田城北の丸域,

その南口は皇居乾門前(首都高都心環状線代官町ランプ)。
その側には、モダンな洋館建築の旧近衛師団司令部庁舎を保存利用した東京国立近代美術館工芸館と、
東武天皇(北白川宮能久親王)の勇ましい銅像があります。


千代田城北の丸域はいま、環境省管轄の北の丸公園として整備されていて、先に触れた通り幾度か来た事はありますが、改めて,深緑度に圧倒されました。
園内には池があり、その辺は芝生敷きになっていたので、暫しここで小休止したのですが、周囲の喧騒など何処へやら,東京都心であることを、瞬間でも忘れてしまうほどにと~っても静か。。。
美味しくて新鮮な空気を胸一杯!に吸い込んできました。
ただ惜しむらくは天気,澄み渡る青空にポカポカとした暖かさがあったら、もっと良かっただだろうに...と思いつつ、武道館を前を通過して田安門を潜って出発地の九段下へと、2時間ほど掛けて戻ってきました。


この次,目黒川の桜を観るべく、地下鉄乗り継い目黒へと向かいました

ちなみに、田安門から九段下駅へと向かう途中の桜もまた見事でした。
こちら側から見える桜は、千鳥が淵とは違って人が容易に入れない北の丸側の御堀縁にあるので、より美しく見事に観えました。
更に、この桜に向かって九段会館からスポットライトが当てられて、よりきれいに観られました。
内堀通りよりも、閉館後で人気の無くなった昭和館からの眺めはよかったです。
ただその先,九段会館の駐車場へと抜けるのですが、宴会中の雰囲気が聞こえてきて、ちょい物悲しくなります(笑)

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ギリギリの購買

2007年02月13日 | 春夏秋冬
帰宅途中,乗換え駅に併設されているデパートの前では、“明日の為に”ゴディバモロゾフなどのチョコ屋(洋菓子屋)が軒を連ね、ここぞ!とばかりに商戦を展開。
それはもう大賑わいでした。

普段から、このスペースでは(大体週変わりで)様々な出店が出ているのですが、今日ほど活況に呈していたのを見たのは、随分と久しぶりの様な気がします。

その中で、こうした洋菓子系の出店がある時に大概出ているのが、フレンチの鉄人・坂井宏行の【お店】。
ここの鉄人プリンと鉄人ロールケーキが美味い!ので、出ていれば是非に!!と思い、探そうと試みたのですが...
余りの賑わいで容易には近づけず,結局、見つけることが出来ずに撤退しました(/--;)。

残念無念に思いながら...
明日は何か良いことあるかな?!と、淡い期待を抱きつつ(笑),(再び)家路に着きました。
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いざ酔いの月

2007年01月05日 | 春夏秋冬
これは、前日4日のこと。
厄年に入って以来,毎年正月に参詣している佐野厄除け大師(栃木)へ、今年もまた行ってきました。

昨年までは、隣接する町に住む伯母宅へ,1泊2日で行っていたのですが、今年は日帰りにしたので、朝早く,7時前に家を経ちました。
この日は、世間一般の多くは仕事始めなので、道路の混まない内にと出たのですが、それが功を奏してか,今回もまた、一般道のみですが至って順調。
一度も渋滞らしきものに巻き込まれること無く、何時よりも30分ほど早く,2時間掛からずに行くこと出来ました。

ただ、厄除け大師(春日岡)へ着いたのは10時半過ぎ。
伯母宅にて少し休息の後、この近くに住む親戚宅まで伯母宅の車で向かいました。

御大師様前の道は正月の時季,ホコテンになっているので、沿道両側一杯に屋台が軒を連ね、店舗を構える各店も、これに負けじと参詣客目当てに呼び込みをしていて、平日にも関わらず,相変わらずというべきか、大変に賑々しかったです。
ただ、ちょい値が張るので手は出ませんでした...
じゃがバターにはとても惹かれたのですが...


さて、今回の参詣は厄年を終えた弟の“名代”も兼ねていたのですが、その本人より,今年も引き続いて「御札を頂戴したい」という依頼を受けてきたので、私のも含めて,今年もまた、本堂にてご祈祷を受けるまでの1時間ほど掛けて、有難い御札を頂戴して参りました。

この後、伯母さんが休んでいた親戚宅にてお茶などを頂いてから、昼食を取りに毎度馴染み・・・というか、親戚が営む佐野ラーメンの隠れた名店【弓削食堂】へ行き、いつもの餃子とライス付きの“ラーメンセット”(930円)といか天を食らって来ました。
毎度ながら、大満足の内に伯母宅に帰って来た後,暫し昼寝をしたりア、ウトレットへ行ったり、精米をしたり、晩御飯頂くなどして、家路に着いたのは20時過ぎ。
寒夜の空には、数多煌く星に、一際明るく白く輝く真ん丸いお月様が、青白い光を地に,仄明るく照らしていました。

ここは、住宅街の一角にある自宅とは違って、民家も疎らな田舎。
街灯などの灯りは無く、首都圏よりはきれいな空気が手伝ってか、とてもきれいに輝いて見えました。
復路は、そんな中を運転して行きましたが、その田舎道では、街灯よりも明るく,満遍なくそこを照らしていまいた。
ゆえに、時たま引っかかる信号待ちの折は、“進め”の指示が出る時まで暫し,ヘッドライトを消して、周囲の闇に同化して、思わずこれに見惚れていました。

ただ...
満月は前日3日に迎えていたので、この夜上がった月は“十六夜月”でしたが、それでも,陽暦にては新年最初の満月(みつき)はとてもよかったです。

なお、復路もまた、往路と同じく混む時間帯を回避したお蔭でか、至って順調に,また2時間も掛からずに着きました。
その時にはもう、月は空高く,小さくなるほどに上がっていました。
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謹賀新年:平成19年丁亥

2007年01月01日 | 春夏秋冬
皆々様
新年明けましたね!おめでとうございます。
旧年中は、記主くないならびに「くない鑑」をご贔屓,ご愛顧下さりまして、誠にありがとうございました。
本年もまた、引き続きましてのご贔屓,ご愛顧の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

そして、皆々様にとって本年が「苦無い」,幸多く楽しい,稔りも多き一年でありますように...。

ところで...
皆様には亥年元日,如何お過ごしでしたしょうか?!
私は、旧年に(あまり)良いことが無かったので、元日を機に初詣も兼ねて、新年こそは良き年でありますように!との願いを込めて、(我が街の)御城下町に御座します“七福神”を詣でに行ってきました。

その模様は別にご案内致します。
コメント (8)
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台風に唆されて・・・

2006年10月06日 | 春夏秋冬
この日の関東は、久々の大雨。
それが、風に任せて横殴りに。
雨粒が小さいのならまだしも、本降りゆえ、粒がしっかりとしていて大きく、それが、容赦無く、風に任せて振ってくるので性質が悪い。。。

昼時,食事を取りに職場を出るも、その猛烈な勢いに気圧されて迷走。
その挙句に入ったのは、傘で凌げる進行方向の先にあった、よく行くお鮨屋さん。
ここは、昼時限定数十食の鉄火づけ丼が、420円で食せる美味しい店♪
雨の滴る暖簾をくぐり、やれやれ・・・な思いで食し、満足して外へ目をやるも、風雨は一向に収まる気配無し。
しかも、悲しいことに今度は“追い風”で、体が浮くほどの強い風に、歩速は早まったのですが、それと引き換えに、背後はずぶ濡れでした。
なので、職場についても、スーツが冷たくて座れず...
また、高校の時,雨の日の漂った“懐かしい”臭いもしてきました...

そんなんで...
その後も、風雨は収まるどころか更に激しくなってきて、帰る頃も、傘へ受ける風圧と、足へ攻めてくる雨に必死に絶えながら、駅へと向かいました。
この状況には、ただ笑うしか無かったです。

しかし、憂慮すべきはこれから。
東西線から津田沼まで、朝夕は直通運転をしています。
その、この日最後の電車に乗るには、飯田橋駅には、乗換え時間を考慮してもギリギリの時間。
ダッシュダッシュで降り立った東西線ホームには、ちょうどその時刻に電車がホームに入って着たので、「間に合った!」と思って乗り込み、空いていた席に座ってウトウトとしていたら・・・乗ったのは、一本前,葛西駅で通過待ちをする各駅停車だったのです。
折角座れたのに・・・と思いつつ、乗換えを考えて、後続の快速津田沼行きに乗り換えるべく、東陽町で下車し、朝のラッシュと変わらないその電車に乗り込みました。が!突然です。
行き先が変更となり、西船橋止まりとなってしまったのです。
それは、地上部付近が強風で減速運転となり、ダイヤが乱れて乗り入れが出来なくなったがゆえなのです。.
まぁ、東西線なら、これは毎度のこと。
ダイヤが乱れていたので、幾許か覚悟はしていたのですが...
多少の無念さを含め、乗り継いでさて,京成に乗ろうと思ったら、こっちダイヤ乱れか、駅の(電光)行き先表示板が“調整中”。
とりあえず、到着した各駅停車に乗って見ると、何でも、架線障害とか。
全く、迷惑な話だ・・・と思いつつ、的確な判断で最寄り駅に着き、家路へと着きました。
そして、帰ってからこの原因を知りたくて、珍しく千葉テレビのニュースを見たら、なんと,市内の踏切でクレーン車が架線を切断したの原因だったようです。
しかも、この現場,知ってます。

ちなみに。
その途中,電車から見えた川は、今までに見た事の無い物凄い量で、堤防すれすれまで水嵩が増していました。

雨は結構好きなんですけどね...。

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終夏秋到

2006年09月03日 | 春夏秋冬
日中は、湿気が多いのか薄らと靄が掛かっていて、陽射しも強くてとても暑かった!のですが...
夜になると一転,空は澄み、半身の月と星の煌きがよく見え、涼やかで心地好い風が吹き、とても過ごし易く快適でした。
また、湯船に浸かっている時には、外から秋虫の大合奏がまた、風情良く聞こえてきて、思わず聞き入っては長湯をしてしまいました。
けど、もう、長湯をしても鬱陶しくなく、返って気持ちがいい季節にもなった・・・と、上がった後にまた実感しました。

けど、先日の夜更け頃は、窓をホンの少し開けていたとはいえ、タオルケット1枚では肌寒くて起きてしまう...くらいまで、もう、気温が下がってきたようです。

家の近所の田圃はもう、一面黄金色になっていて、稲刈りも始まっていました。
美味い新米が食える!楽しみと嬉しさ,期待感がある反面、暑苦しかった夏が終わるのか・・・と思うと、ちと、悲しいですね。

遣り残したこと、振り返れば結構ありそうですし...(苦笑)

ついしん。
これよりは季節の変わり目。
寒暖の差が激しくなると、体調を崩し易くなりますので、ご油断召されずご自愛を(_ _)
コメント (4)
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