武田じゅうめい 旅人は風に向かって進む

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人にはニッポンが足りない

世田谷一家惨殺事件 (下巻)

2013年12月30日 | 事件

世田谷一家惨殺事件、犯人に迫る (下巻)

昨日の続き

 

2階の階段から1階へ転落した(みきお)は、重傷を負いながらも必死に立ち上がり、階段を再び上り始めた。それに気づいた韓も迎え討つように階段を降り、その途中で揉み合いになった。しかし、(みきお)に立ち向かう余力は残されていなかった。

揉み合いの最中、(みきお)の指はナイフで切り落とされ、絶望の淵に追い込まれたが、次の瞬間、韓の鋭利なナイフは、(みきお)の胸と腹の境目を深く突き刺し、最期のとどめを刺した。そして、(みきお)は崩れるように階段を滑り落ちて行った。
さらに韓は死亡した(みきお)を、執拗にナイフで刺したことが死体解剖の結果、判明している。
犯人グループの襲撃目的は、金塊12.5Kgを3本奪うことだった。宮沢家にインゴットが隠されているという情報をつかんでいたのだ。当時の金額で約3千7百万円。
韓は一家4人を殺害してから、外の繁みに潜んでいた仲間の中国人2人を中に引き入れた。その後、3人は宮沢家の1階から3階までしらみ潰しに金塊を探したが、結果的に発見できなかった。代わりに財布と棚の中から20万円の現金を奪った。

次に韓は、(みきお)のパソコンを使って、インターネットを始めたのだ。
ネットの訪問先は、埼玉県内のとある研究所、宮崎県内の化学工場、祖師谷留学生会館、そして劇団四季のホームページ(劇団四季には多数の韓国人が所属)、それからメールを一通、ある所へ送った。メールの内容は、金塊がなかったことに対するクレーム、そして勝ち誇ったような事件の報告。そのメールは送信後に消去された。今から13年前の2000年という時代、警察はインターネットに関する知識は全く無かった。知識と経験がない分、ベテラン捜査員の関心外であった。このことは重大な犯人の手掛かりを初動捜査で見逃していたことになる。なぜならクリミナルグループは、ネット上で情報交換と連絡を行なっていたのだ。2013年の今は普通のことだが、2000年当時はネットの初期であったという背景がある。しかしネットの足跡以外に犯人の残留品は数多くあったのだ。指紋、血液、排泄物、汗の油脂、靴跡、衣服、バッグなど多数残留しており、犯人検挙は時間の問題だという油断があったといわれる。


さて主犯の韓、当初3人で襲撃する計画を立てていたが、中国人2人が怖気づいたことを察知し、一人で襲撃をすることに急遽、計画を変更したという。そして宮沢家の親子4人は、アーミーナイフと関孫六の柳刃包丁(銀寿)で何度もメッタ刺しにされ、6歳の息子は鼻から血を大量に噴き出すほどに圧迫絞殺された。しかも宮沢夫妻は死んだ後も、何度も執拗に刺されたことが分かっている。韓はハンカチ大の布の真ん中に穴を開け、そこに包丁の柄を入れ滑らないように固定した。それは訓練されたレンジャーの手口だ。布の色は黒。そして襲撃時には、同じ黒い布で顔を覆っていた。

そして、それらの黒い布は現場に残されていた。
韓は犯行後、中国人2人を家の中に引き入れ、冷蔵庫にあったバニラアイスとメロンを食べ、ペットボトルのお茶を飲み、翌朝の午前10時頃まで宮沢家に潜んでいた。

さて大晦日の朝になった。隣に住む母親が不審に思い、宮沢家の玄関を開けた瞬間、目に飛び込んで来たものは、散乱した書類の山、そしてその中から異様に白い、(みきお)の素足が突き出ていたという。

犯人たちは、多くの残留品、血痕、指紋、排泄物をそのままにして姿を消した。

それは犯人達が捕捉されない自信を持ち、同時に犯行を誇示する傲慢さの表れではなかったか。邪悪な蛇のような冷酷さと訓練された技能を持つテロリストの犯人像が浮かび上がってくる。

フランス香水ドラッカーノアールをつけていた韓国人。

 

★追記。
みきおさんの父・良行さんは昨年、84歳で亡くなった。
残された母・節子さん(82)は訴える、「息子夫婦と孫達はとても良い家族だった。これが一瞬にして壊されてしまった。うまく言葉にできないほど悔しいし、悲しい」。
そして 「人を殺した事件に時効なんかない」 と訴えた。
この事件の公訴時効は、法改正前であった為、2015年になる。しかし時効延長の遡及効果を認めるのが政治の仕事ではないのか。
殺人事件に時効などありえない。
なお、この事件に関する情報提供者には警察庁から1000万円の褒賞金が出ます。


事件から13年が過ぎようとしている。日本の警察は何をやっているのか。
動かぬ物的証拠として事件現場、大阪のアパート、韓国ソウルの団地のそれぞれの場所に、犯人である韓の指紋が発見され、すべてが一致した。だとすると、桜田門は既に犯人のプロファイリングは終了しているということだ。それにも関わらず、国際指名手配のアクションを起こさない理由とは何か。
そういう中にあって当時、共同通信が短い記事を発信した、事件から3年になろうとする2003年8月24日、日本の警視総監である石川重明が、韓国ソウルへ出張した。国際組織犯罪対策について、韓国警察のトップと会談を持ったという。警視庁のトップが業務で外国を訪問するというのは前代未聞だという。気になるのは、その会談の本当の中身は何だったのか。警視総監が韓国まで訪問し、トップ会談を持つ必要があったのか。

しかし仮に、世田谷事件の核心部についての秘密の交渉であったとしたら、頂上会談の意味はあったかも知れない。なぜなら血の惨劇の犯人が韓国人だとすれば、センセーショナルな国際問題になり政治問題にもなる。もし韓国側が、それを封殺しようとしたならば、桜田門を飛び越えて誰を使うのが最も効果的なのか。コリアコネクション。桜田門に睨みが利き、霞ヶ関に話を通し、闇の向こうに葬る力を持つコリアコネクション。表の顔には日韓議員連盟というコリアコネクションがある。あるいは歴史の裏面には、日韓の闇に深く関わったフィクサーと大物政治家は存在する。

さて当時、私は祖師谷の宮沢家の前に立った。おぞましい事件のあった悲劇の家、誰も住んでいない。(現在、取り壊されたという)
陽は照っていたが北風が冷たかった。人が住まぬ家の寂寥、耳を澄まし目を閉じると木枯らしの音さえ、泣いているようだった。  


(完)

(じゅうめい、鋭く斬る)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする