武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

オーストラリアは今、夏です

2006年12月31日 | 世界の旅
何を召し上がる?
アデレードにいる知人のオーストラリア人から招待された地元のクラシックなレストランでのことであった。ここはカンガルーのステーキが有名ですよと教えられ、それは素敵とは言わなかったが、お勧めに従ってカンガルー素敵じゃなくて、ミデイアムステーキを注文することにした。当のご夫妻は二人そろってシーフードを頼んだので、少し不安になったが、レストランの豪華な調度品に目を移した。
話も盛り上がり、ちょうどよい時間にステーキも来て、見た目はおいしそうなステーキである。
さてナイフを入れ赤みがかった肉汁ごと口に入れた。次の瞬間、噛まずに飲み込んだ。
ラムとかマトンが好きな私だが、これは癖が強いというより獣の味とはこのことをいうのだろうか。お腹が空いていたのだが半分しか食べることができなかった。
教訓。変わったものを食べるときは地元の人が注文してから頼むこと。

そこで面白いことを聞いた。オーストラリアの動物園にはカンガルーがたくさんいるのだが、人の好き嫌いがあるらしい。それだけ知能が発達している。病気とか怪我をしたカンガルーは飼育員によって治療されるのだが、タイプでない飼育員が来ると、体を触らせようとしないという。
ところが好みの飼育員が来ると、しおらしく大人しくされるがままになるという。これはメスに顕著らしい。目をウインクしながら私に教えてくれた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

司馬遼太郎氏の思い出

2006年12月30日 | 人生の意味
かつて、有楽町読売ホールで司馬遼太郎さんの講演があった。 夏の終わりであったと記憶するが、司馬さんと同じ空間でお話を聞かせて頂く栄誉に浴した。

そのお話の中で、司馬さんは 「昔は、侍の時代には、友情という概念がなかったんですよ、そういう概念が出来始めたのは、割と新しいんですね」 と、軽妙な語り口で話しされたのは少しばかり驚いた。 
それまでの男同士の関係は、縦系列か、同輩という制度の仕組みに組み込まれていて、個の観点からの行動規範というより、家あるいは共同体の価値基準が行動の動機付けになっており個性が欠落していた。 それが士農工商という階級社会を形成し社会の秩序を保っていた。たかだか150年前まで士農工商という身分社会があったなどと言うと、今の若い人達は、シノウコウショウってパンク系? それともラップ?
なんて聞いてくるかもしれない。そういう社会規範とか伝統的秩序が、やがては太平洋戦争へと統帥権の下に日本が突き進んでいった礎になったのではないかと御自身の戦争体験を交えてお話をされた。

友情は個の確立から生まれる。
共同体幻想を基にする階級社会である今の共産主義社会は支配する者と従属する者の二元構造になるから本当の友情は存在しない。 そこにあるのは統制であり、それが進行すれば圧政になる。能力が高ければ支配層に入れるが、それは0.1%の狭き門である。普通の人々、あるいは鍬を持って畑を耕す人々は、共産主義の搾取構造に組み入れられていく。その権力構造を守るために官僚統制ヒエラルキーを固守し、密告奨励社会になり、秘密警察による締め付けになっていく。 特に戦後共産主義を標榜した世界史を見ると、中国、ソビエト、東ドイツは同じ色模様で編まれていった。北朝鮮は共産帝国金王朝と定義する方が正しいかも知れない。旧東欧共産圏は、西側社会の自由主義、そして豊富な物質社会の前にあえなく瓦解した。
中国は1998年に、政治体制は共産官僚主義のまま、経済は官僚統制資本主義に突入した。朝鮮は生きた古代ザウルスを見ているようで歴史の博物館として面白い。

司馬さんは最後の締めくくりにこう言われた。 「江戸時代の士農工商という身分社会は、ある意味バランスが取れていたんですね。侍は治世家、行政官、道徳家として町民から尊敬されていたが金は無かった、商人は金はあっても尊敬は受けなかった、町民農民はその狭間で独特の町民文化を育みながら生計を立てていた、日本の歴史というのは、江戸時代から始まったように思えるんですがね」
それから間もなくして司馬遼太郎氏は、銀髪を揺らせた笑顔を残されて逝ってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

財務省の利権

2006年12月29日 | 人間の欲望
宮崎、和歌山、岐阜県の不正知事がぶっ飛びそうなことが、今、財務省で画策されているそうな。
もっとも、今まで、それらのことが行われていたから、小泉さんと竹中さんは改革しようとしたのだが。
「そこまでして利権を確保したいのか」。自民党幹部議員を訪ね、財務省の官僚が説得に走りまわっているそうな。8行をひとつにまとめる政府系金融機関をめぐっては、財務省はJBICを事実上、単独で存続させようとしている。
JBICって何?
国民には知らされていない日本のメガバンクである。
海外では有名だが、日本では誰も知らない。 クレジットのJBCではない。
ホームページがあるから詳しくはそちらでどうぞ。
英文名称はJapan bank for international cooperation。 何と日本銀行? 
これ財務省が支配する財務省の日本銀行です。
勝手に莫大な債権を発行し、莫大な借金ができる。そのつけはすべて国民の税金に回される。
財務省保証であるから、借金し放題である。大銀行、投資ファンドは喜んでいくらでも貸す。
こんな物はいらない。
国会で審議して、そこで決定したものを使えばいい。これ小学生でも分かる理屈です。「政府系金融機関は一つでいい」。昨年11月、小泉前首相と竹中さんが主導した政府の経済財政諮問会議は、8行の政府系金融機関を一つに統合する方針を打ち出した。しかし、霞が関の各省庁は、既存政府金融機関の存続を求め水面下で激しく抵抗。財務省は、統合新機関とは別に、JBICの独立を画策して、債券発行など資金調達を単独で可能にする一文を盛り込んだ。
財務省がJBICに固執する理由は、天下り先の確保と同時に利権の確保が最大の狙いである。 官僚幹部のJBICへの天下りは、経産省8人、農水省3人に対し、財務省は18人と群を抜く。海外に資金を提供するJBICの首脳は、国賓待遇で迎えられるという。国会の承認なしで、官僚のはんこ一つで巨額の金が動き、現金がキックバックされる仕掛けになっている。6年務めた副総裁で3千万円の退職金を受け取るなんていうのは、可愛いほうで、その裏には巨額の現金が動く。
財務省の幹部は「先祖伝来の土地や墓を失っては、ご先祖様に申し訳ない気持ちだ」と、意味不明の言質を吐いているそうな。
安倍さん、出番ですよ。 主役が出ないドラマはお客さんからブーイングが出てきます。 「いつまで待たせりゃ気が済むの、早く出て来い看板スター」 デデンデン         
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欲望という名の政治家

2006年12月28日 | 人間の欲望
☆津島派、佐田玄一郎大臣(54)が、追いつめられて辞職した。 
また一人、政治生命が絶たれた。
これは政治資金規正法違反であるが、同じ違反で辞職せざるをえなかった加藤紘一氏より悪質である。
加藤氏の場合は、東京青山の高級マンション(月家賃100万円)を、自宅兼事務所に使っていたが、それに政治献金を当てていた。しかし、結果的に、事務所としては認められず、検察に逮捕されそうになった。
加藤氏は逮捕を免れるため、議員を辞職した。
これは、裏側での司法取引であった。目的は、加藤潰しである。

佐田大臣のケースは、架空の事務所経費など計7800万円を虚偽記載していたというカネカネの問題であるが、実態は、佐田氏の実父が経営していた佐田建設、協力会社が代表、公設第1秘書が事務担当、そして愛人女性が金庫番をしていた。
いわゆるズブズブの酒池肉林の世界だ。 分かりやすく言えば、政治献金と政党助成金の公金を横領していた公金横領罪と言ってよい。これでは泥棒と政治家は3日やったらやめられないか。

☆ 石原慎太郎知事(74)が、都のトーキョーワンダーサイト(TWS)の館長である今村有策氏(47)との食事の際、都の交際費から飲食費を支払っていた。
この食事というのは、一例を上げれば、銀座の超高級料亭である吉兆、
きれいどころの芸者を呼んで3名(石原、今村、秘書)で計275,000円だったそうな。 
これ国民の税金です。
石原知事や秘書は、都参与の今村氏と計6回の食事を行い、知事交際費から支出されたという。
今村氏は東京都の公務員であり、都が定めた交際費支出基準によると、公務員同士の食事会への支出は認められていない。
思うに、交際費から払うことは、大目にみてもいい。要は程度問題である。
居酒屋に行けとは言わないが、知事クラスなら一人2万円だったら、芸者が出る料亭ではないが、高級料理屋である。それで充分ではなかろうか。
今村氏は、石原知事の四男で画家の延啓(のぶひろ)氏の友人。今村氏の妻はTWSの副館長で、石原知事の長男、伸晃幹事長代理(49)の子息の私塾教師を務めていた。 これもズブズブの関係である。
石原知事は現在、週3日は「終日庁外」とされる。公表されない行動が多い。
つまり、家でお昼寝である。74歳だからそれも当然である。
海外出張も、公表されない行動が多いという。
来年4月の都知事選には、若くて都民の為に汗をかく人が望ましい。
石原さん、馬齢74を数えて老醜をさらすか。 デデンデン





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バンコック旅情

2006年12月27日 | 世界の旅
タイは微笑の国と言われる。 
ある種の人間にとって、国籍に関係なく、はまってしまうところがある。 はまった人間は何年も住むことになり、やがては転がるようにして自分の国へ帰る。
なぜそうなるかは、分かるようで分からない。 説明、理由付けはいくらでもできるが最後は自らタイを訪れタイの匂いを嗅ぎ、食べて、アルーン(お寺)に行き、熱い陽射しを逃れ、木々の葉っぱから川を眺めることによって、生きる弱さと強さを感じることができるかも知れない。

タイの人々にとって、川は生活そのものである。いつもひどく濁った川は透き通ることはない。
毎日のシャワーが赤い土を川に溶かす。 川は水洗トイレであり、洗濯場であり、子供達の最高の遊び場である。夕陽が沈む頃には、路地に野菜炒めの匂いが立ち込める。屋台のお店には手際よく料理を作る、人なつこい真っ黒に日焼けしたおばちゃん達が腕を競う。味はどれも絶品といってよい。食事ができる幸せとはこのようなことだろうか。 一品の野菜炒めとタイ米のご飯が合う。スプーンを使う。粗末な屋台テーブルに座りながら、行き交う人たちを眺める。自分が風景に溶け込んでいく。水も無い、スープも付いてない。だけど食べ物がおいしく喉を過ぎていく。やがて涼しい風がそよぎ始め、闇が帳をおろす。

ワットアルーン(暁の寺)から王宮を見つめる。 
濃厚な空気。 三島由紀夫が<豊穣の海>四部作の舞台にしたところである。 
急な階段を昇る。少し油断をすると転げ落ち大怪我をするような階段が四方についている。色ガラスのモザイクで装飾した石の列塔から下界を見下ろすと時間は悠久に伸びているように思えてくる。 三島が信じた輪廻転生はここに開花する。
そして聞こえてくるのは長く余韻を放つタイの風鈴に違いない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする