RICOH GX100
北海道の多くの開拓は政治犯や大陸から連れてこられた囚人によるものが多いと言われています。
この土地にあった樺戸集治監の囚人も明治維新後佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争などで捕まった人たちらしいです。
水田が広がるこの土地も当時は狼や羆の高密度地。それに加えくねくねした原始の石狩川が広がる場所。逃亡は不可能だったでしょう。
ほとんどが道外出身者だったのでしょうが、未だに遺族に引き渡されず北の土に1022人が眠っているとの事です。
子供の頃から北海道の開拓は歴史の授業でよく聞いていましたが、犠牲者が眠る墓地が、普段よく走る道路の横にあったということを全然知りませんでした。
情けないことです。
遺族の方たちも、これだけの歳月がたってしまっていると、わからないでしょう。
こちらに眠る皆様に、まずは、「お疲れ様」と言いたいです。
負の語りとして、残っているのですね。
墓標が単純で、もう手がかりもないのでしょうね。
知らないブログに来てしまったかと
多分Takeさんの生まれる前、その資料館に行きました
「月型刑務所」となっていた気がします
帰省途中 2度程立ち寄ってます
三日月湖が多く残ってる程の蛇行だったんですね
何かの小説やドラマの舞台でも有ったような・・・
入館者がいなかったせいか、とにかく全身にもやっとした圧迫感があって怖かったです
が、このような墓標は知りませんでした・・・
殆ど政治犯なんですね お武家さん今よりもっと極寒の中さぞかしお辛かったでしょう~
それぞれの「乱」忘れかけてます、調べてみたくなりました・・・
TAKEさんも初めてだったんですか・・・
開拓の時代は相当な困難が伴ったそうですがここに眠っている人たちもその開拓に携わった人たちですね。
普段からよく通る道にあった墓地 TAKEさんも歴史を見つめる一人としてここを知ったのは偶然だったのでしょうか・・・・
小さなお墓が、整然と並んでいるの。
たぶん、囚人墓地なんだろうな~と
思いながら 通っていました。
囚人さんが
梅干の種で作った数珠のようなものが、
樺戸監獄のガラスケースの中に展示されていて 忘れられないです・・。
つい最近まで人のいない土地でしたから彼らが最初の犠牲者なのかもしれませんね。
tetuさん
一般人を使うより数十分の一の額で働かされていたようです。まともな労働環境ではなかったでしょうね。
100wさん
この辺りいらしたことあるんですね。
月形刑務所は網走以上に厳しい監獄だったようですね。
とんちゃん
一般の墓地もあるので何気なく走っていましたが、こんない大勢の方々が眠っているとはしりませんでした。ホント勉強不足です。
green-teaさん
そうです。275沿いです(左ですけど)
助手席ではなく運転していると意外と気がつかないものなんですね。