昨日 高崎市の教育委員会の教育委員さんとの懇談会がありました。
教育委員は、委員長と委員長職務代行者と2名の委員それと教育長の計5名で構成されている組織でその範疇は多岐にわたっていている状態で広く・大きくなった高崎市の中では相当の激務が想像されます。
(ちなみに出席された課長さんがその範疇だと思いますが・・・・庶務課、学校教育課、教職員管理室、健康教育課、社会教育課、青少年課です。)
上記の通り教育長(教育委員の一人になると法で決められている)そして教育部長も出席されて市P連との懇談会の重みが伝わってきました。
市P連サイドは、正副会長を中心に(10名)対応させていただきました。
さて、実際の懇談会ですが・・・
冒頭に過日の中越沖地震に関連して臨海学校中止にまでの経緯について質問をさせていただきその説明を受けました。
解散後現地視察の写真を見せて頂きましたが・・・・校庭、建物内(備品や天井)受水槽(これにより断水が発生)、そして道路陥没・・・写真では生々しい状態でした。
さらに、地元住民40名近くの方が避難場所として利用している状態、ただし断水によりWC、洗面所、風呂は使用不能との事でした・・・
地震後の対応について日を追っての説明を受ける中で感じたことは・・
現場(対応する側)の時間の流れと情報を欲する側の時間の流れ・・・体感的なものはかなりの差異があるのではないかということでした。
特に今回は、週末から臨海学校という子どもにとっては一生に1回の機会が控えていた中でその保護者の情報に対する欲求度は非常に高まっていたのが事実であり・・・・・
ちょっとしたことでもいろんな主観?感覚?あるいは想像?が付いた情報・・・ここでは風評が飛び交っていたのが現実であり、その欲求を充足する“本当の情報”を発信することは容易ではないと思いますが・・・
課題として有事の際の流す情報(配信?)、また求める人が求めに行く情報(掲示?)をHP等を活用した中で今後はより慎重にかつ迅速にと矛盾する動きが求められてくるのだと思い・・・・改めて質問・確認させていただきました。
配信の件については、今後携帯メール等を利用したシステムの構築も一つの対応策として検討課題ということであり、今後の対応を待ちたい所でした。
ただ、そのシステム自体の構築後は、“生きた情報”を誰が?どう?何を?配信していくのかがポイントになってくる所だと思います。
それと同時にその携帯なりを使う“使い手”としての部分の件もいわゆるメディアに関わる話としてその関わり方をどう考えていくのかについても課題として残りました。
話し変わって・・・
現状の問題点?を話をしている中で・・・
私たちは、小中養護学校のPTA連合会のメンバーではあるが・・・そのPTA・・・
特に保護者という範疇の部分での“親”としての自覚や行動・・・・
その親の姿を映し出す・・・“子ども”たちの言動や行動・・・・・
時代の変化ということだけでは片付けることができない“変容”がある・・・
モンスターペアレントと称される理不尽なクレーマーと化している部分も・・・
途中の議論は省きますが・・
結論・・・
子どもを生んだ当時の・・“親”・・・
夢と希望にあふれて・・・
その“子ども”たち・・・
まさに宝物であり・・そこから始まる・・
その時から・・・
家庭での・・・
地域での・・・
子育てが始まるのであり・・
基本的な生活習慣を身につけ・・・・
“親”も“子ども”も共育の中で・・成長して
そして学校を学びの場とすること・・・
それが大切・・・
それが原点・・・
いまから、これからはそれの実践ができるようにすることが大切。
今昨日の掲示板の言葉を思い出しました。
Never too early Never too late
決して早すぎることはない 決して遅すぎることはない
私たち市P連は、今気づいたこのときから改めて行動する。
過去に戻ることはできないけれど・・・今から行動する・・・
市P連会長として昨日の教育委員さんとの懇談会を通して思い、感じたこと、
そして決意を述べさせていただきました。
(随分・・・大げさになってしまいましたね・・・・・(笑))
教育委員は、委員長と委員長職務代行者と2名の委員それと教育長の計5名で構成されている組織でその範疇は多岐にわたっていている状態で広く・大きくなった高崎市の中では相当の激務が想像されます。
(ちなみに出席された課長さんがその範疇だと思いますが・・・・庶務課、学校教育課、教職員管理室、健康教育課、社会教育課、青少年課です。)
上記の通り教育長(教育委員の一人になると法で決められている)そして教育部長も出席されて市P連との懇談会の重みが伝わってきました。
市P連サイドは、正副会長を中心に(10名)対応させていただきました。
さて、実際の懇談会ですが・・・
冒頭に過日の中越沖地震に関連して臨海学校中止にまでの経緯について質問をさせていただきその説明を受けました。
解散後現地視察の写真を見せて頂きましたが・・・・校庭、建物内(備品や天井)受水槽(これにより断水が発生)、そして道路陥没・・・写真では生々しい状態でした。
さらに、地元住民40名近くの方が避難場所として利用している状態、ただし断水によりWC、洗面所、風呂は使用不能との事でした・・・
地震後の対応について日を追っての説明を受ける中で感じたことは・・
現場(対応する側)の時間の流れと情報を欲する側の時間の流れ・・・体感的なものはかなりの差異があるのではないかということでした。
特に今回は、週末から臨海学校という子どもにとっては一生に1回の機会が控えていた中でその保護者の情報に対する欲求度は非常に高まっていたのが事実であり・・・・・
ちょっとしたことでもいろんな主観?感覚?あるいは想像?が付いた情報・・・ここでは風評が飛び交っていたのが現実であり、その欲求を充足する“本当の情報”を発信することは容易ではないと思いますが・・・
課題として有事の際の流す情報(配信?)、また求める人が求めに行く情報(掲示?)をHP等を活用した中で今後はより慎重にかつ迅速にと矛盾する動きが求められてくるのだと思い・・・・改めて質問・確認させていただきました。
配信の件については、今後携帯メール等を利用したシステムの構築も一つの対応策として検討課題ということであり、今後の対応を待ちたい所でした。
ただ、そのシステム自体の構築後は、“生きた情報”を誰が?どう?何を?配信していくのかがポイントになってくる所だと思います。
それと同時にその携帯なりを使う“使い手”としての部分の件もいわゆるメディアに関わる話としてその関わり方をどう考えていくのかについても課題として残りました。
話し変わって・・・
現状の問題点?を話をしている中で・・・
私たちは、小中養護学校のPTA連合会のメンバーではあるが・・・そのPTA・・・
特に保護者という範疇の部分での“親”としての自覚や行動・・・・
その親の姿を映し出す・・・“子ども”たちの言動や行動・・・・・
時代の変化ということだけでは片付けることができない“変容”がある・・・
モンスターペアレントと称される理不尽なクレーマーと化している部分も・・・
途中の議論は省きますが・・
結論・・・
子どもを生んだ当時の・・“親”・・・
夢と希望にあふれて・・・
その“子ども”たち・・・
まさに宝物であり・・そこから始まる・・
その時から・・・
家庭での・・・
地域での・・・
子育てが始まるのであり・・
基本的な生活習慣を身につけ・・・・
“親”も“子ども”も共育の中で・・成長して
そして学校を学びの場とすること・・・
それが大切・・・
それが原点・・・
いまから、これからはそれの実践ができるようにすることが大切。
今昨日の掲示板の言葉を思い出しました。
Never too early Never too late
決して早すぎることはない 決して遅すぎることはない
私たち市P連は、今気づいたこのときから改めて行動する。
過去に戻ることはできないけれど・・・今から行動する・・・
市P連会長として昨日の教育委員さんとの懇談会を通して思い、感じたこと、
そして決意を述べさせていただきました。
(随分・・・大げさになってしまいましたね・・・・・(笑))
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