仙台・丘陵部―被災宅地は今(下)地滑り再び(仙台市太白区緑ケ丘地区)/永住か移転か 悩む
(河北新報2011年11月02日水曜日記事より引用)
※緑ケ丘地区では、壊れた住宅の解体作業がそこかしこで行われている
<「もう住めない」>
「ここにはもう住めない」。仙台市太白区緑ケ丘4丁目に1971年から暮らす我妻留雄さん(78)は、陥没や亀裂が至る所にできた自宅の敷地に立ち尽くした。
78年の宮城県沖地震で緑ケ丘地区は大規模な地滑りが発生し、200戸以上が被災した。我妻さんは傾いた自宅の土台にコンクリートを流し込む補強工事を2回施した。だが、今回の震災で、安全になったと思っていた宅地は、家を乗せて再びずり落ちた。
団地が造成されたのは、防災基準を定めた宅地造成等規制法の制定前。傾斜の急な山が削られ、深い沢は盛り土で埋め立てて分譲された。
住民らは「宮城県沖地震対策緑ケ丘地区罹災(りさい)者会」を結成。副代表世話人だった我妻さんらは開発業者や県、市などに対応を求めた。
特に被災程度が激しく、20戸以上が集団移転を余儀なくされた1、3丁目は県などによる地滑り防止対策工事が行われた。
<さまざまな考え>
4丁目も51戸が被災したが、当時の市宅地保全審議会は「表層地滑りに伴う亀裂に起因するが、旧地形の勾配も緩く、二次災害の危険性は極めて少ない」と結論づけた。大規模な対策工事は行われず、高い地下水位を下げる排水路が設けられただけだった。
「しっかりと補強していれば、今回の被害は防げたのではないか。抜本的な対策を取らなかった行政にも責任がある」。市内の被災者らでつくる「宅地被害ネットワーク」代表の宮野賢一さん(74)は憤りを隠さない。
市は「1、3丁目と4丁目では地形や被害の大きさに違いがあり、4丁目は当時、宮城県沖地震レベルなら耐えうると判断された」と説明する。
今後の住まいに対する住民の考え方はさまざまだ。約160世帯が参加する「緑ケ丘4丁目被災者会」が9月にまとめたアンケート結果によると、回答した92世帯のうち現在地に住み続けることを希望したのは56世帯。31世帯は離れる意向を示した。集団移転への賛否はほぼ同数だった。
<新たな支援策を>
市は4丁目地区に避難勧告を出しているが、約30世帯が自宅に残る。町内会長の高橋勝四郎さん(70)もその一人だ。
「住み続けられるのか、もう住めないのかをはっきりしてほしい。それが決まらないと次に進めない」と、傾いた家にとどまる。
震災前に約200世帯あった町内会は約160世帯に減った。約20戸が解体され、近く10戸前後が取り壊されるという。
高橋さんは「今回被害に遭った住民の多くは2度目の被災。現地再建を諦めて移転する人もおり、その跡地が危険宅地として放置されてしまう」と更地が目立ち始めた町内を気に掛ける。
建物が撤去されると、水が地盤に染み込みやすくなり、地滑りを誘発する危険性もある。
「現行制度で対応できないのなら、新たな公的支援策を設けてほしい」。高橋さんらの訴えに、行政の答えはまだない。
<メモ>緑ケ丘地区は1960~65年にかけて民間業者が造成した。緑ケ丘4丁目の被災宅地は117カ所。仙台市宅地保全審議会技術専門委員会がまとめた復旧策によると、軟弱地盤の原因だった地下水を集水井戸などを用いて排水した上で、固い基盤面までくいを打ったり、擁壁を築いたりして地滑りを防ぐ。委員の中には「対策工法を採用しても宅地としての適切性を保証することにはならない」として、集団移転を促す意見もある。
(河北新報2011年11月02日水曜日記事より引用)
※緑ケ丘地区では、壊れた住宅の解体作業がそこかしこで行われている
<「もう住めない」>
「ここにはもう住めない」。仙台市太白区緑ケ丘4丁目に1971年から暮らす我妻留雄さん(78)は、陥没や亀裂が至る所にできた自宅の敷地に立ち尽くした。
78年の宮城県沖地震で緑ケ丘地区は大規模な地滑りが発生し、200戸以上が被災した。我妻さんは傾いた自宅の土台にコンクリートを流し込む補強工事を2回施した。だが、今回の震災で、安全になったと思っていた宅地は、家を乗せて再びずり落ちた。
団地が造成されたのは、防災基準を定めた宅地造成等規制法の制定前。傾斜の急な山が削られ、深い沢は盛り土で埋め立てて分譲された。
住民らは「宮城県沖地震対策緑ケ丘地区罹災(りさい)者会」を結成。副代表世話人だった我妻さんらは開発業者や県、市などに対応を求めた。
特に被災程度が激しく、20戸以上が集団移転を余儀なくされた1、3丁目は県などによる地滑り防止対策工事が行われた。
<さまざまな考え>
4丁目も51戸が被災したが、当時の市宅地保全審議会は「表層地滑りに伴う亀裂に起因するが、旧地形の勾配も緩く、二次災害の危険性は極めて少ない」と結論づけた。大規模な対策工事は行われず、高い地下水位を下げる排水路が設けられただけだった。
「しっかりと補強していれば、今回の被害は防げたのではないか。抜本的な対策を取らなかった行政にも責任がある」。市内の被災者らでつくる「宅地被害ネットワーク」代表の宮野賢一さん(74)は憤りを隠さない。
市は「1、3丁目と4丁目では地形や被害の大きさに違いがあり、4丁目は当時、宮城県沖地震レベルなら耐えうると判断された」と説明する。
今後の住まいに対する住民の考え方はさまざまだ。約160世帯が参加する「緑ケ丘4丁目被災者会」が9月にまとめたアンケート結果によると、回答した92世帯のうち現在地に住み続けることを希望したのは56世帯。31世帯は離れる意向を示した。集団移転への賛否はほぼ同数だった。
<新たな支援策を>
市は4丁目地区に避難勧告を出しているが、約30世帯が自宅に残る。町内会長の高橋勝四郎さん(70)もその一人だ。
「住み続けられるのか、もう住めないのかをはっきりしてほしい。それが決まらないと次に進めない」と、傾いた家にとどまる。
震災前に約200世帯あった町内会は約160世帯に減った。約20戸が解体され、近く10戸前後が取り壊されるという。
高橋さんは「今回被害に遭った住民の多くは2度目の被災。現地再建を諦めて移転する人もおり、その跡地が危険宅地として放置されてしまう」と更地が目立ち始めた町内を気に掛ける。
建物が撤去されると、水が地盤に染み込みやすくなり、地滑りを誘発する危険性もある。
「現行制度で対応できないのなら、新たな公的支援策を設けてほしい」。高橋さんらの訴えに、行政の答えはまだない。
<メモ>緑ケ丘地区は1960~65年にかけて民間業者が造成した。緑ケ丘4丁目の被災宅地は117カ所。仙台市宅地保全審議会技術専門委員会がまとめた復旧策によると、軟弱地盤の原因だった地下水を集水井戸などを用いて排水した上で、固い基盤面までくいを打ったり、擁壁を築いたりして地滑りを防ぐ。委員の中には「対策工法を採用しても宅地としての適切性を保証することにはならない」として、集団移転を促す意見もある。
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