東日本大震災では,津波被害だけでなく内陸部にも大きな爪痕を残しました。高野原でも大きな被害がありました。
周辺地域のことが中心の記事ですが,参考まで
(「河北新報」記事より引用)
仙台・丘陵部―被災宅地は今(上)費用負担(仙台市青葉区折立地区)/現地再建、先見えず
東日本大震災は、仙台市丘陵部の宅地にも深い爪痕を残した。被災した宅地は計4000カ所を超える。多くは中心市街地から5~7キロ圏に1960~70年代にかけて造成された団地だ。震災から8カ月近くが経過した今も、具体的な復旧策は見えない。地域が高齢化する中、団地の住民は二次被害の不安を抱えながら、生活再建の道筋も描けずにいる。(村上俊、佐々木絵里香)
<「悪化する一方」>
「ついのすみか」と信じた家は東日本大震災で基礎ごと大きく傾いた。
隣家の擁壁が崩れて大量の土砂が押し寄せている。「土砂は今も少しずつ家に迫っている。状態は悪化する一方だ」
1974年から折立団地に暮らす屋外広告業村田弌利(かつとし)さん(69)は、余震や大雨のたびに不安を募らせる。
自宅は、地滑りを起こした斜面の最下部。土砂や家屋を撤去すると、さらに崩落を招く恐れがあり、手を付けられない。
波打つ路面、崩れた擁壁、裂けた宅地。最も被害が大きかった折立5丁目の東部には、震災が起きた3月とほぼ変わらない光景が今も残る。
現地は震災後すぐ、立ち入りが制限される警戒区域に指定された。村田さんは現在、団地を離れ、仮設住宅扱いの市営住宅に妻と暮らす。
<多くが高齢世帯>
団地は70年代前半に売り出され、被災地区の世帯主のほとんどが、60代後半から上の世代だ。
「できるなら、折立に戻りたい。皆同じように年を重ね、今回も協力し合ってここまでやってきた。地域の絆は以前にも増して強まったと感じる」と村田さん。同世代が多く住む現地での再建を望んでいる。
気掛かりなのは、費用負担だ。自宅は16年前、30年ローンで建て替えた。「この年齢で二重ローンなんて考えられない。住民の意向がどこまで公的支援にくみ取られるのか、分からないことだらけで判断できない」
住民有志は今後の街づくりを協議するため、約60世帯で「折立団地東部町内会被災復興の会」を結成した。9、10月の全体集会には市の担当者が出席し、現地再建を目指す場合は「大規模盛土造成地滑動崩落防止事業」を、移住は「防災集団移転促進事業」を活用する方針を説明した。
<選択肢増やして>
いずれも国の事業だが実施に伴い、ともに費用の個人負担が求められる。だが、市は「国の方針がまだ不明確。被災程度にも差があり、各世帯の負担の幅が大きい」などとして、具体的な負担額は示さなかった。
住民からは「二者択一ではなく、もっと選択肢を用意してほしい」「負担額が大きすぎれば、現地再建も移転も難しい」などの声が上がった。
復旧復興の具体策が一向に見えず、警戒区域内の自宅に戻って暮らし続ける世帯もある。
復興の会の安部宗雄会長(71)は「元の通り安心して住めるようにしたいと思い、会を作った。今後の方針は経済性、安全性、工期などを考えて判断したいが、何ら見通しが立たず、住民の半数以上が決めかねている」と話す。
高齢化が進む団地の住民は、費用負担との兼ね合いに揺れ動いている。
<メモ>折立5丁目の被災宅地は46カ所。折立団地は1965~72年度に宮城県住宅供給公社が谷に盛り土した造成地。仙台市宅地保全審議会技術専門委員会がまとめた復旧対策によると、くい百数十本を道路や宅地の一部に打ち込み、地滑りを防止。地下水位を下げる排水溝を設置し、擁壁などの補修を行う。将来の安全性について、市は「宮城県沖地震レベルには耐えうるが、東日本大震災クラスでは百パーセントの保証は難しい」(開発調整課)と話している。
2011年10月31日月曜日
周辺地域のことが中心の記事ですが,参考まで
(「河北新報」記事より引用)
仙台・丘陵部―被災宅地は今(上)費用負担(仙台市青葉区折立地区)/現地再建、先見えず
東日本大震災は、仙台市丘陵部の宅地にも深い爪痕を残した。被災した宅地は計4000カ所を超える。多くは中心市街地から5~7キロ圏に1960~70年代にかけて造成された団地だ。震災から8カ月近くが経過した今も、具体的な復旧策は見えない。地域が高齢化する中、団地の住民は二次被害の不安を抱えながら、生活再建の道筋も描けずにいる。(村上俊、佐々木絵里香)
<「悪化する一方」>
「ついのすみか」と信じた家は東日本大震災で基礎ごと大きく傾いた。
隣家の擁壁が崩れて大量の土砂が押し寄せている。「土砂は今も少しずつ家に迫っている。状態は悪化する一方だ」
1974年から折立団地に暮らす屋外広告業村田弌利(かつとし)さん(69)は、余震や大雨のたびに不安を募らせる。
自宅は、地滑りを起こした斜面の最下部。土砂や家屋を撤去すると、さらに崩落を招く恐れがあり、手を付けられない。
波打つ路面、崩れた擁壁、裂けた宅地。最も被害が大きかった折立5丁目の東部には、震災が起きた3月とほぼ変わらない光景が今も残る。
現地は震災後すぐ、立ち入りが制限される警戒区域に指定された。村田さんは現在、団地を離れ、仮設住宅扱いの市営住宅に妻と暮らす。
<多くが高齢世帯>
団地は70年代前半に売り出され、被災地区の世帯主のほとんどが、60代後半から上の世代だ。
「できるなら、折立に戻りたい。皆同じように年を重ね、今回も協力し合ってここまでやってきた。地域の絆は以前にも増して強まったと感じる」と村田さん。同世代が多く住む現地での再建を望んでいる。
気掛かりなのは、費用負担だ。自宅は16年前、30年ローンで建て替えた。「この年齢で二重ローンなんて考えられない。住民の意向がどこまで公的支援にくみ取られるのか、分からないことだらけで判断できない」
住民有志は今後の街づくりを協議するため、約60世帯で「折立団地東部町内会被災復興の会」を結成した。9、10月の全体集会には市の担当者が出席し、現地再建を目指す場合は「大規模盛土造成地滑動崩落防止事業」を、移住は「防災集団移転促進事業」を活用する方針を説明した。
<選択肢増やして>
いずれも国の事業だが実施に伴い、ともに費用の個人負担が求められる。だが、市は「国の方針がまだ不明確。被災程度にも差があり、各世帯の負担の幅が大きい」などとして、具体的な負担額は示さなかった。
住民からは「二者択一ではなく、もっと選択肢を用意してほしい」「負担額が大きすぎれば、現地再建も移転も難しい」などの声が上がった。
復旧復興の具体策が一向に見えず、警戒区域内の自宅に戻って暮らし続ける世帯もある。
復興の会の安部宗雄会長(71)は「元の通り安心して住めるようにしたいと思い、会を作った。今後の方針は経済性、安全性、工期などを考えて判断したいが、何ら見通しが立たず、住民の半数以上が決めかねている」と話す。
高齢化が進む団地の住民は、費用負担との兼ね合いに揺れ動いている。
<メモ>折立5丁目の被災宅地は46カ所。折立団地は1965~72年度に宮城県住宅供給公社が谷に盛り土した造成地。仙台市宅地保全審議会技術専門委員会がまとめた復旧対策によると、くい百数十本を道路や宅地の一部に打ち込み、地滑りを防止。地下水位を下げる排水溝を設置し、擁壁などの補修を行う。将来の安全性について、市は「宮城県沖地震レベルには耐えうるが、東日本大震災クラスでは百パーセントの保証は難しい」(開発調整課)と話している。
2011年10月31日月曜日
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