僕のつぶやき

服や音楽が好きな、現代の夢見るフリーターsanboさんがお送りする戯言やイラストなどなどです。

地震について

2005年03月30日 11時25分23秒 | つぶやき

 またスマトラ沖(インドネシア)で大きな地震が起きました。2000人以上がなくなったそうです。ついこの前大きな地震があったばりで、そこでもたくさんの人が亡くなり、行方不明になってしまいました。
 日本でも、新潟や北海道などで地震が起きました。ここ最近の大型の地震はとても目につくと思いませんか??地震の予知ってほとんどできてなくて、とくに日本はプレートとプレートのぶつかったところにあるので地震が起きやすく、影響を受けやすいので大変な問題なんです。

 昔は地面の下にいる大なまずのせいだとか言われていましたが、それも今では戯言になってしまいました。科学がこれほど発展しているのに、地震は予知できないし、明日の天気でさえ100%あたることはありません。どうなんでしょうか。

 大きな地震のニュースが飛び交っていると、ちょっと揺れの大きな地震や長い時間揺れていると「まさか…」と思ってしまうことがあります。だからと言って日常からそういう天災に備えるようなことはしていません。水とか非常食とか防寒具とかラジオとか…いざというときに救助の手が入るまで生きていくために必要なものはとても多いのです。とくに寒い時期だとそれだけで気分が参ってしまうものです。
 あなたは緊急避難場所って知ってますか?
きっと近所の小学校や中学校の体育館とかそういうところに「緊急避難所」って緑の看板があるはずです。家の中って、意外とあぶないんですよね。家具とか壁、天井なんかに押しつぶされて生き埋めになってしまうってこともある。外に出ると危ないってこともありますけど、地割れにはいちゃうとか…でも、それよりもっと家の中にいるほうが危ないと思う。だからいざというときには緊急避難袋とか貴重品だけを持ってすぐに非難した方がいいみたい。

 学校の避難訓練で「おかし」って語録を習いませんでしたか?
お…おさない
か…かけない
し…しゃべらない
 こんな感じですけど、これは集団で避難するときの注意でしょう。走って外に出て、家族とかの安否を確認しながらの方がいいんじゃないかなぁと思うわけです。

 地震・雷・火事・親父とは昔から言われていますが、地震と火事は誰にでも起こりうることですから、日ごろから用意とかしておいたほうがいいと思いますけど、なかなかできないものですよね。家族とどうするか、なんて話してみてはどうですか?


論理クイズ③

2005年03月29日 17時58分00秒 | つぶやき

 さて、ひさびさの論理クイズの時間です。解けるでしょうか?
(答えは最後にまとめて乗せるけど、考えてから見えてください。考える前に答え見ちゃったらつまんないからね…)

Q1 勉強の苦手な小学生の零郎(ゼロロー)くんは、ある日テストで
カンニングをしたことが先生にバレてしまいました。その学期の
終業式、先生は生徒を1人ずつ呼んで個人成績通知表
「つうしんぼ(通信簿)」を渡しました。

ゼロローくんは、恐る恐る受け取った「つうしんぼ」を開いて自分
の成績評価を見てみましたが、先学期までの評価と特に変わった
ところはありませんでした。

ところが、「つうしんぼ」を閉じてその表紙を見た瞬間、
「カンニング野郎」の烙印を押されている自分に気が付きました。

ここで問題です。

成績通知表の表紙には「つうしんぼ」の5文字と学年・組・出席番号・
生徒氏名が書かれているはずなのですが、ゼロローくんが受け取っ
た通知表の表紙はどのようになっていたのでしょうか?

受け取った直後は気付かずに中を開いたのですから、一目
見ただけではわからない程度のちがいがあったわけです。

☆答えは笑っちゃうくらい簡単☆


Q2 AとB二つのビルがあります。
二つのビルの間の距離は2メートルあります。

そこで4メートル飛べる走り幅跳びの陸上選手が
ビルからビルに飛び移ろうとしたのですが
陸上選手は飛び移る事が出来ませんでした。

一体、なぜ?

☆これも簡単☆


Q3 A~Zはアルファベット、A~Kは?

☆ひらめけば簡単☆

↓答えは下にあるけど、考えてから見てね↓


***********************
○答え○
Q1 うつしんぼ (写しん坊)
  …しゃれの効いた先生ですこと。

Q2 隣のビルのが高かったから。
  …これは無理でしょ

Q3 トランプ
  …ちなみにトランプって英語じゃないんだよね。だからアメリカに行って「トランプ プリーズ」なんて言っても売ってくれないよ!!英語ではcard もしくは playing cardといいます。勉強になったかな??

 感想とか聞かせてください!!あと問題とかあったら…



いじめ

2005年03月29日 16時51分48秒 | つぶやき

 あなたはいじめられたことがありますか?


 子どもというのは無邪気な残酷さを持っていて、知らないうちに人を傷つけていることも多いと思います。小学校や中学校では、変なあだ名をつけられたり、コンプレックスを言われ続けたり…自分たちではいじめと思っていなくても、最近ではそのことで不登校になったりする子がたくさんいる。僕たちが子供のころだって「いじめ」がなかったわけではない。不登校だってあった。

 暴力を振るわれる、無視される、悪口を言われる、物がなくなる…一度くらいはあるかもしれないけれど、いじめというのはそういうことが単独または複数で、ある程度の期間続けられているものです。幼心に他の人には言えない心理が働いて、いじめはエスカレートしてしまう傾向もあります。たとえ誰かに言っても、それがきっかけになって報復とばかりに悪化することもあるでしょうし。

 僕は今までたくさんのいじめを見てきた。
 恐かった。怖かった。
 その人を助けて、自分が標的にされたらどうしよう。そうやってみんな見て見ぬふりをする。だからいつまでたってもなくならない。インターネットやメールというツールやソフトの発達によっていじめの種類も変わってきているかもしれない。それでもいじめと戦う人はいなくならない。この世界のどこかにたくさん泣いている人がいる。不条理な理由で。

 いじめは、いじめられるやつにも原因がある。なんて言う大人もいるけど、僕はそうは思わない。実際、いじめらる人なんて少数で戦う力がない人たちが標的。戦うというのは単に暴力とかそういうことじゃなくて、いじめに対抗できる力があるかということ。顔が不細工だとか、変なくせがあるだとか、体が特異だとか、性格が気に入らないとか…自分じゃどうしようもないこともたくさんある。どうしたらいいのかわからない。

 小学校から仲のいい友達がいて、同じ中学に行った。その子は小学校のころからみんなに変なあだ名をつけられ、近寄ると汚いとか言われていじめられていた。席替えで隣になった人は机を必要以上に離したり、プリントとかをまわすときに触らないようにしたり、触ったときにすぐ誰かになすりつけるような行為をしたりしていた。僕はそれを近くで見ていたけど、何もできなかった。僕はただ友達として接していた。その子は自分がいじめられっこだなんて一度も言わなかった。一度も泣かなかった。それは僕が見たことないということだけで、一人で泣いていたかもしれない。でも、僕の前では一度も弱音を吐かず、泣かなかった。
 でも、中学校に入ってその子は次第に学校にこなくなった。家の事情もあったかもしれない。母子家庭で、一軒家を火事でなくしてしまい団地に住んでいたが、家計が苦しかったといううわさはよく聞いた。いつしか学校で見なくなって、風のうわさでその子は施設に入ったという話を聞いた。別れの挨拶もしないでその子は消えた。

 ある日、そのこが飼っていた犬を別の家で見た。団地に越すときにペットは飼えないから、他の人に飼ってもらったんだと思う。高校に通う道沿いの家だったから、毎日のようにその犬の顔を見ていた。そして時々、その子のことを思い出した。何をしているんだろうか、と。今度はいじめられていないか、と。 あの子はいじめられていた。本人はどう考えていたかわからないけど、悲しかったと思う。でも、そのときも僕は何もできなかった。他の友達といるときには、一緒になって悪口を言ったこともあった。悪気なんてなかった。そうやっていじめの輪って広がっていってしまうのかな…

 小学校から高校までで、いじめが原因で学校に来なくなった人がたくさんいた。友達が一人、また一人と学校からいなくなっていった。その人たちが弱いとかそういうことじゃないと思う。逃げることが負けだなんていわない。それしかなかった、そうするしかなかったんだと思う。先生もきっとクラスのいじめだって気づいていただろうに、何もしなかった。悪口とか近寄らないとか、そういう小さな積み重ねのどこかで何かできたんじゃないかと思うけど、そういう自分だって見てみぬふりをして、ときどきその積み重ねに加わっていたから何を言えた義理でもない。

 僕は弱い人間だから、人を守る力なんてないんだ。自分を守ることで精一杯。そんな人がたくさんいるからこんなことになってしまったんだね。でも、今の僕には大切な友達がいる。今ならきっとその友達のために少し頑張れると思うし、頑張りたい。もう大人になったから、いじめとかから離れていくのかもしれないけど、大切なものを失うのはいやだから、大切な人が傷つくのをもう見たくないから。

 あなたはいじめられたことがありますか?

 あなたはいじめたことがありますか?

 いじめを容認することも、いじめの加害者だということを今になって気づきました。だから手を差し伸べる勇気をもってください。もう涙がこの世界を染めるのはいやだから。

 ごめんね。どこかに行ってしまったあの子へ…


宇宙の話⑤

2005年03月29日 12時33分27秒 | つぶやき

 宇宙の話をいろいろしてきましたが、どうでしたか?コメントがないので、みなさんがどれくらい興味をもってもらっているのかわかりません。とても説明的な部分が多いので、興味ない人にとっては退屈でしょうし、興味があっても難しいし、学校の勉強みたいになっているんじゃないかなと思います。

 宇宙って近くにあるようで、すごく遠い。人間が宇宙についてわかっていることはわずかで、空論のが多く飛び交っているんです。アームストロングという人が、月を歩いて「この一歩は小さいものだが、人類にとって大きな一歩」だと言いました。月なんて見るだけなら、誰でもどこでもできることなのにそこにたどり着くことがこんなに難しいことだなんて。

 今、月や火星の土地の所有権というものが売買されてます。おかしな話です。今の国際条約では、宇宙空間は全世界共有のものとされているのに、売買されています。とはいえ、地図に自分の土地とやらが記されたものが送られてくるだけなんですよ。実際にはいけないし、家を建てることもできない。生きていくには宇宙服を着て、酸素ボンベをしょっていないといけないんですから。
 月にうさぎはいなかった。最初にうさぎがいるなんて言った人はとてもロマンチックな人なんでしょうね。しかも餅つきをしているというところまで…きっとクレーターとか海とか影がそう見えたんでしょう。たくさんの人がそう見えたから、現在までそんな話が残っているんです。でも、月に行ってみたら、砂利や岩ばかりのところで、空気(大気)すらない…うさぎなんていなかった。そもそも地球から肉眼で見れるうさぎなんていたら、すごくでかい。人間なんか食われちゃうんですよ。間違いなく日本より大きいんだから…人間なんてノミみたいになっちゃうんですよ(笑)

 火星移住計画。
 一時期、雑誌やインターネットなどでも取り早されました。地球は環境が悪化して、温暖化やオゾン層の破壊などによりいつか住めなくなる。だからその前に火星に移住しようという話です。そこで火星人がいたらどうするみたいな話が盛り上がっていたわけですけど。現状況で火星に住むのは不可能です。寒いし、酸素もないし、でも氷が発見されたような話はありましたね。海の跡があったとか、生物の痕跡があるとか…火星探査車がブイブイ火星の表面を走っていることでしょう。でも、まだ有人では火星までいけません。住むとなれば家を建てたり、大規模な準備が必要になります。そう考えると、まだまだ宇宙ステーションという大きな人工衛星に移り住むというほうが現実的でしょうか。今も何人かの人がそこでくらしているんだから、それを広げていけばいいんですからね。でも人が増えれば問題も起きる。壁に少し亀裂が入っただけで、外からの圧がかかってあっという間にお釈迦になっちゃいますよ。そういう背中合わせの危険があるので、恐いですね。

 何十年、何百年もしたら世界は変わっているでしょう。宇宙旅行してるかもしれないし、すんでる人もいるかもしれないし、宇宙で戦争が起こっているかもしれない。人の空想がどんどん現実になってしまう世の中。昔の人は月ではうさぎが餅つきをしていると言ってのんびりすごしていた。でも、月にいけるようになってしまった人はうさぎなんかいないことを知ってしまう。そうやって夢とか希望、想像なんてものは消えていってしまうものなんですかね。それを悲しいとするか、科学の進歩と喜ぶのか…あなたはどっちですか??

 ちなみに今回で宇宙の話も一段落。また違うねたを考えます。希望なんかありましたら、どんどんコメントください。


理想と現実

2005年03月29日 12時13分12秒 | つぶやき

 ひさしぶりに投稿します。最近は、施設での採用前研修などがあってバタバタしてました。でも、とりあえずそれも一段落して、四月一日からの仕事始めを待つばかりとなってます。

 バイト以外で、就職するというのは生まれてはじめての経験です。さらにそこが介護の老人ホームということで人と接する機会の多いところなので不安がたくさんあります。自分で選んだ道といえばそのとおりですが、今考えるとこれでよかったのかと思うこともあり、それが100%後悔だということではないんですけど…

 クラスメイトたちは続々と施設での研修を行っています。長い人だとバイトみたいな形で施設に入ってもう一月くらいやっている人もいます。僕は施設から言われた研修は4日間でした。それはやっと終わったんですけど、学生時代にやった実習となんら変わらない内容で、心境的にも変わりませんでした。それで来週から施設で働くということになるんです。うちの場合は、新規の施設でまだ利用者はいないので、すぐに介護の技術が必要になることはありませんが、一月もしたら続々と利用者が入ってくるんです。新人もたくさんいるので、人に頼ってばかりもいられないし、知らない利用者に囲まれてやっていくんです。

 なんて愚痴ばっかりこぼしていてもしょうがないと、ときどき自分に言い聞かせています。高校のときにボランティアで訪れて見た老人ホームと、今僕が見ている老人ホームはとても違うものです。実際に違うのではなく、僕の見方が変わったんです。そこで骨を埋めるっていうのは言いすぎですけど、働くって事は大変なことだと思います。

 理想と現実。
 そのギャップにはさまれて生きてます。つらいとか楽しいとか、いろんな感情が複雑に絡まりあって自分でもどんなになってるのかわからない。自分が働くなんて実感、ほとんどないし…


宇宙の話④

2005年03月15日 15時25分09秒 | つぶやき

☆宇宙の大きさは?☆

 宇宙の大きさは約150億光年 地球を中心に考えて半径150億光年の球形(1光年:約10兆km)と言われているが、これはビッグバン以来宇宙は膨張しており150億光年かなたは膨張速度が光速度になるため、そのかなたは観測できないところからきている(宇宙の地線)
 観測できる宇宙の大きさ=光速度×宇宙年齢 現在の宇宙年齢…約150億年(最新の研究結果:130億年前後と少し若くなった)宇宙の膨張速度は減速しているので、時間の経過とともに宇宙の大きさは大きくなることになる。50億年後には 半径200億光年となる。
 ビッグバン直後、インフレーションが起こったことによるが、宇宙の地平線の外側がどのくらい大きいのかはわかっていない。


☆ダークマターについて☆
 ちょっと前にダークマターについて話しましたが、あんまり説明できてなかったので少し調べたものを乗せます!!

  ダークマターとは宇宙にある見えない物質のことで、ミッシングマスとも呼ばれています。光も電波も発することがないため、可視光線や赤外線、X線でも見えませんが、質量からその存在が予測される物質です。銀河系団の質量は、構成する各銀河の明るさから推定される値よりも、各銀河の運動から求めた質量のほうが10~100倍も大きいことが50年ほど前からわかっていました。また、渦状銀河では、星の数から期待される質量より、回転速度から求めた質量のほうが大きく、見えない物質が個々の銀河から宇宙全体にわたって存在することが明らかになったのです。ダークマターは銀河形成や宇宙が閉じているかどうかといった問題の解決に向けて重要な役割を担っていますが、正体はまだよくわかっていません。
 私たちのまわりにある物質は陽子や中性子などのバリオンとよばれる物質からできています。普通の星もこのバリオンからできています。ダークマターはバリオンではないといわれ、その正体については質量を持ったニュートリノ説や超対称性粒子説、モノポール(磁石のN極、あるいはS極のいずれかのみの極を持った素粒子)説、原始ブラックホール説、アクシオン、宇宙のひも(コスミック・ストリング)説などが考えられています
 ビッグバン宇宙論では、宇宙の質量の90~95%をダークマターが占めると考えられています。1993年1月、X線天文衛星ROSATは、地球から約1万5000光年離れたNGC2300グループと呼ばれる銀河集団を取り巻くガス雲を観測しました。このガス雲の温度は1000万度、直径は約130万光年、質量は太陽の5000億倍に相当します。このガス雲はダークマターではないかと考えられており、ビッグバン理論を支える有力な論拠となっています。


☆星の色☆
 夜空を見てると大体星は白く見えるけど、中には色の違った星があります。見たことありますか?星には自分で光ってる恒星と太陽の光を反射するだけの惑星があります。そのうち色の変化があるのは恒星で、その表面温度の違いによって色が変わるのです。たとえばガスの炎は青、白熱電球は黄白、ろうそくの光は赤に見えます。このように、温度の違いによって色も違って見えるのです。温度が高いと光は青く見え、温度が低いと光は赤く見えます。
青白⇒1万度以上
白⇒1万から7000℃
黄白⇒7000から6000℃
黄色⇒6000℃
燈⇒6000から3500℃
赤⇒3500℃以下

 ちなみに生まれたばかりの星は青白で、星が燃えるために必要な水素が消費されて不足していくと温度が下がり、次第にその大きさを増していく、膨張するのです。太陽も同じ。今は黄白~黄色ですね。これがどんどん赤くなり、膨張してそして最後は爆発してしまうのです。そのとき地球の温度も上昇していって、生物は死に絶え、太陽の爆発に巻き込まれて地球もなくなってしまうでしょう。でも恐れる必要はありません。太陽がなくなるのは、50億年後ですから。


宇宙の話③

2005年03月15日 11時29分24秒 | つぶやき

 宇宙のはじまりは「ビッグバン」という話はしました。そのビッグバンの起こった原因というか原点というのははっきりしていなくて、いろいろな仮説がある。でもその中で僕が信じているものを話していきたいとおもう。

 正直言って、前回述べたようにこの宇宙の誕生は必ず存在するが、元素やエネルギーの誕生はわからない。最初からあったのか、誰かが創ったのか… とりあえず、ビッグバンの始まりは「特異点」というもの。聞いたことあるでしょうか?特異点というのは、かなり特質なもので、体積は≒0、質量≒0という座標で表しても点にすらならないものですけどその点(実際には見えないけど)の中にエネルギーが無限に存在しているのです。そうこの宇宙の始まりはその一つの特異点が膨れ上がってできあがったものと言われているのです。

 体積も≒0だからその中に元素だとかそういう大きなものが存在できるわけもなく、やはり元素のはじまりは分からないわけです。とにかく特異点ということが正しいとすれば、それがなければ今の宇宙はないということ。じゃあ、特異点はどこからきたの?…知りません。

 宇宙は今もどんどん大きくなってます。膨張しているんです。でも宇宙は無限なのか有限なのか、わかりません。正直なところ宇宙の話なんてほとんどわかっていないんです。タイムマシンと同じように仮説ばかりが飛び交っているんです。人類なんてここ50年くらいでやっと宇宙に出れただけなんです。変な機械を飛ばして、火星くらいまでなら観測できるようになったみたいだけど、この太陽系だけでももっともっと遠い惑星はたくさんあります。中学校でやった水金地火木天海冥ってやつ。まだまだ遠くには星がたくさんあるんですよ。その外にはまた新しい銀河があって、たくさんの太陽系があるはず。あとどれくらいすればそこまでいけるのかな。

 ときどき地球にも小さな隕石が落ちてくることはあって、その中に地球に存在しない物質が含まれていたりすることがある。そんな隕石に乗って宇宙人がやってきてるかもしれない。でも、宇宙人が僕ら人間と同じような格好をしてると考えるのはおかしい。もしかしたら知能を持っているが、すがたはミクロであるかもしれない。どんな惑星だって土地の表面積は限られている。それで自分たちが小さくなっていけば、より多くの人がすむことが出来て、環境への負荷も少ない。そう考えていけばどんな形になっていてもおかしくないのだ。数年前に話題になった「漂流教室」というドラマでは、突然学校ごと数百年後の未来にタイムスリップしてしまうということが起きていた。そこではダイオキシンや酸性雨などの劣悪環境、普通の人間では住める環境ではなく、人間は絶滅したという話だった。しかし、その中でも四本足で強くなった人間から進化したものが生きていた。人間が最終進化形態だと思うのは、人間の傲慢以外の何者でもないということだろう。

 もしかしたらもう宇宙人はもうこの地球にきてるかもしれない。何もしてないかもしれないし、見ているかもしれないし、そもそもこの地球に命を与えたのはその宇宙人かもしれない。そんな戯言は仮定を域を出ることは無い。あなたの目の間にいるものだってもしかしたら宇宙人の産物かもしれないし、宇宙人自身かもしれない。ほら、また小さな石(意思)が地球に落ちた…

 なんてね。


友達って何?

2005年03月15日 11時06分56秒 | つぶやき

 とうとう明日は卒業式です。

 でもまだ自分が卒業するなんて実感はこれっぽちもなくて、まるで他人事のように思っている自分がいる。その先にはいろいろなことが待っているのに、その現実に目を向けることが出来なくて、人の心を疑ってしまったりしています。

 昨日の夜、寂しさと何かのプレッシャーに押され級友にメールを出しました。昔はよくしゃべったり遊んだりしていたけど、最近は話すことさえしなかったのに…ふと、思い出しました。何度かやりとりをしてある間に、そのTから「ありがとう」という言葉を言われました。うれしいというよりも、悲しくなりました。その一言でなぜか急に現実を見てしまったような気がした。「さようなら」とかよりも、もっともっと重くて、つぶされそうでした。後悔ばかりが募ります。

 きっと卒業しても、しばらくは今の友達を忘れることはないでしょう。でも仕事に追われ、新しい仲間ができて、次第にこの学校で過ごした日々は過去になって忘れてしまうんです。自分が同じ時間をすごした友達を忘れてしまうことよりも、ずっとその友達の中から自分が消えてしまうことが怖い。恐い。一年に一回くらいメールをするだけになって、それでもいいと思えてしまうようになってしまうんじゃないか…

 人の価値観なんてそれぞれで、今いる場所が生きてる場所だから一番大切だって言う人もいるし、高校時代に戻りたいって人もいる。そんな中で僕らがすごした日々は、その人にとってどんなもので、どんな形でその人の中で残っていくのか僕にはわからないし、きっと本人もまだ知らない。僕が消えていくことが、その人が悪いとか、責任とかそういうことじゃなくて攻めるわけじゃなくて、でもそれが実際起こったらとても悲しい。いつも一緒にいれば、いくらでも修正できるけど、離れてしまったらそれで終わり。それだけは辛い。

 何が大切で、何を守るか。きっと明日になれば変わると思う。一年後にも変わってる。そうやって人は変わっていくもの。思い出ばかりにすがりついてはいられないから。今生きてるところで取り囲む人がいるわけで、そこで笑って、泣いて、そうやっているんです。でもきっと頭の中には少しくらい残っているといいな。あなたの中に僕という存在が…ずっと…


宇宙の話②

2005年03月10日 15時12分37秒 | つぶやき

 さて。宇宙編も第二回目となりました。今回は、宇宙に関する“なぞ”について書いていきたいと思いますよ。

疑問① 宇宙はいつできた?
 …この宇宙はいつできたのか。地球ができたのは約46億年前と言われています。では宇宙のはじまりはどんなものだったのでしょうか。いろいろな仮説はありますが、一番有力と思われるのは「ビッグバン」でしょう。みなさんも一度は聞いたことがあると思います。爆発が起きて、今の宇宙ができたと言われています。そう、この宇宙にもはじまりは必ずあるのです。

 でも、この宇宙の前はどんなものだったのかという疑問については確証もなく、仮説の域を超えることはできないでしょう。その前にも宇宙という存在があったかもしれないけれど、ビッグバンによってすべてがなくなってしまったのであれば、その証拠を見つけることはかなり難しいと思われます。原子レベルまで破砕されていたとしたら、痕跡が残っている確立はほぼゼロ。

 ちなみに地球や宇宙といったものには必ずはじまり(誕生)がある。しかしそうすると大きな疑問が浮かぶ。それではこの元素の誕生はどうなのか。光や熱などのエネルギーはどうして生まれたのかというものである。いろいろな事象が重なって宇宙ができたということはなんとかすれば証明できないこともないと思いますが、元素の誕生、エネルギーの誕生を証明することはできないでしょう。残念。

疑問② 古代文明の存在
 …今から2500年も前、紀元前の世界。南アメリカ大陸で「マヤ族」による「マヤ文明」というものが栄えていたという話は聞いたことある人もあるでしょう。紀元前にはそういった文明が世界のいろいろなところで起き、発展していたということです。しかし、そうした発展した文明がどのようにして衰退していったのか、わかっていないことが多いのです。

 そのマヤ文明ですが、今から50年前くらいに大規模な探検隊がその文明を解読するために結成されました。深い森に入るとき一人の老人が探検隊を止めました。「この先に入れば、呪いがかかるぞ」と言うのです。しかし、探検隊のメンバーはみな科学を志すもの、そんな迷信めいたものを信じる人は無く、先を急ぎました。数日して、森の中に灰色のピラミッドが見つかる。その中には一つの棺おけがあったそうです。
 そもそもマヤ族はそういった「墓」というものを作る風習、習慣はないため探検隊は疑問とともに興味に胸を高鳴らせていたことでしょう。しかし、その棺おけを見てみんな驚愕する。そのふたにはまるでロケットの絵が描いてあったのです。

 そう、2500年も前に「宇宙ロケット」の存在を描いたものが存在したのです。それほどまでにマヤ文明は発展していたのでしょう。しかし、宇宙ロケットの絵が彫ってあったぐらい、普通なんじゃないの?と思ったあなた。それは大間違いです。確かに、ロケットの絵を描くぐらい2500年前でもできたかもしれない。現に作れなくても、想像するくらいならいくらでもできる。しかし、その絵の内容がすごかった。そのロケットには羽が無く、酸素マスクのようなものがついていて、操縦桿やレバーがある…さぁどうでしょうか。とても想像だけでは描けないものでしょう。一つずつ話していきましょう。

○羽が無い
 普通、飛ぶなら羽が必要だと思うでしょう?でも実際、今の宇宙ロケットには羽はない。いくつもの加速装置を装備して、それを切り捨てながら地表から離れていくのである。羽がないものが重力に逆らうにはかなりのエナジーを消費するのだ。ちなみに上空数千メートルを飛ぶミサイルなんかは3/4は燃料が積んであるのだ。しかし、羽があれば揚力が生まれるのでエネルギーは少なくてすむが、宇宙まではいけない。大気圏を出るときの抵抗が大きすぎる。そういう原理が分かっていなければ羽のないロケットが描かれるはずがない。

○酸素マスク
 これはすぐにわかるだろう。2500年も前に宇宙に酸素が無いなんて、そんな知識があったとは思えない。しかし、実際絵には酸素マスクと酸素ボンベが描かれているのです。かなり現代の科学に近いものが存在したと言うことでしょうか・・・

○操縦桿やレバー
 車だって飛行機だって存在しないときに、なぜそのようなものが描かれなければならなかったのか…やはりそれ相応の知識がなければこれらのものは描けない。

 僕もこの話を聞いて、とても驚いた。とても怖くなった。2500年も前に宇宙ロケットに関する、いや宇宙に関する知識や情報がどれほどあふれていたのか。もしかして、マヤ文明では宇宙へいける技術があったのかもしれない。まぁ金属を加工した跡はないんだろうけど… もしかしたら彼らは地球から脱して、他の星、銀河に移り住んでいったのかもしれない。この広い宇宙の中にはマヤ族が栄華を誇り存在している可能性だってないとは言えないのだ。

 ちなみに探検隊のほとんどが原因不明の発熱や悪寒に苛まれた。それが単に蚊による集団感染だったのか、本当にのろいだったのか…今になってはもうわからないことである。


宇宙の話①

2005年03月09日 11時22分09秒 | つぶやき

 さて。タイムマシンが終わってから、予告していたようにまた新しいシリーズ物をはじめたいと思います。またまた専門的だったり、哲学的だったりすると思うけど、質問とか疑問とかあったらどんどん書き込んでください。分かる範囲で答えて行きます(笑)

 テーマはタイトルの通り「宇宙」です!! タイムマシンのあとは宇宙かよ!となにやらつっこみの声が聞こえてきそうですけども…張り切っていきたいと思います。

 宇宙。広いですよ。今、僕たち人類が確認しているだけで無数の銀河がある。太陽系だってたくさんある。僕らのとは別の太陽の周りを地球みたいに回っている星もある。ということはそこには生命体があることだって十分に考えられる。その可能性はタイムマシンよりよっぽどありえる話である。
 夜空にある無数の星を見たことない人はいないでしょう。その星はこの漆黒の宇宙に数億と存在しています。その光は太陽と比べても弱いものです。それは星自体が小さいこともあるし、月と同じように自分では輝いていないこともあるでしょう。そもそも星は地球からはるか遠くにあります。光の速度は秒速30万キロというのはタイムマシンのところで話したとは思いますが、その光が一年かかってようやくたどり着く距離が「一光年」です。時間の単位と勘違いしがちですが、光年というのは距離の単位です。ざっと計算して10兆kmということになります。果てしない数値ですね。そんな距離を越えて、星の光は届いているんです。

 ちなみに月との距離は約38万kmですから、月を経由して、太陽の光がたどり着くまで約1秒ということになります。だから今、月は存在しているでしょう。光が届いているのだから。でも、何光年、何百光年も離れた星はどうでしょうか。今、僕らが夜空に見ている星の中にも、この瞬間に爆発して消滅している星もあるかもしれない。でも、その事実を知るのは何年後か、何百年後か…その爆発の光が届いて、光がなくなったときなんだ。もしかして、今見ている星が、もう存在してないかと思って夜空を見たら少しおもしろいかもしれないですね。

 宇宙には空気はない。重力もない。熱もない。だから、宇宙は絶対零度-273℃なんです。人間はそんな温度に対応できないから、あんな分厚くて重い宇宙服を着ないと大気圏外では活動できないんですよ。まぁ重いと言っても、重力がないからその重さ自体感じることはないんですけど。
 宇宙はなぜ黒いのか。なにやらいろんな説があるみたいですけど…光を反射するものがないからなのかな?ある学者は言う。「宇宙が黒いのは、ダークマターという漆黒の素粒子が存在しているからだ」と。素粒子とは何か… 原子よりももっと小さな物質で、すべての物体の構成元素となるものである。ダークマターという素粒子が存在して、この地球をも通過している。でも、そんなのが通過したら、黒いんだから見えると思うんだけど…

 今回は宇宙に関する初歩的な説明をしました。次回は宇宙の起源について話したいと思います。よろしく。


自殺する人

2005年03月07日 12時45分51秒 | つぶやき

 ついこの前、県内の「竜頭の滝」っていうところの駐車場で車の中で練炭を炊いて自殺するという事件が起こりました。その竜頭の滝というのは、僕も去年の冬くらいに観光で訪れたことのあるところで、見たことのある景色がテレビに映ったので、とても驚きました。なぜかとても身近に感じる事件でした。

 幸いというか、なんというか今まで自分の周りの人が自殺したという話は聞きません。おばあちゃんとかが死んだという場面には立ち会ったことはあるけど、友達の死に立ち会ったことはありません。友達の遺影の前に座るのはどんな心境なんでしょうか。寂しいのかな?悲しいのかな?僕はそれもあるし、怒りもあると思う。その怒りは、自殺した友達にも向けられるだろうし、それをとめられなかった自分にも向けられると思う。

 自分の無力感。友達が死にたいと思うほど考えているのに、それに気づいてあげられない自分の無力感。それが親友だったなら、自分を責めても責めても報われないだろう。きっと一生その親友を、死を背負って歩いていくんだ。普段は忘れていてもときどき思い出して、とてもつらい思いをする。悲しいとかそういう感情じゃなくて、いろんなものが混じって不協和音のように心の中を乱すんだ。どれだけ時間を重ねても、埋められることない思いが一番重いんだよね。きっと。

 でも、自分が死ぬ立場に立ったなら、きっと親友にはいいたくないだろうし。正直なところ、残される人のことまで考える余裕はないだろうね。自分の道を死ぬことに限定するんだから、人の顔色を窺ってる場合じゃない。その理由は分からないけど、きっと必死なんだ。

 親友が死ぬほど悩んで、苦しんでいるのに、僕に何ができるんだろうか。ただ「死ぬな」っていうのは簡単だけど、それだけじゃあまりにも無責任だろう。その苦しみを一緒に背負ってあげられるくらいの勇気が必要なんだ。生きるって、死ぬより大変で、悩むし、苦しみもたくさんあると思う。その分喜びもあるはずなんだけど。足元ばかり見て歩くことがときどき楽になってないかなぁ?前をみてあることをやめてるときがないかなぁ?自分自身に聞いてみてください。僕はあると思うよ。どんな人だって。

 僕の親友R、そのほかの人だって、君が死を選ぶことが間違った道だとは言わないけど、その前に僕に話を聞かせてくれよ。何もできないかもしれないけど、君のそばで何かを分けてもらうから。それでダメで、君がその道を行くとしても僕は止められないかもしれない。でも、僕は君の痛みを抱えて、僕は一生生きていくよ。君の影と思いと共に。だから、お別れは言わないよ。ずっとそばにいるから。

 死ぬことが逃げることとか言わないで。僕だって自殺を勧めるわけじゃないけど、どうしようもないときだってあると思うよ。人なんだから、いろいろ考える。所詮、他の人なんて他人なんだから、最後を決めるのは自分でいいと思う。でも、悲しいだろうな。つらいだろうな。君が死んだなら。だから、もう少し生きてください。僕も生きるから。


時間の流れについて

2005年03月07日 12時23分27秒 | つぶやき

 時間は過ぎてみれば早いもので、この専門学校に入ってもう二年が経とうとしている。高校を卒業して、また二年学校に通うのか、と少し憂鬱になったこともあったが、なんやかんやであっという間にここまできてしまった。終わってみれば、もっとこうしてればよかった、こうすればよかった…なんてものがたくさん浮かんでくるが、それをしなかったのも、できなかったのも自分だし、それが僕の歩んできた道だから受け入れるしかないでしょう。

 きっとどんな道を選んだとしても、結局後悔するんだと思うよ。高校に入った時だって、なんでこんなとこきちゃったんだろうとか思ったし、専門に入った時だって、違うことやりたかったと思ったりもした。でも、違うことやってたらこの専門にいきたかったなぁとか思うわけでしょ。

 僕がここにいるから、出会えた人もたくさんいるし、経験できたこともたくさんあると思う。まぁ、それが自分にとって最高の選択だったかなんて、わかんないけどね。もう一度やり直してはじめて気づけることだろうし。後悔はどうしたってついてくるんだよね

 あと10日で卒業です。うれしいという感覚はまるで無い。やっぱりこの場所、学校にいたいと思う。それは留年してもっと勉強したいということではなくて、ここにい続けたいということで。友達と話して、遊んで、ときどき勉強して…そんな生活をしていたい。ずっとここにいたい。働くようになれば、そう遊んでばかりもいられないから、子供の理由ですよ。そう、ただのわがままです。

 12日には、クラスのメンバーと旅行に行こうという話になりました。正直、はじめは行く気なかったんですよ。人数も10人以上で、たくさんなんで面倒じゃないですか…そういう大人数の団体行動とか好きじゃないんです。でも結局行くことにしたんですけど。それには理由がありましてね。この二年、この専門学校で一番仲のいい、親友(こう思ってるのは自分だけで、相手はいやいやかもしれないけど…)が、僕が行きたくないみたいな話しをしたら「一緒に行こう」って言ってくれたんですよ。とてもうれしかった。その親友Rも僕も不器用で、恥ずかしがりやなんでなかなか面と向かって話せなかったりするんだけど… 卒業したらまたしばらくあえなくなっちゃうだろうからね。この旅行でいろいろ話せたらいいと思う。 でも、一緒に行こうって言われて、僕もすぐに「いいよ」とは言わなかったんだよね。条件を出したんだ「これが最後にしない。卒業してもずっと友達でいること」ってね。今、振り返るとくさいせりふだけど、きっと自分の正直な気持ちだったんだと思う。というわけで、12日から一泊で、みんなで鬼怒川に行ってきます。

 時間は早い。過ぎてしまえばあっという間で、あったことの半分も覚えていないでしょ??大切なことだっていつか忘れてしまうんです。でも、今の気持ちだけは大切にしたい。


生きるということ

2005年03月07日 11時48分45秒 | つぶやき

 最近、みんなのコメントがないのでとっても寂しいです。感想とか、こんなの見たいとか、文句とかなんでもいいんで、聞かせてください。

 さて。僕はおとといくらいにぼぉ~とテレビを見ていました。テレビは毎日見てるんですけどね。たまたま見ていたテレビ(タイトルは忘れてしまいましたが…NH●だったかな?)では、人が生きることについて話をしていました。

 僕たちが生きているだけで、たくさんの命を犠牲にしている。今、あなたが牛肉を食べたとする。それだけで一つの命が消えたことになるわけですが、その牛が育つのにはたくさんの命を使っているわけです。植物だって、小動物だって、みんな命があるんです。毎日毎日、そんな命をたくさん犠牲にして生きているんです。でも、それが自然の摂理だと言ってしまえばそれまでなんですけど。他のものを犠牲にして生きることが、罪になることはないと思います。

 でも、ときどきそう考えると自分はそこまでして生き延びる価値があるのなかぁと思う。やっぱり僕たちが生まれた、生きている意味はわからないまま。どうして命が生まれたんだろうか。その根源は科学の世界でも解明されてなくて、原始の地球ではたんぱく質が突然変異的に、複合したことからはじまったみたいな感じの仮説があるけれど、証拠もないし。まだまだ考えることはたくさんある。