ついこの前、県内の「竜頭の滝」っていうところの駐車場で車の中で練炭を炊いて自殺するという事件が起こりました。その竜頭の滝というのは、僕も去年の冬くらいに観光で訪れたことのあるところで、見たことのある景色がテレビに映ったので、とても驚きました。なぜかとても身近に感じる事件でした。
幸いというか、なんというか今まで自分の周りの人が自殺したという話は聞きません。おばあちゃんとかが死んだという場面には立ち会ったことはあるけど、友達の死に立ち会ったことはありません。友達の遺影の前に座るのはどんな心境なんでしょうか。寂しいのかな?悲しいのかな?僕はそれもあるし、怒りもあると思う。その怒りは、自殺した友達にも向けられるだろうし、それをとめられなかった自分にも向けられると思う。
自分の無力感。友達が死にたいと思うほど考えているのに、それに気づいてあげられない自分の無力感。それが親友だったなら、自分を責めても責めても報われないだろう。きっと一生その親友を、死を背負って歩いていくんだ。普段は忘れていてもときどき思い出して、とてもつらい思いをする。悲しいとかそういう感情じゃなくて、いろんなものが混じって不協和音のように心の中を乱すんだ。どれだけ時間を重ねても、埋められることない思いが一番重いんだよね。きっと。
でも、自分が死ぬ立場に立ったなら、きっと親友にはいいたくないだろうし。正直なところ、残される人のことまで考える余裕はないだろうね。自分の道を死ぬことに限定するんだから、人の顔色を窺ってる場合じゃない。その理由は分からないけど、きっと必死なんだ。
親友が死ぬほど悩んで、苦しんでいるのに、僕に何ができるんだろうか。ただ「死ぬな」っていうのは簡単だけど、それだけじゃあまりにも無責任だろう。その苦しみを一緒に背負ってあげられるくらいの勇気が必要なんだ。生きるって、死ぬより大変で、悩むし、苦しみもたくさんあると思う。その分喜びもあるはずなんだけど。足元ばかり見て歩くことがときどき楽になってないかなぁ?前をみてあることをやめてるときがないかなぁ?自分自身に聞いてみてください。僕はあると思うよ。どんな人だって。
僕の親友R、そのほかの人だって、君が死を選ぶことが間違った道だとは言わないけど、その前に僕に話を聞かせてくれよ。何もできないかもしれないけど、君のそばで何かを分けてもらうから。それでダメで、君がその道を行くとしても僕は止められないかもしれない。でも、僕は君の痛みを抱えて、僕は一生生きていくよ。君の影と思いと共に。だから、お別れは言わないよ。ずっとそばにいるから。
死ぬことが逃げることとか言わないで。僕だって自殺を勧めるわけじゃないけど、どうしようもないときだってあると思うよ。人なんだから、いろいろ考える。所詮、他の人なんて他人なんだから、最後を決めるのは自分でいいと思う。でも、悲しいだろうな。つらいだろうな。君が死んだなら。だから、もう少し生きてください。僕も生きるから。