外科医(9年目)日記

自分さえ我慢すればいいと思って頑張ってきた。そんな僕には家族が出来た。患者も大切、家族も大切。わがままだろうか?

身内の危篤。。。

2007年05月21日 15時27分14秒 | 日記

僕のひいじいちゃんが具合が悪い。

 僕は小さいころ、じいちゃんばあちゃんより、近くに住むひいじいちゃんに

 世話になった。習い事に連れて行ってもらったり、そのあと、親が迎えに

 くるまでひいじいちゃんの家で過ごしたものだ。

 

 ひいじいちゃんは101歳だ。大往生だと思う。けど、もっと生きていてもらいたい

 というのも本心だ。。。

 7月に僕の子供が生まれる。ぜひ抱いてもらいたかった。。。

 僕はひいじいちゃんから優しさを学んだ。

 

 ひいじいちゃんは、学校の先生だった。地方の小学校に26歳で校長先生として

 赴任し、その後、定年まで校長として、いろんな学校に勤めた。。。

 そんなひいじいちゃんは、とても礼儀ただしく、しっかりとしていて、

 ただ、僕が遊びに行くといつもやさしく一緒に遊んでくれた。

 勉強しろなんて一言も言われたことなかった。いつも庭でばったを追って、川に

 連れて行ってもらって。。。

 

 当時ひいじいちゃんは70歳くらいだったのだろうか?

 4kmくらいある家まで歩いて送ってもらったことがある。

 途中、習い事の月賦袋を落としてしまい、それが池に落ちたことがあった。

 ひいじいちゃんは、必死になって袋を拾ってくれようとして、、、

 池に頭から落ちていった。すごい水しぶきが巻き上がったのを覚えている。。。

 ずぶぬれのまま、家に上がるのは悪いからと僕を家まで送ると、そうそうに

 一人で歩いて帰っていった。。。

 

 大学に入ってから、ひいじいちゃんは一度僕のところに遊びに来てくれた。

 飛行機と電車をのりついで。当時91歳くらいだ。

 何を食いたいといわれて、馬鹿正直に肉が食いたいなんていって、

 一緒に肉を食べた。。。

 

 ひいじいちゃんは晩酌をいつもしていた。

 熱燗で2合。顔をほてらせて上機嫌になるひいじいちゃん。

 大学生のとき、夏休みで実家に帰っているとき、じいちゃんの熱燗をすこし

 もらったときは胸にぐっと来るものを感じた。大人になった気がした。。。

 

 ひいじいちゃんは遊びに行くといつもお小遣いをくれた。。。

 いつも断るのに、俺も使い道がないからと、いくたびにお小遣いをくれた。

 そんなお金を何に使ったかなんて覚えてないけど、

 今こうして、ひいじいちゃんのこと考えていて、ふといろんなことが思い出され

 てきた。なんだか急に寂しくなる。。。

 

 ひいじいちゃんは3年ほど前からすこしぼけて、僕のことわからなくなっていた。

 そんなじいちゃんでも元気ならいいなと思っていた。

 去年からは肺炎を患って、入院していた。今年に入ってからは、

 経管栄養だ。。

 今年の正月、ひいじいちゃんに会いに行った。一緒に写真をとりたかったのだ

 が、母にかわいそうだからやめなさいと言われた。

 なぜとらなかったか今でも後悔している。。。

 

 ひいじいちゃんの状態は聞くからに危篤だろう。。。

 薬を使っても、人工呼吸器をつけても1週間、寿命は延びるかも知れないが

 それだけだ。本人の体をいためつけ、本人の生命力をもてあそぶことに

 しかならないと思う。。。

 本当は仕事をなげうって駆けつけたいが、僕にも仕事があり、今は守るべき

 子供がいる。。。

 

 ただただ、遠くからひいじいちゃんを思うことが僕にできることだ。。。