たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎出雲&松江観光

2012-04-14 07:30:24 | 旅行
☆摩周湖第一展望台 - 北海道川上郡弟子屈町(摩周湖レストハウス屋上)【画像取得年月日 - 2012/04/14-07:00 - 】

★今朝は、天気も回復して良い天気になっている。早朝に気温は、12℃で冷え込んではいない。昨日は次男達3人で自宅を7時前に出発し、出雲と松江方面を観光して来た。天気も思っていたより早く雨になり、生憎の天気となった。ゆっくり・のんびり旅で、一般道を通り再々休憩等をして出雲大社に向かう。出雲大社はさすがの観光地、バスも10数台入っておりマイカーも多かった。何回も訪れているが、観光気分が味わえた一日。その後は、依然訪れた事の有る鍔渕寺・一畑薬師・月照寺に行く。ここ等の寺は、観光客も疎らでゆっくり見られた。時間も松江城付近では、お昼になったので松江城には寄らず一気に美保関に向かった。昼食は2時近くになり途中の「道の駅」で摂る(弁慶力うどんを注文)。
三保神社は初めて訪れたのだが、次男のリクエストでここ最近テレビで観たらしい。今朝もNHKテレビ(8時前)で、「おはよう中国:朝イチ情報・神事にみせられて」の中で三保神社が取上げられていた。以前は観光客も多かったのか、お店やホテルの廃業が目に付く。しかし、歴史ある町並みは中々良かった。特に狭い商店街の中の「青石畳通り」の石は新鮮だった。再度、ゆっくりと天気の良い日に訪れたいと思う。
では昨日訪れた所を取り急ぎ編集しましたので、どうぞ!(一部カメラマンは次男にお願いしましたが?)
☆出雲大社
式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。康治元年(1142年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された[1]。
縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり [2] 神議が行われる [3] (神在祭 旧暦10月11日~17日)。正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する





☆鍔渕寺(がくえんじ)
・伝承によれば、推古2年(594年)信濃国の智春上人(ちしゅんしょうにん)が遊化して出雲市の旅伏山(たぶしさん)に着き、推古天皇の眼の病を治すために当地の浮浪の滝に祈ったところ平癒されたので、その報賽(ほうさい)として建立された勅願寺であるということです。
この鰐淵寺(がくえんじ)という名前ですが、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時に誤って滝壺に落としてしまった仏器を、鰐(わにざめ)がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたことから“浮浪山鰐淵寺”と称するようになったということです。
平安時代末期には修験道の霊地として広く知られており室町時代までは栄えたといいますが、今はひっそりとした佇まいです。
寺宝はきわめて多く、銅造聖観世音菩薩立像などの重要文化財も。(現在は非公開)
そのほかの文化財は、現在はほとんどが古代出雲歴史博物館に寄託されています。
・弁慶伝説
 国民的な人気の武蔵坊弁慶は、ここ鰐淵寺に多くの伝説を残しています。
弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をしたということです。その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。この際に弁慶は大山寺(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)の釣鐘を、この鰐淵寺まで約101kmある山道を一夜にして担いで持ち帰ったとされています。
その釣鐘は国の重要文化財に指定されています。(現在は古代出雲歴史博物館に寄託)
その他にも弁慶の自画像、負い櫃など、多くの伝説・遺品をこの地に残しています。

・武蔵野弁慶の釣鐘

☆一畑薬師
 一畑薬師(いちばたやくし)は島根半島のほぼ中心部に位置する、標高200mの一畑山上にあります。ここは「目のお薬師さま」「子どもの無事成長の仏さま」をはじめとする、諸願に霊験あらたかなお薬師様として古くから全国的に篤く信仰されています。
宗派は禅宗(臨済宗妙心寺派)、また全国に約五十の分霊所がある一畑薬師教団の総本山で、様々な病平癒で参拝する人が絶えません。
日々のご祈念、例月祭、座禅会、団体研修、茶会、奉納音楽祭など、年間を通してさまざまな行事が催されています。
麓から本堂へ続く1200段余りある石段(参道)も有名で、毎年この階段をかけ上るマラソン大会も恒例行事です。
山頂まではドライブウェイがあり車であがることもできます。境内には「薬師瑠璃光如来」を本尊とするお堂をはじめ、八万四千の仏様が奉納されている「八万四千仏堂」、百八基の燈籠がならぶ参道などがあります。

・先日水木しげるご夫妻が除幕された場所です。

☆月照寺
 この地には洞雲寺(とううんじ)という禅寺があった。永く荒廃していたが、松江藩初代藩主松平直政は生母の月照院の霊牌安置所として、1664年(寛文4年)に、この寺を再興した。浄土宗の長誉を開基とし、「蒙光山(むこうさん)月照寺」と改めた。
直政は1666年(寛文6年)に江戸で死去したが、臨終の際に「我百年の後命終わらば此所に墳墓を築き、そこの所をば葬送の地となさん」と遺した。2代綱隆は父・直政の遺命を継ぎ境内に直政の廟所を営んだ。この際に山号を現在の「歓喜山」と改めた。以後、9代藩主までの墓所となった。
茶人藩主として著名な7代藩主不昧の廟門は松江の名工・小林如泥の作によるとされ、見事な彫刻が見られる。境内には不昧お抱えの力士であった雷電爲右衞門の碑がある。また、不昧が建てた茶室・大円庵がある。
1891年(明治24年)松江に訪れた小泉八雲はこの寺をこよなく愛し、墓所をここに定めたいと思っていたそうである。
境内にある初代より9代藩主までの廟は保存状態が極めて良好である。このため「松江藩主松平家墓所」として1996年(平成8年)3月29日に国の史跡に指定された。 高真院(直政)と大圓庵(治郷(不昧))の廟門は島根県の有形文化財に指定されている。 境内には宝物殿があり歴代藩主の遺品が展示されている。また、アジサイが数多く植えられており「アジサイ寺」として開花時期には多くの観光客が訪れる。




☆昼食は結局3時前になり、弁慶の里・道の駅「本圧」。(この道の駅は、数年前ににも訪れた記憶の有る場所)。

☆美保神社(みほじんじゃ):島根県松江市美保関町美保関
美保神社(みほじんじゃ)は、島根県松江市美保関町にある神社である。式内社で、旧社格は国幣中社。
事代主神系えびす社3千余社の総本社である(蛭子神系のえびす社の総本社は西宮神社)。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集める。また、「鳴り物」の神様として楽器の奉納も多い。
右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。
(三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神。事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので義理の母親にあたる)
『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述がある。元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により事代主神と三穂津姫命とされたものとみられる。
創建の由緒は不詳であるが、8世紀に編纂された『出雲国風土記』の神社台帳に記載される古社である。延喜式神名帳では小社に列する。
中世より横山氏が神職を世襲した。近世ごろから「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに参拝者が増えるようになった。出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される。
明治18年(1885年)に国幣中社に列せられ、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
本殿は「美保造」と呼ばれる独特の様式で、大社造の社殿を2棟を横に並べたものである。本殿2棟の間に末社・大后社があり、3社5神を祀る。



・今朝のテレビ(NHKおはよう中国・8時前頃)にも、この橋が映っていましたヨ!



☆美保関青石畳通り

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【夢を実現する今日の一言】

・風車を回す時、風がなければ、自分が走る

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~今日は何の日~
☆歴史上の出来事
▼リンカーン狙撃される(1865),▼幕末の志士・高杉晋作没(1867),▼第1回モナコ・グランプリ開催(1929)
☆記念日・行事・お祭り
◎春の高山祭(岐阜県・~15日)
☆今日の誕生日
▼中谷彰宏(作家・1959),▼今井美樹(俳優・1964),▼工藤静香(タレント・1970)
クローズアップ!
・タイタニック号の悲運な最期
1912年、イギリスの超豪華客船タイタニック号が英国のサウサンプトンからニューヨークを目指し、処女航海に出発。4月14日23時45分、航海も終わろうとするニューファンドランド島沖合で氷山に激突。救援のSOSを発信したが間に合わず、2時間40分の暗夜漂流の後、翌午前2時20分に海の藻屑となった。乗員乗客2224人のうち生存者はわずか711人。
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☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・マーガレット(キク科)
・恋占い・真実の愛

「きょうの一句」
・声あげむばかりに揺れて白木蓮    西嶋あさ子(にしじま)   
☆~心に響く366の寸言~
  【お辞儀の意義 (1)】
たいていの人は、お辞儀というのは「相手に敬意を表する」ことと思っているが、それは第二義である。第一義は相手を敬するということではなくて、「自らを敬す」ということである。例えば仏典にお辞儀ということを説いて、「吾を以て汝を敬し、汝を以て吾を敬す」と言っている。つまりお辞儀をするということは「自分が相手に敬意を表すると同時に、相手を通じて自分が自分に対して敬意を表する」ことである。
今日の言葉~「安岡正篤 (やすおか まさひろ)一日一言」より(致知出版社刊)
☆4月 14日(土): 松下幸之助[一日一話]
【知識は道具、知恵は人】
 知識と知恵。いかにも同じもののように考えられるかもしれない。けれどもよく考えてみると、この二つは別のものではないかという気がする。
 つまり、知識というのはある物事について知っているということであるが、知恵というのは何が正しいかを知るというか、いわゆる是非を判断するものではないかと思う。言いかえれば、かりに知識を道具にたとえるならば、知恵はそれを使う人そのものだと言えよう。お互い、知識を高めると同時に、それを活用する知恵をより一層磨き、高めてゆきたい。そうしてはじめて、真に快適な共同生活を営む道も開けてくるのではないかと思うのである。
タイトル:「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 994日
※プロフィールの画像は、2007年6月下旬に続き2回目の日本最北端の地「宗谷岬」にて(H23.06,20)
 
 

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