たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎南東北旅行3日目(4/24)

2015-05-01 05:52:12 | 旅行
☆昨日の雨も上がり、今朝は快晴の天気となっています。今朝の気温は15℃で、やや低い気温です。昨日は雨だったので、終日自宅で過ごした。旅行を振り帰りながら、写真等を見ました。非日常で不規則な生活が続いていましたが、昨夜は7時過ぎに床に入り、今朝5時迄グッスリ寝ました。お陰でやっと体調も元に帰った様な気がします。 やはり睡眠不足は体に良く無い様感じた。二日間本拠地の畑に行って無かったが、今日は覗いて見ようと思っています。畑作りと少し野菜を採って帰ろうと思っています。GWが終わる頃には、夏野菜の植え付けと里芋も上旬中に植えたい。では、南東北3日目を振り返って見ます。
・3日目 ホテル===幻の桃源郷と称される:花見山公園9:00/9:40===五色沼・合図磐梯山11:00/11:20===昼食:鶴ヶ城会館12:30/13:20・・・・・・・会津若松のシンボル:鶴ヶ城13:20/15:00===白虎隊の眠る・白虎隊や会津藩の資料を展示:飯盛山・白虎隊記念館15:10/16:30===磐梯熱海温泉泊(露天風呂有)17:15 ・3日間共朝湯に5時頃から入り、朝食までホテル周辺を散策しました。 ホテルの裏には川が流れ断崖や渓谷の奇麗な山が有りました。又、周辺の畑では桃や梨の花がさいていました。2015/04/24 6:27頃



・3日目の最初の観光は花見山公園でした。この公園は花卉生産農家が長い年月をかkて開墾し「花見山公園」として広く開放している花の名所。梅・桃・数種類のサクラ・レンギョウ・ボケ・モクレンが咲き誇る桃源卿に相応しいスポットだった。ただ桜は此処も終わっていたのが残念でした。我々は一番長い60分コースを歩き、頂上まで行って帰りました。早く歩けば半分位の時間で帰ってこられました。チューリップが沢山植えられ、とても奇麗だったです。


・公園下に有る本宅です。前には庭が有り、灯篭が大きかったです。940頃



・五色沼は1888年の磐梯山噴火によr形成された湖郡を言います。エメラルド色やコバルトブルー色の美しい湖水で有名との事。透明度で摩周湖と田沢湖と並ぶ3大透明度の湖だとガイドさんが言っていた。此処で初めて雪に触った。雪は表面から溶けるそうです。 ・五色沼とは、磐梯山の北側、裏磐梯と呼ばれる地域にある大小数十の湖沼群のこと。緑・赤・青など、様々な色の沼が点在し、磐梯朝日国立公園に指定されている。( ウィキペディア)





・昼食は鶴ヶ城会館2Fにて13:04頃。ここで帽子を忘れ、直ぐ気が付き取りに引き返す。

・鶴ヶ城はサクラ咲いていて、鶴ヶ城をバックに全員で記念写真を撮る。掘りには花弁が浮かび、奇麗でした。(13:45)





・天守閣からの景色(14:21頃)

・会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」。白虎隊士も見た国内唯一の赤瓦の天守閣が甦りました! 鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。 明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されました。天守閣の内部は郷土博物館となっており会津の歴史に触れることができます。 平成23年には赤瓦へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣となっています。 ・昭和31年に会津出身の弁護士、故・早川喜代次氏によって創立された史料館。戊辰戦争における白虎隊をはじめとする会津藩の悲劇を後世に正しく伝えたいという思いから、私財を投じて作られました。白虎隊以外にも戊辰戦争関係の様々な史料(遺品、遺墨、写真)などやジオラマなどを展示しています。 また会津藩主松平容保公、萱野権兵衛、西郷頼母、秋月悌次郎、中野竹子ら娘子軍(じょうしぐん)、新島(山本)八重子らの会津藩関係の史料や、新撰組の近藤勇、島田魁、西軍総督岩倉具定、板垣退助らの有名諸将などの史料もあり、歴史ファンには必見です。
・戊辰戦争の降り16~17歳で編成さた白虎隊士20名が、飯盛山で自決ししました。1名がが生き残り悲運を忠義の話が広く知られることとなりました。



この同門を膝まで水浸かり逃げたらしいです。

・幕末の大きな時代の流れの中で戊辰に散った白虎隊の霊が眠る 戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。 20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。 春と秋の年2回行われる慰霊祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます
・3泊目の宿は磐梯熱海温泉「ホテル華の湯」は、温泉が30種類もあり色々なお風呂が楽しめました。最後の宿では、瓶ビールで乾杯しました。(2015/04/24 18:50頃)


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