柳沢敦が京都から戦力外というニュースに衝撃を受けたひとりとして、どうしても書かずにはいられなかった。メッシーナに所属していた柳沢敦を見た“衝撃”から5年が経過している。鹿島ではトップに位置しながら、周囲を使いこなすことに長けたストライカーは、イタリアの地では左サイドの、そしてやや中盤よりというポジションに入っていた。アウェーとなるフィレンツェの地で、途中出場ながら輝きを見せていたことが昨日のように思われる。それ程の衝撃であった。時にはサイドでタメを作り、時には果敢に突破を図る。柳沢敦の投入前後では明らかにメッシーナの攻撃がスムーズに動いたことでもわかる。Jリーグでは見られない鬼気迫る鋭い眼光。何よりも、イタリアの地で活躍するという野心のようなものが感じられた。チームが停滞期に入ったタイミングで投入されるジョーカーとしての確立された地位。この日も途中出場だったように、本意ではない起用法であったのかもしれない。ただ、己に与えられた役割を確実に、そして黙々とこなすこと姿は、感動的ですらあった。そんな、フォア・ザ・チームを体現する男が戦力外となったことへ残念な気持ちと同時に、まだまだ活躍の場が十分に残されていると感じているのは、私だけではない筈だ。柳沢敦は、まだ死んでいない-。
サッカー=南米選手権、日本はアルゼンチンと同組に(トムソンロイター) - goo ニュース