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CURVAなひととき

CURVA(クルバ)。イタリア語でカーブ、そしてゴール裏の席。あらゆるスポーツでチケットが安いCURVAから熱気を伝える

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年7月31日)その2

2011年08月01日 23時18分48秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 怒りに満ちた表情でベンチを睨みつける主役-。

 いや、主役と思われたのは配役表でのことであって、演出家にとっての主役は別の人間であった。
 鹿島戦でのマッチデイプログラムの表紙を飾る男は、観客にとってゴールを決めてほしい一番の男でもあった。
 ただ、チームの事情は別の部分にあった。これから戦い続ける者がペナルティスポットに立つべきである、と。
 邪推は、確かにある。報道で聞こえるものが正しければ、乾の一連の行動から「起用しない」決断の流れだ。
 一度は天才ドリブラーを構想外とした指揮官の信念は、乾の「変身」によって曲げられることとなった。
 だとすれば、曲げた信念を元通りに戻すタイミングを見計らっていたことになる。
 ボギョンの強行指名にも感じられた場面は、指揮官の立ち位置を改めて示す機会だった、ということは
 考えすぎだろうか。
 いずれにせよ、乾にとってのセレッソ最終章は幕を下ろすこととなった。
 ここで、試合前のつぶやきを引用したい。

 天才を操縦することの難しさは、多くの指揮官が直面する問題。
 ファンタジスタ不要論ともリンクする問いは、しかし個人能力での打開という答えにも到達する。
 和を以て個を活かすー。乾貴士とレヴィー・クルピの最終章がはじまる。 

 「和を以て個を活かすー」。
 乾貴士とレヴィー・クルピを語る上で外せないキーワード。
 最後は双方の主張が真正面から衝突する結末が生んだモヤモヤならであることは間違いない。
  

北朝鮮戦「きちんとやる」=小倉会長―サッカーW杯アジア3次予選(時事通信) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年7月31日)その1

2011年08月01日 00時50分07秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 試合内容については、多くのテレビカメラが報道したであろう部分に任せることにする。
 心の中から感じる何ともいえないモヤモヤした思いの原因を考えてみた。

 やはり、乾貴士のラストマッチに勝利できなかったからなのか……
 惜別ゴールはあげたものの、PKキッカーとして乾貴士は選択外だったからか……
 何より、セレッソ全体の動きが低調だったからか……
 あるいは、同じく低調なプレーに終始した鹿島に敗戦したからなのか……

 いずれも、モヤモヤ感の原因となる部分であることは間違いない。
 ただ、「あの場面」から思い起こさせるものが、晴れない気持ちを一層大きなものにさせた。
 あの場面-。同点へのチャンスとなったPK奪取の場面、である。
 PKをメイクした者が蹴るのであれば、清水戦でも自ら決めた倉田秋の出番だろう。
 クルピ監督が会見で発したチーム事情であれば、キム・ボギョンがスポットに立つことになる。
 ボーフムへと移籍するエースに「エエトコ」を譲る演出だって悪くない。
 多くのカメラがゴール裏へと集合したように、スタンドを埋めた者のとっても、
 乾の出番であることは疑わなかった。ただ、勝敗をも左右する場面に過度の演出は不要だろう。
 最初にボールを受け取ったボギョンの困惑が伝わってくるのがわかる。
 多くの者が推すのとは対照的な雰囲気であれば、緊張は必要以上に増す。
 果たして、韓国人レフティから放たれたボールは、左へと飛んだ曽ヶ端にストップされた-。

 PKの失敗は珍しい種類の話ではない。いくら「成功率が高い(クルピ談)」ボギョンでも、である。
 だが、この一連の過程に、セレッソを後にする者が「なぜ、俺ではない!」と怒りを示したことが
 話を混乱させる要因だ。ベンチからのキッカー交代という「指導」に納得できない、と。
 確かに惜別試合を自らのプレーで決したい思いも理解できなくはない。
 そこには、香川真司の歩みをトレースしたい、という乾の強い希望が働いたに違いない。
 後半に訪れたセットプレーの場面で、
 香川真司が鮮やかに決めた姿を想起したサポーターも少なくなかったはずだ。
 

田代が2ゴール=Jリーグ・C大阪―鹿島(時事通信) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年7月2日)その2

2011年07月06日 23時18分17秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 語学力が拙い新婚夫婦である我々に、
 アルメイダという選手の献身的なプレーの素晴らしさを語りかける。
 うんうん、と頷くこちらも圧倒されるほどの熱さで、である。
 まだ小学生の低学年だろうと思われる少年からの羨望は、
 プレーの度に「アルメイダ・コール」を続けていることからもわかる。
 派手さは決して無い。だが、勝利のために忠実にプレーする-。
 90年代後半におけるラツィオ黄金期を支えた男。

 派手さは、決してない-。だが……。
 柏戦で見せた中後雅喜のプレーぶりは、大勝の陰に隠れながらも
 勝利することに必要な欠くことのできないものであった。
 ボランチのマルチネスが第1の砦となり、常にレアンドロ・ドミンゲスをケアする。
 センターバックとボランチのスペースを中後が巧みに埋めることによって、
 バイタルエリアへの侵入を許さない。
 思えば、試合序盤の攻防によって勝利を決めたのかもしれない。
 レアンドロ・ドミンゲスの退場劇は、
 思い通りにならない攻撃のキーマンのフラストレーションとも言えるだろう。

 残念ながら「中後コール」はスタンドに多くは響かなかった。
 だとしても、J1通算100試合出場に恥じない忠実なプレーで
 今季、ホーム初勝利を呼び込んだ功労者であったことは間違いない。 

甲府、5戦ぶり勝利=Jリーグ・新潟―甲府(時事通信) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年7月2日)その1

2011年07月03日 22時50分33秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 約1ヶ月の「観戦記放置」である。
 無敵だったはずのキンチョウスタジアムで、連敗を続けていた状況も放置理由になろう。
 もちろん、パソコンに向かうべき個人的な推進力を失っていたことが大きいのだが……。
 真夏の第2節となった経緯はここに書くまでもない。
 さて、Jリーグ2節を振り返えってみる。

 もう10数年近く前に話をさかのぼる。最後のUEFAカップウィナーズカップ準決勝のセカンドレグ。
 アウェーの地でロコモティフ・モスクワに勝利し、ここローマでは引き分け以上での突破になるラツィオ。
 無理に勝負をする状況でもない彼らの選択は、無難に試合を終わらせることであった。
 スペクタクルな展開を求め、ヨーロッパ初観戦に胸躍らせた身としては
 少々、物足りない展開であった記憶がかすかに残っている。
 「失点をしない美学」を感じられただけでも満足、と。
 さて、そんなスタディオ・オリンピで一際、声援を受けていた選手がいた。
 強烈なフリーキックを披露するシニシャ・ミハイロヴィチでも、
 華麗なテクニックで相手をかわすファン・セバスチャン・ヴェロンでもない。
 ユニホームのパンツを芝生で緑色に染める男、マティアス・アルメイダである。 
 

ANAが世界初導入、ボーイング787羽田到着(読売新聞) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年5月29日)

2011年05月29日 21時23分40秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 セレッソ大阪というクラブにとって、かつてこれほど濃密な1週間というのは無かったであろう。
 ACLという舞台で、しかもアウェーとなる万博の地でガンバを乗り越えた結果は
 長く続いていく歴史年表に、必ず外すことのできないポイントであるに違いない。
 だらら……。というわけでは、決してないだろうが、
 Jリーグで未だ勝利できない事実や、無敵であったキンチョウスタジアムで
 敗戦を受け入れることも、何だか容易い部類と思えてしまうのだ。

 確かに、難しい“条件”がセレッソを取り巻いていた。
 決戦を終え燃え尽きた、というのは否定すべきであろうが、アルディージャは、難敵である。
 それでも、ガンバ戦と同様のテンションで試合に臨め-。
 そんなことは、無理な注文だろう。
 常に全力プレーを実行するのと、常に精神的に張りつめた状況で試合に臨むことは全く別の話である。
 レアル・マドリーが常に“クラシコ”よろしく、強烈な負けん気で試合に臨めないのと一緒だ。
 加えて、降り続ける雨でピッチに水が浮く程の劣悪なコンディションであった。
 試合開始前から、ショートパスとドリブル主体の攻撃から、戦術の方針転換を余儀なくされては、
 苦戦は必死、であった。

 雨の日のアルディージャ戦には、良い思い出は、無い。
 昨季、J1昇格後初戦の相手であったアルディージャに
 強烈なまでにJ1で戦うことが、今までとは違う“空気感”であることを思い知らされた。
 そして、キンチョウスタジアムで土をつけられたことで、
 我々に何かを示唆するものではないか、ということである。
 後半のように、劣悪なコンディションの中、3シャドーは機能しているように見られた。
 サイドバックが加わっての攻撃は、相手ディフェンスの厄介事であるに違いない。
 しかし、肝心な結果は、依然として確実には得られていない。
 小松塁のポスト直撃弾を含め、である。

 何か変化が必要な時期に来ている-。

 指揮官も感じ取っているはずだ。
 歴史を刻むべく続く戦いには、改善と何より変化が必要である、と。

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セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年5月24日)

2011年05月26日 22時50分32秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 早朝のキオスクへ駆け込みながら新聞棚を覗いてみる。
 想像通り、甲子園球場を本拠地とするチームのロゴが見える新聞達が「買ってよ」と囁いた。
 それでも、今朝の目的は黄色の文字が躍る新聞とは別部類だ。
 「満開セレッソ」の文字の表紙が目につくエル・ゴラッソを手に職場へと向かう-。
 万博でのACLから2日経過した。
 揺れる電車内で内容を確認していると、横の男性が「チラ見」以上の視線を紙面に向けていた。
 どうぞ、そうぞ見てくださいよ……。寛大な心で紙面を大きく広げてみる。
 ガンバとの大阪ダービーである。熱気が伝わるのであれば、ガン見でも構わない。

 試合内容や感想は、今回に限って多くを語る必要はないだろう。
 ネットを見渡しても、ガンバが「らしくない」戦いとなってしまったことや、
 セレッソが後半に盛り返したことを見て取れるからだ。
 前述のエル・ゴラッソで確認するのも方法だ。

 確実にベスト8への道を進みたいガンバ-。
 対照的にセレッソにとってのACLは、
 もしかすると、勝者が進みべきベスト8はガンバ戦での勝利による産物にすぎなかったのではなかろうか。
 大阪ダービーへの気持ちの高ぶりは、間違いなく両チームに存在した。
 互いに勝利することが第1条件ながら、あるいはガンバにとってセレッソは眼中になかったと言えるのではないか。
 ガンバにとっては通過点のみだった大阪ダービーは、
 セレッソにとってはACLという冠を借りての純粋な対決ではなかったか、ということである。
 ACLでの勝敗がもたらす効果と損失を考えたとき、
 セレッソとガンバでは随分と違ったものが浮かんでくる。
 勝利しても及第点と捉えるガンバ。
 ダービーでの勝敗こそが、シーズンの分岐点であるとしたセレッソ。
 再び頂点を目指すもの達にとって、心理的な圧力はあったに違いない。
 
天皇杯サッカー、9月3日開幕(時事通信) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年5月20日)

2011年05月24日 16時08分45秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 セレッソにとって、歴史的な一夜となるかもしれぬというのに、
 ACLのラウンドアップが、大阪ダービーによって争われるというのに
 前節の試合を振り返ることは野暮な話に違いない。
 金曜開催となったフロンターレ戦に続き、
 エヴェッサを追って有明の地に向かっての週末2連戦となったことで、
 脳内記憶が曖昧となっている部分があることご容赦願いたい。
 それでも、書きためた内容を振り返る、という意味でも
 決戦2時間前に頭を整理しておきたいと思う。

 多くの観客、とりわけサポーターにとって、
 今季最悪の部類に属する試合に足を運んだことを後悔したに違いない。
 3シャドーへのボール供給源となるマルチネスとキム・ボギョンの両ボランチを徹底的にプレスし、
 セレッソの攻撃を停滞させるフロンターレの狙いは的中した。
 加えて豊富な運動量でセカンドボールを拾いまくるのだから、
 悪いながらも「2失点で凌げた」とも考えられる。
 それほど、フロンターレの出来はパーフェクトに近いものであった。
 しかし、体力を著しく消費するであろう果敢なプレスは90分保てるか-。
 ハーフタイムによる小休止は両者の立場を間逆にする時間でもあった。

 3-3のドローとなる結末を生んだ要因が、
 フロンターレ側か見るとプレスの失速が挙げられる。
 対して、セレッソ側にとっての改善策は“リスク管理の再確認”であった。
 同点ゴールを奪いに、前に前にとなることで生み出されたボランチとディフェンスの距離。
 広大となったスペースに入り込まれることで、カウンターによって返り討ちとなった前半は、
 自らの攻撃スペースをも狭くする悪循環さえも生み出していた。

 適切な守備の位置取りをベースに、最大限のリスクをもって攻撃する-。

 一見、良いと取りとも考えられた確認事項の答えは、
 ボランチの自重と、サイドバックの積極的な攻撃参加で相殺される。
 フロンターレディフェンスの的を絞らせないサイドバックへのサイドチェンジは、
 後半開始10分で試合を振り出しに戻す劇的な改善を生んだ。

 そこには、著しくバランスを欠いた陣形で先制点を許すこれまでの数試合への
 処方箋ともなるようなものであったことは間違いない。
 攻撃は最大の防御、である。
 ただ、先人からの良言には隠された部分があるのを見逃すことはできないだろう。
 
 守備を頭に入れながらの攻撃である、ということを-。
 
 もし、2時間後に行われる決戦に、攻撃の旗頭を外す、ということになれば、
 伏線は存在した、ということになる。 

ヒデや長友選手ら参加、伊ペルージャで慈善試合(読売新聞) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年5月15日)

2011年05月15日 21時33分28秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 正直に言って勝てた試合だった-。

 引き分けという結果の評価は、
 「勝ちに近いもの」と「負けに等しいもの」があるとしたら、
 浦和戦でのレヴィー・クルピ監督の思うものは後者だったのだろう。
 勝てた試合は、細かな分析も不要なほどの決定機を逸したことで、
 リーグ初勝利という十分な結果を得ることができなかった。

 意識的にホドリゴ・ピンパォンがサイドに開くことで生まれたスペースを効果的に3シャドーが狙う。
 3シャドーとの噛み合わせが、これまでの数試合とは明らかに異なる光景は
 攻撃への迫力を生み出したことは間違いない。
 中盤のパスカットから、ピンパォンと清武と繋がった同点ゴールの場面を振り返っても、
 連動性が高ってきていることは明らかだ。
 それだけに、「結果」という目に見えるものが得たかった。
 指揮官が悔しがる気持ちも解らなくはない。

 ミッドウィークの山東戦で見せた攻撃には及ばなかった。
 トップの位置に小松塁を据えることによって、ボール保持率を上げる作戦は、
 中国王者を相手に4ゴールを奪う圧巻さであった。
 良いイメージの継続か-。それとも3シャドーの熟成か-。
 指揮官の選択は、あくまでもスタイル変更は無い、とする既定路線であった。
 勝敗(引き分けであったが……)の鍵は、戦術の変更ではないだろう。
 浦和ディフェンスに問題があった部分を差し引いても、決定機を作り続けたのだから。
 好調なスタイルを採用しなかったのには、指揮官の意地のようなものも見え隠れする。
 強烈に映る戦評には、攻撃陣へのハッパなような意味合いも込められていたに違いない。
 
 3シャドーで得点を奪え、と。 
 

C大阪、4戦連続ドロー=Jリーグ・浦和―C大阪(時事通信) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年5月10日)

2011年05月11日 22時08分23秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 「今年で1番重要なゲーム」と指揮官が位置づけた戦いは完勝だった。
 2トップへの布陣変更は攻撃を活性化させたことは間違いない。
 回らなかった攻めへの車輪は、小松塁を頂点に置いたことで、劇的な変化を見せた。
 確かに、山東の中盤からのプレスが弱かったことも事実である。
 それでも、清武弘嗣と乾貴士が左右にポジションチェンジを繰り返すことで、
 守備のターゲットを絞らせなかったことが爆勝に繋がったと言える。
 
 山東にとって、攻め手を見出せないの焦りは、
 守備に追われる時間の増加と比例するように怒りのラフプレーとして表現された。
 前半30分過ぎとなった時点での、4枚というイエローカードは
 もしかすると、アジアの戦いからの撤退、という意味での警告だったかもしれない。
 山東が極めて不安定なデキだった以上、
 セレッソが先制さえすれば、全てが決まる状況である。
 それでも、何かモヤモヤが晴れない……
 小松塁が選択した試合序盤の決定機へ話をさかのぼろうと思う。

 降り続く雨の中、スリッピーなピッチでは、予期せぬ事が、ごく自然と起こる。
 何でもないクロスが勢いを増し、キーパーを襲う-。
 あるいは、絶好のラストパスがぬかるみという障害物に阻まれる-。
 起こるべき禍福は表裏一体、である。
 
 絶好のスルーパスが小松塁の足下におさまった。
 ペナルティエリア手前で、左サイドでの選択は二つだ。
 キーパーの手元を狂わせるかのような強シュート、
 あるいは、素早く前線へと飛び込んだ乾貴士へのラストパス、である。
 小松塁の選択は、より万全な策となる後者であった。
 ただし、この選択は平時であれば万全だが、という注釈がつく。
 
 セレッソは、積極的に来ない-。

 ダイレクトプレーで、試合の序盤は攻勢に出た山東。
 もしかすると、桜のストライカーが採った行動に
 勇気をおぼえての攻勢は、セレッソを敗退へと追いやったかもしれない。
 
 翻って先制点の場面である。
 小松塁の相手を元気づけたかもしれない選択の場所とほぼ同じ。
 丸橋祐介の強烈な一撃は、キーパーの手を弾き、ホドリゴ・ピンパォンの頭へと
 “当たった”ことで生まれた先制点は、
 確かに単なるラッキーな部類と片づけられるかもしれない。
 丸橋祐介のミドルは、中央に揃った人間に任せるクロスが正解なのだろう。
 だが、先制点は生まれた。
 「今年で1番重要なゲーム」で採った積極策は、
 アジアの16強をたぐり寄せる行動であった。

 禍福は糾える縄の如し-。

 試合の結果を左右するチャンスはピンチは交互にやってくる。
 ならば、己の行動をもって福をたぐり寄せることはできるのではないか。
 退場者が出た山東に対し、容赦ない攻撃を続けたセレッソの完勝は、必然であった。 

G大阪、決勝Tへ=C大阪と8強争い―ACLサッカー(時事通信) - goo ニュース

セレッソ大阪観戦記録2011、“白なのか、それとも黒なのか-”(2011年5月7日)

2011年05月08日 01時09分59秒 | サッカー(セレッソ大阪2011)

 たぶん、指揮官であるレヴィー・クルピにとって、ターンオーバーなる単語は未知の言葉なのだろう。
 3日前にインドネシアの過酷な環境と長距離移動で疲弊しているであろうスタメンも
 上本大海とキム・ボギョンが戻った、というだけの話である。
 
 後半15分過ぎからの観戦となってしまったため、総合的な判断は無理だ。
 しかし、この日、キンチョウスタジアムを埋めたセレッソ・サポーターにとっては、
 フラストレーションが溜まる戦いであったことは事実だろう。
 ロスタイムでの小松塁による同点弾が無ければ、やり場のない怒りをぶつける対象をも探していたことだろう。

 マルチネスが中盤でサバくことに苦心する姿を見ても、動き出しにキレを失っていたことは間違いない。
 受け手となる3シャドーにボールが収まらなかったことは、
 ベガルタディフェンスのブロックラインが整備されていたことも理由だろう。
 数少ないチャンスをカウンターで伺う戦術は、なるほど開幕からトップに位置する盤石な戦法である。
 攻撃リスクを最小限に、守備での準備は最大限に-。
 ベガルタイレブンに徹底された戦術基盤は、
 セレッソにとって、キンチョウスタジアム初の敗戦をも想像させるものであった。
 試合の感想は、これ位にしておく。 

 試合終了後、ベガルタのチャントでスタジアムの一体感を表現した。
 退場曲が『カントリーロード』となったのも、セレッソにとっての仙台への想いの表れだろう。
 この日、最後のコメントとして、隣の初老男性が発した言葉で締めたいと思う。

 暗いニュースはもおええ……
 Jリーグの明るいニュースで埋めたらええんやから……
 
 うっすら涙を浮かべながら発した言葉に同感だ。
 我々は、サッカー(もちろん、bjも含めて)を通してだけしか、
 被災地の方にパワーを送ることしかできないのだから…… 

パッとしないACL決勝 欧州CLの“ひそみ”にならっても…(産経新聞) - goo ニュース