みのもり雑記

旅行関連が多くなるかと思いますが、ふと書きたくなったことを気の向くままに、という感じで。

2022年佐賀旅行 - 1日目その5(吉野ヶ里歴史公園3)

2022-12-04 18:45:41 | 2022年佐賀旅行
目次

2022年11月3日(木)15:47
いよいよ「夕方」を意識する時間帯になってきました。
ようやく主郭である「北内郭」に到着です。


発掘当時の状況
見落としでなければ、こうした形式の説明は他では無かったですね。


では早速入るとしましょう。


左手。
環濠と柵……柵ではなく板塀ですねこれは。
このエリアの特殊性が強調されます。


右手。当たり前ですがこちらもぐるっと。


ここのエリアは実質的に二重の柵(板塀)で囲われています。



やはり入ると目を引くのはこの主祭殿です。


高さはあくまでも推測ですが、16.5mだそうで。
弥生時代でもこれだけのものを作れるのだと思うと、転生もので技術無双することが現実的にどれほど難しいか分かりますね(転生自体が現実的かと言われると……)



さて早速ですが、この主祭殿は中には入れますので行ってみましょう。

2階部分
巫女の託宣を待つ王様たち


もしも天気が雨だったらあの窓が閉められているのかと思うと、良いお天気で良かった。。。


では3階、最上階です。
巫女が神降ろしをしています。


2階と比べて、結構狭いですね。いってみれば建物がピラミッド状に細くなる形式なので、当たり前ですが。


ちなみに上はこんな感じです。


解説。余談ですが2階では映像による解説も流れていました。


しかしイラストにも描かれているけど、この武具は何の意味があって……。


ここに住んでいた人は、外とだいぶ隔絶されていそうな。


はい、ではですね。疲労も何のその、時間が無いのも何のその。
高いところに登ります。馬鹿ですからね!


隣接する「中のムラ」と高低差がほぼ無いため、「南内郭」と比べて「高いところに登った」感がほぼ無いです。
立地で言えば、この辺では相当高い部類なんですけどね。


南側を見ると、高いことがわかりやすいですね。




ほらほら、下を見ると高い!
ちなみに向かい側の木が繁茂しているエリアは、ガクッと高低差があります。



おお、推定巫女さんの家




「最高司祭者の性格上、外光を取り入れる窓はなく、昼間でも中で灯りを灯していたと考えられています」
……これはちょっと、3食昼寝付きだったとしても耐えられない。





さて、主殿の足下もそうだったのですが、他にもボランティアの人が立っている建物があります。
ほう、刻み梯子体験ですか。
※写真右上にチラッと写っているやつ


実際に上り下りしてみましたが……うん、普段から登山する人とかならまったく問題ないでしょうね。
そうでなくとも、普通に1段1段踏みしめれば問題は無いです。相当斜度はありますが、要は木製の梯子なだけなので。
(ボランティアの人が、やんちゃしそうな人にはその場でやんわりとたしなめる)


で、ちなみにこの建物(高床式倉庫)は祭具置き場と推定されているようです。







さて、ようやく「北内郭」を一通り見ました。
と言いたいのですが、実は二重にある柵の中間エリアに1つ建物があります。


祭殿ですか


毎度おなじみ、鳥さんが置かれています。




では、いよいよ「北内郭」を抜けてさらに北へ。南端にあった祭壇と似たような台形がありますね。
ちなみにこのとき16:04です。


この先はお墓エリアです。


甕棺墓列
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、地面がでこぼこしてます。木の陰がたわんでいるのは、でこぼこのためです。


甕棺墓は一部イメージとして見せています。(もちろんレプリカですが)




時間が無いのはさすがに自覚していたのでさっささっさと進みました。
いよいよ台形の手前です。


祀堂


祖霊の宿る柱


「北墳丘墓は、弥生時代の後半にはお墓ではなく、祖先の霊をまつる祭壇として人々の信仰の中心となります」だそうです。
考え方の変遷が面白いですね。


北墳丘墓から北東をパシャリ。
後ほど出てきますが、ここには中世に城が出来ていたそうで、こりゃ見通しもよいですね。


南にあった祭壇とは違って、残念ながら登れません。


「遺構面と甕棺は本物を展示しています」ってすごい。


台形、建物だったのか。



おお、すごい。すごいぞ。


建物的には、中央に甕棺墓(全部で14基)が見えるようになっており、外周が通路、その壁に展示、という構成です。




ジオラマ


さっきの甕棺墓列もそうでしたが、想像していたよりも浅いところに埋めたんですね。
なんとなく古墳のイメージが強かったので、相当深くに埋葬されたという思い込みがありました。


甕棺墓列のジオラマ
列っぽく埋葬されているとはいえ、現代のお墓みたいに理路整然とした区画整理を感じさせるほどではなかったんですね。


北墳丘墓のジオラマ
こちらも同じく区画整理って感じではない。


なるほど、墳丘墓は元からあった地形を利用するというよりは、丘を造っているんですね。


丘の造成での、土まんじゅう構造が分かる場所も示してくれています。
(写真だと分かりにくいですが)


空調で万全の保護を図っています。




「中世(戦国期) 丘陵の全体に山城が築かれ、北墳丘墓の周囲に防衛のため溝が掘られ、墳丘墓の上に櫓が組まれる」
……よくまあ、壊滅的な破壊を免れたものです。



「北内郭」の主殿と祀堂、北墳丘墓がちょうど一直線上にあるのは、なるほど意図的なものでしょうね。


そしてその線は雲仙に向いている、と。
やはり山は信仰の対象になりやすいですね。



さて、そんなこんなで16:17を過ぎました。
急いで次に行きましょう。

次は、今しか見られないものです。
ちょうど少し前に、吉野ヶ里歴史公園内にあった日吉神社が場所を遷り、長年調査できなかったその土地の発掘調査が始められました。
で、このときその現場をなんと一般公開中なのです!


……時計を見てびっくり。あと9分しかない!
間に合わなかったら恐ろしく後悔するところでした。

こんな感じで、一般公開用に緑色の通路が設定されています。


本当に発掘現場の横を歩けます。


おや、火を使った跡がありますね。なんだろ。


甕棺墓さん!
(そんな無造作に。。。)



ちなみに他には母親と小さい娘さんの2人組が見学していました。
ちょうど係の人がそちらに解説などしており非常にうらやましく思いつつ、時間も無いので先を急ぎました。


すごい大きな切り株がありました。
すまないなぁ。


……さて、急ぎましょう。ほんとに急ぎましょう。
閉園時間まで、なんとあと30分ほどです。

さらに北側には「古代の森体験館」と、さっきより遙かに大規模な甕棺墓列があるのですが、どう考えても無理です。
帰路を考えると北上するのは無理なので、諦めて予定していた西口に向けて栗田ターンを決めます。

遠き山に日は落ちて(佐賀平野なので山ではない)


実は園内バスが北墳丘墓からも出ているのですが、すでに10人以上並んでいたので利用を断念して歩くことにしました。


さっき通ったときはあんなに賑わっていた「弥生の大野」が。
夕日も相まって、この寂寥感たるや。


西口が見えました。
このまま進むのが当然最短なのですが、誰もいない芝生って、すごい足を踏み入れるのに躊躇しますよね?
ってことで迂回。


16:44
さて、出ましょうか。
さよなら吉野ヶ里歴史公園。3時間あれば余裕とか舐めたこと考えてすみませんでした。まさか半日かけて見切れないとは。



さて、来たときは吉野ヶ里駅から歩いて東口を使いました。
今回は西口を出て神埼駅(吉野ヶ里駅よりも1駅佐賀駅側)を目指します。

……って、道案内が無いぞ?
皆さん基本的にお車なのでしょうね。駅まで歩く人はレアなようです。

出入り口付近にいた係の人に道順を聞きまして、今度こそ駅に向かいます。

さらば、さらば。


西口の正面にあるこの道をまっすぐ行って、途中で左に曲がるそうです。
駅っぽいものが見えるので、それを目がけて曲がれば良いそうです。……なんか変わった形の建物があるので、たぶんあれでしょうね。


ちなみに、私の見た中では、前後に駅へ向かって歩いてる人は皆無でした。
てことでマスク外して……ああ、土の匂いがする。

16:49
……ん?
まさかあれ、噂の新幹線です?
なんか新幹線をモチーフにした観光列車という趣ですが……。



さて、事前に予想していたとおり「紛れもなく奴さ」ということで、あれが駅でしょう。左折します。


ちなみに元々進んでいた道はそこそこ交通量があるのですが、曲がったらほっとんど交通量ありませんでした。
てなわけで反対側にあったコスモス畑(行きに電車から見たコスモス畑です)に易々と立ち寄れます。




確か閉鎖になった施設



……と、ここで思いもよらないことが起こりました。
目の前で、プラットフォームに佐賀方面の電車が滑り込んで来るではないですか。
うっそでしょ、駅まであと50mぐらいのこの距離でそんなイジメある!?


もともとは、吉野ヶ里歴史公園を見学した後は以下のような予定でした。
~~~
北口から出て、歩きで1km弱のところにある「王仁博士顕彰公園」へ
⇒タクシーを呼んで、余裕があれば「佐賀のエッフェル塔⇒姉川城跡⇒横武クリーク公園」
 余裕が無ければ「横武クリーク公園」
⇒歩きか、可能ならタクシーで神埼駅
⇒17:35、あわよくば17:14の電車で佐賀駅へ
~~~

まあ結果的には全部吉野ヶ里歴史公園に費やしたわけですが。
てなわけで、17:14よりも前の電車は調べてなかったんですよね~。
こんなに僅差で逃すのは、ちょっと悔しい。

やはり猛烈な足へのダメージで、Maxの半分程度しか速度が出ないことが大きいですね。
吉野ヶ里歴史公園を出てからMax出せていればギリギリ間に合ったかもしれません。


気を取り直して、駅前の卑弥呼像をゆっくりと撮影しましょう。


ちょうど駅から家族連れが出てきましたね。
く、悔しくなんか、ないぞ。

ちなみに卑弥呼さんの指さす先には、吉野ヶ里歴史公園があります。


駅に入る階段の手前
うん、余裕があったら回ったんですよ?
それこそ、絶対無理だと思っていましたがさらに時間があれば櫛田宮も行きたいとは思っていたんですよ?


……あれ、時刻表にさっきの電車が載っていない。
ひょっとして、バルーンフェスタに伴う特別運行ですかね?


17:07。ホームに着きました。電車を待ちます。(写真は佐賀駅とは逆方向を写しています)


どれ、まだ7分ありますのでベンチに座りましょうか。
……あ~~~、すっごい疲れた。すっごい久しぶりに座った。

え、あれ、冗談抜きに、下手したら最後に座ったのお昼ご飯では?
約4時間ぶりの着席では?

ちなみに電車はかなり空いていました。ありがたい、座れる。
佐賀駅までたった2駅ですが、小休止は大事。


……隣の伊賀屋駅で、ノーマスク&普通におしゃべりするガキ3匹が乗ってきましたね。
これは個人的な見解ですが、地方はリテラシー低い傾向。


続きます。
6時間前に吉野ヶ里駅を降りてから、いったい何キロ歩いたやら。


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