高木ますおブログ

日々の出来事や感じたことなどを綴っています

北川中学校2年生と千羽鶴と被爆少女佐々木禎子さん

2010-11-14 22:42:42 | Weblog
 今日は北川町の産業文化祭が首藤市長、後藤議長、小田議員、新名議員、白坂組合長等、多くの人においでいただいて盛大に催されました。毎年、各公民館が出す、焼鳥・焼きそばをつまみにビールを飲み、多くの人と語り合い、秋の1日をゆっくり過ごす楽しい1日です。
 しかし、今日の産業祭は大会長だった池田功瀬口区長が直前に急逝し、寂しい祭となりました。勿論、顔や言葉には出しませんでしたが、来賓として壇上に上がった開会式でも、最後の抽選会でも、ステージ前に集まった多く人だかりの中に、何回も何回も右から左、前から後ろまで目をさらにして池田さんを探してしまいました。これは私の習慣であり、勿論、いるわけはないのですが。

 農産物の品評会もあり、自信作がたくさん展示してあり最後に即売がありました。

 文化祭では多くの書や絵画や切り絵や盆栽やその他多くの作品が展示されていました。その中の一角で北川中学校の2年生の自作自演の「644」という映画?が上映されていました。

 広島に修学旅行に行く北川中の生徒の想いを「千羽鶴」を折るという事を通じて表現した作品で全2年生が出演しています。「広島への修学旅行をタダの思い出だけでは終わらせない為に何をするか」話し合い、「千羽鶴」を折り、原爆慰霊碑へお供えしようと取りかかります。

 しかし、想いには各人の温度差があり、ある日、出来上がっていた鶴がくしゃくしゃにされ、呼びかけて女子生徒が落胆してしまいます。これをきっかけに友人が「千羽鶴」をネットで検索し、千羽鶴が平和のシンボルとなったのは、被爆少女佐々木禎子さんが「千羽鶴を折れば、願いが届く」と祈りながら薬包紙や見舞い品の包装紙で、鶴を折り始めたが、願いむなしく原爆症で12歳の人生を閉じたのがその原点で、644枚を折りあげて亡くなり、残りの356枚は彼女の同級生によって折られ、彼女と一緒に埋葬されたということ。
 そして、禎子さんの級友たちが「その悲しみと平和の願いを世界に」、「原爆の子の像」の設立を呼びかけ、昭和33年に広島市平和公園内に完成した事を知り、本気で全員で折るというストーリー。

 動画や画像を駆使して素晴らしい出来映えで、思わず涙してしまいました。彼らの修学旅行は永遠に彼らの記憶に残るでしょう。タダ広島に行って見た原爆ドームではなく、「千羽鶴」を通じて知った原爆ドームの物語が。