高木ますおブログ

日々の出来事や感じたことなどを綴っています

麻生首相被災地視察よだきしてキャンセル?残念

2009-07-26 22:13:45 | Weblog
麻生総理天気になったら行くの?

麻生総理は7人の死者・行方不明者を出した山口県防府市の特別養護老人ホームの現場を視察する予定だったが「2次災害発生も懸念され、地元の状況を考慮し現地調査は中止することにした」と語った。

あなたは何か勘違いしているのではありませんか。あなたが今することは、何をおいても災害現場に飛んで行き、泥まみれになって現地を視察することではありませんか。
土木の道で生きてきた人間からすると「最初から行く気がなかった」のではとさえかんぐってしまいます。「2次災害が起きる場所」は災害最前線で、危なければ何もそこまで行く必要は無い。安全な場所から視察し県市の説明を受けたり、避難施設を見舞ったり、することは何ぼでもある。

平成9年9月の台風19号災害の時は江藤隆美代議士がすぐに現地に入り、堤防が切れた北川町川坂宮原地区で「河川激特事業で必ず復興させる」と言い切り、ハンドマイクを持っていた私は「大きな安心安堵感」を感じた反面、「言い切って大丈夫かい?」と心配もしたものだ。

平成17年9月の台風14号災害の時は今度は江藤拓代議士が浸水被害の延岡市古川町などを視察し、地域の人に大いに感謝された。
その後「五ヶ瀬川河川激特事業」が採択され、河道の掘削、堤防の補強・嵩上、川幅の拡幅、ポンプ場の設置等の整備がなされ、今年度が最終年度で整備が完了しようとしているのは御承知の通りである。
 
あまり知られていないのが、延岡を視察したあと、西臼杵・入郷の江藤拓後援会の「4WDジープリレー」で、被災した悪路をもろともせず、日之影・高千穂・五ヶ瀬・諸塚・椎葉の被災地に入ったことだ。どこそこに泊めてもらいながら。
 私にも土木の専門屋としてお声がかかったが「何日かかるか分からん。すぐに帰れるかも分からん」と言うから断った。「まず行動」の拓さんならではのすばやい動きだと感心した。

 百聞は一見にしかず。まずは現場を見なきゃ。「出来るか出来ないか。してやれない時は一緒に泣いてやれ」政治家の基本のきだ。松井繁夫県議から教わった。
1週間後、私も同じコースを妻と娘と3人でたどった。

中山斉彬代議士、どうしても出るなら比例区で

2009-07-20 23:42:34 | Weblog
どうしても出るなら比例区で

 宮崎1区で中山斉彬代議士が出馬を模索している。何を考えているのやら。自民党県連は、国交省大臣を辞任した後の不出馬引退宣言を受けて、次期衆議院議員選挙の立候補予定者を公募し、最終的に上杉光弘元自治相を選出し、県連として自民党本部に公認の申請をしたのです。

 それなのに全国から出馬要請の署名を受けたとかで不出馬宣言を撤回し、あろう事か第1選挙区からの立候補に意欲を示し、自分が支部長を務める、第1区選挙区支部より自民党本部に公認申請を出したとの事。
 チョット待ってください。1区の公募は現職のあなたが出ないということで、規約にのっとり上杉さんを候補予定者として決定したのです。
 現在の混乱は、誰かが「あなたをないがしろ」にしたからではなく、あなたが辞めると言ったから始まったことなのです。

 よもや自民党本部も、県連推薦の1区上杉光弘氏をはずし、不出馬宣言後に「公認を受ければ」と気持が揺れ動く中山さんを公認する事はあるまい。
 現職優先は今回の1区は該当しない。何回も言うが上杉さんが選ばれたのはあなたが辞めると言ったからなので「何と軽はずみな」と思ったのは私だけでは無く、多くの県民も同じ思いだったでしょう。

1区上杉光弘・2区江藤拓・3区古川禎久で既に決定済みなのです。

 どうしても出たいのなら、全国からの多くの署名がより所なら、比例区での出馬を模索して下さい。

北川町役場OB安藤悦美さん「まち創りへの想い」

2009-07-18 02:08:05 | Weblog
想いは同じ。いいまち創ろう

 6月議会の一般質問の内、「島野浦の地域おこしとトライアスロンの開催」「自主防災組織」について、北川役場OBの安藤悦美さんより、貴重な御意見をメールでいただきましたので、御本人の許可を得て、その一部を御紹介いたします。

「日豊海岸国定公園」指定にまつわるエピソードについて
 当時の新聞は「昭和46年12月7日の自然公園審議会において大石環境庁長官に指定を答申。早ければ翌年の3月に指定」と伝えています。
各省庁との協議とか色々の課題があったのでしょうか、答申から3年ほどした、昭和49年(1974年)に指定を受けています。

「光りを浴びる日豊海岸」
 宮崎日日新聞は大見出しで「光りを浴びる日豊海岸」として関係市町村の紹介と首長の談話を掲載し、「道路の問題、宿泊施設の整備などのほか課題も多い」と報じています。

 現在は、これらの課題も整備されつつありますので、いよいよ「売」のチャンスが来た訳で、阿蘇海岸から島浦のトライアスロンの構想などは大変素晴らしいと思います。

 当時、観光係だった私は、盛武義美経済課長の指導のもと、国定公園の指定準備として、県土木部観光課の要請で鏡山からのリアス式海岸の写真撮影に出かけました。当時は、牧場造成中であり、手前の牧場から左手に1時間ほど入り、「牧場と深島方向」のアングルで撮った写真が大変評価をいただいたのを記憶しています。
その写真を、県庁に持参したところ、土岐観光係長からは、お礼の言葉をいただきましたが、当時の観光課長は、環境庁から出向の方で以前は八幡平国立公園事務所にいたとかで、名刺を投げてくれました。「国の役人は偉い」と思いつつも「いやな奴」と思った次第・・・

在職中のまち創りへの想い。「北川町の最強は?」
 「北川を泳ぎ渡って、堤防を下り、自転車に乗り換え、家田地区から町道で鏡山までのコースで北川町の最強の者を選任したい・・・」そのようなことも考えていました。トライアスロンの構想実現の程、尽力ください。

 以上が御意見の一部です。私も『「北川川下り」で関所を設け、「泳がせたり」「深いとこをもぐらせて川底の石を取らせたり」「鮎を掛けさせたり」、清流北川でしか出来ない川下りをやりたいな。やれないかな?』と本気で想ったものです。

 現在、私は多くの皆さんのお陰で微力ながらも、「想う」立場から「想いを応援・支援してやる。やれる」立場にあると考えます。多くの若者が「想い」を語り、その中の「ばか者」が行動に移す。「若者」「ばか者」「よそ者」の3者(さんもの)の「まち創りへの想い」を応援していきます。

 貴重な御意見ありがとうございました。「こんな夢」「あんな夢」「バカじゃねーかと言われそうな夢・想い」ありましたら、消化できるか分かりませんが御一報下さい。

 一緒に「いいまち」造りましょうや。


延岡土木 すばやい対応 地元感謝感謝

2009-07-15 01:17:14 | Weblog
326号北川上赤に視線誘導灯着く

 国道326号上赤地区の直線道路下り車線での路肩よりの転落事故が絶えません。事故を防止する為、路肩に視線誘導標を設置していただきたいとの地区民から要望がありましたのでご検討くださり、早急な対応をお願いいたします。

 以上のお願いを先週、延岡土木事務所に致しましたところ、その週のうちに設置していただきました。安い金額で出来る工事とはいえ、間髪を入れない対応に地元は感動さえ覚えたそうです。

 延岡土木事務所にしても、国交省延岡河川国道事務所にしても、最近、「すぐ出来る事」への対応はすごく早くなりました。ありがたいことです。
 同じやってくれるにしても、1ヵ月後だったらどうだったでしょうか。やはりすばやい対応がありがたみが沸くし、信頼関係も構築できます。

 だからと言うわけではありませんが、私たち北川町の「子供見守りたい」では、10号の歩道にさいかぶった草木を、ボランティアで校長先生も参加していただききれいに「散髪」しました。これからも自分達で出来る事は骨身を惜しまずやっていきたいと考えています。 きれいは安全。

追伸
 今日から、最低制限価格を6月1日より引き上げた事がその後の入札結果にどのように繁栄しているか調査をし始めました。
 まだ調査は不十分ですが、今後、これらの資料を基に工事の適正価格での落札、契約を監視し、少しでも健全経営の手伝いが出来ればと思っています。



延岡市文化センターとヘルストピアと信号機

2009-07-09 21:46:13 | Weblog
文化センター正面交差点に信号機?!

 先日、文化センターで「東九州自動車道」の予定通りの完成と、「九州横断道延岡線」の蔵田までの早期整備、「日之影バイパスの早期着工早期完成」を求める決起大会が開催された。
 江藤拓代議士も出席し「道州制になる前に高速道路の整備を終わらせないと宮崎県北は時代に取り残される。県北の高速道路整備に命をかける」と挨拶された。

 会場で須美江の区長に「須美江インター決まっていいかったな」と言うと「選挙結果でどうなるか分からん。心配しちょっとよ」と言う返事が返って来た。
 このインターは7月2日のブログで述べたように「日豊海岸北川線」の代替バイパスとして計画されたのです。
 日本一の海水浴場須美江と日本一の清流北川を結ぶ役割を担っているのです。
政権が変わったら「須美江は北浦インターから一般道で15分足らず。須美江インターは不必要」となるだろうか?ならないだろう?なる?

 交差点の安全確保に話をもどそう。
 東高校PTA役員OB会「七夕会」で、私のネームを見て「市議会議員ですか」「はいそうです」「お願いがあるのですが」「僕で出来る事ですか」「文化センターの交差点に信号機を付けてもらえませんか。事故が起きているんですよ」
 文化センターでは年間を通じて多くのイベントがある。また、近くには「ヘルストピア延岡」があり、多くの人が集い、車が行き来する。

 そう言われればあそこはよく迷うところだ。まっすぐ玄関前の駐車場に行くか。右へ曲がって東駐車場に入れるか。左へ曲がってゴミ焼却場通線沿いの駐車帯に置くか。一瞬の迷いが「ヒヤリハット」を起こし「クラクション攻撃」を受けた事もある。

 早速、土木課に行って「信号機の要望等は出ていませんか」「別にどこからも出ていません」「事故の発生についても承知していません」「信号機設置は警察です」との回答であった。
 知り合いの数人に話を聞いたら、「ヒヤッとする事がたまにある。事故はかなり起きちょると思うよ」と言うのが大方の返事だった。

 よし、わかった。明日警察へ行って事故の発生状況を調べよう。「死亡事故が起きればすぐに付くがね」は何処でも言われる言葉。そうなってでは遅い。
白石武仁議員に「あんたの信号どんげしたら付けた?」と聞いてみよう。

今日からちょっと頼りないホタルの里親になりました

2009-07-05 00:16:39 | Weblog
来年2月までホタルの里親します

 今日、朝9時、日向から連れてこられた幼虫200匹と顔合わせがありました。
20cm四方の透明なタッパに入った目を凝らさないと見つけられない0.5mmくらいの平家ホタルの幼虫です。
 「北川やっちみろかい長井支部」が取組んでいる「ホタルの乱舞再生事業」の一環として、「ホタルの里親事業」をやることになり、朝からご対面したのです。
 「犬や猫のようにはいかないよ」と言う日向の「里子に出す産みの親」の話で、里親受けるかの判断に迷う人もいましたが、結局、8人の里親が25匹づつを引き取ることになりました。

 11時過ぎには我が家に25匹の里子が到着しました。神社の草刈をして帰ってみると、ちょうど夏田幸男さんが「カワニナ(タニシ)獲ってきたよ。いるかい?」と寄ってきました。「いるいる」「50匹くらいやるわ」と言って私の差し出した洗面器に入れてくれました。

 早速、タニシをつぶして、ハラワタを除いて餌として与えました。買物から帰ってかみさんが「このタッパの水は何?」と聞きました。「ホタルの幼虫が入いちょる。さっきもろちきた」明るいところで目を凝らさないと見えない。「水じゃねえちゃき、うっすんなよ」

 午後からの予定は「戦争を語り継ぐ」講演会以外は全てキャンセル。ホタルの里親の仕事に集中しました。

 今は0.5mmにも満たない点のような幼虫が、来年6月には多くの皆様を迎えるホタルとして生き残っているために、尻込む家族と一緒に里親を立派に務めたいと思います。

 来年のホタル祭りには、会場周辺でホタルが見れるかもしれません。
平成9年の大水害前までは、北川では大量のホタルの乱舞はどこでも見れる「当たり前」の光景だったのです。
水害を機に北川本流の本川ではほとんど見られなくなりました。

 長井地区の再生を目指していますが、この前飲んだ時に宮本義伸君が言った『「どこでもちらほら」ではなく「どこどこは大乱舞」「北川に行ったら必ずホタルの乱舞は見られる」というような拠点造りが必要じゃねーどかい?』と

 そうしたい。まずは拠点造り。その後、台風前のように何処でも乱舞。
今日の里親開始はその第1歩でもある。
何もしなくても普通にホタルが乱舞し、それを当たり前と思ってきた北川の住民。台風という自然災害が原因とはいえ失ったものは大きい。
亡くした物を再生するには「多くの労力と時間と根気と、少しのお金がかかる。

よみがえれ!ホタル飛ぶ自然とふるさとの心

東九州道「須美江インター」10年来の夢叶う

2009-07-02 21:57:19 | Weblog
須美江ハーフインターの夢叶う

 国土交通省延岡河川国道事務所、宮崎県、首藤延岡市長ありがとう。
そして、江藤拓代議士ありがとう。

 平成11年7月。夏真っ盛り。私達北川町は須美江公民館で待っていた。
 今日の日程は、延岡市内から浦城・須美江経由で北浦へ。三川内まで行ってUターン。再び北浦経由で須美江まで引き返し、日豊海岸北川線を通って須美江峠を山越し、北川町への工程だ。

 20分近く送れて受け継いだ。いよいよ山越え。同乗したのは盛武町長。「これが県道か。大変だね」「トンネルか何かで改良して欲しいんですが」「そうだね」。
会話をしながらくねくねカーブを25分。北川町家田に降りて来た。

 夏の盛りの山越えのくねくね道。不機嫌だった松形さん。しかし、それは次の瞬間、一瞬で吹っ飛んで満面の笑みと変わる。炎天下の中、200人近い人が集まって、30分遅れでも大歓迎したのだ。さっきまでのルート設定、時間の遅れの不満はどこえやら。笑顔でみんなと握手握手だ。

 本来のルート、北浦三川内から北川へ直接行けなかったのは、県道「北川北浦線」が松瀬で地滑りが発生し通行止だったからだ。

 遅れに遅れて一路「松瀬の災害現場」へと向う。工程を組むとき「そこには行かない。行っちょる暇が無い」と言った私。「ま、何も言わんで連れち来い」と言う矢野茂。結局行く事になった。

 「選挙中だ。災害現場視察ではない」「何で災害現場をこんな時に見るのか」と車中ではご立腹だ。「降りなくてすぐにUターンします」行くだけ行ってください。

 30分遅れの工程のまま、松瀬の災害現場へ到着。そこで待っていた光景に、驚いたのは知事だけではなかった。
 現場には100人以上の人。昨日来の雨で、川は水量が増しているのに船で下って現場で1時間近く待っていたのだ。船で来れないお年寄りや女性約100人は200mくらい上流で大きな声で「がんばれ」コール。それからの事は語らなくても分かるだろう。握手握手。私も鳥肌が立った。

 宮崎県知事選挙での出来事だった。その後、松瀬の災害復旧は順調に工事完了した。日豊海岸北川線も「約900mのトンネル等での改良計画」が発表になり、事業説明・用地の交渉・測量・調査ボーリング等までトントン拍子に進んだ。結局昨今の財政悪化のため事業は凍結された。

 そして、東九州道を使っての代替案が浮上してきた。自転車・歩行者は別として、有料道路ではないので、誰でも無料で行き来できる。高速道代替で問題は無かろうということで、須美江地区に置いては須美江インター線の説明会まで行われた。
 あれから4年ぐらい経っただろうか。なかなか国の認可が下りず、須美江区長も私も、やきもきのしどうしだった。

 何はともあれよかったよかった。代替と言う事で、横断道延岡線「延岡市舞野インター」のような「延岡への行き来のみ」の「ハーフインター」ではあるがまずは良かった。一安心。10年来の夢が叶う日は近い。