高木ますおブログ

日々の出来事や感じたことなどを綴っています

先生も一生懸命ですよ

2008-10-31 17:36:12 | Weblog
先生も一生懸命です

 桜・センダン・けや木・クヌギ・イチョウ、一つ葉・椿。
 落葉のシーズンを迎え、校長・教頭先生が2人で朝6時半から子供達の登校前に校内を清掃している。見かねて先週から掃除を手伝う事にした。
  
 「すみません。助かります」「いんにゃ、気にせんでいいちゃが」「私がしますわ」「あんた他にするコツがねーならいいよ。あっどが。おりで出来るこたあー加勢するちゃが」「落葉の時期じゃかり加勢すっとよ。ズーとじゃねーよ」

 先生も私も、朝の通学時間、「子供見守りたい」として学校周辺・校門前に立っているので、子供が通学してくる7時前までには終わらせなければならない。
 雨の次の日は大変。大量の落葉が舗装にへばりついて抵抗する。6時過ぎから始めないと間に合わない。
 
 あくまでも本業は「子供見守りたい」。掃除にかまけている?わけにはいかないのである。
 そういえば、朝の「子供見守りたい」の仲間に入れてもらって明日11月1日で丸2年になる。
 学校周り・運動場・中庭の草刈は以前からやっていたが、「見守りたい」立番は、延岡の会社に勤めていたので出来なかった。市議への挑戦を機に会社の第一線を引いたので、朝の時間が自由になったから出来るようになったのである。
 
 話がそれたが、朝早くから学校へ出てきて仕事をしているのは何も校長・教頭ばかりではない。
 朝7時前から登校し、教室の窓を開け、準備をしている先生。プールの準備をしている先生。運動場にラインを引いている先生。多くの熱意ある先生方が朝早くから晩まで子供の教育に当たっている。本当にありがたい。

 私が小学校のPTA会長の時、「若ケー先生ばかりでだめじゃ」「若ケー先生じゃ頼りにならん」「もっとベテランの先生に来てもらえんとかえ」と言いテー放題の保護者もいた。

 「やる気のねーベテランの先生よりも、個性豊な、熱意のある、元気な、子供が魅力を感じるような若い先生のほうが子供にとっては何倍もいいとじゃが」
 「わっドンがそんげなこつ言うたら先生もよだきーわい」「北川は若けー先生ばかりちゅうコツはやる気満々、元気な学校ちゅうこつぞ」

 「若けー先生はやる気満々で来ちょっちゃき、親が育てにゃ。おっドンが北川で育てちやらにゃ」

 あれから20年。社会も地域も学校も子供も先生も。その環境が大きく変わった。

変わってない事が二つある。
①「人生は通りなおしのきかぬ一回きりの片道」だと言う事。
②「学校はこれからの人生を豊に生きる為の、夢を形にする為に必要な、読み書きそろばんの基礎基本を教えるところ」

「先生、てげてげやっても5年。一生懸命やっても5年。じゃったら一生懸命やろうや。子供にゃ大事な5年です。おっドンも真剣に応援するき。子供達をよろしく頼みます」

 歓迎会での決まり文句が今はなつかしい。


バカが出来る元気があるうちに

2008-10-26 19:54:33 | Weblog
元気があるうちに

 土曜日は午後3時から久しぶりに堤防・市道の草刈をした。

 地域の環境整備に朝から晩まで「まず行動」を実践している、75歳の安藤勲さんと、竹林国興元北川町教育長が、日曜日の「道守」活動「ちょっとだけがんばろう1時間」だけでは終わらないと判断し、一日前から草刈・花壇の手入れを懸命にやっているのを見たからだ。
 真っ暗になる6時過ぎまでやって、堤防・市道の草刈まで終わった。日曜日にその片付けと花壇の花植をやるだけとなった。

 そして、26日日曜日。8時からの約束だがもう7時過ぎから4人が出て来て始めた。なるべく、みんなに負担がかからないようにそれぞれが早目に来たのだ。
 結局7時40分頃には大方揃った。
 時間通りに来た組が「7時かりじゃったかえ?」「いんにゃ、皆、はよ来たつよ」

 花壇の手入れ、冬・春花の植付は国土交通省の「道守」デーに合わせて実施したのです。
 おかげで、延岡河川国道事務所の職員の方2名と夕刊デイリーの平尾誠記者が来て、写真をたくさん撮って、会長の竹林国興君、上杉洋幸さん等にインタビューをして帰りました。

 飛石老人クラブの会員の方々にも多く参加していただきました。その働きや、「枯れ木も山の賑わい」どころか「花壇の草取り・花の植付」ではレギュラー。しかもクリーンナップ。誰もがエースで4番の大活躍でした。
 「わかちょればぴしゃっとしてくっちゃたっちゃが」「いんでお色直しして来ない」「いつ新聞に出っとかえ」「火曜日じゃねーどかい」「ジャスコと延岡駅に大きなポスターにして張るゲナヨ」「役場にも、道の駅にも」と話は弾む。
 おかげで花壇の草取り、花の植え付けが進まない。

 9時半を回ってやっと終わった。片付が終了していないが「終わり」の指令が竹林会長から飛ぶ。「まだ終わっよらんが」と思いながらも集合。
 「ありがとうございました。おかげできれいになりました」とお礼の挨拶。
作業時間は1時間位と案内していたので、「これ以上使ったら次からが大変。誰も来んなる」と判断したのだろう。

 「ご苦労さん」とお茶が出た。昔だったら「缶ビール1本」だったのだろうが今は飲酒運転撲滅。「ペットボトルのお茶1本」

 役員が残りを片付けた。おかげで1km位の10号・市道がきれいになった。11月中にもう1度、草を刈って正月を迎える。

すがすがしい。いい気持ちだ。

 私もうちのやつも、地区のみんなも、大切な仲間達もそれぞれに、まだまだ元気だ。がしかし、確実に年も取ってきた。

 俺達は、30代になっても、40が来てもあまり変わらなかった。成長しなかったと言えば、その通りかもしれない。子供みたいな30代、大人になれない40代をみんなで泣いたり笑ったり、楽しく元気?に過ごした。

 若い頃から、時々、「俺達、このまま、大人になれないで60代を向かえ70代が過ぎ、じいさんになっても今のままでバカやってんじゃねーのかな」とお互いで話していました。
そう思うくらい、何でもやるのが、行動するのがみんな好きでした。

 「バカ」の勲章をもらう事を夢見て行動してきました。若い頃もらった大切な勲章が「野球バカ」でした。
その「野球バカ」も30代で卒業した。

 今振り返ると、多くの失敗もしたし、「あんげなコツせんけりゃよかった」「あれをもう少し真剣にやっちょきゃよかった」「あれも・・・これも・・・」

 しかし、その延長線上に間違いなく、今の自分がある。そして、「俺は正しいと思うことを「銭金抜き」でやってきた」と自負する。「まだまだ俺はバカしているぞ。バカする元気があるぞ」といい気になったりもする。

 陰になりひなたになって「バカを」「大人になれない、ならなくてもいい」自分を支えてくれている多くの人の存在をしばしば忘れる。

 いい人にめぐり会えた今までの人生。そのおかげで今日がある。

 お返ししなくっちゃ。好きなように生かしてくれたこの世の中に。
「バカ」であるうちに。「バカ」が出来る元気があるうちに。



口だけの軽トラ市解消?ふれあい釣大会でやっちみるわ

2008-10-23 01:31:21 | Weblog
口だけの軽トラ市解消??

 北川漁協の長瀬一己組合長が、ふれあい釣大会の日に軽トラ市を「やっちみろうかい」と言う。
 地区の運動会と重なっており、大変だけど、一歩を踏み出す為に「やっちみろうや」と言う事にした。
 とにかく一歩前へ。成功してもせんでも。口だけの軽トラ市から卒業しようと。

 毎年、猿とカラスに食わする「柿」を、悪いが、今回は人間様にいただこうと思っている。
 甘柿、渋柿。柿は腐るほどある。みんなから「ただ」でもらおう。だって、ちぎるのは私だから。金までは払えない。

 「ただ」でもらって、その売上は「ふれあい釣大会」に参加し、その中心となって頑張っていただいている、「日赤」のおばちゃん?いや、お姉―さん達に寄付しよう。

 皆さんも軽トラに乗って、地獲れの野菜を、朝獲ったばかりの北川の鮎を、売りに来ませんか。売りに来てください。

11月2日(日曜日)朝9時30分から、熊田の河川敷で
         雨の場合はホタルの館。

 何でもいいんですよ。こんなもんはだめじゃろう?だめじゃありません。
 延岡山下新店街「お大師軽トラ市」の練習だと思って。


 以前にも、(愛)さんにも言いましたが、

 「山下お大師軽トラ市、売り子体験ツアー、あなたも1日農家軽体験」
 都会の人を前日から農家に泊まり込ませて、商品を準備して、始めて乗る「軽トラック」でいざ軽トラ市へ!雨でも出来る全天候型軽トラ市。

遊び心満載の
 一泊2日の料金はあなたの売上しだい。稼ぎがよければ安くなる。もっと頑張れば、ツアーはただで、おまけに小遣いまで稼げる、「ワーキング軽トラ市体験ツアー」

「のべおかん、あったかい、いなか」
「軽トラ市、売り子体験ツアー、あなたも1日農家軽体験」

春には実現したいな。

おもしろくないけ? 野々下商工観光課長
売り子やっちみてとは思わんけ? 黒木企画課長

 「お化け屋敷」などを商店街の皆さんと一緒になって企画し、山下新店街の活性化に懸命に取り組んでいる、内田理佐議員の「山下お大師さん軽トラ市するもんこの指とまれ」の号令を私達は待っている。


報恩に生きて(松谷希次)

2008-10-21 00:46:58 | Weblog
 私は、松谷さんには小さい時からかわいがっていただいた。

 松谷さんが、大東亜戦争(太平洋戦争)で南方戦線に配属され、負傷し、多くの戦友のおかげで生きて帰れた事。 その後、ブーゲンビル島を中心としたソロモン諸島に、遺骨収集・残留日本兵捜索に人生を掛けて来た事。今山に平和観音を建立した事。
 おやじと同じ傷痍軍人で、しかも同じ長井郵便局に勤めていたからすべてを知っていた。
 知っていたと思っていた。今年の夏に戦友への想いを綴った「報恩に生きて」をいただいて読む前までは。
 
 47ページの薄いA5版の冊子。小さいがその中身は濃い。いや濃いというより重い。何回読み返しても、涙無しでは読めない。
 
内容の一部を紹介します。

①出征
・・・各停車駅では兵隊の名を呼びながら右往左往する人、会えて喜び別れを惜しむ人、悲喜こもごもの光景に目が潤む。
 今日限りで会えぬかも知れないと思うと、握った手は強く締まり、お互い涙が落ちる。「父よ母よありがとう。国家の為、南方戦線の護りに往きます。何時までもお元気で見守っていて下さい」と、言葉には出せず心の中で呟いた。・・・

②第1次タロキナ攻撃
 ・・・途中は河川が多く、渡河する時は鰐に喰われる兵あるも助ける術もなく、敵機飛来の合間に渡りきることが精一杯である。・・・

③第2次タロキナ攻撃
 ・・・艦砲射撃の集中砲火を受ける。砲弾の破片が左足首を貫通して歩行不能となる。巻き脚絆を解いて止血はしたが・・・。
 連隊が移動となるが歩けず陣地に放置される。「捕虜となり虜囚の辱めを受けるより手榴弾で自決を」と・・・

 結局、松谷さんは100kmのジャングルを、6人の担架兵により担送してもらい、彼らと「蛆虫」のおかげで、命ばかりか「負傷した足」も助けてもらった。

④終戦

 終戦により帰国し、郵便局へ勤める。
 郵便局を退職後、帰国後片時も忘れた事のなかった「帰らざる戦友への報恩は如何になすべきか」を模索している時、戦友会から「ブーゲンビル島の遺骨収集」に参加の依頼があった。

 ・・・頭の骨を手にした時、歯が綺麗に揃っているのが見えた。「若い人であったのだろう」と涙がこみ上げてくる。・・・

 昭和57年に4ヶ月間、残留日本兵救出捜索隊としてジャングル生活。

 平成15年までに、慰霊巡拝と遺骨収集でブーゲンビルへ渡航すること26回。沖縄にも9回。
 ・・・ただ一途に還らざる戦友に報恩の誠を捧げるためである。私を助けて散華した、還らざる戦友の御冥福を心からお祈り申し上げる。・・・


⑤戦友よ安らかに

ブーゲンビルに慰霊碑
 昭和62年、6000Km離れた南の島に戦没者慰霊碑を建立する。延岡今山大師寺住職野中玄雄師により、タロキナの現地で開眼大法要を行う。

今山大師境内に姉妹観音
 平成14年、ブーゲンビル島戦没者の慰霊のため、タロキナの姉妹観音として、今山大師境内に観音像を建立し、「平和観音」と命名。

戦没者追悼の日 1月23日
 私がタロキナで負傷した日を戦没者追悼の日と定め、家族総出で執り行っている。この行事が子々孫々に引き継がれて行われることを信じる。
 ブーゲンビル島戦域戦没者の御霊よ、「平和観音」像に集いて安らかなれと願うものである。

⑥「あとがき」

 「ただ国の危急に囚われ、適齢前で国是に従ったのである。このように全国民が否応なく国是に従ったのは、教育の力の然らしむるところである。・・・」

「人間愛、報恩感謝、愛国心等の精神涵養は必要であるが、往時の軍国主義教育に後戻りは許されない。・・・」

そして最後に、
 「日本の教育が如何に軍事教育に徹して軍人精神を叩き込まれていたかである」
 「教育の大事さを察して知るべきである。今後の教育者たるものは、平和の尊さを重んじて平和教育に徹し、戦死者遺族や私のような不具者を出さぬ国創りを願うものである」
 「戦争を知らない世代に、戦争体験者はその悲惨さを語り継ぐ事を責務とし、風化防止に尽力する事が、平和国家の貢献に繋がれば幸いである」と結んでいる。

 この本は、松谷希次氏の人生の叫びだと感じました。
 氏の許可をいただき、片岡文夫氏の「ふるさと心の唄」同様、ホームページに長くその「想い」を掲載して行きたい。




ブログ止まりの口だけDrヘリ

2008-10-15 17:18:55 | Weblog
議会・ブログ止まりの口だけDrヘリ

「内田理佐」議員はコメントで、東国原知事が「ドクターヘリは熊本と大分と宮崎とで協力し、なんとか導入したい」と。九州知事会で検討中。確かに、3県で共同運航すれば負担も減る。

「愛」さんは、「ドクターへり・ドクターへり。掛け声が、ブログ止まり、市役所止まりなら、何もせんのと同じ」「市議会の表立った行動を直接、知事に33人が面談してお願いしてもいいのではないですか」ときびしい。

「下川幸洋」さんは、「人命に関ることですから。人命に関ることでも、県病院などの例もあるし、Drヘリが「維持費で後ずさり」というようなことのないよう」と釘をさす。

 導入費・維持費も含めてDrヘリの運航経費≒1億7000万円は国・県でそれぞれ50%負担。延岡市の負担は原則として無い。

 先日の日本航空医療学会「21年度Drヘリ予算」の内訳を「江藤拓」東京事務所よりいただきましたので、お示しいたします。

ドクターヘリ導入促進事業の充実

       総額 20億9179万7千円

             ①Drヘリ導入促進事業
                 運航経費、医師等確保経費等
                      20億1454万8千円
                 24箇所分
                      既設16ヶ所+新規8ヶ所

             ②夜間搬送モデル事業(新規)
                         7724万9千円
  
 厚生労働省のDrヘリの回答

     ①導入については、市町村と県が協議し、県が国に要望する。
     ②今回の新規8ヶ所は、数年前から申請が出ていたものであり、2年前に、ほとんどが内定していた。
     ③年間3ヶ所への配備を計画


「夢のとびら」 離島の人たち命をドクターヘリで守りたい(10月12日放送)

 沖縄・浦添総合病院院長の井上徹英ヘリコプター 飛行機
   空を使った医療搬送システムを誰もが活用できるようにしたい。

     想えば夢は叶う!

 番組で見る限りでは(久留米大学病院でも同様)当番のフライトDrは、日常業務を離れ、待機室で勉強しながら出動要請を待っていた。
 いったん出動したら「スーパーDr」が要求されるが、待機中の様子はいたってリラックスしているように見えた。


県立延岡病院にDrヘリを導入するに当たって。何が障害?

 延岡病院にはヘリポートが無いという。造ればいい。出来るまでは、どこでも、何ぼでも候補地はある。

案①九州保健福祉大学
 ヘリポートを福祉大に設置。当番のフライトDr・ナースは県病院に出勤せず、福祉大へ出勤。待機中は自分の勉強をしたり、時々は学生の質問を受けたり。
 福祉大から離陸。現場から大貫河川ヘリポート。救急車で県病院。

案②旧延岡西高校
 ヘリポートを西校に設置。フライトDr・ナースは西校へ出勤。待機中は勉強。
 西校から離陸。現場から大貫河川ヘリポート。

 西校閉校が分かっていたなら、ここに県病院を作ればすべて解決したのに。ちょっとした時間のずれ。残念でしょうがない。

案③県立延岡養護学校
 西校に集約された跡地(延岡市松山町)にヘリポート、格納庫、待機所を整備する。
 フライトDr・ナースは基地へ出勤。待機中は勉強をする。

他にもいい案あったら教えてください。

 何回も何回も言うが、否定(出来ない)から入らないで下さい。
障害になる事柄を箇条書きで全部挙げて、全部消していきましょう。

 先進地は21年度から「24時間」Drヘリが始まるのですよ。

 街中と平等に、15分で「命の病院・医者」にかかれるのなら、祝子川、鹿川、大井、直海、島浦、どこに住んでも安心が確保できる。

 田舎に住む者にとっては、大きな障害が無くなる。(この制度はその医療格差是正が最大の目的)

 東国原知事が言う3県共同運航。

 地図を広げて大分・延岡・宮崎・熊本、山口・久留米・長崎を中心にそれぞれ、半径80kmの円を描いてみてください。

 一目瞭然。3県を全般的に網羅するのは、延岡市。

      基地は「県立延岡病院」しかない。

 今日も言われそう。「口だけのDrヘリ?」「お前の想いはそんなもんか?」と

ドクターヘリ早いもん勝ち?

2008-10-11 22:13:09 | Weblog
ドクターヘリ早いもん勝ち?

ドクターヘリ導入に向けて、各県の動きが活発になり、風雲急を告げるがごときの様相となってきた。

21年度予算 ドクターヘリ24機分

厚生労働省は、21年度予算概算要求の中で、ドクターヘリ導入促進事業費として20.92億円を計上した。
これは24機分に相当し、20年度の予算13億5,900万円に対して大きく伸びることになる。
 ドクターヘリ事業は9月現在、13道府県14ヵ所で行われているが、20年度中に新たに青森、群馬、沖縄の3県で始まる予定。さらに千葉県でも2機目の運航が君津中央病院に導入されることになっている。
なお、20年度予算の中には、夜間照明設備の設置費なども含まれる。(日刊航空通信より) 

延岡市議会政務調査で栃木県・青森県に行ってきたが、両県とも導入に前向き。
延岡市もうかうかしておれない。湯浅啓祐議員からドクターヘリと県立延岡病院について、多くを学んだ4日間だった。

 延岡にDrヘリ。俺の手柄、お前のおかげ。はいはい、誰のものでもいいですよ。私はDrヘリが延岡に配備されればいいんですから。
 分かった顔して反対するやつは許さん。延岡は無理だというやつは黙して語るな。人のやる気を削ぐな。黙って静かにしておってくれ。

最近のニュース

栃木県ドクターヘリ導入に前向き

 栃木県知事はドクターヘリについて「救急医療など地域医療の確保は、県民の安全・安心の暮らしを守る上で最優先の課題であり、救急医療運営協議会の検討結果を踏まえながら、総合的に導入を検討したい」と述べた。
 同協議会は、医師会や消防関係者らから組織され、ドクターヘリ導入の費用対効果などを検討しており、県知事の前向きな姿勢に応じて年内に結論を出す方針。(毎日新聞より)

青森県、八戸にドクターヘリ

 青森県は20年度中に八戸市民病院にドクターヘリを配備すると発表した。早ければ20年1月にも運航が始まる見通し。
 青森県のドクターヘリ配備先については、地理的な側面から青森市内の県立中央病院に配備すると位置付けてきた。しかし同病院の体制がととのわず、救命救急センターが充実するまでは八戸市民病院に暫定配備することになった。
知事は「面積が広大で、地域の救急医療を取り巻く環境は厳しい。ドクターヘリを導入することで、県内どこでもいち早く医師の診断が受けられ、県民の救命率向上が期待される」と述べた。(読売新聞・毎日新聞・陸奥新報より)

福岡県2機目 
福岡和白病院のヘリコプター救急計画

 使用機はヒラタ学園航空事業本部のユーロコプターEC135双発タービン・ヘリ。6月27日から和白病院屋上ヘリポートを仮基地にして試験運用を開始、7月いっぱいは壱岐・対馬などで離着陸や患者受け渡しの訓練を行い、8月から9月末にかけて和白病院屋上ヘリポートから正式運用の予定。
この間、台風の場合は北九州空港を仮基地とし、宗像基地に建設中の格納庫が完成したのちは10月上旬から、ここを拠点に本格運用を開始する。
 「民間病院でヘリコプターを飛ばし、地域医療のツールをめざす」として「民間ヘリならではの柔軟性を活かし、離島・僻地など医療資源が不足している地域への医療支援に力を入れたい」と語っている。(日刊航空通信より)

山口県22年からヘリ導入 

 山口県知事は22年度中にドクターヘリを導入、運用開始をめざす考えを明らかにした。
 山口大医学部付属病院(宇部市)、国立病院機構岩国(岩国市)と関門(下関市)の両医療センター、県立総合医療センター(防府市)の4ヵ所にヘリポートを開設。うち1ヵ所を基地病院としてヘリを常駐させ、救急患者を最寄りのヘリポートに運ぶ。
 山口県は平成元年から防災ヘリを、ドクターヘリ代わりに利用してきた。しかし待機場所と病院が離れているなどで、利用は年間数件にとどまっている。一方で、救急車での搬送には1時間以上かかるケースもあり、効率的なヘリ運用を求める声が強まっていた。
 10月にも、医療や消防関係者による検討委員会を設け、ヘリ導入に向けて詳細を詰める。(中国新聞より)

 Drヘリが延岡に欲しい。みんなでDrヘリを延岡市に誘致しよう。
あきらめないで、あなたの力で勝ち取ろう。県病院医師部不足も一気に解決できる。医療格差をみんなでぶち破ろう!みんなものを言え!延岡の未来は今生きてる者にかかっている。

 15分以内の医療開始が延岡市内全域で確保される。今やらんでいつやる!みんな目を覚ませ!


 詳しくは日本航空医療学会HPで


江藤拓かくさない政治をめざして

2008-10-07 00:55:55 | Weblog
講演会の成功を祈る

 昨年の北川町での「江藤拓国政報告会」にも、私は出席出来なかった。今回と同じ、議会の行政視察中だった。
 佐藤誠、内田理佐、松田満議員等は違う日程なので出席してくれた。
9日にある講演会はほとんどの議員が出張中で出席できない。大変残念です。

 昨年も、「みんな来てくれたかな?うまく進行したかなー」と心配もしたが、「副会長・幹事長・その他の役員組がしっかりしているから大丈夫だろう」と、あきらめて、東京よりの「出会出来なくて残念」という「メッセージ」を送った。
 帰って妻に聞いたら「皆さんそれぞれに手分けして、スムーズに行ったよ。よかったわ。あんたがおらんとみんなが頑張るわ」と言われ、少し寂しい気もした。

 今日は、世の中が黄生臭い。そういう状況の中での講演会。居ないのが、出席して盛り上げてやれないのが、昨年以上に残念。
 年金も医療費も本音で語らなくちゃ、もうやっていけないところまで来た。本当のことが知りたい。
 大変なら、みんなで冷や飯を食おうや。みんなで同じ冷や飯を食えば案外美味しいものだよ。
 ホッカホカの白いお飯を食う人。冷や飯のパリパリを食う人。えこひいきがあると人は黙っていない。我慢するのがバカらしくなるのだ。
 みんな平等に冷や飯を食えば、かなりの事は耐えられる。
包み隠さず説明責任を果たし、自らが先頭に立って頑張る。同じ境遇が団結を生む。拓さん頼むよ。

 後援会の皆さん。力を合わせて、大盛会を勝ち取ってください。

 昨日は半日。今日は8時半から15時まで。18時から21時半まで。再度出会のお願いに役員さんのところを回りました。ポスターも貼りました。

 長井地区は回りきれなかったので、明日朝5時から回ります。
6時52分延岡発さわやかライナーに間に合うように走って回ります。
 大盛会で終わりますように。皆さんくれぐれもよろしくお願いします。

中山斉彬元文科相に失望

2008-10-04 08:35:32 | Weblog
「前国土交通大臣」と呼べない
   
 「前国交相辞任」という見出しが新聞に躍った。当然といえば当然だ。
 今日、高速道路も新幹線も熊本方面の西九州との格差は大きすぎる。
 高速道路は35年前に全線開通。新幹線も平成23年春には福岡鹿児島間全線開通。こん格差はなんだ。
 
 九州横断道延岡線は、「江藤隆美」元建設大臣が大臣在職中に「九州地図を半分に折って見なさい。折り目のところに沿って、横断道が必要とは思わんか?」ということで追加された路線だ。

 中山さんが国交相というニュースで心が躍った。
「道路特定財源」の一般財源化が目の前に来ている。来年度からだ。
東九州高速道路の整備はもちろん、他の道路整備にも大きく影響する。
 そういう状況の中で、「宮崎県、特に県北」にとっては、「なって欲しい大臣中の大臣」「国土交通大臣」だったのです。

心が躍った。
高速道路はもちろん、九州新幹線「大分ルート」をテーブルに載せてもらう絶好の機会だと思ったからである。
6月議会の一般質問で「大分ルートの工事着手にリーダーシップを」と市長に提案した。
「長崎ルートも工事が始まった。鹿児島ルートは完成する。次は大分ルートだ。ぜひ大分まででも新幹線がくるようがんばれ」と。

その矢先の、「中山国土交通大臣誕生」
 渡りに船。思わずガッツポーズ。

 2・3日寝たら大臣辞任。夢から覚めた。1週間たったら、「さようなら」
 あなたは誰のおかげで長い間、国会議員をさせてもらえたんですか。
選挙民にへつらえとは言いませんが、あなたの今すべき仕事はなんだったんでしょうか。
 「文科相時代に、日教組との間で何があったかは知りません。が、それなら、なぜ、文科相を辞めた時に、言わなかったのですか。なぜ今なのですか」と言いたい。

 仲間は「前を向こうや。あんなバカと取り合っても仕方が無い」と言うけれど、「逃がした魚は大きすぎる」

 あなたは宮崎県のため今までに「何を」なさって来ましたか?

 奥さんも参議院議員になって「頭に乗ったな」と言われても仕方ない、今回の醜態。失ったものは大きすぎる。

 2日間の大臣では「前国土交通大臣」では無いし、呼べない。

 

山下お大師軽トラ市売り子体験ツアー「あなたも1日農家体験」

2008-10-03 07:36:23 | Weblog
軽トラ市 (愛)さんへ

 出店してくれる軽トラックはたくさんいます。やるかどうかの決断だけです。

 学生時代の「学園祭バザー」でのホットドッグの売り、案外楽しかったですよ。
そうだ!
 その楽しさを味わってみたい人、体験してみたい人には「軽トラ市売り子てつだいたい」をしてもらったら、参加してもらったら。

 ツーリズム観光が、体験観光として流行っているから。結構やり手がいたりして。遊び心でやってみたいね。

「山下お大師軽トラ市、売り子体験ツアー、あなたも1日農家軽体験」

 都会の人に前日から農家に泊まり込んでもらって、商品を準備して、始めて乗る「軽トラック」でいざ軽トラ市へ!雨でも出来る全天候型軽トラ市。

「のべおかん、あったかい、いなか」丸々体験ツアー。

 都会の人にはなるべく田舎がいい。
 鹿川の「上田美利」議員かたとか、祝子川の「伊藤幹也」「石本俊一」両君とことか。下塚の「矢野茂」くんとことか。島浦の「漁業体験と軽トラ市」とか。
 土々呂の「稲田雅之」議員とこもいいな。舞野の「さとう誠」議員とこもそんげ田舎じゃないけど手ごろでいい。
 他に手を上げる人いない?わくわくする。

 おもしろい体験ツアーとなるんじゃないかな?商業観光課の野々下課長に提案してみよう。黒木企画課長がいいかな?

けっこいけるんじゃない?みんなどう思う?

 みんなも、いいアイディアあったら、そおーと俺だけに教えてよ。ヒントになるから、たわいも無い話でもいい。

 このブログ、延岡市以外の人見てないよね?大阪の福富、見てたら内緒ぞ!!
見てたらアイディアばれる。盗まれる。

内緒内緒。

俺って結構いけてるよね!?・・・・今日も1日頑張ろう!!

北川大好きから延岡大好きへ

2008-10-01 01:41:36 | Weblog
北川大好きから延岡大好きへ

 延岡市議会議員になって1年半足らず。まだ延岡大好き人間にはなっていない。嫌いなわけではない。
 北川では主義主張で戦った事はほとんどない。合併問題ただ1回きりだ。
 その他は、みんな北川大好き人間だから、どんげしていい町にするかで真剣にやり取りをするだけだ。
時々、国政選挙で数個の塊に分かれる。終わればまた一つになる。中山間地の町だから、価値観の大きな相違が無かったのだろう。

 そんな町が延岡と合併した。想像はしていたし、思っていた通りだ。何事においても予想した事と際立った違いは無い。
 しかし、議員としての大変さは想定外の忙しさだ。年を取ったせいもあろうが昼飯食ったらすぐ眠くなる。
 とにかく何をやるにも、何もかもが大きすぎる。面積868k㎡、九州で2番目。この広いところに13万人が散らばる。
 産業も3北のように林業・農業・漁業・小売業・建設業の5種目ではない。

 待った無しのシャッター通り商店街。オーナーの高齢化も進むという。年を取れば意欲も薄れるは人の常。まずは人が集まる仕掛けをと山下アーケード通り商店街が様々な取り組みをする。

人は人を呼ぶ。人だかりの街を目指したらと軽トラ門前市を提案する。
100台位の出店者が必要。竹林前教育長は「川南に出店してみたい」というくらいだからOK。行動力は私の10倍の上杉洋幸さんも当然OK。安藤勲さんもOKだろう。20戸足らずのうちの地区でもざっと数えても5人はいる。

 俺は年寄のを預かって、売ってきてやろう。今からは猿とカラスの餌の柿が熟れる頃だ。山で掘った山芋も売ってきてやろう。たけのこも。猪に先越されん様に頑張んないよ。
 元気な年寄りは連れていって自分で売ってもらってもいい。軽い気持ちで、遊び心で1日山下お大師さん軽トラ市で遊ぼうや。疲れたら横になって眠ればいい。よだきなったら人の店をのぞけばいい。

 佐藤誠議員の言うようにゆっくりとした時間を月に1度位は持ちましょうや。お客も売り手もゆっくりゆっくり。
 大師祭りは九州1? のんびり軽トラ市も頑張ろう。
都城が軽トラ市を始めるが、企業も出店して応援するとか。川南は軽トラが無い人には貸すそうです。

 軽トラが無い人や軽トラに置けない位の量が出せる人は空き店舗だってある。
出来ない理由を真剣に考えよう。「だから出来ないんですよ」という言い訳をまじめに真剣に考えよう。
 いっぱいあるだろう。遠慮は要らない。つぶすつもりで。小さい事まで言えば100を越すかもしれない。

 でも心配は要らない。ほとんどの事が「知恵とやる気」でおもしろい位吹っ飛んでしまう。勢いとはそんなもんですよ。
 何もせん現状維持より、失敗しての現状維持のほうがよっぽどましだろう。
 
 みんなで声出して頑張っていれば、元気な町には企業も必ず来る。この前のキャノンは残念だった。反省はしようや。が、揚げ足は取るまい。
 次が来る事を信じてまた網を張ろうや。糸をたらそうや。

 いい町創りたい。いいふるさと、自慢のふるさと創りたい。

 想いは1つ。延岡の隆盛。ふるさとの山々、路地裏に響く子供達の喚起の声。