高木ますおブログ

日々の出来事や感じたことなどを綴っています

延岡市議会も地域医療再生に特別委員会

2009-04-27 23:00:57 | Weblog
地域医療問題調査特別委員会設置

5月7・8日に臨時議会が開かれる。
勿論、議長副議長選任、委員会構成等が市民の関心の高い議案である。

 しかし、それと同時に特別委員会が設置される。地域医療の崩壊が言われ、県病院の先生の大量退職、診療科の休診。1次2次医療を受け持つ開業医の高齢化。
 医療の世界でも後継者不足か?都市に偏在する先生方をどう地方へ来てもらうか。本当に来てもらえるのだろうか。

 県病院の問題も今年はどうにか100点ではないが落ち着いた。しかし、来年は大丈夫と言う保障はどこにもない。
 そこで延岡市議会としても、医師会・県病院の先生方、県の担当部局等の話合いの場を設け、実情を把握し、今、延岡市として出来る事、するべき事、しなければならない事を見つけ、早急に対処しなければならない。

 問題山積、前途は多難だがやるしかない。
 「うろうろドクター」さんから「医療崩壊への対処に対して、なかなか予算処置がされない」との指摘。その通りかもしれない。しかし、延岡市長が県病院への応分の負担を申し入れたが「行政の壁」が邪魔をし、資金の提供が出来ないという。

 何だか分かったような分からないような変な感じだったが、何かしなくては地域の医療制度の再生はないと思う。

 「うろうろドクター」さんから怒られるかも知れないが、この委員会で各団体と本音で語り、「どうすれば先生は来てくれるのか」「この問題が延岡市等県北市町村レベルで解決できるのか」等の多くの問題を調査研究し、地域の医療の再生を目指す方向性を早く見つけたい。




介護疲れ おりも死にてーワイ

2009-04-22 22:43:53 | Weblog
清水由貴子。介護疲れで自殺?

 朝の「子供見守りたい」が終わるとすぐに、8時半から今日も看板建ての日課が始まった。もう何日位になるかな。雑用などの処理の合間を縫って出来る事を精一杯やっている。

 農協で作業していると『地域巡回バス』が着いた。お年寄りがたくさん降りてくる。
 「お早うございます。今日は何ごっしですか?」
 「病院に来たとよ」「あんた何しよっとな?」
 「拓さんの看板立てです」一団が病院の方へ過ぎ去った。

 ちょっと遅れて疲れた様子のご婦人が1人。
 「おばさんも病院?」「あんた見たコツがあるよー」
「そうですか。誰でしょう?」
 「ちょっと待ちないえ」「高木さんじゃな」
「はい、木です」「ご無沙汰してます。市役所に出ることが多く、奥っくに来てん役場まじがほとんどで、やど辺まで行けません。申し訳ありません」

 「どこが悪りと?」
「腰も脚も、全身よ」「医者に来るけん、いいならん」「介護が終わらんと治らんわ。ストレスだらけでどこもここも痛てー」

 「おやじが倒れて10年以上になる」「うちんおやじは小めかったき、いいかったケンドン、そっでん、朝も晩も夜も介護。夜どま寝せやせん。トイレ行くにも骨おっとよ」「おかげでこっちが悪りなったわ」

 「今朝んテレビでありよったケンドン、女優さんが介護疲れで自殺しちょったじゃんかい」

 「おりも何べん死のうち思たか分からん。おりが顔見てん。しわだらけでここに(眉間)しわがあっじゃろ。いやらし顔しちょっじゃろが?」

 「うちんやつのお袋もやっとこっとしちょって、親父もあんどしちょるごつあるわい」「いいならん病気でがんばり甲斐がねーち言いよるわ」

 「わたしゃよ、死んでんいいちゃケンドン、子供がもぞなぎかいな。孫も出来たしよ」
「孫を楽しみにがんばらなにゃ」「おばさん、がんばんないよ」
「うん、がんばるわ」
 「すまんな。何もしてやれんわ。こんくれんこつしか言うてやれんわ」
「手を止めてすまんかったな。医者に行ってくるわ」

 私はおばさんと言ったが、介護疲れで顔が老けて見えたのである。「いっちょってん65から70ぐらいだろう。もしかしたら私とそう変わらないかもしれない」と思った。

 夜、娘に聞いたら「63歳よ」「旦那さん、そのくらい悪かったら自宅での介護は大変だと思うよ」「奥さん、ダウンしなきゃいいがね」と言った。

 昨年亡くなった5歳年下の友人の父親(83歳)も、介護までとは言わないが、手がかかるようになっている。
 おふくろさん(78歳)は一目でその「疲労困憊」状況が見て取れる。
 親父さんにショートスティーを利用するよう説得するのだが、ショートスティーどころかディサービスにも行こうとしない。
 ここも大変な状況だ。

 施設入所待機者が大変多いと聞く。介護疲れの無理心中が起きないうちに何とかしなきゃ。

介護施設が足りない。これに我々団塊の世代が加わったらなおさら大変だ。

 それではと言う訳ではないが、28日に五ヶ瀬町の閉校した小学校の跡地を利用した介護施設の建設状況を「上田美利・矢野仁祺・三宅為二・小田忠良、佐藤勉・松田満男」議員等と視察してきます。
 介護施設に勤める娘も一緒に行きたいと言っています。

 北方・北川には閉校した学校がたくさんあり、現在跡地利用を検討中です。参考にしたい。

東国原知事。医師不足は分かっちょるとよ!

2009-04-20 23:04:03 | Weblog
東国原知事。医師不足は分かっているとよ!たらい廻しをどうかしてよ!

 今朝のUMKの8時からの全国放送「とくダネ」(小倉智昭)で、日向の患者受入拒否を扱っていた。

 その放送を見て驚いたのは、事件は4月4日に起きていたとの事。そして、新聞が取り上げなければ、遺族さえ真実を知らなかったとの事である。
 また、情報の開示に対して日向市消防本部は「正式な情報開示の手続きを踏まなければ(遺族といえども)開示できない』との事。2度びっくり。

 この放送が真実とするならば、これを取材し発表した新聞はでかした。「あっぱれ!」だ。
 人の揚げ足を取り、政治にちゃちを入れ、訳の分からないコメンテーターを配して、オモシロおかしく視聴率稼ぎに没頭している「テレビ」。

 ワイドショウ的ニュースから、じみちに取材して、落ち着いた本質に触れるニュースへと変わって欲しい。

 伊藤隼也という医療ジャーナリスト?も言っていたようだが、知事のコメント(ドクター不足・偏在が原因)も県のトップとしての自覚に欠ける発言だ。
 せめて「医師不足・偏在は事実。これが大きな原因だと思うが、それを承知の上でトップリーダーとして今回の事件を深刻に受け止め、日向市・県立延岡病院等から話を聞き、早急に事実を把握し、現時点での出来る限りの最良の処置を取りたい」とぐらいは言ってくれよ。「喝」だ。

 いつもの流暢な受け答ではなくおおいに精彩を欠いた。まさか、責任が自分に来ることを嫌う公務員的気質になったのかい?

 今までのあなただったら「県のトップとして責任重大です」「2度とこのようなことが起きないようにどぎゃんかせにゃいかん。申し訳ない」くらいのコメントが欲しかったな。

 4月17日のブログにも書いたが、今日のコメンテーターも言っていたが「ドクターヘリの導入」についてそろそろ宮崎県としてどうするのか。鹿児島県は宮崎県南・県央は対応できるといっている。
 大分・熊本両県との協議も含めて東国原知事もそろそろ重い腰を上げ、よその県に頼むのか、自前で持つのか、真剣に検討すべきだ。

宮崎県北でも救急搬送受入拒否 8ヶ所目でやっと

2009-04-18 01:31:57 | Weblog
救急車は来た。サーどこへ行く?

「医療機関受入拒否」はよその世界かと思っていた。

 確か昨年、眼を怪我した人が延岡市内で受入先が見つからず、佐伯市内の病院に搬送され、大事には至らなかったケースがあったと記憶している。

 しかし、今回は「各病院受入拒否。やっと8ヶ所目で受入。死亡確認」
この事件が図らずも、県北の医療と道路網のお粗末さを露呈した結果となった。

 夕刊デイリーによると、県立延岡病院は「状況からして緊急を要するので、時間が勝負。まずは近くの病院」という返事をしたとのことだ。確かにこの判断に間違いは無いのだろう。

 しかし、結果として、通報から1時間半後にやっと東郷町の病院へ搬送され、20分後に死亡が確認された。救命処置は施されたのだろうか?

 今回の問題は確かに、「救急車が現場に到着した段階で心配停止の状態」にあり、最良の対応がなされたとしても助かる命ではなかったかも知れない。
 県病院をはじめ、関わりがあった病院を攻めるつもりは無い。
 しかし、どうだろう。東九州高速道路が整備されていたらどうだっただろうか。
日向から1時間圏内は宮崎市、佐伯市まで入る。県立延岡病院も「すぐに本院へ」と答えたに違いない。

 私の住む北川町は高速開通後は、大分市・宮崎市が1時間圏内だ。お隣の佐伯市とは災害協定も結んでいる。高速道路が開通したら搬送先のリストが広がる。
 ドクターヘリと高速道路の併用で、時間的ロスは大幅に改善され、『「いのちの道」でより早く、安全に「いのちの病院」へ』が実現する。

 道路整備の促進を訴える自民党の若手76名も「いのちの道」議員連盟(会長・江藤拓衆院議員)を立ち上げ、中央でがんばっている。今後に期待したい。

北川町戦没者慰霊祭(西南の役から太平洋戦争)

2009-04-14 23:46:15 | Weblog
北川町遺族会主催の北川町戦没者慰霊祭
 「挨拶しろ」って言うけど、挨拶って「追悼の言葉」で良いんでしょう?

 「北川町戦没者慰霊祭」にあたり、北川町出身の市議会議員、矢野仁祺、矢野戦一郎、高木益夫の3名を代表し、西南の役以降の390名の北川町戦没者の御霊に哀悼の真を捧げます。

 特に先の大戦に於いては、遠く故国を離れ、異国の地に出征し、多くの方々が帰らぬ人となられました。
 国の為、ふるさとの為、年老いた父母のため、そして愛おしき妻・子供達のために。

 草木も凍る極寒の「北の大地」で、砂塵吹きすさぶ「中国の荒野」で、
熱病荒れ狂う「インドシナのジャングル」で、はたまた、艦砲射撃烈火のごとくの「灼熱の南海の孤島」で、「紺碧の太平洋」で、そして「沖縄」で。

 それぞれ、筆舌に尽くしがたい激しい戦闘の中で、その若き尊い一生を捧げられました。

 思うに、その戦火の中にありながらも、遠く「父母・妻子の待つふるさと日本・北川」に想いをいたし、

 時には「夢」で涙し、時には「地平線、水平線に沈む真っ赤な夕日」に、
またある時は「晴れ渡った満天の星空」に涙した事も、幾度となくあったのではないでしょうか。

 戦後60余年が過ぎ、日本は平和を享受し、繁栄を極め、世界に名だたる経済大国に成長いたしました。国際社会の中でも名誉ある地位を占めるにいたりました。

 「国の、日本の今日あるは、ひとえに先輩の皆様のお陰にあります」「ありがとうございます」

 
 現在日本は、未曾有の世界的経済危機により、大きな試練の真っ只中にあり、厳しい状況であります。
 しかし、国民・市民・町民、力を合わせ、心を合わせて、再び「輝く日本・ふるさと」を再生して行くべく全力を尽くして行きます。

 どうぞ、御見守りください。そしてお力をお貸し下さい。

 あなた方が愛してやまない、生きて再び踏みたかっただろう「ふるさと北川」は、
さっきまで、「うすべに色の桜の花」が咲き乱れ、今日は、山々「新緑の若葉」に覆い尽くされ、吹く風は頬に優しく、春光、川面に揺らぎ、まさに春爛漫であります。

 先に捧げた一輪の花は、ふるさと北川、笹首の「路傍に咲く名もないふるさと北川の春の花」であります。

「ふるさと北川」は今日も穏やかな春日和です。


 あなた方が愛してやまない「日本」を、ホタル飛ぶ山紫水明の「ふるさと北川」を、「ふるさと北川の暖かき心」を守り、
「平和国家日本」を後世につなぐことをお約束して「感謝の言葉」といたします。

            平成21年4月15日  延岡市議会 議員 高木益夫

乾杯は日本酒(清酒)で

2009-04-11 10:41:21 | Weblog
千徳酒造 田丸眞 男だねー

田丸社長は酒席でいつも決まり文句で参加者を諭す。

 「世界各国、優れた文化を持つ民族は、その国独自の酒を持っている」
 『イギリス「スコッチ」、フランス「ワイン」、ドイツ「ビール」、ロシア「ウォッカ」、アメリカ「バーボン」メキシコ「テキーラ」』(間違いないかな?)

 「日本は主食である米を原料に移り変わる四季を持つ風土と日本人の繊細な美意識が世界に誇る日本酒(清酒)がある」と。
そして、「乾杯は日本の酒、清酒で」と主張する。延岡市の観光協会長を務める氏は交流先での乾杯にも清酒にこだわり「当地域の清酒で乾杯を」とお願いするそうである。その徹底振り。見上げたものだと思います。
だから、今は延岡の乾杯は日本酒でする。勿論、千徳である。

 田丸氏の酒にこだわる話を先日の「俵野御陵祭」で聞いたが、今日に至るまでそう簡単な道のりではなかったようである。

 氏は社名を「千徳酒造株式会社」に変更した昭和36年の翌年、昭和37年に入社した。当時は市内各地で行われる各種行事・祭りの神事には日本各地の清酒が奉納されており、地元酒「千徳」ばかりではなかったという。

 そこで取った氏の手法に感嘆した。言われて見れば「あはーそんくれなら俺でも考えるわ」となるが、それはコロンブスの卵だ。

 氏は、一念発起して全ての行事に早目に出席して、奉納酒の種類と事業所・団体名をかたっぱしから記録していき、時には配達してくる酒屋を呼び止めて聞いたという。

 そして、直会が始まると早速、酌をして回り、「千徳」奉納者には「千徳を奉納していただき、本当にありがとうございました」とお礼を言い、深々と頭を下げ、他メーカー奉納者も差別せず、同様に頭を下げて回った。

 5年も経つと奉納棚は「千徳」一色になったという。

 
 氏には、10数年前から北川町祝子川観光協会主催の「大崩山開き」「祝子川渓谷開き」に延岡市の観光協会長として参加していただいていたが、乾杯をビールでしようとしていたら「乾杯は国酒、清酒で」と一括?され、今では勿論千徳で実施している。
 御陵祭でも一部ビールが奉納されており、チェックが入った。


 後で聞けばコロンブスの卵だ。俺でもそのくらいと誰もが思う。それがなかなか思いつかない。思いついても出来ないものだ。

 この逸話は「私達の現在の厳しい道のり」に一筋の光明、道標を示しているのではないかと思う。

田丸氏の元気でますますの御活躍を期待します。


校長先生、みんな元気に登校したよ

2009-04-08 22:41:51 | Weblog
まだ黄色いランドセル

 6日からかと思い、夏田さんと2人、いつもの低位置に立ち子供達を待っていました。車に挨拶しながら今か今かと待っていました。結局、中学校の野球部の生徒に「8日からです」と教えてもらうまでは。

 そして本日8日。待ちに待った始業式。昨日7日午後から半日歩道のつた切り、そして今朝6時から中庭の清掃。「子供にやらセロ」という声に耳が痛い。
 しかし、校舎・校庭は同じ規模で、子供の数は私達の時からすると5分の1。きれいな学校を保つため、「子供達は教室など校舎内と体育館・運動場」「私は中庭・裏庭」と住み分けしている。

 7時前に歩道橋まで掃除が終わった。サーいよいよ元気に子供達が登校してくる。今日も彼らとの元気な「朝の挨拶」から1日がはじまる。

 言葉を選んで声をかける。「お早うございます」「はい、お早うございます」「風邪ひーちょらんか?」「帽子はどうした?」「春休み中に遊んだか?」「勉強・宿題して来たか?」「1日でしてしもた」「なんで、おじちゃんは勉強・勉強言うと?」「そんなら本を読んだか?」「うん、読んだよ。公民館の図書室で」
「じいちゃんは元気か?」「うん元気。ばーちゃんも元気よ」

 別宮正司校長先生、子供達みんなみんな元気でしたよ。

 竹林国興君も、安藤勲さんも、甲斐豊さんも、矢野勝さんも(子供達はラーメン屋のおじ茂清己さんも、ちゃんと呼ぶ)、夏田幸男さんも、矢野戦一郎さんも、みんな元気に「朝の子供見守りたい」を勤めましたよ。
 6年生の50分登校組みが卒業したので、45分過ぎには歩いての登校が終わり、宮交バスの子たちが最後でした。

 スクールバスの子供達は歩いて来ませんでした。中学校から歩いて来ればいいのですがね。家田・本村の子供達は4Km近い距離を1時間以上かけて、冬は真っ暗な6時半頃から、1年生混ぜくり全員で歩いて登校しているのにね。

先生、また遊びに来てください。


その後、九州保健福祉大学の入学式に出席しました。

 大学院33名、学部生390名、通信制106名の計529名が晴れて延岡の九州保健福祉大学に入学した。(夕刊とは合いませんが挨拶で言われた数字です)

 「みんな勉強して下さい。君等には私より40年の可能性がある。大事に人生を生きろよ」と声に出そうだったがこらえて、心の中でエールを送った。
 その内、中国から8名。韓国から2名。10名の留学生がいる。延岡日中友好協会の「留学生歓迎会」が今年もあるだろう。
 皆さん、参加しませんか?私は今年は家の(サザエさん)と2人で参加します。


 明日は「朝の見守りたい」が終わり次第、8時から「ホタル」の為に柳を増やそうとがんばる「北川やっちみろかい」長井支部(支部長竹林国興元北川町教育長)の有志と、挿し木になる柳を採取に松瀬に行きます。


ミスでは済まされない。みのもんた「ほっとけない」だろう?

2009-04-06 08:50:46 | Weblog
末恐ろしい

 先日の北朝鮮ミサイル発射の誤報。マスコミ各社の報道で次第に詳細が分かってきた。当日の土曜日にブログに書こうと思ったがためらった。それは日本テレビ「真相報道バンキシャ!」が、岐阜県の裏金問題のでっち上げ報道があったばかりなので、「報道」そのものに対して不信感を持っていたからです。

 その後の報道でやはり自衛隊の「人為的ミス」とのこと。

 千葉県にある航空自衛隊ガメラレーダーで感知した北朝鮮近海での飛行物体(鳥の群れかミグ戦闘機ではないかと言われている)をミサイル発射と勘違いしたのだ。
 この事自体は大きな問題ではない。むしろこのレーダーが高性能である事が証明された形になり、それはそれでミスへの慰めにはなる。 ガメラが飛翔物体を察知し、報告したまではその性能といい、操作能力といい大いに評価できる。

 しかし、この問題には「ミス」「誤報」で済まされない大きな問題が潜んでいる。「情報操作」である。
 レーダーが感知し「ミサイル発射」の報告。これまでは何ら問題ない。報告を受けた担当者が防衛省に報告する段階で、「アメリカ軍の軍事衛星も同様の感知」との「うそ」「虚偽」の報告をした事は大問題である。

 勿論、10分そこそこで我が国に飛来するミサイル。アメリカの確認後では対応できないかもしれない。しかし、その事を加味しても許される行為では絶対無い。
本来、「レーダーは感知したがアメリカの確認は無し。現在確認中」と報告すべきだった。

 日本海には海上自衛隊のイージス艦「こんごう」「ちょうかい」福島県沖太平洋には「きりしま」。これら海上自衛隊のイージス艦も展開しており、今回の「誤報」には、陸海空関係部署の競争・対抗意識によるフライングの可能性も感じるのである。
 いずれにしても、このような軍による「情報操作」は先の大戦に於いてもさかんに使われ、国民が翻弄され続けた。
 また、最近ではアメリカの「イラクの大量殺りく兵器」を理由にしての「イラク戦争」が記憶に新しい。結局、発見できなかった。これも「情報操作」と言われている。日本も小泉首相がアメリカに追随し、その後の結果に対して謝罪も弁明も無かった。

「講釈師、見てきたようなうそを言い」では済まされない。

 とにかく今回の問題は「誤報」そのものでは無く、一部署の一個人?が「情報連絡に事実のみでなく私見を加える」という、きわめて危険で恐ろしい国を揺るがすような事件なのである。

 「シビリアンコントロール」も情報の段階でうそで塗り固められれば大いに危うい。見過ごすわけにはいかない。「どこの部署の誰が、何の目的で」行ったかを、与野党問わず、徹底的に原因を調査究明し、国民に報告すべきである。

みのもんた。今こそ怒れ。「ほっとけない」と


お天道様からのごほうび

2009-04-01 21:33:30 | Weblog
念ずれば叶う

 今日、4月1日を最高に特別な思いで迎えた人がいる。友人の戸上博文君だ。一人娘が宮崎県の教員に採用され、初任地の学校へ赴任した。そして今日がその第1日目だ。どれほどうれしいだろう。どれほどの感激だろう。
 素直に「おめでとう」とエールを送ろう。臨時講師で5年間あっちの小学校、こっちの中学校とがんばった。UMKに合格しその進路に迷った年もあった。

 「お前は先生になりてーちゃろ!」「初心貫徹せんか!」となかなか合格せず、あきらめかけた子供の夢を、わき道から呼び戻した。
 「なんでUMKに行かせんとか」「先生は通らんぞ」という周りの雑音にも父は頑として動じなかった。
 父は5年間。朝5時過ぎから、来る日も来る日も、村の氏神様に娘の夢の実現を祈願してお百度を踏んだ。親子3人の3人4脚の夢への挑戦だった。

 そして、昨年夏、5回目に挑んだ。「大分んこつがあっちょるき、今年は実力で通るチャンスじゃが」と親子を激励した。
 年末、「合格したワイ」とメタボの腹を揺すって満面の笑みを浮かべてやってきた。待ちに待った採用内定の通知が届いたのだ。彼の人生で最高のプレゼントを親子でゲットした瞬間だ。

 私に戸上君の半分でも父親としての子を思う気持と、初心貫徹を曲げない頑固さがあったら、今頃、良心も宮崎県農政水産部の末席を汚していたことだろう。

 努力すれば必ず夢は叶うわけではない。いや、人生においてはむしろ報われない事のほうが多いかもしれない。しかし、「それなら」といって努力するのをやめれば、確実に夢は遠のく。

 これだけは自信もって言える。「夢は努力した者しか叶えられない」「念ずれば叶う」は人一倍の努力の先に実る「お天道様のごほーび」だと思う。

 戸上君おめでとう。小学校から20年。よく子供の夢に付き合った。よく子供の心を支え続けた。親子でがんばった勲章だ。
 シャンパンファイトでもやりたい気分だろう。今日は庭先の桜を見ながらかあーちゃんと一杯やれ!

 君には飲んで祝う資格がある。