突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

◆6月29日 あることからは解放された。別次元の新しい葛藤や閉塞感はあるがまた一歩前進した。

2012-06-26 23:40:53 | 経過

先日の主治医の診断で、コウスケの右膝に2ヶ月近くついていたサポーターが外され、サッカーの全体練習に参加する許可が出た。


           
                   ↑約2ヶ月間コウスケの右ヒザを守ってくれたサポーター


半月板の方はほぼ完治したと診断が下され、考えていたより早い回復に正直戸惑いも感じてはいるが、コウスケの笑顔が観れた時は、かなり嬉しかった。
主治医の考えは”完治することのない(靭帯の移植手術をしない限り)靭帯を怖がってサッカーをしないことより、サッカーをやってみて、ダメだったらまた次のことを考えてもいいのではないか?”という前向きさだ。
ゲーム復帰はまだ先で、練習に参加するにあたって、かなり細かい指示がたくさん出た。
別次元の新しい葛藤や閉塞感はあるがまた一歩前進した。


◆6月26日 サポーターは外しましょう。そして、サッカーの練習に復帰しましょう。但し、ゲームはまだです。

2012-06-26 23:11:59 | 復活への階段

6月26日(火)今日は息子の主治医の先生の定期診察日である。

期末試験の終わった息子は、眠い目を擦りながら、先生の診察を受けた。
「ヒザのサポーターは外しましょう。そして、サッカーの練習に復帰しましょう。但し、ゲームはまだです。」
思いのほか早い復帰のスケジュールが提示された。どうやら、サッカー復帰へのOKサインがでたようだ。
だが、すべてが解放された完全復帰ではない。先生は続ける。
「練習復帰に向けていくつかの注意事項があります。」コウスケに直接、注意事項が示され、条件付きの復帰で、さらに段階的な復帰である。
私にとっては、この<条件付き>がありがいように思えた。コクスケの性格上、一番苦手な”徐々”であり”段階的”であり”様子を見ながら”が復帰への条件となっている。

更に、主治医の先生は、具体的な日程を示し、数段上の復帰を指示された。
あの状態からすると、極めて早期の復帰と思えた。

しかし、光は確実に射し込んだ。息子に”閉塞からの解放”を許可された。
ケガをして以来、とても小さな一歩を積み重ねてきた。本当に”ささやかな小さな一歩”から”確実に前進するための大きな一歩”に変化した。
私の願いは
『とにかく、急ぎすぎないように。』
『先ず、見極めよう。』





◆6月18日 ケガをして丸3カ月経過。その間に失ったもの。得たもの。気付いたもの。

2012-06-18 23:18:42 | 経過

6月18日。
3月18日に息子が右ヒザに大ケガをして、今日で丸3カ月が経過した。
3月18日に苦痛で顔を歪めた息子は、その後、3カ月、いろいろなものを失くし、それと引き換えにいろいろなものを得、そしていろいろなものに気付くことになった。

失くしたものははっきりしているし、息子にとってはとても辛いものだった。フィールドでの躍動。仲間との歓喜。リハビリに費やした(費やしている)時間。
3カ月、まったくボールを蹴れないことに起因する技術の停滞。目の前のモチベーション。

得たものも少なくない。いろいろな方からの心遣いや励まし。ケガをしたことで出会えたお医者さんやリハビリ療法士の先生たち。入院中で知り合った中国リーグのサッカー選手。
ありえない色紙。リハビリで習得した身体強化や体幹。監督の涙や復帰への期待。家族との絆強化。サッカー観の変化。そして、なにより、サッカーが出来ることのありがたさ。
巡り巡って息子の手元に届いた、サッカースパイク。(この件は、まだ未公開)

ケガをしたことで気付いたもの。いろいろな形でボクをサポートしてくれる人々の有難さ。健康の大切さ。普通にサッカーができることが、いかに素晴らしいか?

3カ月という期間。本当にいろいろあった。涙がたくさん流れた。励ましやサポート。復帰への期待感。一瞬の絶望感。支えてくださる人々。
見えないものが見えた3カ月。人生の中で一番辛かった3カ月。たったの3カ月。

明日から、4ヶ月目が始まる。
今からさらに失うもの。今からさらに得るもの。そして、今からさらに気付くもの。
苦悩は続くが、出口も必ず見つかる。


◆6月12日 主治医の診察「順調に推移している。6月中には今のサポーターを外しましょう」

2012-06-12 23:42:02 | 経過

6月12日。息子が主治医の診察を受ける日だ。
彼は、退院後、1日も欠かさずリハビリトレーニングを実施した。本当に、1日もサボらなかった。
通常の練習後も、中間テスト勉強中も、遠征から遅く帰宅しても、決めたメニューをこなした。右ヒザの可動域も大幅に回復した。股関節の可動域はケガの前より大幅に改善された。何より意識が変わった。己の復活を信じて、淡々と。

主治医の先生は膝のスペシャリストで、我々は全幅の信頼をしている。
「順調に推移しています。リハビリトレーニングの成果も表れていいます。今月中には今のサポーターを外したいと思います。」
そして、その後の復帰スケジュールを示唆された。思ったより早い。油断は禁物。焦りも禁物。無理も禁物。禁物だらけだが、光は確実に見え始めている。



◆6月7日 彼はまた走り始めた。彼の今の課題は、走りすぎないことになりそうだ。47番が動き始めた。

2012-06-07 23:45:17 | 復活への階段

昨日(6月6日)病院へリハビリトレーニングへ行った。リハビリ療法士の先生は、息子に”走ること”の許可を与えた。
もちろん、ゆっくりと、ウォーキングの延長くらいの、ごくごく軽微な走りだ。
息子は、ホームグランドの人工芝のコートの周りを、歩みから走りにチェンジした。ゆっくりと、真っ直ぐに走り、ある地点でサイド・ステップに切り替え、次の地点で、後ろ走りをする。
急ぎすぎないように、ブレーキをかけなければならないと思えるほどの意気込みだ。


走ることの許可が出た後の、最初の練習日。
彼は”あること”を決め、今日をスタートラインにしたかったようだ。
その”あること”はこんな事だ。

「オレ、この頃、暑くなったし、今日からゲームシャツとゲームパンツで練習する。」そう、言い出した。
彼は、サックスブルーのゼッケン47のゲームシャツを着て、練習に参加した。

練習の前に
『リハビリの先生の許可が出たので、今日からランニングを始めます』
と監督に報告すると、監督は何か言いたそうにしながら、ニヤッと笑いを押し殺すような表情を見せたようだ。

コウスケよ。
本当に、焦らず、謙虚に、少しずつ、急ぐことなく。
どうやら、ブレーキをかけることが、私の重要なミッションなりそうだ。

ゼッケン47を背負ったコウスケが走りだした。


◆『香川真司、マンチェスター・ユナイテッド移籍決定』のニュースを、彼は真剣な眼差しで凝視していた。

2012-06-06 21:11:10 | 47番の想い

いよいよ、この瞬間が訪れた。

『香川真司選手、マンチェスター・ユナイテッド移籍決定』だ。
ビッグクラブへの移籍と言えば、インテルの長友選手の時は、大きな驚きと強烈なインパクトがあった。
今回の香川選手に関しては、「いよいよ決まったか」的な移籍であり、驚きはない。ある意味、正当な評価が正当な結果を導いたと言えるだろう。

                  ◇

そんなニュースを息子は真剣な眼差しで凝視していた。彼の横顔を見ながら、ふと思った。今回のニュースで、サッカーができない彼の心に何が浸み込んでいったのだろうか?もちろんサッカーレベルは圧倒的に違う。だが、高みを目指している想や切望や憧憬は同じに違いない。

香川移籍のニュースに対する本田圭佑の称賛も嫉妬も隠さないコメントに、彼らしさが滲み出ていた。「世界のトップレベルで、ビッグクラブでやるのにふさわしい選手。誇らしいと思う。ただ、ライバルとして、僕もビッグクラブにふさわしいと自覚しているから」
コウスケはこのコメントを聞いて、ニヤッとした後、笑い出した。どんな思いが巡っただろうか?

                  ◇

いずれにせよ、今回の移籍決定のニュースは、現在の状況に置かれているコウスケに何らかの影響を与えていると思う。それほど、他人事とは思えない真剣な眼差しで凝視していた。
いつの日にかピッチに戻ることを誓って。


◆6月4日 彼は短時間で効果を出すすべを習得しつつある。ケガをしたことで見ることができた産物である。

2012-06-04 23:10:17 | 復活への階段

ピアノのレッスンから帰った後、息子の中で”ずるく、回避を匂わした空間”が、見え隠れしていた。

だが、彼は逃避を選択することなく、”するべき事”を、丁寧に実施した。
彼をこの状態(状況?)で、流れることなく、正しい選択をチョイスした。

まさに・・・『彼は短時間で効果を出すすべを習得しつつある。ケガをしたことで見ることができた産物である。』



◆ちょっとしたトラブル。次元は低いが彼は反省した後、あることを始めた。それなりの意義があった。

2012-06-03 21:40:21 | つぶやき

朝、7時前に起きてトレーニングマッチに出かけた。もちろん”見学・応援”だ。
同級生の2年生のトレーニングマッチ。
私の感想は・・・・・。『う~~~ん』かな。
まあ、それはそれでいい。


息子のちょっとしたトラブルは、それらには全く関係のないシュチエーションで、少々次元の低いものだった。
最終的には何とかリカバリできたものの、私は彼に”不信感いっぱいの視線”を送った。もちろんそこに”意図”はある。
彼は素直に謝った。
その後、母親の言葉をヒントに、新しいことを始めた。
そうすると、。少々次元は低いトラブルは、それなりの意義があったといえそうだ。


そうだよ。
それが理解できたことで、”よし”としよう。


◆徐々に歩き始めた5月度が終わった。その証としてのリハビリカレンダーにすべて×印がついた。

2012-06-03 10:12:24 | 折れない心

退院(4/30)してから、ちょうど1カ月が経過した。
息子は折れそうな心と闘いながら、復帰を実現すべく、今できることを毎日やり続けた。
今できること=リハビリトレーニングである。
5月始めは手術後の患部に負荷をかけないように、緩やかなメニューからスタートした。
5月終わりには、かなりの負荷をかけながら、だんだんと”濃い”メニューへ移行した。主に臀部の筋力アップと体のバランスを矯正するためのメニューが組まれた。基本的に週2回病院のリハビリセンターでリハビリを行い、リハビリセンターへ行かない日は、自宅で行った。
そして、カレンダーに、リハビリを実施した日には×印を書き込んだ。
結局、すべての日に×印がついた。

         


たかだか×印を記入しているだけだが、息子にとっては、折れそうな心と闘いながら、それを克服するための頑固たる×印である。