突破力~完全復活までの記録~

この局面をどう乗り切るか
さあ、復活はすでに始まっている

4月30日  無事、退院

2012-04-30 23:12:23 | 経過

当初の予定より、ほんの少し遅れたが、息子が無事退院した。
主治医の先生は、傷口の抜糸をしながら、”次の構想”を語り始めた。
それは、サッカー選手として再生することを前提とした、いくつかの選択肢だ。
「今からの回復状態とリハビリの達成度で、次のことを話し合いながら前に進みましょう。」
こんな意味合いの言葉だった。


前を向くには、十分な言葉だった。

さあ、復活するために、焦ることなく、少しずつ始めよう。
3月は去り、4月が退いた。
最悪の2カ月は、もう終わった。

明日からは、新しい5月が始まる。同時に復活がスタートする。


4月28日 外泊

2012-04-30 00:21:24 | 経過

4月28日、息子に、外泊の許可が出た。

リハビリ後、病院を出た息子は、所属するクラブチームの公式戦、プログレスリーグ第4節を観に行った。
残念ながら、強豪サンフレッチェ広島に4-5と惜敗したが、息子の目に希望の光が宿った。

監督に”現状報告”しようと、松葉杖ダッシュすると、息子の姿を確認した監督は、大粒の涙を流し、声に出して泣きながら息子の体を抱いてくださった。

夕方には、小学校の時お世話になったスポ少のコーチが、息子をバーベキューに誘ってくださった。


夜、家に帰ってシャワー浴(まだ、湯船に浸かることはできないので・・・)を終えた後、すぐに布団にもぐりこんだ。
もぐりこんだ瞬間に、寝息をたてて、眠りについた。
こんなに一気に眠れるものだろうか?そう疑問に思えるほど、”速攻寝”だった。
心地よい疲れと安堵感は、中学2年生を、赤ちゃんのように眠らせるのだろうか?


いよいよ、4月30日には退院できる。
我々家族全員の新たな生活が始まる。
緩やかに回復しながら、緩やかに前進しよう。
決して急がず、焦らず、奢らず。


4月28日 一時外泊

2012-04-27 23:19:32 | 経過

今週中の退院は無理だったが、明日(4月28日)は、一時外泊が認められた。
1日だけだが、ようやく、息子が我が家に帰ってくる。
とても長く感じたが、まだ1週間しか経っていない。
不思議なほど、スピード感覚の欠如した1週間だった。

午前8時20分から、リハビリをして昼前には、病院を出ることができそうだ。
やっと、病院のベッドから解放される。
ああ、やっと、最悪の1週間が終わり、これからは、光が濃くなるばかりだ。



さあ、廻りとは異なった時空で、徐々に前進することができそうだ。







4月27日 退院の目途がたった

2012-04-27 00:16:34 | 経過

息子の手術後、4日が経過した。主治医の先生の診断後、退院の日が決まった。(内定?)
それと同時に、リハビリテーションも始まった。
我が家に息子が帰ってくる。
落ち込んだ気持ちが、いくらか晴れてくる。

さあ、いろいろなものを、ゆっくり取り戻そう。
前を向くことの、具体的なモチベーションが提示された。



めちゃ、辛かった

2012-04-26 23:53:48 | つぶやき

4月23日。息子はすこぶる元気な体でベットに横たわっていた。右ヒザ以外は(見た目では判別できないのだけれど・・・)完璧なU-14のサッカー小僧だ。
午後からの手術の時間が近づいてきた。
母親は全く外傷のない、きれいな、つるっとした右ヒザを丁寧に撫でた。愛情をこめて、とても丁寧に撫でた。父親の私も、心から丁寧に右ヒザを撫でた。
二人は心の中で泣きながら、丁寧に撫でた。

息子は強い足取りで、手術室に消えていった。

彼が手術を終え、我々が待つ病室に帰ってきた時、いくつかは解決していた。
執刀医である主治の先生は、我々の最大の不安を、丁重に肯定した。
息子は麻酔からようやく覚めて、意識がはっきりしない中で、とても辛い結果を、おぼろげに聞き、心の中で受け止めた。

めちゃ、辛かった。
人生の中で、一番辛かった。

眠れないほど辛かった。


4月23日 手術は成功したが、絶望感の切れ端が残った

2012-04-24 23:41:06 | 経過

4/23(月)息子は右ヒザの手術を受けた。
予定とおり、午後、手術室へ向かった。手術のイメージからすると、病室から、ストレッチャーに寝かされ、手に手をとって手術室へ向かう。こんな感じだ。
しかし彼は、しっかりした足取りで、看護婦さんに付き添われ、歩いて手術室に向かった。
後ろ姿を見ていると、随分と大きくなり、男らしくなった。
そして彼は、我々両親に微笑みを与え、手術室に消えていった。
私は心の中で泣き、叫んだ。
「早く帰ってこい」


手術自体は、説明どおりの手術だった。


手術が終わり、執刀医であり主治医の先生が事実確認と今後の見通しを説明された。
右ヒザ半月板損傷&前十字靭帯のほぼ断裂。

一番厄介なのは、前十字靭帯のほぼ断裂だ。
「このままサッカーを続けることは難しい」
そこには辛い現実が提示され、我々両親、姉は泣いた。
あんなにすべてをサッカーに捧げ、頑張っている息子(あるいは弟)がなぜ、こんな仕打ちを受けなければならないか、妥協点さえ見つからない。

手術は成功したが、絶望感の切れ端が残った。
とても辛い1日が、悲しみの中で終わった。


さあ、自分やカミサンや娘や当事者の息子に、どのようにしたらチベーションを保たせ続けることができるだろうか。

絶望感の切れ端が残った。


4月22日 一番強いのは息子だった。

2012-04-22 23:22:30 | 想い

手術を受けることを決めてから、父親である私は、身を切られる思いで日々を過ごした。
大袈裟ではなく「人生で一番つらい」時間だった。とにかく、淋しくて、不憫で、悲しかった。

彼を病院に送っていく4月22日の夜は、すべての種類の悲しさに満ちた時間で、彼を置いて病室をでる時は、絶対涙が流れるだろう。漠然だが、そう思っていた。


午後8時前、入院先の病院へ戻った。
最終的な入院のセッティングが終わり、手術への不安が増すと思っていた。
息子は、白い歯を見せて、我々に話しかけた。
「大丈夫、テレビも、ウォークマンも、PSPも、携帯電話だってあるから。」
彼の振る舞いには、不安を感じさせるものは、ほとんど見受けられなかった。

結局、一番強いのは息子だった。

もう、眠っただろうか?
明日の今頃には、多くのことが終結に向かっている。


結局、また、私は息子に助けられた。




前を向くしかない

2012-04-21 23:56:38 | 想い

私の中ではまだ、すべてを吹っ切ることができない。
多くのサッカー仲間たちは、普通に、ごく当たり前にサッカーをしている。
走り、ボールを蹴り、飛び跳ね、息を切らす。
息子は3月18日のあの一瞬の前まで、当たり前のように、何の疑いや、ためらいもなくサッカーをしていた。
私は、彼が停滞することなく、永遠にサッカーをするものと思っていた。

突然、停滞を余儀なくされた。


心が折れそうになりながら、現実を直視して頑張っている息子を見ると、前を向くしかない。
そしてこう誓った。
「オレはお前のために絶対に頑張るから。」
前を向くしかない。


折れそうな心。オレってこんなに弱かったのか?

2012-04-21 23:37:22 | 想い

受け入れたくない現実が目の前に提示された。
あの息子が、こんな苦境に立たされている。
次ぎの日、出勤したがどうしても”そのこと”が頭から離れない。
昨日で解放される予定だったので、そのギャップの大きさに心が折れそうになる。
昼休みになった。気分転換に散歩をした。
今まで躍動しながらプレーする息子の姿が目に浮かぶ。彼はいつも仲間を鼓舞し、自分のできるすべての、あるいは、それ以上のパフォーマンスを繰り広げた。そんな彼に突き付けられた現実。
歩きながら泣いていた。悔し涙が次々と流れた。涙だけでなく、嗚咽していた。
「あいつ、何にも悪いことしてないのに。いつだって一生懸命サッカーしてたじゃなか。今回もいっぱい我慢してたのに、なぜ?どうして、あいつがこんな辛い目にあわなけりゃいけない?なんで?」
涙が流れた。
「3月18日さえなかったら。あの時、風邪で熱でも出していたら。大雨が降ってトレーニングマッチが中止になっていたら。あの一瞬さえなかったら。」
次々に現実から回避することだけを考えた。

オレってこんなに弱かったのか?    自己嫌悪に陥る。


4月17日 彼はとても失望したが、すぐに前を向いた。

2012-04-21 22:54:13 | 経過

息子がケガを負って、ほぼ1カ月が経過した。
ランニングGOサインがでた後、47番は順調に回復した。
47番がケガを負った後、彼の体調の早期回復のため、母親は徹底的な食事療法を行った。
毎日「もずく」あるいは「めかぶ」が食卓にのった。肉料理から、魚料理や野菜料理へと一気に変わった。47番は文句も言わず、黙々と食した。1日も早い復帰のために・・・・。

いよいよ4月17日、Mドクターによる”見極め”の日となった。
47番は、診察に時間がかかってクラブの練習に間に合うように、練習着に着替え、ピステやシンガードやスパイクやボールやドリンクを準備して、診察に臨んだ。
全体練習に参加するために・・・
儀式のようなMRI検査を行い、『経過は良好、今日から全体練習に参加していいよ』とMDドクターのOKが出る、はずたった・・・



「〇〇く~~ん。診察室へどうぞ。」看護婦さんの明るい声で47番は呼ばれた。
MRIの画像を見ながら少し険しい表情のMドクターが待機していた。

診察結果は極めて思わしくないものだった。
いくつかの重要な指摘がされ、我々は想定外の選択を強いられた。
受け入れたくない現実が、目の前に提示された。
彼はとても失望した。が、すぐに前を向き、ある決意に満ちた言葉を口にした。
「手術した方がいいということですね。そしたら、一番早くできるのはいつですか?」

私は心の中で涙した。
あれほど熱意を持って真摯に謙虚にサッカーをして、ケガの後も回復のみを目指していろいろなことを我慢し続けた彼が、どうしてこのような”仕打ち”を受けなければならないのか。
でも、今目の前に示されている現実がすべてなのだ。
47番は、敢然と前を向いた。
その日のうちに、手術のための検査が行われ、日程も決まった。

夢であって欲しいと思うことは、いつも現実だ。
病院から出て車に乗ると、母親の目から涙が流れた。
私も心の中で泣いた。確実に目は潤んでいたと思う。
でも、一瞬ですぐに前を向いた息子の気持ちを思うと、違う感情が生まれた。
そして、彼と彼の母親の前で、こう言った。
「オレ、絶対頑張るから。おまえのために絶対頑張るから。」


彼のために頑張る以外は考えられなかった。